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こだわりを手放し、ゆとりを生む。子育てママと社会の中継点「ゆるり家」は、どう12年間続いてきたか。

「子どもを1人育てるには村がひとつ必要」というのは、アフリカの古いことわざ。

協力体制があってこそ安心して子どもが成長できるというのは、国や時代が違えども共通の考えではないでしょうか。

とはいえ、近年親元を離れて子育てしている家族も増え、「孤育て」という言葉も生まれています。新型コロナウイルスの影響で公共施設が臨時休館したり、外出しにくい状況がつづいたりし、ある、母親を対象としたアンケートでは「コロナ前より孤独を感じることが増えた」と回答した母親が7割以上との結果も。SNSが発達した今でも、リアルに集い、子どもの成長を見守りあえる仲間との出会いの場を求めている人は少なくないのではないでしょうか。

12年前、そんな思いを抱いたお母さんたちがはじめた「みんなのお茶の間 ゆるり家」というスペースが、兵庫県加古郡稲美町にあります。神戸から西に車で40分、田園風景がひろがる自然豊かなまちで「地域に子育て・子育ちを支える関係ができたら」と、お母さんのおしゃべり会や、中高生への放課後自習室、週1回の駄菓子屋など、地域の人がリアルに集える場をつづけています。

多世代のゆるやかなつながりが生まれる場は、いったいどのように始まったのでしょう。代表の濱田理恵さんに、人が集まる場の始め方やつづけ方について、じっくりうかがいました。

濱田理恵(はまだ・りえ)

濱田理恵(はまだ・りえ)

静岡県出身。大学で心理学を専攻後、学習塾に就職し、不登校の子たちに向けた居場所づくりの部署勤務を経て、結婚を機に兵庫県加古郡稲美町に引っ越す。自身の子育て中に、子育てサークル「はらっぱ」を立ち上げ、親子が自由に過ごせるおしゃべり会「しゃべろっ会」を開催。その後、子どもの成長に合わせて、外遊びの会「あそぼっ会」、プレーパーク「はらっぱーく」へと活動の形を変化させ、2009年に仲間3人で「みんなのお茶の間 ゆるり家」をスタート。地域に新しくできた公共の子育て支援拠点等でも多世代が集う場を開いている。

はじまりは、4人ではじめた子育てサークル

住宅地にある「ゆるり家」。庭に面した縁側は、陽が差し込むとポカポカあたたかい。

築50年の古民家。ガラガラガラと懐かしい音がする引き戸を開け、玄関を上がってすぐの和室には、使いこまれた木のおもちゃや、おままごとセット。「貸出できます」と書かれた絵本や漫画がずらり。

「ゆるり家」の名前の由来を濱田さんに尋ねると、「なんでだろう。よくこの名前みつけたね、よかったね〜、って、メンバーで話してる」とカラッとした笑顔で答えてくれました。

何をしても、何もしなくてもOK。看板通りゆるりとした空気が漂う場所が生まれたきっかけは、ご自身の子育て中の体験にありました。

大学で心理学を専攻し、就職先の学習塾では不登校の子どもに向けた居場所づくりをしていた濱田さん。その後、結婚を機に引っ越したのは、縁もゆかりもない土地でした。

近くに知り合いがいない中、初めての子育てがスタート。一人目のお子さん出産後は、出産した神戸の助産院で開かれる、お母さんたちの会に通っていました。

その頃、近くの子育て支援センターでしていたのは、工作や手遊びなど子どもが遊ぶ会。お母さん同士が自由におしゃべりできる場が全然なかったんです。

一生懸命サークルにも行ったけど、うちの子はとにかくそういう場がなじまない子で、興味がないことはしない、大泣きする。私はおしゃべりしたいけど、全然その場にいれなくて、一人目の子育てどうしていこう…と感じていました。

次第に、親しくなったお母さんを誘い、助産院でのお母さんたちの会に一緒に行くように。下の子を出産した後も通っていましたが、子ども2人を連れた外出は、もう大変! そこで、友人と「自分たちの町でも、おしゃべりの会をしたいね」と話し、子育てサークル「はらっぱ」をはじめたのが、今から22年前のことです。

スタッフ4人でスタートした「はらっぱ」で最初に始めたのは、お母さんたちが子育ての悩みや思いをおしゃべりする「しゃべろっ会」。その後、子どもの成長に合わせて、外遊びの会「あそぼっ会」、プレーパーク「はらっぱーく」などもはじめ、スタッフは最大20数人まで増えました。

約20年前にしていた「しゃべろっ会」の様子。公共施設を借りて開催していました。笑いあり、涙ありだったそう。

子どもたちが大きくなるにつれ、学校が違う子ども同士が会う機会が減って、その頃、他の地域でされていたプレーパークの活動を参考に始めたのが、はらっぱ流プレーパーク「はらっぱーく」。どろんこ遊びやパンづくり、雨の日遊びなど、「火・水・木・土」といった自然素材と、外にあるものを使い、子どもは自分がしたいことを見つけて遊びました。モットーは「自分の責任で自由に遊ぶ」。子どもも大人も自由に過ごしていたそうです。

みんなそういう部分はあるだろうけど、大人しくしてられないとか、場に慣れないとか、個性的な子が多いのもあって、親も子も、自由に遊ぶのが馴染んでいて。はらっぱーくでは毎回火を使っていたので、まきまきパンをつくったり、ビニールシートで公園に大きなプールをつくってみたり。冒険心や好奇心を大切に、のびのび思いっきり遊んでいました。

自然豊かな公園で外遊びをする、当時の様子。禁止事項をできるだけ少なくし、自由に遊びます。

ボランティアグループを応援する町の動きもあって、他の地域に視察や、子育てに関する地域の情報冊子づくり、小学校の「命の授業」に、赤ちゃん連れで行くなど、アクティブに活動していたそうです。

ほかの地域にあるのに、自分たちの地域にはないものがいろいろあったけど、自分たちで動けばできることも多かったから、結構たのしくやっていたんです。

「趣味・ゆるり家」でやってみよう

新しい仲間を迎えながら9年間つづいたサークル活動から身を引き、「ゆるり家」という拠点をかまえることにしたのは、いろいろなタイミングが重なったからでした。

サークルは「できる範囲で できることを」が基本でしたが、メンバーのライフステージも変わり、毎月の会議・議事録送付・通信発行・欠席メンバーにも連絡をとって…というやり方が、しんどくなっていたそう。サークル活動と同じようなことを、行政が無料でやることも増えてきて、いつまで自分はボランティアでこの活動を続けていくのか…という葛藤もありました。

ちょうどその頃、学童保育の会長をしていた濱田さん。町ではじめて学童の待機児童が出たこともあり、子育てサポート+学童保育ができる拠点があれば、仕事としてやっていくことができるかもしれない、という思いが生まれました。

想いを一緒にしたメンバーと不動産屋を訪れ、1軒目で今の物件に出会います。縁側がある古民家は、一番大きい小学校区の中心地にあり、子どもが自分で来られる場所。イメージしていた環境でした。

仕事としてできないか…と考えていたけれど、おじいちゃん・おばあちゃんが近くにいる家庭が多い地域なので、民間の学童保育所へのニーズはなさそうだ、と早々に気がつきました。でも、分かってからも、この場所があきらめられなくて。お金の算段もたっていないけど、メンバーで家賃を割って、習いごとやランチに行く代わりに、趣味・ゆるり家という感じでやってみよう! と話して、最初は3人ではじめたんです。

これを機に、濱田さんは自宅でしていた学習塾をゆるり家に移動し、授業料の一部を家賃にあてることに。最初に始めたのは、出入り自由、飲食OK、だれでもどうぞ!の「よっといday」と、駄菓子屋さんでした。このとき、濱田さんのお子さんは小学生。ご自身のお子さんが大きくなってからも、小さなお子さん連れのママが対象の会をつづけるには、活動当初からの思いがあります。

サークル活動をしていた頃、視察にいった子育てサークルは、子どもが高校生や大学生になっても活動をつづけていて。子どもが大きくなってからのほうが、お母さん同士のつながりは生きてくるっていう話を聞いて、すごく納得したんです。

子育ては、乳幼児じゃ終わらなくて、大きくなってからのほうがしんどいことが多かったりするのに、つながる場所がない。小さい頃からの子ども同士の支え合いと、地域で見守ってくれる大人との関係がつづいていったらいいなって。

ゆるり家スタート当初には、長期休暇中の子どもの過ごし方どうしよう、という声から、長期休暇中の子どもの居場所「はるのてらこや」「なつのてらこや」をひらきました。「親がいなくても、ごはんがつくれたらいいよね」という声から、簡単なごはんづくりも一緒に。

お母さんたちのおしゃべり会や、子どもが自由に過ごせる場、「コンビニの前でたむろするくらいなら、うちに来たらいい」という思いではじめた駄菓子屋。自分たちの足元にあるニーズから、多世代が集まる場をひらいてきました。

「ゆるり家」メンバーのみなさん。子育てサークル時代からつづく仲間とのつながりで運営しています。

地域の子育て支援センターで定期的に開催する、子育て中のママが自由にお話できる「しゃべろーや」。泣いている子がいれば「どうしたの〜?」「抱っこしていい?」あちこちから、やさしい声がかかります。

週一回2時間だけオープンする駄菓子屋「おきらくだがしかし…」には、毎回50〜60人の子どもが来るそう。子どもたちの口コミはすごい! と濱田さん。

「こうあってほしい」「ああしてほしい」がないのが、こだわり

うちの子が、ゆるり家をはじめて2年目から不登校になったり、メンバーの子もいろいろあって、子どもにかかりきりの時期が長かったので、10年間は無理なくできることだけを細く長くつづけてきました。子育てが一段落して、いろいろ始めたのが、ここ2年位のことで、SNSも最近積極的にやりはじめたんです。

10周年を機に、子どもが仮想都市を運営する「こどものまち」や、子連れで参加できる様々なイベントも企画。最近は、地域の中高生に向けた放課後自習室もスタートしました。

地域の人と一緒に開催するドイツゲームの会。記憶力や観察力をつかうので、年齢関係なくプレイできます。赤ちゃん連れ〜大人までが参加し、子どもの様子は、親以外の周りの大人が見てくれているというのが「ゆるり家」のイベントの風景。

中高生の放課後自習室「まなぼぅや」。塾の先生でもある濱田さんに質問もできます。机や椅子などの備品は、寄付してもらったものも。寄付してもらったお米で夜食を出すこともあります。

ゆるり家の活動のこだわりを伺うと、参加する人や活動に関わる人に対して「こうあってほしい」「ああしてほしい」がないこと、と濱田さん。専門家を呼んだイベントもほとんどしたことはないそう。
それは、どんなことにも良い面と悪い面があることを、感じてきているから。     

自分が子育てしていたときに、考え方もやり方も「いい」と思う場に行くほど、しんどくなる時期があって、どんなことも毒にも薬にもなる、両方の面があるっていうのは忘れないようにと思っているんです。

だから、ゆるり家でするのは「場の提供」だけ。お母さんたちのおしゃべり会も、スタッフや参加者の中に看護師・保育士、って専門家がいても、「お母さん」というフラットな立場で話せる場しかつくらないようにしています。

お話を伺いながら驚いたのは、イベントに関わるスタッフはボランティアで、参加費も無料〜数百円ということ。失礼かと思いながら、ゆるり家のお財布事情を伺うと、今は濱田さんの学習塾で場所代を負担しているそうです。

今のまま10年後にゆるり家を維持していくのはしんどい。これから数年で、ここを必要とする人が増えたら、継続していけるし、無理なら拠点を持たずに活動していく選択もあるし。だから、今はいろいろしているところです。とはいっても、無理してお金を稼ごうとは思っていなくて、いろいろな人に関わってもらう中で何かが生まれたらいいな、と。

ここが中継点になって、どこかとつながっていけば

最近は地域のお母さんたちとの出会いや、相談も増えているそう。

「子ども食堂を始めたい」
「移住してきたママたちのおしゃべり会をしたい」
何かはじめたいけれど、どうしたらいいの…? そんな疑問に、濱田さんはどう答えているのでしょう。

拠点を持つのは難しいかもしれないけれど、活動自体は誰でもすぐにできる、やりたいって言ったら、だれか来るよ! と思っているんです。みんな、パワーがあるから、おしゃべりして、次にあったときには何かはじめていたりして。

そうして、地域の中に、子育て真最中のママたちがはじめる「居場所」が、ゆるやかに広がっています。

とはいえ、若いお母さんたちの話を聞き、今も昔も子育て中に感じるしんどさが変わっていないことに驚いたそう。20数年前と比べて、公的な制度は整っていても「いざというとき、子どもを預かってもらえる場所がない」「引っ越してきて、子育ての情報交換できる人がいない」などの困り感は、自分たちが感じていたものと同じでした。

昔も今もしんどさが変わっていないのは、私たちの責任だなあと話しているんです。子育て中のお母さんが、自分たちで居場所をつくっていくことは、どの世代でもあるけれど、子どもが大きくなると、しんどさも忘れるし、つながる場もなくなる。だから、自分たちがおばあちゃんになった頃に、子育て世代と上の世代がつながっている流れができたらいいねって思っているんです。

いま、メンバーでゆるり家のミッションを考えなおしている最中。「いろんなコドモと、気のいいオトナであふれる町をつくろう」と話しているそうです。

子どもはある程度自由に過ごせて、親じゃなくても、そばにいる気のいい大人が様子を見ている、肩肘はらずにいれる雰囲気が、いいなあと感じているんです。ここは、ゆるやかに人が集まって、家や学校以外の人と出会ったり、新しい情報を知ったりする場になったらいいなあって思っています。

最後に、ご自身の幼い頃の体験を振り返りながら、ゆるり家をはじめたきっかけを話してくれました。

うちは母親の身体が弱かったので、私はわりと家族の中だけで育っているんです。役が回ってくると大変だからって理由で、子ども会とかも入っていなかったんですが、近所のおばちゃんがグラタンのつくり方を教えてくれた、とか、ちょこちょことたのしい思い出として残っていて。そういう何かになったらいいな、と。

ここで、じゃなくても、ここが中継点になって、どこかとつながっていけばいいなって感じています。

自分たちの子どもの成長とともに、形ややり方を変えながら、活動をつづけてきた「みんなのお茶の間 ゆるり家」。活動は、ニーズがあればはじめて、来る人がいなくなればやめてきました。運営の仕方も、場のひらき方も、いつも柔軟に、無理せず、できることを。大人も子どもも、自分のペースでいていいのだと思える空気が流れています。

ちょうどお話を伺った帰り際、玄関先には泣いている小さな男の子の姿が。さっきまでご機嫌だったのにどうしたのかと見ていると、メンバーの方が柔らかな笑顔で「〇〇くん、おばちゃんが、靴、はかせてあげようね」と男の子を膝にのせてあげました。そのあと、男の子は、笑顔でお母さんのところに走っていきました。

家族じゃなくても、我が子の成長をいっしょに見て、気にかけてくれる人がいる。
自分が小さかったときのことを知っている親以外の大人が、地域の中にいる。
こんなやりとりや、関係の先に、世代のつながりが生まれていくのだと感じました。

(Text: 佐伯桂子)