私たちは日々、災害に巻き込まれるリスクのなかで暮らしています。
しかし、いつ起こるかわからない災害に対し、日常から真剣に向き合い続けるのはなかなか難しいと感じるのも本音。大切だとはわかっているけど、どうしていいかわからないし、できれば考えたくない…。
そんな中、企業や自治体においても防災の観点は不可欠となり、昨今どんどんアップデートされているのが「防災教育」です。
今回は、大阪・梅田にほど近い中津というまちで防災教育活動を展開している、「一般社団法人うめらく」の山田摩利子(やまだまりこ)さんにお話を伺いました。
もともと一般企業に勤めていた山田さんは、出産・育児をきっかけに退職。その後、育児と母親の介護という「ダブルケア」を経験します。
その経験を通じて感じたさまざまな「なんでだろう」「もっとこうだったらいいのに」という思いがたくさんの「点」になり、まちの人たちとつながる活動をしていく中で、山田さんにとって防災の啓発活動は「死ぬまでこれをやっていく」というものにまでなりました。
山田さんの軌跡をたどりながら、今の私たちに必要な「防災」のあるべき形を考えてみたいと思います。
一般社団法人うめらく 代表理事、都市型関係案内所 なかつもりオーナー、株式会社 ippo代表。防災士。大阪市北区の「うめきた」および周辺エリアを中心にまちづくりやコミュニティ活動を展開している。
これまで、地域コミュニティからみた都市の研究「キタの再発見×うめらく未来ミッション」、うめきた開発エリアの暫定利用企画イベント「うめきた楽市楽座」、ホップで繋がるコミュニティ「THANKS HOP」など多くのコトづくり・人つなぎを通じて都市エリアにおけるコミュニティのありかたを探求してきた。
2022年にオープンした大阪・中津の関係案内所「なかつもり」では、食、健康、観光、コミュニケーションなど、多様なテーマでイベントを開催したり、併設されたキッチンではローカルな魅力を紹介する食事やケータリング事業など、新たな中津の名所としてコミュニティが更に広がっている。
自分の住むまちのことを知りたい!
大阪の中心地・梅田から歩いて数分、大都市の“ほぼ”ど真ん中に、昔ながらの風情がただよう不思議な魅力のまち、中津があります。
ここは、「うめきた開発」と言われる大型再開発が行われている地域の目と鼻の先でもあります。うめきた開発は、JR大阪駅の貨物ヤード跡地の大規模複合開発事業で、2013年に先行してオープンした総合商業施設「グランフロント大阪」をはじめ、現在もオフィスビル、ホテル、中核機能施設、商業施設、都市公園、住宅などの建設が進められています。2024年9月には緑豊かな複合施設「グラングリーン大阪」がオープンし、話題を集めています。
そんな中津を中心に、熱いパワーでたくさんの人を巻き込みながら、まちの人たちがつながるための企画を手掛けてきた山田さんは、今では「中津の台風の目」ともいえる活躍ぶり。
防災教育の活動を始めるに至るまで、どのような変遷があったのでしょうか。
山田さん 音大を出てから企業に勤め、販売促進や営業企画、マーケティングの責任者を経験しました。勤続10年目くらいのときに子どもができて、そのまま続けようと思っていたんですが、子育て中のお母さんが続けられるような環境じゃなかったので、退職したんですね。
私は当時から「なぜものが売れるのか」とか「なぜこれがこうなるのか」っていう原因を追求することに興味をもっていたので、もしかしたらそのことが今の活動にもつながっているのかもしれません。子どもが幼稚園のときにはPTA役員をしていて、母の介護とダブルケアだったこともあって、健康や食、介護や子育てなど、くらしに役立つ情報を共有できる場がもっとたくさんあったらいいのにどうしてないんだろう?とか、漠然といろんなことを考えていたんです。
そんなときに、うめきた開発第2期の工事が始まります。2016年のことでした。
これから自分たちの住むまちがどうなっていくのか、山田さんは気になっていたそう。そんなとき、子どもが通う幼稚園に市議会議員の人が来て、うめきた開発エリアの暫定利用企画(開発が本格化するまでの間に周辺エリアの賑わいを作るため一定期間だけ実施する企画)の公募があることを教えてくれました。
SNSで呼びかけ、テーマに共感したメンバーで応募し、市民団体として唯一採用されたのが、山田さんたちが企画した「うめきた楽市楽座」というイベントでした。
山田さん 公募の要綱にあったテーマが「地域の賑わいづくり」「地域連携」「防災意識の向上」この3つでした。そこで私は、うめきたのまちづくりに対する市民の意見や想いを届けるイベントにしたいと思った。「楽市楽座」という歴史上の経済政策の名前の通り、ここがみんなにとって地域活動や経済活動のできる場になればいいなと思って、提出させてもらいました。
これが、山田さんがまちづくり活動を本格的に始めるきっかけとなったのです。
ホップが防災につながる?
「うめきた楽市楽座」の公募から本番までを経て、イベント運営の酸いも甘いも味わい、大きな学びを得た山田さんが次に目をつけたのは「ホップ」でした。
山田さん このエリアに防災機能のある都市公園ができるということは知っていたので、緑化活動で日常的な挨拶から始まるコミュニティをつくって、防災意識の向上へつなげたいと思ったんです。
そこで、暫定利用で借りていた土地で、お花や野菜を育て始めました。毎日作業をしている人がいたら、顔見知りになってあいさつができるような関係が築けるかなって。でも、見向きもされず、半年続けてもうまくいきませんでした(笑)。
そのため考え直し、翌年、自分のやりたいことから始めてみることにしました。私は、ビールが大好きなんです。ビールって何からできているんだろうと思って調べたら、大麦と水とホップと酵母。ホップはグリーンカーテンにもなると知って、環境保全の面からも「ホップがいいかも!」って思ったんです。私はうめきたでホップの苗を栽培し、みんなが自宅で育てる。収穫できたら持ち寄って、みんなでフレッシュホップのビールで乾杯できたら楽しいコミュニティができるなぁ、という感覚から始めました。
しかし、調べるとホップは寒冷地でしか栽培できない。本当にホップは大阪で育つのだろうか…と最初は心配でしたけどね。
そうして2017年に始まったのが「うめきたホッププロジェクト」。最初の年から共感する仲間が集まり、ホップ栽培は成功、無事にビールを醸造するところまで達成しました。2年目も成功し、コミュニティはさらに大きくなっていきました。
しかし、再開発エリアの暫定利用の期間は2019年まで。プロジェクトで育てた約250鉢のホップはその後、うめきたからあべのハルカスなど、新たな土地へお引越しすることに。
ところがホップづくりを中心に醸成された「ホップコミュニティ」は、暫定利用地を離れてからも、当時ムーブメントになりつつあった各地のマイクロブルワリーや、山田さんのまちづくりに共感してくれる企業との出会いにより成長し続け、今では全国40箇所以上までホップ栽培とともに広がっているんです!
山田さん 「うめきた楽市楽座」をしたとき、活動資金を集めるのが大変で、同じやり方で活動を継続させていくのは難しいと感じました。社会を良くしたいと志すコミュニティをつくるだけでは活動資金も捻出できないし、継続していく未来の姿も見えない。でも、ホップコミュニティに企業さんが入ってくれたことで、コミュニティ運営が企業の事業に役立ち、社会貢献にもつながることを初めて経験させていただきました。
やっぱりそれがベストですよね。CSVやSDGsが浸透しているように、取り返しがつかなくなるほど深刻になっている課題を“他人ごと”として見過ごすわけにはいかない。でも、自分を犠牲にしてまでやってしまうと、モチベーションを持ち続けることはできないので、結果、負のスパイラルに陥ってしまう。社会の課題を足元の地域課題と重ねて“自分ごと”にしていきながら、「やりたい」と「やらねば」のバランスを大事にすること。そして、気持ちや時間に「余白」を持つこと。これからは、それが大切だと気付きました。
そこに共感する仲間たちと協力しながらコミュニティをつくり上げていくことで、ポジティブな状態を保つことができるのだと思っています。
「ウェルビーイング」を軸に進める「新しい町内会」
いろんな経験を重ねていく中で、山田さんは「ウェルビーイング」という言葉に出会い、「これだ!」と腑に落ちたそうです。
今でこそ広く知られていますが、山田さんはこの言葉を知る前から、お母さまをがんで亡くされたこともあり、体の健康と心の健康、西洋医学と東洋医学など、バランスをよくすることで人の健康がつくられるのだと感じていました。
実際、2012年にはすでに、ご自身の専門分野である音楽とオーガニック食品のマルシェを組み合わせたイベントを実施するなど、“心と体の両方を健やかにする”活動をしていた山田さん。最初から根っこには「ウェルビーイング」を大事にする思いがあったのです。
この言葉は、その後山田さんがまちでの活動を進めるために立ち上げた「一般社団法人うめらく」のビジョンにも入るほど、大事な言葉になりました。
山田さん この言葉に出会って、ようやく私が腑に落ちる言葉に出会えたと思って、以来、使わせていただいています。知れば知るほど、うめらくの目指す未来にも示したように、この言葉は「生きがい・やりがい・働きがい・幸せがい」すべてを含む健康な姿を表すのだと思いました。
山田さん 企業での肩書があってもなくてもいきいきとされている方って、会社だけでなく社会のどこかのコミュニティに属している人が多いなと思うんです。
まちづくりに関わる人には、定年退職した人も多いです。最初は一人でも、やりたいことを口にすると徐々に共感者が増えて仲間ができたり、ちょっと違うタイプの人と一緒にやるとうまくいったりいかなかったり。でも、経験しないと見えない世界があって学びになります。
やはり社会って一人では生きられないし、楽しみも学びもいろんな人とつながり合うことでもっと広がるなと感じます。これぞ社会教育。まちの中には学ぶ場や環境がいくらでもあるということですね。
この「なかつもり」にも本当にいろんな人が来るから、会話していてもびっくりするほど雑多で、話がまとまらない(笑)。でも、「ウェルビーイング」をテーマに話をした時、とても抽象的な言葉なのに、不思議とみんなのチューニングが徐々に合ってくるんです。それが面白くて、今では対話イベントが定期開催されるようになりました。
いろんな考えの人と対話することで新しい視点が得られますし、自分自身の価値観を再確認する良い機会になります。お互いを理解し合うことで共感が生まれたり、柔軟な考え方ができるようになったり。私はあっちこっち飛び散ったそこでの話をブログにまとめるのがたまらなく好きなんです。
そんな中で、山田さんは「新しい町内会」というまちのあり方を提案しています。
山田さん 「防災が得意です」とか「料理が得意です」とか「英語が得意です」みたいに、自分が得意なことを持ち寄って、それが一つの団体・コミュニティになって、ここに頼めばこんな人が手伝いに来てくれるっていう、そういう町内会もありなんじゃないかなと。
地域の活動が、自分の得意をいかした「やりがい」や「働きがい」のあるものになれば、「生きがい」「幸せがい」につながる。山田さんは、一人ひとりのウェルビーイングをビジョンに掲げながら、まちづくりの活動を進めています。
「防災」は「誰一人取り残さないコミュニティ」のきっかけになる
まちや社会のことをより深く知るために、社会福祉法人の地域福祉コーディネーターとしても4年間働いた山田さん。高齢の方、障がいのある方、子育て中のお母さんや青少年を含め、ゆりかごから墓場まで多世代にわたる一人ひとりの話を聞き、しかるべき支援につなぐ仕事です。“制度”からこぼれてしまう人たち、例えば「診断名はつかないけれど働けない(学校にいけない)」「介護保険の申請をしていないけれど、緊急で介護が必要になった」などの困りごとを抱えている人たちの支援も数多く経験したといいます。
そんな中、ホップコミュニティのように少しでも誰かとつながっていれば、数日連絡がとれないだけで「あの人どうしてるんかなぁ」と思い合う関係性ができると考えた山田さん。「福祉のお困りごとをサポートしながらちょっとしたつながりをつくりたい」と、勇気を振り絞って各家庭の訪問活動を開始しました。
しかし、なかなかその扉は厚かったようで…。
山田さん 「お困りごとはないですか」ってお伺いするんですけど、みなさん「結構です!」って、玄関もほんのちょっとしか開けてくれない。「格好が悪いから家まで来ないで!」と言われたこともありました。
でもあるとき、災害時に支援が必要になる方の家庭への訪問活動で「今日は災害時の支援のことで来たんです」と訪ねたら「よう来てくれた、ありがとう」ってみなさん扉を開けて話を聞いてくれるんです。ほんと不思議ですけど、自分ごとだからでしょうか。
福祉事業に携わったことで、自ら孤独を選んでいる人もいれば、望まない孤立の中にいる人もいることを知りました。だから私は、「誰一人取り残さないコミュニティ」は防災を通じてつくることができるんじゃないかって思ったんですよ。いろいろやって、ぐるっと1周回って辿り着いたのが、防災だったんです。
そこから、山田さんの「まちの防災教育の実験」が始まりました。
山田さん 挨拶できる関係性をつくることは確かに防災になるんだけども、そこからさらに防災意識の向上へ導くにはどうすればいいんだろうって考えましたね。
町内会や自治組織の方とお付き合いさせていただくようになり、高齢化が進み組織の存続が難しいという課題があることを知りました。担い手もいないし、被災したときには自分たちも被災者になるかも知れないのに、「町内会長さんがなんとかしてくれるんよね?」「行政が何でもやってくれる」っておんぶに抱っこな考えの人がたくさんいる。「そうじゃないでしょ、みんなも一緒にやらないとって何度説明をしても自分ごとにはしてくれない」と、町内会長さんたちは行きづまっておられたんです。
じゃあ、私たち世代が地元の組織と住民の間に入っていき、SNSで自分視点からみた防災を発信したり、防災訓練のチラシをデザイナーの力でかっこよく変えてみたり、時代にあった防災知識の学びなおしなどの企画をして、もっと興味を持ってもらえるような内容に変えていったらどうなるかな〜っていう実験を、去年から始めてるんです。
中津地域には、行政が指定する災害時避難所が2箇所あります。一つは小学校、もう一つは現在、大阪YMCAインターナショナルスクールになっている元小学校。後者は幼稚園が併設されていて、幼い子どもや日本語が不慣れな外国人の方も通っていますが、一時は地域の防災組織役員の高齢化と参加者の減少が原因で、防災訓練が消滅しそうになっていました。
ある日、このスクールに新しく着任された方が「自分は世界各国で災害支援活動や、日本での避難所運営も経験したノウハウを地域防災に役立てたい。ぜひ地域とつないでほしい」と、相談に来られたそうです。同じ頃、地元住民からは、課題だらけの防災活動や避難所の運営について「なんとか改善したい」と山田さんの元へヘルプの声が。
両者をつなぎ、協働し合うことがお互いの課題の解決につながるのではないかと思いついた山田さんは、当時所属していた社会福祉法人に相談し、協力してもらいながら「中津南自主防災会」を立ち上げました。現在は、地域住民を中心とした勉強会を企画したり、行政との間に入り、地元のみなさんとの橋渡し役として調整に奔走したりしています。
今後は、学校と連携してここがシェルター(避難所)であり、被災したときはみんなで助け合う必要があるという意識を高め、未来を強くする防災に向けた防災教育企画を提案し、実行していきたいと話します。
防災って、もっとも重要な生活の基盤と直結すること。ゆえに、特別な訓練をその時だけ生真面目にやりがちですよね。しかし山田さんは、そんな従来型の「防災教育」のエッセンスを、日常と地続きの“楽しいもの”として溶け込ませることがとても上手。「防災=命に関わること」ですが、特別なことではなく日常からみんなで気軽に考える機会をつくり、新たな気づきや学びのきっかけにしています。
山田さん 地域のおばあちゃんたちは、これまでの防災訓練は点呼だけで終わっていたからもう行かなくてもいいかな、と話されてました。でも今年6月の防災訓練では、減災ナースさんがイベントに来て、普段からできる防災の心得を話してくれたり、避難所で健康に過ごすためのエコノミー症候群予防の体操をしたりしてくれて。一瞬にして防災講座が日常の体操講座の会場みたいになったんですよ(笑)。
すると、参加された方が「ためになることをあんなに楽しく教えてもらえるならまた行きたい」って言ってくれて。やっぱり内容によるんだなって思ったんですよね。9月の企画は子どもや親子を対象にしたので、防災訓練の最後に花火を楽しむという企画を盛り込みました。これは、大阪市淀川区の地域で防災活動をされている方からヒントをいただいたもの。いい取り組みだからぜひ中津でもやりたいと、昨年から企画してきました。
山田さん 他にも、避難所生活が長引いたときの生活環境の改善や、大災害が起きたあとのまちの復興計画をどうしていくのかなどをテーマにみんなで考えるワークショップも、今後の企画として計画中です。
いざ災害が起きたら、私たちが避難場所に行けるかどうかわかりません。だから毎回イベントで言うんです、「今日私はみなさんの前で喋っているけど、私は決してリーダーではないし、町内会長や防災リーダーが必ずしも避難所に来れるかどうかわかりません。もしかしたらみなさんがリーダーになったり、みなさんだけで避難所を運営したりする必要があるかもしれない」と。
私ね、防災は自助共助公助っていうけれど、まだまだ共助や公助って“やってもらって当たり前”になっちゃってるんじゃないかなぁと感じるんです。そんな私もつい最近まで「誰かがやってくれる」と思っていました。けど、実際に地域防災に触れたことで「自分もしなければ!」と目が覚めました。
防災は、死ぬまでやっていく
これまでの福祉の仕事や地域連携、そしてコミュニティづくりを通じて、いかに「防災」がキーになるかを確信した山田さんは、2024年3月に株式会社ippoを設立しました。
この法人では、福祉施設のBCP(事業継続計画)策定代行、防災訓練や研修のカリキュラムの提案から実行、検証、BCP見直し提案までを主な事業とし、他にもデベロッパーやまちづくりをする企業と防災を軸にしたコミュニティ醸成事業などにも取り組んでいます。
これからやっていきたいことは?という質問に山田さんは「未来を強くする防災。これは死ぬまでずっとなんだと思います」と答えます。
山田さん いろいろ地域活動をやってみて一周ぐるっと回って、防災に戻ってきた。「いのちを守る」ということです。
2025年大阪・関西万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」っていう言葉がありますけど、これってウェルビーイングにもつながるなと。でもその前にある「いのちを守る」という部分の対策に、私はこれまで主体的に関わってきませんでした。
まちづくりを通じ、防災を軸に地域を観察してみたら、想像していた以上に未整備状態であることに驚きました。何年も前から防災訓練や防災組織があるからできているものだと勝手に思っていたんですが、いろんなことが整っていなかった。現状を知ってしまった今、自分も関わりながら足元に土台をつくり、次の世代にバトンを渡したい。
ある意味で原点に戻ったというか。いのちを輝かすための土台作りですね。私たちの活動を町内会の人たちだけじゃなく、ここに住むみんなにも参加してもらって、支援を必要とする人たちのことも含め、未来を強くする防災に取り組み続けたいと思います。
一口に「防災」と言っても、状況に応じてほしい支援は違います。いざ災害が起きれば、障がいのある方や、外国人の方、高齢の方、子どもたちなど、いろんな立場の人が同じ状況で、バラバラの価値観をお互いに受け入れながら一緒に過ごさなければいけません。その苦労は容易に想像できます。
「コミュニティ」が防災につながるのは、そのような多様な生活様式を持っている人たちでも「あの人知ってるよ」「あの人はこういうタイプ」という日常からのつながりや情報があれば人間同士の壁を超えやすいからです。「要支援者の名簿だけ持っていても今の状況ではできることが少ない。地縁のコミュニティの力をもっと活用するべき」と山田さん。今後は、要配慮者の個別支援計画にも取り組んでいくといいます。
山田さん ほんま生き字引みたいな人がいてね。この間、熱中症になって道で倒れていた方をサポートした時に、その方の落とし物を預かったんです。だけど名前も住所もわからない。「あっち方面からきて、容姿だけわかるんだけど…」とある方に相談していたら、通りすがりの方が「たぶん私、その人のこと名前も住所もわかると思う」と。結果、持ち主に返却できたんです。この大都会で、そんなことが起こるのか!と驚きました(笑)。こんな人がまちの中にたくさんいたら、名簿がなくても“お互いさま”の支援体制がつくれるなと思いました。
こんなふうに、普段からのネットワークがあれば、ある程度のことは解決するって思う瞬間があるんですよ。ガチガチの村意識じゃなく、お互いをちょっと知っているだけでいいんですよね。
「余白」があるから「自分ごと」になる
「住みたいまち」には、まちのブランド力や利便性などが反映されがちですが、これからの時代「防災が行き届いているかどうか」の安全安心なまちの視点も重要になってくるかもしれません。
でもそれは「制度」ではなく、そこにいる人たちがどれくらい防災を自分ごととしているか、だと思うのです。その意識が「自然とお互いを助け合う文化」をつくっていくことにつながるのです。
山田さんがまちづくりを追究していく中でたどり着いた「防災」は、従来からあった「仕組み」や「知識」さえあれば機能するものではなく、それらとまちの人たちの日常にある「楽しい!」をつないでいくことから生まれるのだと、今回のお話からよく理解することができました。本当に機能する防災は、よいコミュニティがあってこそ。かつ、よいコミュニティは平時から顔の見える関係で、そこに住む人を中心に多様な人同士が楽しく対話できる場があってこそ。大事な気づきとなりました。
最後に、「なんでそんなにおもしろい人が集まってくるんですか?」と聞いてみました。山田さんの周りにはユニークな人が本当にたくさんいるのです。その理由を山田さんは「自分一人では、できることが少ないから」と言います。
山田さん 私自身、どんな災害がいつ起こるかなんて予測できませんし、防災について「これをしたら絶対大丈夫!」って確証はありません。けど、これからのまちの未来には、これが必要だ!という私なりの答えを持っていて、一人ではできないことを公言しています。
だから、集まる人は「私でもその分野なら何かサポートできるかも」って思ってくれるみたいで。私はいつもこの状況を「9割余白のデザイン」って言ってるんですけど。余白だらけだから、こぼしまくってるところを拾ってくれる人がいっぱいいます(笑)。
コミュニティも防災も、もしかすると100%を目指すとうまくいかなくなってしまうのかもしれません。山田さんのいう「新しい町内会」には、いろんな「得意」を持った人が集まってきて、それぞれに力を発揮し合う「余白」があります。その余白は、お互いに心地よいつながりをつくるためのスペースでもある気がします。空いたスペースがあるからこそ、そこに橋を架けてつながることができるような、そんな余白。
山田さんはその「余白」をうまくいかしながら、まちの人たちを巻き込み、まちのことや防災のことをそれぞれの「自分ごと」に落とし込んでいっているのだと感じます。
そう、山田さんの得意技は「自分ごと化」。だからこそ「防災訓練」という非日常で生真面目に捉えられがちだったものを、まちの人の力をいかしながら日常の地続きに楽しく落とし込み、災害時に強いまちを自然につくれるのだと思うのです。
「ここ空いてるの?入れるの?じゃあ私やります!」
あなたのまちにも、こんなふうに手を挙げられる余白をつくってみませんか?
(撮影:シマダアユミ)
(編集:村崎恭子)