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「僕らの中の縄文を取り戻そう」舞踏家として世界中の先住民たちと一緒に踊った天人純さんが見つけた、幸せに生きる知恵とは?

これまで10年以上にわたって、「コクリ!」で地域や社会の変容を見てきた三田愛さんが、いま、地球生態系全体へと、そのコ・クリエーションの力を広げていこうとしています。その名も「地球中心・生態系全体のコ・クリエーション研究(地球コクリ!)」。

この連載は、愛さんが次なる使命として歩み始めた「地球コクリ!」の探究に伴走しながら、その中で見えてきた気づきや発見を読者のみなさんにも届けていこうという試みです(愛さんが地球コクリ!を始めた思いは、こちらの記事をぜひご覧ください)。

地球コクリ!では、人間である私たちが、地球生態系全体の理解を深めるために、生物多様性・生態学・身体性・道の世界・先住民・アート・テクノロジー・農・パーマカルチャー・宇宙・精神性など、幅広い知恵を学びながら、探究を続けています。

そうした活動の一環として、縄文の暮らしを研究、実践するダンサー天人純さん(以下、JUN)をお迎えした研究会の様子をお届けします。

天人純 Amanto Jun(あまんと・じゅん)

天人純 Amanto Jun(あまんと・じゅん)

幼少より武道武術を嗜みスタントマン、大道芸人を経てパフォーマーに。環太平洋の身体感から傾舞(かぶくまい)を創始。そこから生まれた独自のコンセプトEART(天然芸術)を使い願望達成から必然達成の時代を提唱。空家再生パフォーマンスなどで通りすがりの人1127人を巻き込み「Salon de AManTo 天人」スタート。現在、大阪中崎町を拠点に地域活性化に成功、天人グループとして 9店舗を運営、アートエコビレッジ「Area AManTo」と呼ばれる。被災地支援や国際交流、国内難民の受け入れなど天然芸術家として仕事とボランティアを分けないライフスタイル「天人」を世界に文化発信している。


縄文の意識で暮らす、中崎町のエコビレッジコミュニティ

 縄文時代や先住民の暮らしのなかに、地球コクリ!的な在り方へのヒントがありそうと思い、今日はゲストにJUNさんをお招きしました。

JUN よろしくお願いします。ダンスパフォーマーで俳優をやっている傍ら、大阪の中崎町という場所で20年ほどアートエコビレッジ「サロン・ド・アマント天人」を運営していて、ここで縄文の意識で暮らすシミュレーション実験をしています。今日はこの中崎町の話からできるといいのかなと。

 はい、ぜひ「縄文の意識で暮らす」というのは、具体的にはどのような場で、どのような暮らしをしているのですか?

JUN 第二次世界大戦の大空襲で大阪も焼け野原になったんですけど、そのときにお地蔵様が丸く囲った内側に爆弾が落ちなかったという伝説が残っている場所があります。そこが、いま僕たちが暮らしている中崎町の長屋街になります。

どうして「縄文の意識で暮らす」ことをはじめようと思ったかというと、環太平洋をめぐってさまざまな先住民と出会うなかで、彼らの叡智や極意がジグソーパズルの一枚一枚のように感じてられるようになって、それがいつしか大きな絵となって見えるようになってきていました。

でもそれは僕の空想科学なわけで、確かめようがない…。僕はその技法が幻か否か知りたくなり、それを「天響ノ道 Amayura no michi」と名付けました。“願望達成”ではなく、先住民の人々が幸せと感じていた“その瞬間瞬間の必然の達成”に接することが現代人にどう響くのかを、実験考古学的なやり方で、「縄文」や「先住民」とは誰にも言わず、ただ実践してみることにしたんです。

具体的に何をしたかというと、まずは長屋街の空き家を再生することからはじめようと思い、「サロン・ド・アマント天人」というコミュニティカフェをつくりました。芸能人を辞めて、エンターティナーからアーティストになろうと決めていた僕は、ご縁のあった中崎町という場所を再起動するために、自分のできることをまちの人々に提供して、喜んでもらって、同時に自分自身も再起動したかったんだと思います。

サロン・ド・アマント天人の外観(写真提供:天人純)

JUN 「サロン・ド・アマント天人」では、国際交流や災害支援、民間外交、アート活動など、飲食の提供に限らずカフェという空間でできることを何でもやりました。

そのおかげで、大阪中崎町は、海外で有名になり逆輸入のかたちで活性化していきました。現在400店舗を超える、若者に人気のおしゃれスポットとして注目を集めるようになり、新型コロナウイルスが広まる前は、韓国をはじめ近隣アジア諸国から、アジア的地域活性化の事例として使節団がたくさんくるようになりました。世界連邦運動協会の市民活動の支部にもなり、地域の防災マップが多言語化されたり、地元の祭りが観光の目玉になったりもしたんですよ。

中崎町での活動の様子(写真提供:天人純)

 それはすごいですね! 中崎町の活動ではどのようなことを意識されていたのでしょうか?

JUN 「縄文」を「ネオ縄文」にする必要を感じていました。先住民の知恵は本当に素晴らしいのだけれど、彼らのコミュニティは、差別や貧困などたくさんの問題を抱えていたのも事実です。

なぜそのような問題が起きたのか…。僕の仮説は、先住民にグローバルな地球全体という視点がないこと。海の民は海の達人だし、山の民は森の達人です。なので、方法論はそのまま、縄文の暮らし方を世界規模に当てはめてみるという社会実験をすることで、「ネオ縄文」を中崎町の暮らしのなかで探っていくことにしました。まちも、暮らしも、今でも日々変化し続けています。

身体パターンから紐解く、先住民の意識と文化

 そもそも、JUNさんが先住民の暮らしに興味を持たれたきっかけは何だったんですか?

JUN ダンスで一番大事だと言われているのが、体の中心の軸をしっかりとつくること。これはクラシックバレエだろうと、HIPHOPだろうとどんなジャンルでも大事にされています。ダンスに限らず、中心軸を持てとか、軸をぶらすなとか、自己肯定感とか、自分の真ん中を大事にしなさいということはよく言われますよね。

それで、この“軸”というものを中心に身体の動きを探求することにしたんですけど、そのときに僕が着目したのが先住民の人たちの動きだったんです。というのも、僕は日本人なんでね、たとえばクラシックバレエのような西洋的な身体の動かし方では、絶対に西洋の人には敵わないので、日本の古い動き方を研究して、自分なりの日本人のメソッドみたいなものつくっていけないかなと思い、探求しはじめました。

そうしたら、「日本の」というのはないことに気がついたんです。身体の動きというものは、旧石器時代、人(ネアンデルタール人)がまだ文字や言葉を持たなかった時代からあったわけですから。

 その時代にはまだ、日本国というものは誕生していなかったということですね。

JUN そうです。じゃあ、日本人と同じような身体の動かし方やパターンを持つ民族は他にもいるのかなと調べてみたら、沖縄より南、東南アジアやフィリピン、インドネシア、タイで同じパターンを発見しました。

これは面白いなと思って、次は北にも上がっていったんです。そうしたら、アイヌの人々も、モンゴルの人々も、アラスカ先住民も同じだった。

これはどこまで一緒なんだろうということで、どんどんどんどん辿っていってみると、アラスカ先住民、ネイティブアメリカン、マヤ、インカのアステカの人々、そしてハワイの人々に至るまで、環太平洋火山帯の地域で同じ身体操法(※)を持つことが分かったんです。

(※)主に古武術で使う用語。身体の使い方、動かし方。

 そんなに大規模な範囲で! その同じ身体操法というのはなんだったんですか?

JUN それが面白くて、“中心がない”というもので、2本の軸で身体を動かしていくんです。

各民族の身体操法をお祭りの「踊り」と、民族固有の「武術」を並行して研究するなかで気づいたのですが、身体の動かし方にはものの認識の仕方、つまり意識の在り方が表れているんです。なので、人間の意識は一番幸せなときと一番危険なときにその特徴があらわれるのではないか? という仮説に基づいて、「踊り」と「武術」を比較研究することにしたんです。

そうすると、そこには見事に同じ2軸運動のパターンがありました。僕はこれを「移軸」と呼んでいるんですけど、意識がこの2本の軸の間を右に左にと移動するんです。これでいろんなものが成り立っていたんです。

1本ではなく、2本の軸で身体を動かしていく

JUN この「移軸」は、近代や現代の身体の動かし方にも残っていて、たとえば侍の抜刀や刀の振り方もそうだし、弓道も2本の軸を使って身体を割って力を放ちますよね。西洋の弓であるアーチェリーの場合は、体幹をしっかりさせて腹筋と背筋を締めて弓矢を手で引くという動作なので、似ているようで全然違うんです。

環太平洋火山帯の地域に共通するこの身体操法(意識)は、真ん中に何もない。一番意識しない、ないものが中心というものなんです。そして、それがそのまま「私はみんな、みんなは私」という先住民たちの生き方、文化文明にも反映されていきます。

ハグではなくお辞儀の間合い

JUN それ以外にも、先住民の人たちの間で語られている神話伝説にも共通パターンがありまして、それは「命は身体よりも大きい」というものです。これがひとつの民族だけではなく、環太平洋沿いの民族の神話に共通して出てくるんですよね。

つまりどういうことなのかというと、心が先にあって、その心のオーダーで身体(人間)ができている。だから、身体的に触れ合っていなくても、近くにいるものと心と心が重なると考えているんです。

身体が触れなくても相手を感じる、「間」の感覚

 えぇ? それは、実際に触れ合ったり、交わり合っていなくても、心と心が重なると考えるんですか?

JUN そうです。実際、このような肌感覚は2軸の身体操作パターンにも影響していて、武術の間合いや踊りの間合いにも出ているし、挨拶にも出ています。

たとえば、西洋だと挨拶としてハグをする文化がありますよね。それは軸が中心に1本しかないので、そうしないと相手を確かめることができないからなんです。ところが、日本人だとお辞儀をするでしょう。握手でもちょっと近すぎる感覚があるんですよ。

 なるほど。先ほど、先住民の方々は「私はみんな、みんなは私」という文化を持っているというお話がありましたが、自分と他の境界線が曖昧であるということも特徴なのかもしれないなと、お話を聞きながら感じました。

「ありがとう」という言葉がない

JUN フィリピンの北ルソンにカリンガ族という民族がいるんですけど、その人たちは「ありがとう」という言葉を持たないんですよ。じゃあ、「ありがとうって伝えたいときはなんて言うの?」と思って聞いたら、「今日はこの辺でおいときましょう」と言いますって。

なんだそれは・・? みたいな感じで最初はよくわからなかったんですけど、つまり、私(自分)だけが絶対に存在している。それだけが彼らにとっては間違いないということだったんです。

 ??・・・・どういうことでしょうか・・?

JUN 前提として、彼らには中心がありません。中心は、周りの村の人たち、周りの自然のために開いている。なので、周りの自然や周りの仲間たちがしてほしいことをやるのが、自分のやりたいことになります。

だから、AさんがBさんに会ったとしたら、Aさんがまず最初に何を考えるかというと、「Bさん、何してほしいのかな」ということなんですよ。それが自分のやりたいことになるんです。それで、AさんがBさんに対して何か親切なことをするじゃないですか。そうすると、僕らの文化の場合はそこで「ありがとう」と言って終わりますけど、この人たちはありがとうの言葉がないから、今度は逆にBさんは、Aさんが何をしてほしいのかを考えるんです。そして今度は、BさんがAさんに何かしてあげるんですよ。

そうなってくると、もうおわかりですよね。これまたAさんは「ありがとう」は言えないので、Bさんが何してほしいのかなってやるわけです。Aさん、Bさん、Aさん、Bさんって、ずっと相手がしてほしいことをお互いにやり続けるわけですよ。ループし続ける。

で、日が暮れて暗くなってきたら、「今日はこの辺でおいておきましょう」と言うわけです。つまり、「明日は僕の番からね」と。

先住民の人たちは、中心がないことでこんなにシンプルな暮らし方をしていたんです。最近よく「おもてなし文化」なんて言いますけど、まさしくそういうことなんですよ。ギブアンドテイクじゃないんです、ギブアウェイ。あげきっちゃって、そこで終わり。それが自分の幸せ、満たされた状態だというんです。

“分け合う”という、先住民の暮らしと知恵

JUN これもカリンガ族に限らず、いろんな先住民の文化から見てとれることで、独り占めすることが幸せではないんですよ。自分が何かを得ることができたら、みんなに分けて配る。それが実際、自分の幸せにつながるような暮らし方をしていたんです。

 みんなに分けることが、自分の幸せにつながる暮らし。

JUN たとえば稲作が始まる前は、狩猟が食べ物を獲得する方法だったわけですが、一人で槍で魚を突くより、地引網をみんなで引っ張ったほうがたくさん捕れるわけでしょう。それに、生魚や生肉などは保存ができないので、その日のうちに分けて食べちゃった方が合理的。しかも、そうすることで次の日も手伝ってもらえて、また食べ物をとれる可能性が上がる、というわけです。

 わかります! 私もいすみで暮らすようになって、みんなと分け合うことが増えました。漁師さんからご近所にトラック一杯分の鯖が届いて、それを子どもたちと一緒にはじめてさばきました。薪づくりもひとりでやるととても大変だけど、「薪ネットワーク」というコミュニティがあって、ベテランのおじさまたちも集まってみんなで分担しながら作業したら、2時間ぐらいで大量の薪ができました。

いすみの薪ネットワークのみなさんとの作業の様子(写真提供:三田愛)

JUN 実は現代の日本のなかでも、こういうことが起きているところもあるんですよ。三重県熊野市で土砂災害が起きてボランティアに行ったときの話なんですけど、そこで東北大震災に気仙沼の大島というところへボランティアに行った際に僕たちがプレゼントした「天人元気届隊(※JUNさんのボランティアグループ名)」と書かれたスコップや一輪車が使われていたんです。「あれ、なんでこれがここにあるんですか?」と聞いたら、災害があった次の日に、気仙沼の漁船の大船団がいの一番にやってきて置いていったというんです。

JUN なんでそんなことが起こったのかというと、これはカツオ漁と関係しているんです。カツオが北へと移動するときに、熊野の漁師さんは気仙沼の方まで行くそうで、そこで泊まるところがないから、気仙沼の漁師のところへ泊まって漁を続けるんだそうです。

逆に、カツオが南へ下がってくると、気仙沼の漁師さんが熊野の方にやってきて、熊野で宿泊しながら漁を続ける。「そんなこと、いつからやってるんですか」って聞くと、「もう1000年以上になるかな」と。

つまり、明治時代にも、江戸時代にも、室町時代にも、行政や権力の仕組みとはまったく異なるところで勝手に分け合うことをやってたわけです。そんな島と島、地域と地域、国と国が助け合うということが、環太平洋中のいろんなところで起きてきたんですね。

縄文の暮らしを取り戻すには?

 どうすれば私たちはそんな縄文的な暮らしを取り戻せるのでしょうか?

JUN 一番根本的なのは、身体の感覚というものを取り戻すことかなと思います。いま僕たちが自然としてしまっている「真ん中を中心にした運動」が、思考や身体の動き、すべてに影響をしているのですが、それを「移軸を意識した運動」(中心がなく、2本の軸を左右に移動して体を動かす)に切り替えるということです。

僕はワークショップというかたちで教えたり体験してもらったりしてるんですけど、イメージとしては揺れる船の上で、左右に身体の軸を動かしながら、真ん中は絶えず明け渡すような身体の使い方です。他にも、着物は移軸(2軸運動)じゃないと歩けない格好なので、着物を着ていただくのもいいかと思います。

実は、民族衣装である着物だけでなく、昔の日本の道具も移軸じゃないと使えないようなデザインになっているものが多いんですよ。なので、道具を昔の道具に変え、伝統的な暮らしをするというところにもヒントがあるかもしれません。そこに祖先の記憶が残っているんです。

 そういえば書道をしているとき、それと通じるような感覚になります。自分が筒になったような感覚というか、宇宙というか地球というか、大いなるものとつながっているような感じです。書道は頭でも手でも書いてはいけない。丹田に意識を集中して、丹田の指令で書いていきます。

愛さんのパフォーマンス書道の様子(撮影:吉村 直繁)

JUN あと、先住民たちのことを概念として表すために僕がつくった日本語があるんです。それが「利他」、「利地」、「利世」という言葉です。

「利他」というのは、目の前にいる人の為に何ができるか努力すること。

「利地」というのは、自分の地域、コミニティ、周辺自然環境に何ができるのかということ。

そして、「利世」は、未来世代、将来の問題をどう解決するのか、もしくは、温暖化、環境破壊など、地球全体の世界に対して何ができるのかということ。

自分の行動の中に必ず、利他、利地、利世の3つを同時に要素として入れるように行動することが、具体的な「ネオ縄文的な暮らし」なのだと考えています。

そして僕の思う現代の「ネオ縄文」は、自分のこと、地域や地球のこと、未来世代のことを同時に考えること。僕の住む中崎町は、これにより海外から注目を集め、地域の人が、古い地域コミュニティに再注目して活性化したということから、この考え方は間違ってはいないのではないかと思っています。
 
 利他、利地、利世・・・その生き方ってすごい素晴らしいなと思うし、そうありたいなと思うんですけど、それが24時間できてるかと聞かれたら、なかなか難しいなあと。それは自我が邪魔をするんだと思うんですけど、どうやったら自我は手放していけるものなんですか。

JUN 手放すのではなく、自分を客体視し、意識を拡張することが大切だと思います。どういうことかというと、先住民の神話伝説の共通パターンとしても言いましたが、「命は身体よりも大きい」ということです。

JUN 実はこれ、普段から私たちが持っている感覚でもあって、車のクラッチが繋がりづらいとかブレーキが甘くなったとしても、「ああ、ブレーキがきかない」って悩んだり、苦しんだりしないですけど、運転している車がカーブを曲がるとき、横に擦りそうになったら「うわー!」って車の中でならないですか? 車の中で避けても避けられないのに、そうなってしまう。

これが、意識の拡張なんです。運転してる最中は車の大きさに自分の意識の形が広がっているから、擦るか擦らないかというのが分かるんです。

だから、縄文人の達人がやっていたようなことを達人にならないとできないのかと言ったらそうではなくて、実は私たちはもうやってるんです。なのでそれを思い出して、客体視する、意識を拡張させるということを意識的にやってみてください。「まずは他人を家族と考えてみる。そうすると、家族はわたしだから、他人はつまり私だよね。町内会も家族と考えると、私だよね」と、ちょっとずつ練習していく。

あと、もうひとつ。自然とハーモナイズするためには、ひとつ飛ばしに意識するというパターンがあるんです。たとえば、町内のことを考えるとき、「お父さんが会長をやってる・やってない」とか「この地域に住んで何年で」というところで頭が働いてしまうと物事が動きにくいんだけど、「いま自然災害が多い」というようなひとつ外側の、ちょっと自分と離れたところで「私」を認識して、その間に必要な環境をつくっていこうと考えると物事は動いていきます。

このように、意識が最初にあって、世界と私をつなぐために環境がデザインされていると考えるのも、命が先にあってオーダーで身体が生まれたという縄文人の感覚と同じです。

私のことができてから地域のことをやって、地域のことができてから地球のことをやろうと思っても、私たちは年をとってしまいますから時間が足りません。みんながひとつ飛ばしに意識をすることができたら、未来は変わっていくかもしれません。

 みんながそれぞれ、自分ごとの範囲を広げていくことは大事ですね。

先日、有機農業の生産者の方にインタビューしたときのことを思い出しました。有機農業は手間はかかる。草や水の管理、タネの消毒、すべての工程に時間がかかる。でも、田んぼの稲たちを「家畜」ではなく自分の「子ども」のように見ているんです。家畜にエサをやるわけでなく、いつも見守ってケアする対象。たしかに子どものことって、いつもどこかで意識してますよね。

わたしたちが、どの地域を、そしてどの風景を守りたいかという感覚があると、有機農業は高い買い物ではなく、風景を守ってくれているという感謝の気持ちが湧いてきます。

でも本当はみんな地域を大切にしたいし、安心できる食べ物を口にしたいはずなのに、それができないシステムになっているんでしょうね。自分ごとの範囲が広げていくことで、感謝の範囲も広がる。そんなことを感じました。

(対談ここまで)

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三田愛(さんだ・あい)

三田愛(さんだ・あい)

「コクリ!プロジェクト」創始者/株式会社リクルートじゃらんリサーチセンター研究員 兼 サステナビリティ推進室/英治出版株式会社フェロー
集合的ひらめきにより社会変容を起こす「コ・クリエーション(共創)」の研究者。現在は自然と人間の分断を超えた共創をテーマに「地球生態系全体のコ・クリエーション(地球コクリ!)」の研究に取り組む。目黒と葉山での二拠点生活を経て、田んぼに囲まれた千葉いすみに移住。書道家として出羽三山神社にて書道奉納や、式典のパフォーマンス書道を行う。古流松麗会師範(華道)。米国CTI認定プロフェッショナル・コーチ(CPCC)。内閣官房、国土交通省、経済産業省など官公庁での各種委員を歴任。

ライター:三輪ひかり(みわ・ひかり)

ライター:三輪ひかり(みわ・ひかり)

編集者/ライター/保育者。
1989年東京生まれ。日本とカナダでの保育士の経験を経て、編集や執筆をはじめる。「その人がより、その人らしく生きる」ことを軸に仕事と暮らしをしています。 暇さえあれば、散歩と生け花、庭仕事。葉山在住。

(編集:廣畑七絵)