食べる、つくる、遊ぶ。そして、集う。
大昔から、私たち人間が営んできた、当たり前のこと。
その“当たり前”が今、かたちを変えつつあります。
たとえば、今日の食卓。あなたの地元で採れたものは、どれだけあるでしょう。
たとえば、子どもたちの遊び。自分の足で大地を踏みしめ、すぐそこにある自然の中で遊ぶ時間は、どのくらいありますか?
きっと、昔は100%だったそれが、とても少なくなってしまった現代社会。そこで失われてしまったのは、私たちを取り囲むさまざまなものとの“つながり”です。
今日ご紹介するのは、人と足下(あしもと)の自然や地域とのつながりを取り戻す活動を展開する一般社団法人「そっか」。神奈川県逗子市をフィールドに、「食べる・つくる・遊ぶ」という“人間活動”を、子どもも大人も、半径2kmに暮らすご近所さんたちみんなでともに楽しむことで、本当の意味での“地域共同体”を育むべく、日々活動しています。
「そっか」の共同代表を務めるのは、逗子に暮らし、「海」をキーワードに活動する4人。今回は、その中のおふたり、複数海域にてシーカヤックでの無伴走の世界初航海を成し遂げた海洋冒険家・八幡暁さん、そして、国際交流NGO「ピースボート」スタッフとして地球を9周した活動家・小野寺愛さんにお話を聞きました。
これまで広い世界を見てきて、「世の中意味のあることが多すぎる」と語るふたりが、今、“足下(そっか)”に見据えているものとは?
ふたりの言葉から、子どもにとって、あなたにとって、そして私たちの未来にとって、本当に“意味のあること”とは何かを、ぜひ感じ取ってみてください。
一般社団法人「そっか」共同代表、海洋冒険家。2002年より「海とともに暮らす人々は、どのように生きているのか」をテーマに、オーストラリアから日本までの多島海域を舞台にした人力航海の旅「グレートシーマンプロジェクト」を開始。複数海域にて、シーカヤックによる無伴走での世界初航海を達成した。2011年より、空や海を読みながら人力移動し、日本各地の海辺の暮らしにおける「記憶の記録」を訪ね聞く活動「海遍路」をスタート。2014年、神奈川県逗子市に拠点を移し、都市生活における水辺を取り戻す活動「じゃぶじゃぶ」を開始。2016年、清泉女子大学講師に着任。地域の仲間とともに「そっか」を共同設立。
一般社団法人「そっか」共同代表。地球9周した船乗り、波乗り、3児の母。国際交流NGO「ピースボート」スタッフ、洋上のモンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家」運営を経て、2011年より、地元逗子で自主保育「海のようちえん」を主宰。2016年、地域の仲間とともに「そっか」を共同設立。「パーマカルチャー母ちゃん」主催者、「エディブル・スクールヤード・ジャパン」のアンバサダーとして、栽培から食卓までのつながり全体をいのちの教育と位置づけて行う食育を広めている。共著に『紛争、貧困、環境破壊をなくすために世界の子どもたちが語った20のヒント』(合同出版)
まちの「そっか!」をみんなで体感するために
「そっか」は、神奈川県逗子市に2016年7月に誕生したばかりの一般社団法人。“まちの足下(そっか!)を取り戻す”を合言葉に、地域の人々が、自分たちの命が何に支えられているのかを実感し、“消費者”から分かち合いの生態系を育む“主体者”へと転換するためのきっかけづくりを行っています。
まずは「そっか」の活動エリア、海も山もある半径2kmを歩き、そこで起こっていることをともに体感してみましょう。
最初にやってきたのは逗子市立久木小学校のなかに、今年できたばかりの小さな畑。小学校のPTAで委員をする小野寺さんが舵取り役となり、地域の造園屋さんや材木屋さんの手を借りながら、子どもと大人が一緒になって土をつくり、雑草を抜き、水やりして、トマトやブルーベリーを育てています。
安全重視になりがちな公立小学校に保護者が運営する畑があることは、実はとてもめずらしいこと。逗子市の児童青少年課、ふれあいスクール、「放課後NPOアフタースクール」の協力のもと実現した、その名も「つながる畑」です。
トマトの隣に、風味をよくして、害虫が嫌う香りをもつバジルとマリーゴールドを植える子どもたち。「子どもと一緒に食べものをつくるのが、楽しくて仕方ない。みんなでつくってみんなで食べる、は共同体の原点ですね」と小野寺さん
少し足を伸ばして山の方へ行くと、荒廃して雑草だらけの国有地を前に、大人たちが「ここに食べ物を植えられるよね」「イチジクかミョウガがいいかな」と、何やら楽しそうに話をしています。実は彼らの仲間には、これまでに使われていなかった私有地を地主の方と交渉して、畑に変えた経験者もいるのだとか。
近所の庭、手入れされないまま放置された私有地、うっそうと茂る竹林、公共施設の一部など、自分ひとりではどうしたらいいかわからない土地は、どのまちにもたくさんあります。でもこのエリアでは、まちのいたるところが、みんなの手でこうして畑や遊び場へと変わりつつあります。
業者にお金を払って草刈りをしていた私有地を見て、地主さんと交渉し、関係性を築き、数家族共同で市民農園をはじめた土地「崖の下農園」。年に数回、ご近所さんを集めて、収穫した野菜で流し素麺やバーベキューをしています。
また少し歩いて駅の方へ。京急逗子駅のすぐ下を流れる田越川には、子どもも大人も、約60人が大集合。みんなで川に入り、じゃぶじゃぶと下流へと向かって歩き始めました。
主催者が「怪我はします」「溺れさせてもOK」なんて堂々と言っちゃうこのイベントの目的は、ゴールの海まで歩くことよりも「みんなでみんなを見合う」こと、そして、自分の暮らす土地を流れる水の「来し方行く末を探険する」こと。
顔すれすれまで水が来るような小さな子どももいる中で、お互いに声をかけ合い、ときには沼を這い上がったり泳いだりしながら、海まで自分たちの足で歩いて行きました。
大人も子どもも、ともに見合うことが目的の「田越川じゃぶじゃぶ」
さて、到着した海では、放課後の小学生とその妹・弟たちが集まり、SUPやサーフィンといったマリンスポーツをしたり、巨大な砂山をつくったり、思いのままに遊んでいます。
毎週開催されているこの「海の子ども会」は、予約不要、参加費無料。傍らで見守り、ときには本気で一緒に遊ぶたくさんの大人たちとともに、日が暮れるまで遊び続けます。
「黒門とびうおクラブ」の子どもたち。海のエキスパートであるコーチたちが見守る中、思いゆくままに海遊びを楽しんでいます。
同じ頃、海から徒歩30分ほどにある八幡さんのお宅の庭では、30人以上のオヤジたちがみんなで集まってワイワイ。ごく普通の住宅街にあるごく普通の庭で、飼っている鶏を絞め、その場で“ワイルドバーベキュー”を味わっていました。野菜も魚も、全てご近所さんからのおすそ分けで、買ったのはビールだけ。食べ物は全て、地元・逗子産です。
自分の手で、鶏を絞める体験。参加者からは「俺も鶏を飼いたい」という声が次々にあがり、それなら旅行のときにも預けあえるし、絞めるときはまたみんなで集まろう、と“シェアチキンネットワーク”構想も生まれました。
そして夜には、チャレンジ精神旺盛な子どもたちと大人たちが、すぐ身近にある桜山でナイトハイク。昼はみかけない虫との遭遇、火おこし体験、などなど、泥だらけになりながら、いつもとは少し違う姿を見せる自然を満喫して夜は更けていきました。
自分たちのまちで、みんなで集い、遊び、つくって、食べる。
一見、何の意味も目的もない、なんでもないまちの日常の風景ですが、現代の暮らしの中でこれほどまでに、地域の人々がつながり、楽しみをともにする機会はないのではないでしょうか。
「そっか」ではこのような営みを「人間活動」と呼び、日本に「“人間活動特区”をつくろう!」と、さまざまな仕掛けを企て中。
そこにどんな意味があるの?
“人間活動特区”って一体どんな場所?
どんな未来を見据えているの?
そんな疑問にお応えすべく、ここからは、「そっか」のはじまりのストーリーや根底にある想い、今後の構想など、八幡さん、小野寺さんの原体験を交えたお話を聞いていきましょう。
雑談の中から生まれた“蠢き(うごめき)”
みんなが森・里・川・海で思い切り遊んでいたら、自然にまちがよくなるはず。
そんな想いを抱いていた共同代表4人の出会い、そして「そっか」の誕生は、とても自然な流れの中で起こったできごとでした。
設立母体となったのは、「黒門とびうおクラブ」。約7年前より逗子海岸をフィールドに活動を始め、今では約70人ものメンバーを抱える海遊びの子どもクラブチームです。
代表を務める永井巧さんは、八幡さんとは幼稚園の“パパ友”の間柄で、小野寺さんは子ども同士が赤ちゃんのときからの幼なじみ。もうひとりの設立メンバーである内野加奈子さんも、昔からの仲間でした。
永井さんが、「これ以上とびうおのメンバーを広げるよりも、もっと小さい子どもから大人まで、海や自然を足がかりに思い切り遊ぶ場をつくりたい」という想いを抱き、八幡さん、内野さん、そして、メンバーの母親でもある小野寺さんに声をかけたのが、今から1年前のこと。
小野寺さんは、以前より、メンバーの妹・弟もみんなで一緒に遊ぶ場をつくることを思い描いていたこともあり、意気投合。週に一度の「海の子ども会」(毎週金曜日)そして、「海のようちえん」(毎週水曜日)など、まずは海を誰でも参加できる遊び場へと変える活動を始めました。
まさしく全身で足下の自然を感じる「海のようちえん」
一方、パーマカルチャーやエディブルスクールヤードについて学びを深めていた小野寺さんは、様々な人の協力を得ながら娘さんの小学校にて「つながる畑」を実現。同じ小学校の保護者である八幡さん、永井さんも、「つながる畑」と同時に、「井戸掘っちゃおう」「畑つくっちゃおう」「雨水タンクつくっちゃおう」「みんなで鶏を飼っちゃおう」と、まわりの人々を巻き込みながら、自分たちの “楽しい” をまちのいたるところで行動に移しはじめました。
「メンバーを集めたりしたわけではなくて、すべて雑談の中から生まれた」と、小野寺さん。
一方、「“そっか”は、何かをやっている、というより蠢き(うごめき)」と表現する八幡さん。
4人の“楽しい”を起点に、逗子のまちで同時多発的に起こった、あの取り組みも、このプロジェクトも、実は目指すところは同じ。現在共同代表の4人がそう気づいた時、点在する活動をゆるやかにつなげていく活動体の構想が生まれ、日本財団「海と日本PROJECT」の助成も受けるかたちで、2016年7月、一般社団法人「そっか」は誕生しました。
構想を発表するや否や、環境省の「つなげよう、支えよう、森里川海プロジェクト」のモデル都市としても声がかかるなど、行政をも巻き込む一大プロジェクトとして、広がりを見せはじめています。
意味の無さそうな遊びこそ、意味があることにつながる
世の中、意味のあることが多すぎる。
「そっか」の共同代表・八幡さんは、このプロジェクトの根底にある想いについて、こう語ります。
習いごとや塾などに多くの時間を割いている子どもたちが多い中、「そっか」は、一言で言えば、自分のまちで “ただ思い切り遊ぶ” プロジェクト。そこに意味を見出すかどうかは、大人の価値観によって大きく変わってくることでしょう。
その“意味”について、八幡さんは、自分の子どもの頃の原体験を交えて、こう語ってくれました。
八幡さん 自分の子どもの頃、何が楽しかったかな、って振り返ると、川で溺れそうになったりとか、木に誰よりも高く登ったりとか、廃屋入っちゃったりとか、全部今のまちではできないことばかりなんです。今の世の中、ルールがいっぱいあって、遊びづらいですよね。
「ダメ」が多く、子どもたちが遊びづらい環境。それは安全を重視し、リスクを取ることを恐れた私たち大人がつくりあげてしまった現実です。
八幡さん 「危ない」とか、「誰も責任を取れない」とか、「それやって何の意味があるの」とか言うけど、“怖い”も“楽しい”も同じ振動だから、リスクは取らせるべきだし、記憶に残っていることって、別に意味があって楽しいわけじゃないですよね。
楽しいことって主体的にしかできないから、「こうしたい」を続けているうちに、じわじわ自分を形成して、大人になっていく気がしています。
だから、その子の人生にとって意味のありそうなことを大人が主導で先取りするのは、意味が無いと思っています。子どもは自分が楽しいことを積み重ねて、それをまわりの人も一緒にフォローしてあげられたら、結果的にその子にとって良くなる…なんてことすら、言わなくてもいいんでしょうね(笑)
大人が先取りせず、子どもたちが主体的に取り組む環境づくり。たとえば、八幡さんがコーチのひとりとして参加している「黒門とびうおクラブ」では、海遊びを「教える」ことはせず、子どもたちを見守りながら一緒になって遊ぶことで、子どもたちとともに“振動”することを大切にしているそうです。
子どもも大人も、ともに“振動”する「黒門とびうおクラブ」
一方の小野寺さんは、「私はすぐ、“意味がある”とか言いたくなっちゃうけど」と笑いながら、小さい頃に思いきり身体を動かすことの意味について、こう語ります。
小野寺さん 頭で考えるよりも、足下の自然から五感を育むこと。そして、「身体性」を大事に思っています。
大人になって、世の中に「一般的にはこれが正しい」と言われることがあったときに、それでも「自分はこっちが好きだし、これを信じているから貫くんだ」みたいに思える力は、勉強で磨かれるものじゃないと思うんです。
小さいときの登りたい、泥んこしたい、触りたいって、生き物としての本能ですよね。私たちの脳には本能や直感的な判断力をつかさどっている“爬虫類脳”という原始的な領域があるんですが、そこがちゃんと活性化していることが大事。そういうことが思う存分できると、怪我はするかもしれないけど、結果として人生が豊かになると思うんです。
意味がなさそうな遊びが、意味のあることにつながるのかな、と思います。
さらに八幡さんは、それを子どもたちが自分の足で歩いて行ける“半径2km”のエリアで行うことに、価値を見出しています。
八幡さん みんな60兆くらいの細胞を持っている。だから、それぞれの感動の仕方があると思っています。
子どもは自分の生まれる場所を選べないけど、自分の半径2kmのエリアで、子どものときに60兆通りの根の生やし方ができれば、大人になったとき、その子なりの“何か”が出てくる。それは頭でなく実感で支えられているから、揺らぎにくいように感じます。
たとえ結果的には小さな花しか咲かなくても、その根っこを家族や友だちが認めていれば、そこに充実感とか幸福感は絶対に生まれているから、OKかなと。
みんな生きる力は備わってるし、細胞は震えるようにできているし、動いていない人はいない。“個性”なんて言わなくても存在そのものが個性です。生きる力を育むために、意味付けはあまり必要ないかな。
何かに意味を見出すかどうかは、その人の捉え方次第。つまりその意味は、自分自身の心と身体全部で見出すものですし、それでしか、本当の意味を実感することは、できないのかもしれません。
一見意味の無さそうに思える「遊ぶ」ことや「食べる」ことに意味を見出しているふたりの言葉、みなさんは、どう感じましたか?
同質性を越え、地域の人々とともに育む未来
足下の自然から子どもたちの五感を育む活動を展開する「そっか」のフィールドは、逗子の山の中で子どもたちの遊び場をつくる「原っぱ大学」や、パーマカルチャーとアートを取り入れた保育を実践する「ごかんたいそう」など、過去にgreenz.jpでご紹介した取り組みともすぐご近所。コンセプトや想いをともにしていることもあり、設立前から手を取り合って活動を展開しています。
同じ想いを共有できる仲間と集い、一緒にまちをつくっていくことにも、もちろん大きな意味があります。でも、「そっか」は今、さらにその枠を越えて “地域共同体をつくる” ことに、自らの役割を見出しています。
八幡さん イメージは“町内会”です。今、本当の意味での地域共同体がなくなっていますよね。
それは、コンセプトや価値観に共感して集まってくるような同質性を持つ人々の集まりではなくて、自然災害のときに助け合わなきゃいけないような、たとえ気に食わないところがあっても、同じ地面の近くにいるから一緒にやっていかなくちゃいけない人たちも含んだ共同体。どんな人たちとも何かを一緒につくりあげる、そんな過程が、人には必要だと思っています。
だから、「食べる」とか「つくる」とか「遊ぶ」とか、人間がもともとやってきたことに特化して、それをつくりなおしていきたいと思っているんです。
スマートフォンが普及し、要らない情報は排除し、つながりたい人といつでもつながれる現代社会。同質性を共有する人同士で集い、暮らすことは、ある意味とても“楽”な生き方です。
でもそのために、自分の本当に身近な、物理的に近い地域の人たちと何かを一緒に生み出していこうという“共同体意識”は、いつの間にか失われていってしまったのかもしれません。
本当の意味での“つながり”とは?
たとえば自然災害のとき、みんなの手で社会を変えていこうとするとき、地域のつながりがとても大事であることは、言うまでもありません。
このインタビューは参議院選挙の翌日でしたが、小野寺さんは自分とは価値観の違う人も含めて、いろいろな世代でつながっていくことの大切さを、教育や政治など、さまざまな局面で痛感していると言います。
小野寺さん 選挙のときだけみんなでがんばって、「与党が2/3取ったらこうなっちゃう、阻止しよう!」って盛り上がっても、バラバラの個人が集まるんじゃ、その力はとても弱いんです。
普段から強固な共同体があって、その共同体につきあげられる形で出てきたリーダーをみんなで応援する、というのがあるべき政治のかたち。
自然の中でも同じで、与えられた遊びを安全確保された状態でやるんだったら共同体は必要ないですよね。でも、本気で海で遊ぼうと思ったら、いざというときは、漁師さんに助けてもらったりとか、お互いの子どもを自然に見合ったりという、つながりが必要になってくる。
「“もしも”のために防災グッズを買い揃えるよりも、“いつも”のつながりを」と、小野寺さんは続けます。
小野寺さん 自分と同質な人とだけ過ごしていられたら、楽だし、気持ちがいい。でも、それじゃ巡り巡って、気持ち悪い世の中になっちゃう。そのことに、みんなまだ気づけていないんですよね。
だからこそ、「“そっか”は事業にしたくない」と、八幡さん。その言葉には、お金を払って参加するサービスではなく、一緒に生きる上でやらなきゃいけない “人間活動” を展開していくという強い意志が込められています。
「そんなことで続くの?」「同質じゃない人とどうやって協働していくの?」という声が聞こえてきそうですが、ふたりはまずはまちのみんなと“楽しい”を共有していくことから始めていくとのこと。
小野寺さん イメージしているのは、「楽しくて機能している町内会」。今は共同代表が4人だけれど、まちのみんなが自分の小さなプロジェクトを持って集まり、みんなが「そっか」の共同代表になっていけばいいな、って。代表なんて、毎年変わっていってもいい。町内会みたいに。
もっと言えば、今、まさに楽しい日常を送っている “ネイティブ町内会員” たちが10年後には大人になるわけだから。子どもと一緒に楽しむことが、長いようで一番近道な気がしています。
長男の玄くんとともに「海のようちえん」に参加する小野寺さん
みんなが自分の実感を持って主体的に関わる町内会、そしてその先にある社会。その根っこはやはり、自らの足で大地を踏みしめ、主体的に遊んだ子ども時代に育まれるものなのかもしれません。ふたりの話から、「そっか」の活動の本質的な意味が見えてきました。
八幡さん 共同体の中で、誰かが家造りができて、庭造りもできて、漁師もいて。全部のインフラが止まっても楽しく生き延びれちゃうような、それを僕たちは“人間活動特区”って呼んでるんです。経済特区ばかりじゃなくて、半径2kmで生き延びれるまち、人間活動特区が必要だ、って。
小野寺さん いつか逗子市長が、「逗子は人間活動特区です!」なんて言ってくれたら最高!ですね。
今が楽しくて仕方ない。そんな様子のふたりの振動が地面を伝わり、ご近所の人々の心を振るわせる日も、遠くないのかもしれません。そして、いつか全国に、「人間活動特区」が誕生する日が来るのかも?
ワクワクの続きは、ぜひ一度、「そっか」の活動に参加して、あなたの心と身体で、感じてみてくださいね。
“楽しい”からはじまる、小さな一歩を
ふたりの言葉に頷きながらも、「海や山に囲まれている逗子だからできることでしょ?」なんて思っている読者の方もいるのではないでしょうか。実際、逗子のように森から海までの距離が近く、つながりがこんなに見えやすい地域は、なかなかないでしょう。
でも今、「そっか」の活動は、様々な地域にまで飛び火中。東京都港区や目黒区、宮崎県市木といった地域でも、同様の取り組みの芽が生まれはじめているそうです。
八幡さん 俺は都会でもやる、って言ってますよ(笑)
たとえばキューバが食料自給率を急激に上げたように、自然があろうがなかろうが、使われていない土地をすべて食い物にしたら都内でも全然できることなんです。
その土地ではできないから生産高の上がるところに移住しちゃうとか、そういうことじゃなくて、ここで生きているから、ここで楽しむ。生産性が低くても楽しいことを生み出すことはできるし、なにより、自分でそれができたら楽しいじゃないですか。
また、小野寺さんは、今すぐ、ひとりでも始められるヒントを教えてくれました。
小野寺さん 共同体をつくったり半径2kmでまかなうのが難しくても、たとえば“友産友消(ともさんともしょう)”なら、自分ひとりからでも始められます。
田舎のおばあちゃんが送ってくれたお米と、自分のプランターで育てたハーブと、友だちが市民農園でつくったナスでご飯をつくるくらいなら、十分できますよね。
この前も、このエリアで “友産友消” をキーワードにしたマーケットをやったら、それはそれは盛り上がりました。工業製品はお金を払って買っておしまいだけど、誰かがつくったもののやりとりにたまたまお金が介在している、というかたちのマーケットでは、初めて会った人同士の会話もすごく楽しくて。
海に行くのがハードル高いお母さんだったら、友だちと小さくマーケットをはじめてみたりしてもいいし、やり方、はじめ方はいくらでもあると思います。
おしゃべりが止まらなかった“友産友消”マーケットの様子
豊かな自然環境がなくても、ひとりからでも始められる“共同体”づくりの一歩は、すぐ身近なところにある。きっと、あなたの小さな “楽しい!”の種まきが、子どもたちと、私たちの未来をかたちづくっていくのです。
子どものとなりで、どうありたい?
最後におふたりに、本連載の問いである「子どものとなりで、どうありたい?」を訪ねてみました。
八幡さん 俺はいつもそうだけど、“楽しい大人”でいたい。「仕事しなくて大丈夫なの?」ってよく言われるけど、「一生懸命に楽しいことしてれば大丈夫だよ」って言い切ってる(笑)
苦労させないように先回りするのではなくて、「別に苦労したっていいじゃん、人生楽しければ、苦労も楽しくなる」っていう大人がまわりにひとりでもいれば、面白い。人生の選択肢がひとつ生まれるし、子どもももっと全方位的に「生きていても大丈夫」って思えるかな、って。
小野寺さん 私は、“幸せ”でありたい。子どもは「優しくなりなさい」って言われて優しくなるんじゃなくて、優しい人に囲まれて育つから優しい人になるんだと思っていて。
私が子どもに望むことは、世界中のどこで何をしていても、自分にOKを出せて、幸せに生きていること。ならば、まず自分が何をしても幸せであって、子どもたちにそれを吸収してほしい。何を教えるより、自分がハッピーでいることが大事なのかな、と思います。
子どものこと、未来のこと。
ついつい、頭でっかちになって難しく考えてしまいがちですが、実はその根っこを育むヒントは、自分自身の足下にある。
ほしい未来が見えてきたら、まずは自分の足を使って、自分の地域を歩いてみることから始めてみませんか? その一歩の振動を自らの心と身体で感じたとき、「そっか!」という未来を変える気づきが生まれるのかもしれません。
(撮影: 小禄慎一郎)