あなたが最初に買ったレコードやCDは何ですか?
僕の周りではよく出る雑談のネタだ。
ビートルズだった。
サザンオールスターズだった。
SMAPだった。
友人知人のバックグラウンドを知る機会として「最初に買った音楽」という質問はすごく有効なのかもしれない。
一方で、ある本を読んでから、この質問の回答に接するたびに僕は「なんだ、みんな”同じような”音楽じゃないか」と思うようになった。
何が「同じ」なのかというと、西洋音楽理論で構築された、ドラム+ベース+ギター+キーボードで演奏される楽曲という点である。
音楽にはありとあらゆる文化・ジャンル・演奏形態・音階があり、日本においても、雅楽やお囃子など、特有のアンサンブル・音階を持った音楽がある。しかし日本人の多くが、西洋音階を持ち、主にアメリカで発祥した大衆音楽を、「スタンダード」として聴いているように思う。
僕らはおそらく日本やアジア圏の持つ音楽文化よりも、欧米圏にきっかけを持つ音楽文化に、より精通している。半径数キロに存在している(た)はずの、ローカルな音楽に対する知識が少なく、エキゾティシズムさえ感じるのは面白いことだ。(僕はこの状況を批判する意図はなく、この独特な音楽文化を享受している。)
この状況を生んだ要因のひとつとして挙げられるのは、日本が第二次世界大戦に負け、GHQが進駐し、膨大な領域の膨大なアメリカ文化が流入したことだろう。
日本を占領し管理するための最高司令部として設置されたGHQによる、文化はもちろん、経済の仕組み、憲法、教育は大きく社会を変容させ、僕らのマインドを形づくったともいえる。
「ウェスタナイゼーション(※)」「アメリカナイゼーション(※)」というキーワードにあるように、西欧諸国の文化の浸透、定着、そして土着化が大衆音楽にもたらした影響も絶大であった。
「ウェスタナイゼーション」:westernization. グローバル化とともに、世界各国の文化や慣習や経済が西欧諸国の価値観により標準化されること。
「アメリカナイゼーション」:americanization. 西欧文化の流入・標準化の中でも、特にアメリカ合衆国のルールが世界各国に持ち込まれていくこと。
GHQを出発し、テクノ〜アンビエント〜民族音楽を経由し、アメリカに帰還。
1947年、戦後も間もない、まさにアメリカ文化の大量流入が起きた初期の東京に生まれた”音楽王”が、YMOなどのテクノポップや歌謡曲の作曲で知られる細野晴臣である。
1947年東京生まれ。音楽家。1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年「はっぴいえんど」結成。73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント、エレクトロニカを探求、作曲・プロデュース・映画音楽など多岐にわたり活動。
そんな細野が、自身が生まれた頃のアメリカン・スタンダードを解釈し歌う2019年の米国ツアーを収録した映画が発表になった。それが2021年11月12日より上映されている、『SAYONARA AMERICA(サヨナラ アメリカ)』である。つまりこの映画の起点は、GHQにあると言えよう。
『SAYONARA AMERICA』の予告編
83分間映し出されるのは、細野がニューヨークとロサンゼルスで演奏している様子。選ばれた曲の多くは、1920年代〜1940年代にアメリカで親しまれたブギウギやカントリー、ブルースの名曲であり、細野が約50年のキャリアで書いてきた名曲も再編曲がなされ、アメリカ文化への敬服という観点で最適化されている。
1969年にデビューした細野晴臣が取り込んできた音楽文化はアメリカだけでなく、ポリネシアのエキゾティックな音階、ドイツのテクノ、日本・琉球のヨナ抜き音階など枚挙にいとまがない。そういったさまざまなインプットを、細野というフィルターを通して解釈し、独特で妖艶な世界観をつくりだすのが彼の特徴である。
一方、この映画で紹介される演奏には、アメリカ以外の要素をあまり感じない。自身の楽曲『スポーツマン』『ボディ・スナッチャーズ』は、もともとシンセサイザーを駆使してつくられた未来派の音響が楽しめるものだったが、ここでは電子楽器がほぼ省かれ、まるで1920年代〜1940年代のアメリカで書かれた曲のような趣だ。
映画にも収められた『スポーツマン』を演奏する細野
そんな細野の演奏を観に来る聴衆は、現地在住の日本人というよりも、アメリカで生まれ育った幅広い年齢層の音楽好きといった印象だ。
めったに実現しない細野の米国公演を心待ちにし、入場列で
好きなアルバムは『パシフィック』、文字通り100万回聞いたわ。
僕の人生の中で一番”アメリカ”を感じたよ。まるで、ノーマン・ロックウェルの絵を見たみたいに。
と話す熱心なファンの様子が随所に散りばめられている。そして細野の代表曲が始まると、会場は狂喜に包まれ、日本語の歌詞をたどたどしく口ずさむ人々も。
ありきたりな言葉であるが、音楽が文化や国といった境を超える瞬間が真空パックされた映画だ。GHQが紹介したアメリカ文化が日本人のフィルターを通過して、アメリカ人に持ち込まれる様子を目撃できるのだから。
起点を確認し、次に向かうスタンバイ。
2019年。
それは新型コロナウイルスのパンデミックが起こる前年であり、国内外での価値観や政治観の違いをきっかけとした分断を人びとが実感した時期だった。そして細野にとっては、デビュー50周年を迎えた年でもある。
そんな年に、アメリカに学んだことを恩返しに行くコンサートツアーを行うのは、細野のキャリアにおいても象徴的な出来事であり、また本人としてはプレッシャーを感じる挑戦的な試みだったようだ。
公演は満員の聴衆による興奮で大成功となったが、今回その様子を映画にする際に、細野は『SAYONARA AMERICA』と名付け、1972年にはっぴいえんどの一員としてロサンゼルスで製作した『さよならアメリカさよならニッポン』をメインテーマとして新録音。49年ぶりに、細野は自身に多大な影響を与えたアメリカに「サヨナラ」を告げた。
49年ぶりに録音した『Sayonara America, Sayonara Nippon』。無国籍で、かつ生楽器とコンピューターの音がミックスされた唯一無二のサウンドに仕上がっている
細野が「サヨナラ」を告げた「アメリカ」は何なのか、さまざまな解釈ができる。アメリカ合衆国のことはもちろん、アメリカの大衆音楽なのかもしれないし、戦後に進んだアメリカナイゼーションとも。ちなみに僕は、米軍ハウスやエキゾチックサウンドといった、幻想を含んだ目線でアメリカを見つめ、時に現実との相違に失望する細野の姿に多くを学んできた気がする。
いずれにせよ、アメリカへの恩返しを成功させ、自身の出発点を確認した74歳の細野晴臣が、また「サヨナラ」を告げて次の場所へ向かう。音楽だけでなく、その生き方の現役感に圧倒される。
さまざまな音楽に触れて変化する「ぶれ(※)」が特徴の細野だが、今回のコンサートツアーのように出発点を確認し、現在の自身とチューニングすることで、次に表現する世界へ向けて立ち去る気持ちが芽生えるのだろう。
現状維持を貫き、似た作風の作品をつくり続けるのでなく、大胆な変化を常態としてきた細野晴臣が、アメリカに「サヨナラ」を告げて、何に接点を持ち、その結果どんな音像を創造していくのだろうか。僕は次作を心待ちにしている。
(※)細野自身は「ぼくはいつもぶれてる」と発言したことがある。(細野晴臣 分福茶釜、2008年、平凡社)
僕もあなたも何かのスポンジに。
この映画を観る以前から、細野晴臣のファンを20年以上続けてきた僕は、彼が興味を示したことを掘り下げ、「自分だったら」と解釈し、その結果を作品として発信するプロセスとアウトプットを楽しんできた。
それらは書籍やブログ、映像作品などで自身の言葉としても記録されているが『SAYONARA AMERICA』における細野の発言の中には「オーディオ・スポンジ」という言葉が出てくる。
高橋幸宏とのユニット「SKETCH SHOW」名義で2002年にリリースしたアルバムにも使われた言葉だが、自分自身をスポンジのように吸収しやすい態勢に保ち、好奇心を刺激したものを見つけたら、取り入れたのち、ぎゅっと絞る。それが、細野を通過したアウトプットとなる。このプロセスは、細野なりの社会への貢献であり、つながり方でもあるようだ。
音楽はおもしろい。音楽は自由だ。マスクいらないから。
そう細野は映画で語っているが、自分が楽しめて、自由を謳歌できる分野でスポンジになれたら素敵だろう。
僕は何のスポンジになれるだろう。社会のためとか、地球のためでなくてもいい。誰かひとりでも笑顔にできるスポンジになれれば光栄だろうな。
「サヨナラ」を告げることは、新しい始まりに向かうことでもある。
2021年初冬、あなたも何かのスポンジになってみないか。
– INFORMATION –
(企画・編集: 土居彩)
(校正: greenz challengers community)