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泉北からニュータウン革命を起こそう。市民主体の財団を設立し、”日本一チャレンジできるまち”をめざす理由。

1960年代から都市の郊外に開発された市街地、ニュータウン。「昭和の負の遺産」「オールドタウン」などと揶揄されることもありましたが、近年では団地暮らしやリノベーションの対象となり再び注目を浴びています。

2018年、greenz.jpの連載「これからのニュータウン入門」でご紹介した、大阪府南部・堺市南区に位置する「泉北ニュータウン(以下、泉北)」もその一つ。2017年にまちびらき50周年を迎えた泉北では、住民・企業・行政・大学が連携し市民主体のプロジェクト「SENBOKU TRIAL」をはじめさまざま動きが広がっています。

そんな泉北でこのたび「コミュニティ財団が誕生した」と聞きつけ、再び現地を訪れました。

コミュニティ財団とは、市民の力で地域の課題解決を実現していくために地域内での資金循環を行う機関です。まちびらき50周年を機にさまざまな取り組みを経て、泉北は今どのような未来を見据え、財団の立ち上げに至ったのでしょうか。

向かった先は、泉ヶ丘駅から徒歩10分ほどにある茶山台団地。その一角にある「茶山台としょかん」に、「一般財団法人泉北のまちと暮らしを考える財団(以下、財団)」の立ち上げに関わったみなさんに集まっていただきました。

田重田勝一郎(たじゅうた・しょういちろう)
写真右。特定非営利活動法人 志塾フリースクールラシーナ 理事長。不登校の子どもたちをサポートするフリースクールを運営するかたわら、プログラミングに興味がある子どもに学べる場を提供したいという思いから、2016年2月に「CoderDojo(コーダードウジョウ)堺」を立ち上げ、無料のプログラミング道場を毎月運営している。泉北ニュータウンまちびらき50周年事業では、南海電気鉄道株式会社の支援を受けて「子どもプログラミング サポーター100人プロジェクト」を展開。
増田昇(ますだ・のぼる)
写真右から二番目。大阪府立大学名誉教授・植物工場研究センター長。1970〜80年代にかけて民間のコンサルタント会社に勤務し、大阪の千里ニュータウン近隣センターの再整備・泉北ニュータウン内の団地設計・開発に携わる。専門はランドスケープ・アーキテクチャー。
岩井眞琴(いわい・まこと)
写真右から三番目。マーケティング、商品企画、クリエイティブ・ディレクター、プロデューサー。医療機器、IT機器メーカーで企画・開発マネージャーを得て2019年独立。現在はまちづくり戦略業務に携わり、地域に目を向けている。

泉北で生まれ育つ子ども達に、どんな未来を残したい?

2017年ごろから、泉北のまちびらき50周年を機に市民主体で取り組んだ「SENBOKU TRIAL」。そして南海電鉄が駅前広場を活用として、市民のやってみたいことを応援する「いずみがおか広場つながるDays」、団地の一室をリノベーションした「丘の上の惣菜屋さん『やまわけキッチン』」などが誕生し、少しずつ泉北のまちの雰囲気は変わりつつあります。

今回、財団を立ち上げることになった背景には、どのような物語があったのでしょうか。

田重田さん 僕は泉北出身であることから、50周年事業に市民委員の一人として関わって。事業では座談会などを通して、泉北の魅力をみんなで掘り下げていきました。でも、「これからの泉北をどうしたらいいか」について語る前に事業が終わってしまったんです。

せっかく泉北に思いのある人たちが集い歩み出したのに、このままではもったいない。そのような声がちらほら出ているのを知って、有志のメンバーで「地域座談会」をはじめたことが、財団立ち上げの第一歩になりました。

田重田さん

岩井さん 「地域座談会」に集まった30代・40代を中心に述べ58人が集まって、引きこもりや不登校、DVなど地域が抱える問題を学び合いました。そこから未来に泉北を残す仲間になってほしい市民に呼びかけて。仲間を私たちは「サムズ」と呼び、結果として102名が賛同者として名乗りを上げてくれました。少しずつ泉北を良くする仲間の輪を広げていったんです。

田重田さん サムズのメンバーと「次、泉北には何が必要か」を話し合う中で、みんな興味があったのが“子ども”でした。それなら、子どもを中心に置いたまちについて考えてみようって。掘れば掘るほど泉北は、産声をあげた50年前から市民活動が活発である事実が浮かび上がってきましたね。

泉北ができた当時、買い物をする場所がなくて不便さを感じた主婦一人ひとりが出資に参加し、「自分たちの暮らしを守るために自ら動こう」と共同購入・共同配送のシステムをつくった「泉北生活協同組合(現・エスコープ)」を立ち上げたり。子どもたちの登下校の安全を願って、お地蔵さんを市民が寄進し合ったり。泉北に思いを馳せている人が行動し、お金を出してつくった場所がたくさんあるとわかったんです。

岩井さん

岩井さん 子どもを中心に置いたまちづくりを始めるにあたり、泉北で子育てをする上で心配なことを出し合いました。「いじめにあった時、どこに相談したらいいかわからない」。「もし子どもに障害があっても、放課後デイに預けられるのかな?」。「学童を支えているのはどんな人たちなんだろう?」。

その中で、私たちが着目したのは、子どもの“孤立化”でした。例えば、大阪府内には414(令和元年9月1日時点)の「子ども食堂」があるけれど、毎日運営しているところは少ない。平日の夕方から夜にかけて子どもたちを見守るシステムが、なぜできないのか突き詰めると、市民の善意に頼っているから限界があるんじゃないかと。

田重田さん もし「子ども食堂」の活動費が市民の寄付で賄われるとしたら、やりたい人が現れた時に活動がしやすくなります。でも次に壁となるのは、学校との関係かなと。だからもし子どもと学校、まちをつなぐコーディネーターとなるような第三者機関をつくれたら、泉北は本当に良くなるのではないかと考えました。

増田さん そもそもニュータウンは、まちをマネジメントする組織があってこそ成り立ちます。住環境を重視してつくられたニュータウンには、商売をする人がほとんどおらず、まちとしては自立していません。自立更新をしていく仕組みをつくるなり、お手伝いするなりしないとニュータウンはオールドタウンになってしまいます。だから財団なり、マネジメント組織なりを泉北につくることには、僕も賛成でした。

増田さん

市民100人から一口3000円の寄付を募る、希望と困難

市民のチャレンジを資金面から応援する財団があれば、泉北はより良くなるのではないかと希望を抱いた「サムズ」のメンバー。すぐさま「泉北のまちと暮らしを考える財団準備室(以下、準備室)」を立ち上げ、公益財団法人の設立に向けて動き始めました。しかし、寄付を募ることは想像以上に困難を極めました。

田重田さん 第一歩として、2019年1月から設立賛同者を集う「寄付キャンペーン」をはじめました。だけど、全然集まらなくて……。3月までの3ヶ月で、目標金額の300万円を集め切る予定だったのに、3月末になっても20万円ほど。結局、夏までかかりました。

調べてみると、世の中にある財団って通常は理事になる人が100万円などまとまった金額を出してつくることが多いみたいで。でも僕たちは、一口3000円で寄付してくれる人を1000人集めて財団をつくりたかったんです。

岩井さん もし理事が100万円ずつ出し合って財団を立ち上げても、私たちを応援してくれる人が少ないままでは、活動を始めてから苦労するだろうと思いました。だから寄付する人を1000人集めることには、こだわりましたね。

増田さん 寄付集めは英語でファンドレイジングと言いますが、それをモジって”フレンドレイジング(仲間集め)”とも言います。寄付者の母数を増やすことで、関係人口やソーシャルキャピタルの構築にもつながりますから。

地域を限定して、新しい資金循環を生み出し地域課題を解決する「コミュニティ財団」は、全国各地に広がりつつある。都道府県や市町村ベースで設立される財団が多く、ニュータウンに特化した財団は全国初。

田重田さん 寄付をお願いした時によく言われたのは、「財団をつくって何をするの?」ってこと。僕らは、何かやりたい人を応援する活動をするために財団をつくるので、具体的な説明がなかなか伝わらず苦労しました。

でも諦めることはできないので、目標達成する7月まで、まちの集会所や飲食店で3日に1回説明会を開いたり、泉北であるイベントに顔を出してチラシを配ったりして寄付を募りました。ネット上のクラウドファンディングにも挑戦しましたが、直接のお願いが一番効果がありました。

写真左は、田重田さんと共にファンドレイジングを実施し、一般財団法人泉北のまちと暮らしを考える財団代表理事の宝楽陸寛さん。

寄付キャンペーン開始から7ヶ月をかけて、目標金額300万円を達成。再び準備室メンバーが集まり、お金の運用に向けて体制を見直しました。

そこで決まったのは、経営視点を持った専門家にお金を託して運用してもらうこと。自らフリースクールを運営するプレイヤーである田重田さんはチームを離れ、理事として岩井さんや増田さんをはじめ、ニュータウンの専門家やIT企業、青果店、社会福祉法人の代表など地域づくりを経営の視点で見つめられるメンバーが集まりました。

田重田さん 財団はプレイヤーを後押しする第三者機関として設立しますから、プレイヤーが理事になるのは良くありません。公正な立場で寄付を募り、資金を運用する組織にしたかったので、僕らがやろうとしたことを専門家の人に引き継いでもらおうと理事を選定しました。そこで、マーケッターとして大きなお金を動かしてきた経験をもつ岩井さん、ニュータウンの専門家である増田さんに理事になっていただいたんです。

増田さん 市民参画社会をつくる時に、公正さや透明さは非常に大切ですね。日本社会では、行政や市民活動の間をとりもつインターミディアリー(中間支援)がほとんど根付いてきませんでしたが、これからのまちづくりに大切なのは第三者機関です。コミュニティ財団が、インターミディアリーを目指すというのは、とても意義のあることだと思います。

泉北のこれからをつくる三つの視点

こうして2019年12月、「一般財団法人泉北のまちと暮らしを考える財団」が誕生しました。寄付キャンペーンで集まった300万円を原資に、財団はどのような活動をしていくのでしょうか。

田重田さん 準備室メンバーからお願いしたのは、「思いをつなぐ基金をつくる」、「調査・コーディネーション」、「情報発信」の3つの視点です。社会的投資やまちに遺言を託す遺贈寄付というキーワードも世間的に注目されていますが、出資した人に財団の運用次第でお金を返金できるような仕組みをつくれるのが一番だと考えています。そのために、地域課題の調査や情報発信も必要になると。

財団が大切にするのは、「子ども」「暮らし」「学び」の3つのキーワード。財団として最初に取り組むのは、全小学校区に子どもの居場所や子どもを支える活動団体へ助成を行う基金の立ち上げと寄付集めの予定です。

岩井さん 私が理事を引き受けたのは、泉北で生きていける仕組みをつくるところに共感したからです。今も本当は泉北で働きたいけれど、仕事がないので遠くまで行っている。だから財団を通して、泉北の人が泉北で働いて、経済を生み出して生きているような持続可能な環境をつくりたいですね。

増田さん おそらく今後課題となるのは、資金集めでしょう。私は公的資金をどう引っ張ってこられるかがポイントになると思います。第三者機関が行政と市民の間に入ることで、公平性や公開性、透明性が保持されますから、市民の活動自体も持続しやすいはずです。

もう一つは、資金を循環させること。財団が支援した活動が自立したら、最初に投資した分を返してらもうようにする。すると資金が回って、また次のスタートアップ的な活動に資金を投入することができる。いかにプレイヤーを発掘して、経営感覚を持った法人を生み出していけるかということが大切になります。

ベッドタウンを脱出して
お金を稼ぎ、生活をする“真のまち”になる

まちびらき50周年事業、そして財団設立。未来に向けて、泉北のみなさんは小さなチャレンジを繰り返しています。最後に、これからの泉北にどう関わっていきたいかお伺いしました。

増田さん ニュータウンを計画した時の反省でもあるんですけど、いかに「ベッドタウンから脱出して真のまちをつくるか」をお手伝いできるだろうと考えています。

真のまちとは、まちの中で時間が消費できて、生活の糧を得られる人の割合が一定以上いるということ。今は大阪の中心地へ働きに出ている人がほとんどですが、それでは本当のまちとは言えません。人口13万人の泉北に、水道屋さん、瓦屋さんなどまちの面倒をみる職業が成立して、稼いで、生活していけるまちを共につくっていきたいです。

岩井さん 私は泉北に35年以上住んでいますが、ずっと家と会社の往復だったので、近年まちに関わりはじめて、まだまだ知らない泉北がたくさんあると気づいたんです。泉北に住んでいる人はほとんどが外から引っ越してきた人たちなのに、故郷のように泉北が好きなんだなと感じています。

マーケティングや商品企画の仕事は東京が中心で、大阪にはあまりありません。だけど私のように、泉北で生きながらそうした仕事をしている人もいます。私自身がロールモデルとなって、泉北を好きな子どもたちが、泉北で仕事をして生活できるような仕組みをつくりたいです。

田重田さん 僕は財団を離れ一旦プレイヤーに戻りましたが、プレイヤーの立場からまた違った形で泉北にコミットしていければいいなと思います。

僕たちは寄付キャンペーンをする時、「これはニュータウン革命だ」って言っていたんです。泉北は便利なまち。バスもあるし緑は豊かだし、住みやすい。だけど、その便利さゆえに、世代間格差や分断を生んでしまう要因にもなりました。

だったら、それをどうポジティブに変えるか。僕らはハードではなく、半径100m、200mの小さな暮らしの範囲で、市民がチャレンジして泉北をよくしていく動きが生まれることだと信じています。

財団を通じて、チャレンジが生まれる連鎖を起こす。ニュータウン革命を泉北から起こして、日本一チャレンジできるまち、泉北をつくりたいです。

「ベッドタウンから真のまちへ」。
「日本一チャレンジできるまち、泉北をつくる」。
お話をお伺いしたみなさんの言葉からは、泉北をより良いまちにするため共に力を合わせる多くの仲間の存在を感じました。

まちがある日突然、理想の状態になることはありません。しかし、市民一人ひとりが動き、力を結集することで少しずつ変わっていくこと、そして自分たちの住むまちを自分たちで良くする、そのために小さな一歩を積み重ねることの大切さを、泉北のみなさんは訪れるたびに教えてくれます。

泉北のニュータウン革命は、まだまだ始まったばかり。私もまた泉北を訪れ、革命の進み具合を見に行きたいと思います。