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私の言葉が誰かを動かす。それで誰かが前向きになれば、生きやすい社会に近づく。私は書くことで、ソーシャルデザインの担い手をしている。

ライターっていう肩書きの名刺をつくっちゃえば、ライターなんて誰でもなれるしね。

これは、大学卒業後10年間働いた会社で、同僚が何気なく吐き捨てた言葉です。私は当時、通販カタログの企画・編集をしていたのですが、その日上がってきたコピーの出来がイマイチで、不満を漏らしていた流れで口をついて出たものでした。

いきなり、ライターを志す人の心が折れそうなエピソードをごめんなさい。でも、このネガティブな一言は、悩んでいた私の背中を押してくれたのです。

そうか、無資格の私にもできることがあるのか。
「困っている人が生きやすい社会をつくる仕事をしたい」と漠然と考えていた私に、光が差した瞬間でした。

そうしてある日、私は“ライター”という肩書きの名刺をつくり、この世界に飛び込んでみることにしたのです。

村崎恭子

村崎恭子

兵庫県明石市在住。大手通販でインテリアの商品・販売企画、NPOで古着のチャリティーショップ運営を経て、現在は「メルとモノサシ」の屋号で企画業・執筆業を中心に活動中。“ひとつのものを長く使うこと”の大切さ・楽しさを多くの人に知ってもらうべく、アップサイクル商品を企画したり家庭の廃棄食材で古着を染めるワークショップをしたり、さまざまな切り口で新しい価値を提案しています。

書く楽しさをメルマガで知る

私が“書く仕事”を意識したのは、就職してからのこと。

新卒で通販の会社に入り、希望していたインテリアカタログではなくECのコスメ担当になった私は、毎週配信する携帯メルマガのコピーに魂を込め、配信するそばから売れていくのを心から楽しんでいました。当時の携帯メルマガに使えたのは、テキストと一部の絵文字のみ。500文字程度という制限の中で、“買いたくなるコピー”を日々研究して書いていたのは、今思えばとても良いトレーニングでした。

当時の通販市場はまだ紙媒体の全盛期で、携帯EC市場なんて社内で目を向ける人もわずか。そのため、大企業にいながらも個人商店気分で自由にやれたのもよかったのだと思います。メルマガとはいえ、“自分の言葉が世の中を動かす”ことの楽しさを覚えてしまいました。

そんな中、消えなかったのは紙媒体への未練。入社前から憧れていた「紙媒体をつくりたい」という思いは消えず、「いっそ社外で…」と、激務の合間を縫って編集・ライターの学校へ通ったり、知人を通じてつながった学生起業家のフリーペーパーづくりを手伝ったりして、虎視眈眈とチャンスをうかがっていました。

進学校へ通う高校生に、大学生のインタビューを通じて“偏差値基準じゃない進路選び”を提案するフリーペーパー「Life collection」の編集や執筆をお手伝い。今はもう廃刊になってしまったのですが、とてもいい媒体でした。

悶々と悩む日々を、紙でのキャリアに費やす

転機は、思わぬ形でやってきました。

8月30日。今この原稿を書いている日でもありますが、11年前の今日、大切な友人が亡くなりました。自ら死を選んだのです。

私は彼女のとても近くにいたのに、彼女が心の病を抱えていたことも知っていたのに、何もできなかったという罪悪感。しばらくは自分が自分じゃないというような、自暴自棄の日々を過ごしました。

リーマンショックの影響もあり、社会全体を“負”が覆っていたあの当時の感覚は、今でも覚えています。このままでは悩んでいる友人がみんな死んじゃう、とさえ思っていた私は、自死をなくすために、自分は1人の残された者として何ができるのか、悶々と考えるようになりました。

そんなある日、入社時から希望していた部署へ異動することに。

そこは、インテリアカタログの企画編集や商品企画をするチーム。家具、雑貨、ファブリックをさまざまな切り口で編集して見せ、お客さまに憧れを持って買ってもらう媒体で、「企画が命」のチーム。ここで約5年間、上司やメンバーにも恵まれ、骨の髄まで企画力を叩き込まれました。スポ根のような日々でしたが、大好きな仕事でした。

退職時に同僚からプレゼントされた、私が手がけた企画誌面のスクラップ集。今でも時々見て、力をもらっています。

これまで関わった媒体は全て大事に保管しています。これが紙の良さかな。

国内外のクリエイターと商品をつくったり、海外の展示会へ出張したり。
ついにはチームのリーダーに就任。

聞こえは華やかながらも、毎日神経をすり減らして早朝から深夜まで会社にどっぷり。結婚して通勤時間が往復3時間になったこともあり、「もう十分かな」と、いよいよ次のステップに進みたい気持ちが芽生えてきた頃、頭をよぎるのはやはり、「生きづらい人のための仕事につきたい」という思いでした。

学生時代に少し留学していたNYへ。またしても単身で出張したのはいい思い出。

ライター求人でgreenz.jpと出会う

ところが、その思いを叶えられる仕事は何なのか、本当にわからない。家族や親戚に医療関係者が多く、そういう類の仕事=福祉や医療の専門職、というイメージしかなかった私は、なかなか答えを見つけ出せずにいました。

そんな中で、冒頭の同僚の言葉を聞いたのです。ライターなら、ある程度は勝手知ったる業界だし、少しだけかじった経験もあるし、できるかもしれない。「とりあえず会社の外で何かをやってみよう」と、ライター募集の検索をしていたところ、greenz.jpの関西ライター求人を見つけました。

そう、私がグリーンズを知ったのはなんと、ライター募集から。どんなサイトなのだろう? と読み進めてみると、「こんな世界があったのか!!」と思わず電車でむせ込むほど。「ソーシャルデザイン」という言葉に出会い、「ああ、専門職じゃなくても困っている人にアプローチできるんだな」と。

すぐさま、震える指先で応募フォームに入力して送信。「経験者限定」ということだったので、見栄を張って過去の取材人数を少しだけ上増しして…採用の連絡をもらった時は「ばれたらどうしよう」と震えましたが、幸いお咎めなく現在に至っています。

初めての取材記事は、お客さんとして通っていた「世界のごちそうパレルモ」の本山さん。

ついに、ソーシャルデザインの担い手になる

会社員をしながらのライター活動は、なかなか難しいものでした。土日に取材し、翌週末に初稿を提出するスケジュールは厳しく、提出は遅れがちに。それでも丁寧にアドバイスをくださるエディターさんにいつも救われていました。

ソーシャルデザインの担い手を取材し、その活動を記事にすることは、私に新たな気付きをいくつも与えてくれました。特に揺さぶられたのは、誰にも“原体験”があり、“つくりたい社会像”を持っていること。取材を重ねるほどに、自分の仕事観が変えられていくのがわかりました。

トレンド情報や数字、企画書に埋もれる毎日の仕事。大好きなそれらをいかして、ソーシャルな仕事に切り替えたい。自分がどう働きたいのか、何のために働きたいのか。ずっと繰り返していた自問自答に、答えが見えてきたのです。

美容師をやりながら東北の子どもたちを神戸に招く活動をする西山さん。二足の草鞋で活動をしている人もたくさんいて、励みになりました。僕がキミたちを神戸に招待してやる! ひとりの美容師と被災地の子どもとの”口約束”から始まった「未来の宝 夢と希望と絆の架け橋プロジェクト」

そしてついに会社員をやめて、自分もソーシャルデザインの担い手になることを決意。ライターの仕事も魅力的だけど、それだけを生業とするのではなく、自分も担い手になりながら取材を重ね、ソーシャルデザインをもっと噛み締めて味わいたい、そんな気持ちでした。

2015年、私の“原体験”からは6年もの月日が経っていましたが、ようやく「これぞ」という仕事に転職。

NPOの職員となり古着のチャリティーショップで店長をしながら、売上からつくる寄付金で生活困窮者支援、障がい者就労支援などの事業を企画・運営したり、他団体とコラボでイベント企画をしたり。専門家でなくても、“生きやすい社会づくり”のための仕事ができる。グリーンズでライターをしなければ辿り着けなかった結果だと思っています。

学生アルバイト以来の接客業でしたが、ずっと見えないお客さん相手の仕事をしていたので、目の前にお客さんがいて、話ができるのがとても楽しかったです。

法人で企画したイベントでパレルモさんに出店してもらいました。写真右は、取材当時パレルモでバイトをしていた大学の後輩。

自らも担い手となりながらのライター活動は、本当に有意義なものでした。活動の本質を理解しやすくなっただけでなく、取材相手の一言一言がこれまでよりもリアルに自分の中に入ってくる。とてもスムーズに自分の言葉に変換することができた気がします。

障がい者就労支援と商店街の活性化の両面を持つ京都のチョコレート店の取材は、私自身も地域における複合的な支援事業に携わるからこそ書けた記事になった気がしています。障がいのある一流ショコラティエが、百貨店バイヤーをうならせた! 京都の古い商業団地をリノベしたお店「ニュースタンダードチョコレートキョウトby久遠」

「私の記事を通じて私のようにソーシャルデザインの世界に足を踏み入れる人がいてほしい。」

そんな気持ちで原稿を書いていました。アクションを起こす人が増えれば、救われる人も増える。その頃には、グリーンズライターの仕事もソーシャルデザインの担い手だと感じていました。

これからは「書く」に比重をおきたい

その後、妊娠・出産を経て2019年には独立し、今はまた新しい働き方を模索しているところです。組織人として邁進してきた経験を踏まえ、個人として何ができるのでしょう。

グリーンズでは新たにエディターの仕事も始めました。要領をつかむまではちょっと苦戦しましたが、今では本当に楽しんでいます。ライターにもきっとそれぞれ、グリーンズで書くことになった原体験があり、それが原稿に表れてくる感じがとても興味深い。そのぐらい、人によって捉え方が違うんだな、おもしろいな、と毎回感じています。

私がエディターを務める企画「マイプロジェクトSHOWCASE 関西編 with大阪ガス」では、取材先ごとにライターを選定するのも私の仕事ですが、「この人とこの人が出会ったらすごい化学反応が起きそう!」と思った組み合わせが見事にハマった時なんかは、運命の出会いを提供した結婚相談所の相談員でもなった気分。

産後のライター復帰1作目は、前職時代にお世話になったWACCAさん。関西のライターリストを見ながら「ここを書くのは私の役目でしょ」と思い、手を挙げました。ふとした“つぶやき”を大事にしたい。シングルマザーと子どもの居場所「WACCA」に学ぶ、安心できる関係づくりとは。

そんなこんなで、キャリアの分岐点にはいつもグリーンズにきっかけをもらっている私。エディターの仕事もまた、私の視野を広げ、自信を与えてくれました。

これからは、「書く」というところにも比重を置いていきたいと思っています。というよりも、私にできること一覧のなかに、ようやく「書く」が追加されたイメージ。コロナ禍を経て急速にソーシャルトレンドの波がやってきた今、自分のこれまでの経験をいかにつなぎ合わせ、いかしていくか、新たにやりたいプランをゆっくりマイペースに練っているところです。

今日も私の言葉が誰かを動かしている、と信じて。

今朝、奇跡のようなことが起こりました。友人が赤ちゃんを出産したのです。彼女もまた、11年前に亡くなった友人とも親しい友人。10年間、「あの子の命日」だった8月30日に、「この子の誕生日」という意味合いが新たに足されたのです。

生と死。正反対のようで背中合わせの二つのこと。生は喜びで、死は悲しみ。二つを同時に思うことは矛盾のようだけど、これは必然だとも感じています。これまで、死を起点に省みていたこの日に今、新しい命が生をまっとうすべく「生きやすい社会をつくっていきたい」という思いが、改めてみなぎっています。

それは何も、大それたことではなく、自分にできることをコツコツと。今の私にとっては「書いて発信すること」。私の言葉が誰かを動かし、その行動で誰かが前を向いて生きられるようになる。そのサイクルが今日もどこかで起きていると信じて。

鹿児島は、亡き友人の故郷。できるだけ毎年、訪れることにしています。

– INFORMATION –


村崎恭子さんもゲスト参加! 文章を書くのが楽しくなる、greenz.jp副編集長のスキル習得ゼミ。

作文の教室 (実践編)
2020年9月19日(土)よりスタート! 前期は超満員だったのでお早めにどうぞ。オンライン開催なので、全世界から参加いただいています。

丸原孝紀さん、山中康司さん、村崎恭子さん、松山史恵さんをゲスト講師にお迎えします。どのように作文力〜企画力〜編集力を身につけ、伸ばしてきたのか。今期は、greenz.jpの特集や連載企画を動かしてきた方々が揃いました。
https://school.greenz.jp/class/sakubun_2020_autumn/