あなたは、苦手なこと、ありますか?
私は、高いところが苦手です。地下もダメです。閉所で暗いところとなると、もうどうにもこうにも動けなくなります。なので、キャビンアテンダントはもちろん、地下関係の仕事も厳しく、高層ビルに入っている会社のOLさんにも生涯なれそうにない。もちろん、深海探査機に乗って深海の神秘を探ることも誰かに任せなければなりませんでした。
という訳で、ライターになりました。
というのは、嘘ですが、半分、本当のような。
普段は取材をし、色々な人や事柄をお届けするのですが、今回は、「作文というスキルを身につけ、ライターになったことで、眼前の世界はどう変わったのか」というお題のもと、「自分ごと」を書くことになり、いささか緊張しています。
私がライターになったのは、18歳、大学生の時です。当時、強烈に覚えているのは、「ライターという肩書きの名刺を出すだけで、知らない人、普段会えないような人がいろんな話をしてくれて、いろんなことを教えてくれる! なんて、得な仕事なんだ!」という衝撃。そこから、紆余曲折あり今に至ります。
その紆余曲折の中から、greenz.jpライターになって私の世界が変わったことを僭越ながらお届けさせて頂きます。
高所も地下も閉所も苦手なライターのお話、「それって取材行けるの?」と思ったそこのあなた、ぜひ最後までお読みください。
いろんな価値観や多様な暮らしに触れられること
初めに私にとってライターを名乗ることとは? を少しお話させて頂きます。
私には、師匠! と呼ばせて頂いている、とても尊敬するカメラマンさんがいます。出会いは仕事ではないのですが、greenz.jpの記事を書くようになって、なんと私の取材の撮影を担当してくれる機会ができ、これはもうライター冥利に尽きるといいますか、めちゃくちゃ嬉しく光栄なことです。
ある日、師匠と一緒に取材に向かう車の中で、ふと、「師匠、カメラマンってどうやったらなれるんですか?」と聞いてみたんです。すると、師匠が、「ちえさん、自分でカメラマン名乗ったら、もうカメラマンだよ」とにやっと笑いました。
その時、そうか、確かに! って。
ライターもそうだって。
取材先で名刺をお渡しした時、「ライターのたけいしです」って出して、「え、ライターの免許、見せてくれる? たけいしさん、ライター何級? そもそも本物なの? どうなの?」なんて聞かれたこと、この方一度もないし!
ライターといっても、そのスタイルや働き方は星の数、いや、ライターの数ほどかと。
なので、これは私の感覚でしかないのですが、この時、改めて、どこぞの何者かもわからない私に、”取材”と称すると時間を割いて会ってくれて、話をしてくれて、記事を委ねてくれる。この仕事はなんて自己責任の塊なんだと震えました。
と、同時に、ライターという肩書きで、いろいろな価値観や多様な暮らしに触れられる得さ、一緒につくり上げたい人と一緒に記事を練り上げるワクワク感。私にとってライターという仕事はそういうものなんだと実感した出来事でした。
書くことと暮らしがつながる
お話を「greenz.jpのライターになったことで、眼前の世界はどう変わったのか」に戻します。
ふたつあるのですが、まず「書くことと暮らしがつながった」ことです。
私はgreenz.jpのほかにいくつか書かせて頂いている媒体があります。そのほぼ全てが、以前greenz.jpで取材をさせて頂いた方からのお声がけです。有難い(有難いとは有り、難し、と書き、なかなかないよね! という意味)と思うと同時に、どれも本当に楽しく、そして顔が見え安心して打ち込める仕事です。
お仕事だけではありません。私は畑仕事を少しだけやらせてもらっているのですが、何度も取材させて頂いた藤沢の「にこにこ農園」のご縁からです。また、毎年5月も終わりに近づくと「梅仕事」をせねばなりません。梅酒、梅酵素、梅干し、そして、また梅酒。梅のヘタを取る日々で、原稿どころじゃありません。
その梅仕事は、数年前に取材でお世話になった小田原の果樹農家「和田農園」のかよさんの梅でつくるようになりました。大好きな人が丁寧に育てたもので毎年仕込める、こんな贅沢はない気がします。
ちなみに「和田農園」の南高梅は、一段と鮮やかな紅い実でまるで桃のよう。その梅で仕込んだ梅酒は寿司屋の店主がうなったほどです。飲みたい方はご一報ください、私が味見で飲み干す前に。
「書くことと暮らしがつながる」という現象は、ただ原稿を書き、請求書を送り、原稿料をもらう、だけじゃない! 人やプロジェクトや考え方、知恵とつながり、自分自身も学び、暮らしが彩られ、豊かになっていくということ。
私は以前、とても移住したくて仕方がないときがありました。「もっと自給自足的な暮らしがしたい、大きなインフラに頼りたくない、そうだ! 屋久島にいこう!」みたいな。
実際、屋久島は大好きですし、何度も行きましたが、今は前のようには思っていません。
「どこでどうやって暮らすのか」ではなくて、どんな人たちとどんなコミュニティとつながって、暮らすのか。その中でライターという仕事が生かされて、自分が安心できる暮らしができればいいのかなと思います。そのコミュニティのひとつがgreenz.jpなんです。
消耗されない、循環を生み出す「書く仕事」
もうひとつ、世界が変わったこと。それは、「自分の仕事が大切にされているかわかるやりがい」です。
私はgreenz.jpのライター募集に応募して、ライターになりました。greenz.jpに初めて記事を書いたのは2013年。当時編集アシスタントをしていて、今は一緒に連載を書かせてもらっている古瀬絵里さんと最終面接をしたとき。
「greenz.jpの記事は読者へのプレゼントなんです」とたまらなく可愛い笑顔で言われたのを昨日のように思い出します。(昨日は嘘ですが、可愛いは本当です。)
”プレゼントのような記事”ってなんぞや?
戸惑いを隠せない私でしたが、greenz.jpで書かせてもらうようになってわかりました。
私の原稿は担当の方に校正をして頂き、先方の確認が入り、入稿してアップされます。私はライターって孤独な仕事だとずっと思っていました。いや、実際、私の作業自体は孤独で地味ですが。(私は、音があると文章が書けないので、シェアオフィスやカフェで作業出来ず、いつもひとりこもって、無音でパチパチうろうろ書いてます、孤独。)
でも、greenz.jpライターになって、顔の見える関係の人たちと、読者さんにも取材先にもプレゼントになるような記事をチームで一緒につくっていく作業を経験し、ちゃんとつながってひとつの良いものをつくっていくモチベーションを感じました。そうして生まれた記事は消耗されず、自分自身にもなにかとなって循環を生み出しています。
もし、「立派なライターってのはよぉ、一発で最高の文章を出すことだ!」と飲み屋のカウンターでどこかの編集長にお説教されたとしたら、決して私は立派なライターではないので、「名乗るのは控えます」と言います。でも、私自身は今、greenz.jpというコミュニティの中で様々なつながりを日々生みながら「プレゼントになる記事」を書けることは、誇らしく、大事な大事な「書く仕事」です。
「書く」で「生きる」を彩る。
ここまでお読み頂きありがとうございました。「作文というスキルを身につけ、ライターになったことで、眼前の世界はどう変わったのか」、何か伝わっていたら嬉しいです。
末尾になりますが、私自身がライターとして大切にしていることを恥ずかしながら贈らせて頂きます。
・想定質問を練り上げる。
出来るだけしっかりと答えが返ってくるような、明確な質問を意識して考えます。他のメディアの質問と被らないことも大事かなと。
・その人の哲学、奮い立たせている情熱を書きたい!
どうしてそこに至ったのか熱く、強い言葉を語ってもらえるような勢いで取材に挑んでいます!(出来ているかは不安ですが。)
・数字、固有名詞をしっかり書く。
大学の作文の授業で最初に教授に言われたことです。今でもなぜか癖のように書くときには意識しています。でも、数字や固有名詞が入ることで想像しやすくなったり、情景が浮かびあがりやすくなるのかなと思います。
あとは…。思い出したらいずれまた。
最後に、高所も閉所も苦手な私のこれまでの記事を調べてみました。高所での取材は2本、(ひとつはツリーハウスでかなり固まっていたと思います。)地下鉄で向かわざるを得なかったものは約8本。閉所で暗いところは0でした。意外と少ない! greenz.jpは高所、閉所恐怖症ライターにも優しい媒体です。
「書く」というツールをつかって、暮らしを、人とのつながりを彩ってください。ライターを名乗ったその日から、あなたはライターですよ。
– INFORMATION –
月間30万人が訪れるgreenz.jpの副編集長スズキコウタによる「グリーンズ作文の学校」。greenz.jpに掲載する全記事の校正に関わる副編集長が講師をつとめる本ゼミクラスは、これまで全期満員御礼、総受講者数100名突破、地方から開催要請もある人気ぶり。この度、豪華ゲスト講師を迎えて、第5期の申し込みをスタートします! お申込みはお早めに!
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