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「ミジンコに見られてる!」手塚幸夫さんに聞く生物多様性。身体の中を自然が貫いている感覚とは。#地球コクリ!研究会

これまで10年以上にわたって、「コクリ!」で地域や社会の変容を見てきた三田愛さんが、いま、地球生態系全体へと、そのコ・クリエーションの力を広げていこうとしています。その名も「地球中心・生態系全体のコ・クリエーション研究(地球コクリ!)」。

この連載は、愛さんが次なる使命として歩み始めた「地球コクリ!」の探究に伴走しながら、その中で見えてきた気づきや発見を読者の皆さんにも届けていこうという試みです(愛さんが地球コクリ!を始めた想いは、こちらの記事をぜひご覧ください)。

地球コクリ!の活動のひとつが、「地球コクリ!研究会」。人間である私たちが、地球生態系全体の理解を深めるために、生物多様性・生態学・身体性・道の世界・縄文・先住民・アート・テクノロジー・農・パーマカルチャー・宇宙・精神性など、幅広い知恵を学びながら、探究を続けていく研究部会です。

研究会の記念すべき一回目のゲストは、生物多様性の専門家である手塚幸夫さんでした。今回は、愛さんが暮らす千葉県いすみ市のご近所さんでもある手塚さんとの研究会の様子をお届けします。

手塚幸夫(てづか・ゆきお)

手塚幸夫(てづか・ゆきお)

高等学校で生物を教える傍ら、自然保護、演劇、フリージャズに関わる。(~2013年)
1995年より有機稲作に取り組み、同時に有機水田を取り囲む水辺の小動物の諸調査を実施している。2005年からは、日本各地の生物多様性地域戦略の策定に関わり、里山里海の伝統的な自然管理の手法を見直すことが持続可能な地域づくりの第一歩であると訴えている。
2015年に房総野生生物研究所の代表となり、さらに2020年にはオーガニック専門店「いすみや」のマネージャーとなり、野生生物の保護管理から有機農業まで幅広く活動している。

三田愛(さんだ・あい)

三田愛(さんだ・あい)

「コクリ!プロジェクト」創始者/株式会社リクルートじゃらんリサーチセンター研究員/英治出版株式会社フェロー
集合的ひらめきにより社会変容を起こす「コ・クリエーション(共創)」の研究者。地域イノベーター、首長、企業経営者、官僚、農家、クリエイター、大学教授、社会起業家など、約300名のコミュニティメンバーと共に実証研究を行う「コクリ!プロジェクト」創始者。現在は自然と人間の分断を超えた共創をテーマに「地球生態系全体のコ・クリエーション(地球コクリ!)」の研究に取り組む。米国CTI認定プロフェッショナル・コーチ(CPCC)。内閣官房、国土交通省、経済産業省など官公庁での各種委員を歴任。

“人間のための”生物多様性から、“あらゆる生物にとっての”生物多様性へ

愛さん 手塚さんは、私がいすみに来てからとても刺激を受けた人であり、日常生活でもお世話になっている人で、今日はじっくりお話を聞けるのを楽しみにしていました。

手塚さん 今日は、僕がどんな思いを持って生物多様性というテーマに関わってきたのかをお話できればと思っているのですが、本題に入る前に一つ共有しておきたいことがあります。

僕ね、5年ほど前から、内閣府が行なっている「国民の社会意識に関する世論調査」をチェックしているんです。その中に「あなたが日本の国や国民について、誇りに思うことはどんなことですか」という選択式の質問があるのですが、毎年その結果に感心させられていまして。

というのも、東日本大震災があった平成23年(2011年)以降「治安のよさ」を誇りにあげる人が急激に増えて、約半数になっているのですが、同じく約半数の人が誇りとして挙げているものが3つあって、それが「美しい自然」「すぐれた文化や芸術」「長い歴史と伝統」なんです。「高い科学技術」や「経済的な繁栄」を挙げる人はその半分から1/3しかいません。

内閣府「国民の社会意識に関する世論調査」(2020)(2.社会の現状に対する認識について,(3)日本の誇り)のデータをもとに三田愛さんが作成。私たち日本人が長年にわたり、科学的繁栄や科学技術よりも、「美しい自然」「すぐれた文化や芸術」「長い歴史と伝統」を誇りに思っていることがわかります。

手塚さん この結果、意外ではないですか? 日々忙しく働き、お金を中心に動いているように見える日本や日本人のイメージと、ちょっとかけ離れているなと感じますよね。外国から見た日本のイメージとも異なると思うんです。

でも僕は、実は日本人がもともと持っている感覚はこちら側にあるんじゃないか、と思うんですよ。大量生産・大量消費の時代にあって、「自然」「文化・芸術」「歴史と伝統」、この3つがコンスタントに上位にあるんですよ、ずっと。

その一方で、美しい自然や文化を守るための大事な視点のひとつでもある「生物多様性」についての調査では、生物多様性について知っているか尋ねると、言葉は聞いたことあるけど意味は分からないという人が多いんですね。どうも、自分の日々の暮らしに関係しているものとは思えないようです。

たとえば、Wikipediaで調べてみても、

生物多様性(せいぶつたようせい、英語: biodiversity)とは、生物に関する多様性を示す概念である。生態系、生物群系または地球全体に、多様な生物が存在していることを指す。生態系の多様性、種多様性、遺伝的多様性(遺伝子の多様性、種内の多様性とも言う)から構成される。

というような説明になっていて、読んだ時はふうんと思うんだけど、改めて考えてみるとどんな意味があるのか分からない、何ともピンと来ないんですよ。

そんな時、僕はよく「日本的な生物多様性」って言葉遣いをしています。生物多様性は単なる自然保護の概念ではなく、「私たちの暮らしと生業(なりわい)の視点を持って」考えることが大事な奥行きのある概念だと、僕は思うわけです。

愛さん 暮らしと生業の視点を持つ、ですか。

手塚さん 堂本暁子さんが千葉県知事をされていた時に、千葉県の生物多様性戦略の策定に関わらせて頂きました。その時も、私たち一人ひとりの日々の暮らしや生業と生物多様性を重ね合わせることを重視しながら戦略を組み立てていきました。

その結果、戦略の中で「伝統的な里山や里海の暮らしを見直して、健全な農林漁業を振興することの重要性」が謳われ、あらゆる部署の施策の立案に生物多様性の視点に持ち込むことで、大量生産、大量消費、大量廃棄の社会から循環型の社会への転換を促すということが提唱されました。

手塚さんが制作に携わった生物多様性戦略のパンフレットより。里山里海の豊かな生物多様性が描かれています(提供:千葉県生物多様性センター)

愛さん 千葉県いすみ市では、学校給食のお米全量を有機化したんですよね。日本初の試みだと聞きましたが、この有機化も生物多様性戦略の一環でしょうか。

手塚さん 2007年に策定された「生物多様性ちば県戦略」を受けて、2015年にいすみ市も生物多様性の地域戦略をつくったんですよ。人口4万以下の小さな町で、生物多様性の地域戦略を持ってるのは珍しいと思います。

その戦略の柱のひとつが「学校給食の有機化」です。いすみ市で義務教育を受ける子どもたちは、小学校に入ってから中学校を卒業するまでの9年間、自分が生まれ育つ地域でつくられたオーガニックのお米を食べることになりました。これってすごいことですよね。

さらに、2016年からは、環境教育と食育、農業体験を一体的に扱う教育プログラムづくりと実践も進められています。生物多様性教育、さらには環境教育の新しい形として注目できるものだと思います。

いすみ市の学校給食の様子(提供:いすみ市役所農林課)

手塚さん そうして、生物多様性の地域戦略を策定し、地域の農林漁業を見直してみると、伝統的な暮らしに見られるSD: Sustainable Development、有機農業と生物との共生など、いろんなことが見えてきます。

あ、ミジンコに見られてる

手塚さん 有機農業に関連して面白いなと思ったのが、「ただの虫」という言葉と定義です。人間にとっての利便性から「害虫」とか「益虫」という言葉が使われてきたけど、「ただの虫」って言葉は使わないと思うんです。しかしながら、有機農業では「ただの虫」がとても大切だし、生物多様性を構成する要素としても非常に重要な生きものだと考えられているんですよ。

愛さん 「ただの虫」という考え方とも通ずると思うのですが、「人間中心」というスタンスをそもそも変えていかなくちゃいけないですよね。

手塚さん その通りですね。人間のための戦略とか、人間のための生物多様性とか、「人間のための〇〇」というところに、やっぱり引っかかりを覚えますよね。「人間のための」を、「あらゆる生物にとっての」に置き換えてみたらどうでしょうか。みんなが少しずつ置き換えることができるようになると、何かが変わるんじゃないかな。

人間がいて、そのまわりに自然が付随して存在しているのではなくて、地球の自然全体を構成する一部として自分がいるとか、自然の中にわたしが溶け込んでく感覚って大事なんじゃないかな。そこから、本質の問題にたどり着く道に入っていけるような気がしてます。

愛さん あー、その感覚分かるような気がします。私は昨年の4月に、東京からいすみへ移住をしたんですけど、自分の価値観の変化を感じていて。ひとつが虫への感覚の変化なんです。

東京にいた頃はマンションの8階に住んでいたので、蚊もいないし、ちょっとでも虫が出たらびっくりして外に出すという感じだったのが、今だと、小さくてかわいいカエルが窓に20匹張りついてるみたいなことが春の日常だし、クモがいつも同じところに巣を張り巡らせているような生活で、虫たちが暮らしている中に私という人間が勝手に家を建てて住ませてもらっている、みたいな感覚になってきたんですよね。虫がいるのは当たり前で、むしろこちらがお邪魔してごめんね、みたいな気持ちになったんです。

三田愛さんの庭に訪れるカエルやカマキリ

研究会メンバー 私もいまの話に重ねて感じたことがあります。人間って、置かれた環境によってモノの見え方が変わってしまうところがあるから、自分自身を自然の中に置いてみると、勝手に文脈が変わってくれて視点が入れ替わる。日常を少し変えたり、自分の置き場所を変えてみるだけで、手塚さんの言っていた「地球全体の中に自分がいて、その中にわたしが溶け込んでる」みたいな感覚を覚醒する瞬間ってつくれるんじゃないかなと思いました。

手塚さん 今、ふたりの話を聞いていてふと思い出したのは、それぞれの生き物はそれぞれの都合で生きてる、ということ。

それに僕が気づいたのは、ミジンコの研究をしていた頃なんですけど、顕微鏡でミジンコの観察をしていた時に、ミジンコと目と目があったと感じた瞬間があって、「あ、僕がミジンコを見ているんじゃなくて、ミジンコが僕を見ているかもしれない」と思いました。

実際は、ミジンコが僕を見ていることはないんだけど、ある種、そう思ったわけです。それで何が起こるかというと、意識や感覚の変容が僕の側に起こって、ミジンコと関係が対等になる。

手塚さんが撮影したミジンコ

手塚さん 僕はね、人間ってもともと、そういう感覚を持っていたと思うんです。たとえば愛さんは、いすみに来てからいろんな変化があったとよく話してくれるけど、それっていすみに来て突然できたことじゃなくて、もともと自分の内にあったものが表に出てきたんじゃないかな。いすみに来たこと、海や山のなかで過ごすことが引き金になって出てきたもので、ここで学習して身につけたという感覚ではないと思うんですよ。

イギリスの劇作家にハロルド・ピンターという人がいて、その人の言葉にこういう言葉があるんです。

起こらなかったかもしれないけど、覚えていることがあって、それを思い出すと起こったことになる。

この感じ、何となくわかりますか?

一生懸命訓練したりしないと、その感覚に到達できないかというと、そうではなくて。何か触れ合うもの、出会うものがあると、内にあったものが引き出せるんだと思う。おそらく愛さんは、都会生活からいすみという田舎に移ってきたことで、本来だともっと時間がかかる感覚をたくさん引き出してきているんじゃないかな。

自然や周りの人と感覚を響き合わせながら、自分の中から感覚を引き出していく。人間のそういう力にもっと期待してもいいんじゃないかなと思いますよね。

人間を「ちくわとして見る」

愛さん 生物多様性の話からミジンコの話になるとは思わなかったです! すごく面白いなあと思いながら話を聞いていたのですが、この美しい自然を守りながら、私たち人間も暮らしていくためには、地球全体の中に自分がいる感覚や他の生き物や自然と対等な関係を築くということが原点にあるのかもしれないというヒントをもらえた気がします。

手塚さん 自然と人間っていう話でいうと、動物の体のつくりを説明するときに「ちくわとして見る」という考え方があるんです。人間って自分の体のここまでが自分だっていうふうな意識、感覚がすごくあって、洋服を着た瞬間に、その洋服の内側と外側で自分と自分じゃないものって区切られてるように感じると思うんですが、ちくわとして見ると、体の中を自然が貫いているということ気づくんですよ。

愛さん どういうことでしょう?

手塚さん 動物の一生は受精卵からはじまりますよね。受精卵はその後、分裂を繰り返して細胞の数を増やしていきます。すると細胞は次第に外側に集まり、中に液体がたまるようになる。

その細胞のまとまりに外側から一か所、指でグッと押し込んでいくように、皮が中に入っていって1本の管を通す感じになる。ちくわのような穴あきの形になるということです。

動物は皆この穴あけ作業をして体を作るんですよ。人間だとお尻から穴が開いて、管が体の真ん中を貫いていって、最後に口のところに出てくる。僕は、その管の中も外界、つまり自然だと考えていいんじゃないかと思ってます。体の中にも自然が通ってるってことです。

手塚さんが作画されたイラスト

手塚さん だから、人間と自然ってそんなに隔離してるものじゃなくて、いろんな面や線でつながっているんです。当たり前すぎて普段気にかけないけど、僕たちはしぜんと自然を取り入れて暮らしているでしょう。当たり前のように息をしているし。

取り入れると言えば、私たち人間は食物を栽培し、それをいただいて生きているけれど、それだって人間の力だけではできないことなんですよね。

どういうことかと言うと、植物が育つためには、太陽の光を浴びて、水と二酸化炭素を使って光合成をすることが必要不可欠なんだけど、光合成って今のところ人間が実験室や工場で再現することは不可能なんですよ。人間は、生きる(食べる)ための最初のステップを自分たち自身ではできないわけです。

また、最後の出口、さらには命の終わりのところもそうですよね。うんちはするけれども、それ以上の分解はできなくてバクテリアにお願いするしかない。死んだ後の体も同じ、最後はバクテリアにお願いするしかない。

愛さん !!! 人間が生きること、そして死ぬこと。そのとっても根底のところを人は自分たちの力だけではできないってことなんですね。

手塚さん いろんな生きものがそれぞれの都合でつくったり分解したりしていて、私たち人間は自分に必要なものや都合のいいものを取り入れて生きているんですよね。そう考えると、直接関係ないと思っている生きものを含め、本当にたくさんの生きものたちに支えられて生きていることが分かってきます。

自然と自分との間にはたくさんの生きものがいて、みんなつながっている。つながることは支え合うことであり、また、安定した生態系をつくることでもある、それが生物多様性なんですよね。

最初の話に戻りますが、日本人は自然を征服しようとして歴史を積み重ねてきたのではなく、自然の力を借りて暮らす工夫を積み重ねてきた民族なんだと感じています。そのことは里山における伝統的な農地や林地、さらには里海の自然管理の歴史を見ていくとよく分かります。だからこそ、誇れるもののトップ4のうちの3つが「美しい自然」「文化と芸術」「歴史と伝統」になったのだと思うんです。

研究会はオンラインでメンバーをつないで開催。各自の専門領域や関心が重なり合い増幅し、地球コクリ!としての探究が深められていきます

「意味のないもの」とも、地球全体でつながっている

地球コクリ!の研究会を文章にして書き残すなら、せっかくだからあの時間を思い返しながら、もう一度ゲストと対話をするのもいいかもしれない。

そんな思いから、ここではアフタートーク的な愛さんとゲストのおしゃべりも、地球コクリ!の旅の軌跡として、記しておくことにしました。

愛さん 最後に手塚さんがおっしゃっていた、「日本人は自然を征服しようとして歴史を積み重ねてきたのではなく、自然の力を借りて暮らす工夫を積み重ねてきた民族なんだ」という言葉がすごく印象的でした。日本人は昔から自然と共に生きていたんだなと。

でもその一方で、人間が自然や生きものをいただくという「いかされる」だけの関係性からは、なかなか抜け出せないのかな、どうしたらそこから一歩先へいけるのかなとも考えさせられました。

手塚さん 人間って意味のあるものと意味のないものに分けたがるし、そこに名前をつけたがりますよね。いま言った「いかされる」関係性だけじゃなくて、「いかされない」関係性、あるいはどうでもいい関係性っていうのもあって、それらを全部合わせて「いかされている」ことになるんだと思うんですよ。

意味のないとか、どうでもいいとか思うものとも、実はちゃんと意味を持ってつながってるんですよ。

僕はよく氷山に例えてこのことを考えるんだけど、氷山って大きな塊の1割ぐらいしか上に出てなくて、9割は水の中に広がっているんだよね。つまり、氷山の見えているところだけを見ると、いくつかの山がバラバラにあるように感じるんだけども、見えていない水の中ではみんなつながっている。

こちらも手塚さんの手書きイラスト

手塚さん そして、この氷山と同じようなことが、地球上のあらゆる生物のつながりの中でも起きていると思うんですね。意味のないと思っていたものとも、どこかでつながっているし、関係し合ってる。だから、意味があると思っているものとの関係だけに着目すると、いかされているだけの関係を築いているように思うかもしれないけど、そうではないんじゃないかなと、最近考えたりしています。

愛さん 地球コクリ!でもよく、「根っこでつながる」という表現をするんです。多様な生物、自然、ビルなどの人間が創造したものも含めて、いろんなものが根っこでつながってて、地球全体で声を響き合わせながら、それぞれから湧き上がってくるものでコ・クリエイト(共創)していく。そのコ・クリエーションしたものがまた地球を良くしていくみたいな、そんな感覚をすごくい大事にしてます。

「根っこでつながる」など、愛さんがコクリ!プロジェクトで探究してきたコ・クリエーションの智慧がつまった『コクリ!百色絵巻

手塚さん そうそう、地球コクリ!って、「共存」ではなく「共創」という言葉を使うけど、働きかける触手がちゃんとある状態で、他の生き物と関わったり、つながっていくことなのかもしれないなと、ゼミに参加させてもらう中で感じています。今あるものをそのまま保って共存するというより、展開するために触手をちゃんと伸ばしていくっていう作業なのかもと。静的にそこに関わるのではなく、動的にそこに関わっていくというか。

愛さん まさに、共存と共創の違いは一個のテーマなんですよ。というのも、2年前ぐらい前に「地球コクリ!をやろう」と考えて、20年以上環境のことを研究してきた方に話をしたら、「co-existence(共存・共生)はわかるけど、co-creation(共創)は違うんじゃない?そういう概念はないよ」みたいに言われて。でもそこをやっていきたいのが、地球コクリ!だし、すごく大事になる部分だとも思っているんですよね。

まだその答えには辿り着けていないけど、手塚さんがおっしゃってくれたみたいに、客観的に相手を見てるんじゃなくて、触手を伸ばして自分も変わりながら関わることで、全体がかき混ざっていくような、そんなものなのかもしれないなとか、少しずつ近づいてきている気はするんですけど。

「地球や他の生物との共創とはどんな状態か」。この問いは、これからも探求しながら考え続けていきたい大切な問いになりそうです。

(Text: 三輪ひかり)

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ライター:三輪ひかり(みわ・ひかり)

ライター:三輪ひかり(みわ・ひかり)

編集者/ライター/保育者。
1989年東京生まれ。日本とカナダでの保育士の経験を経て、編集や執筆をはじめる。「その人がより、その人らしく生きる」ことを軸に仕事と暮らしをしています。 暇さえあれば、散歩と生け花、庭仕事。葉山在住。