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「いかしあうつながり」をつくるのは、簡単なことじゃない。だからこそ、この言葉を選んでよかった。特集チームの葛藤も、学びも、希望も、丸ごとお届けします!

これからの時代に必要なのは、「いかしあうつながり」なんじゃないか。

そんな仮説のもと、タグラインを「いかしあうつながり」に設定してから早半月。greenz.jpでは、特集という形で「いかしあうつながり」に関するさまざまな記事を配信し、イベントも行ってきました。

今回はその最終回。特集「いかしあうつながりってなんだろう?」に携わったメンバーで、記事づくりを通して見えてきたことを語り合いました。

メンバーは編集長の鈴木菜央、特集編集ディレクターの池田美砂子、greenz peopleのコミュニティエディター植原正太郎、「自由学園」の取材をアレンジしたライターの丸原孝紀、映画『縄文にハマる人々』の記事を執筆したライターの石村研二です。見学に来たカメラマンの廣川慶明さんも途中から参戦して、時には何かに気づき、時にはみんなで頭を悩ませ…。

そんな「いかしあうつながり」を巡る思索の軌跡をお届けします。

「そりゃ面倒くさいわ、簡単な関係を築きたいわ」

池田 まずは菜央さんに伺いたいんですが、「これからは個別のソーシャルデザインではなく、関係性のデザインに注目していく」と決めてから、たくさんの人と対話を重ね、特集をつくってきましたよね。その中で、考え方にアップデートはありましたか?

池田美砂子 特集「いかしあうつながりってなんだろう」特集編集ディレクター。よろづ屋、自由学園、ピープルサミットの取材企画他、特集全体のディレクションを担当の取材に同行。(撮影:廣川慶明)

菜央 本当に多様な人たちが「いかしあうつながり」について考えて実践していて、その世界はすごく広くて深い。そう改めて感じました。「いかしあうつながり」という言葉から心地良いものを想像する人が多いと思うけど、「いかしあう」ということを本当に突き詰めると、かなりハードなんですよね。それぞれがそれぞれらしくいるということ。お互いに何を求めているのかをきちんと話し合うこと。実践するとなると簡単なことじゃない。

同時に、いまの社会が「いかしあうつながり」を築けていないことへの理解も深まった。そりゃ面倒くさいわ、簡単な関係性をつくりたいわ、と。だから「これからはいかしあうつながりが大事だからこっちへ行きましょう!」とは言えないし、いまのところ答えは見つかってない。でも、だからこそ、このテーマを選んで本当によかった。深め甲斐がある。これから数年かけて、深めていきたい。

鈴木菜央 greenz.jp編集長。「いかしあうつながり」提唱者

石村 難しさというのは、どこにあると思いました?

菜央 たとえば自由学園でいうと、“自労自治”と言って「自分たちで働いて自分たちで治める」ことをとても大切にしているんです。はっきりいって大人がやったほうが早いこと、ごはんをつくるとか掃除をするとかルールをつくるとか、そういうことも学生たちが自分で行う。

寮に大人がいないから、下級生が朝起きてこなかったり、喧嘩する人が出てきたり、色々問題が起こって、上級生は「どうすれば解決できるだろう?」とものすごく悩む。それから、誰が寮長になるか、学校の運営について提案していく存在になるかをみんなで選んでいく。誰一人として傍観者になれないシステムをわざとつくっている。

「こういう仕組みだからよろしくね」と校則で決めるよりも遥かに大変で、先生たちの苦労はすごいだろうなと。話し合いを重ねなければいけないし、合意に至るまでにはそれぞれが本当の自分のニーズに気づいていかないといけない。極めて面倒くさいプロセスだと思います。

でも、そこに彼らが考えている教育の本質がある。子ども同士で自分が何を求めているのかを感じて、ちゃんと言葉にして、自分で動く。そこからの学びがとても大きい。それが自由学園のすごいところだと思いました。

池田 自由学園の根底には、お互いを本当に信頼しあう姿勢があるなぁと感じました。子どもに問題を解決する力が備わっていることを本気で信じないと、任せることはできませんよね。

どうすれば、みんなが主体的に動く組織になる?

池田 正太郎くんは、greenz people(グリーンズの運営を支える寄付会員)の中で「いかしあうつながり」をつくろうとしているけど、その中で気づいたことや難しさってありますか?

正太郎 いまgreenz peopleは全国に940人くらいいます。いろんな活動をしている人、いろんなスキルを持った人がいるので、彼らがつながったら何か起きるんじゃないかなと思い、先日開いた「ピープルサミット!」というイベントで「でしリスト」をつくりました。それぞれのできること、したいことを可視化する試みです。

でも、結論としては、ただつながれば何か生まれるわけじゃないな、と。誰かのできることと誰かのしてほしいことがマッチしたとしても、そこに信頼関係がないと、あるいはお互いの背景がカチッとはまらないと、うまくいかない。

まずは一人ひとりが仲良くなる、お互いのことをちゃんと話し合う機会をつくることが大事で、それができて初めて何かが生まれていくんでしょうね。

池田 地域通貨の場合は、どうやって信頼関係を築いているんでしょうか?

菜央 僕の住むいすみでは、みんなで顔を合わせて一緒にごはんを食べたり、映画を見て語り合ったりしています。新しく入ってきた人も、メンバーの3〜4割を知っているくらいになると、オンラインで困りごとを共有できるようになる。その閾値を超えるくらい会えていないとだめだな、という感覚がありますね。

池田 でも、規模が大きくなっていくと、顔を合わせるのも限界が出てくるんじゃないでしょうか。

菜央 いすみはいま130人だけど、藤野の地域通貨「よろづ屋」は、メンバーが500〜600人と言っていたかな。説明会が月1回あるほかに、メンバーが色々告知をするんですよね。「庭先マルシェやるから来ない?」とか。中心の存在が呼びかけなくてもさまざまなリアルイベントがあるという状態はいいよね。

池田 信頼関係はやっぱりちゃんと会わないと築けなくて、でもそういう機会をつくるために誰かが頑張る仕組みでは続けていくのが難しくなりますよね。

よろづ屋の場合、事務局はかなり省力化していて「いまはほんと楽です」とおっしゃっていました。説明会も少しずつほかのメンバーに手渡していこうとしているそうで。自走しだすまでは大変だけど、自走に至ると楽になっていくのかな。greenz peopleも、正太郎くんが頑張ってひとりで関係性をつくるのは限界があるんじゃないかと思います。

正太郎 限界ですね。とはいえ、最初はやっぱり僕が会わないといけないと思うんです。たとえば、出張ついでにgreenz peopleのいる地域に行ってオフ会を開く。そうすると、参加したメンバー同士の関係性が生まれますよね。その後は、僕がいなくても何かが生まれるかもしれない。できれば、全都道府県でオフ会をやりたいですね。

池田 先日greenz.jp12周年イベントを開いたときも、greenz peopleの方々が自発的に実行委員会を立ち上げてくれましたよね。そういうところに希望を感じます。

正太郎 そうですね。これまではグリーンズが企画したものに「参加して」という感じだったけど、まず機会を共有するところから始めるという考え方に変えてから、いい動きが生まれています。

植原正太郎 greenz peopleグリーンズピープルのコミュニティを盛り上げる担当者

菜央 一度「やってもいいんだ」と自分ごとになると、みんな勝手に動きはじめて、そうなると中心にいる人がどんどん楽になっていく。自由学園でもそんなことを言っていた気がします。すべての学びが先生から供給されるわけじゃないというのは、ある意味で楽というか。

石村 中心があることに慣れすぎているから、どんな関係にしても中心があるものと考えてしまうけど、本当はない。でも、みんながそれに気づかなくて、中心になる人がすごく大変になって、その人が行き詰まると全体が崩れてしまう。

菜央 そう、世の中でいっぱい起きていること。みんなやっぱり面倒くさいことはやりたくないんだよね、忙しいから。みんなが忙しくしていることと、中心があることと、中心に権力が集まることと、その中心に向かって文句を言う人が現れることと、文句を言っても結局何も変わらないということが、全部つながっているというか、セットになっている気がする。

縄文から学ぶ人と人のつながり、人と自然のつながり

石村 ここで縄文ですかね。

丸原 ここで縄文です。縄文に関する資料、持ってきましたよ。

石村 このフライヤーの写真にもある土器ね、火焔式土器。これが実用品だっていうところが、個人的に縄文の一番面白いところだと思っていて。こんなゴテゴテした使いづらそうなもので煮炊きをしていたわけですよ。効率を考えたら弥生土器のようにシンプルにすればいいんだけど。

その背景には、これを使ったほうが心地良いっていう感覚があるんじゃないかな。要は、百均のプラスチック茶碗じゃなくて好きな作家さんのつくった陶器を使う、といったこと。この飾りのところに、余裕を感じるというか。

石村研二 ライター。ドキュメンタリー映画「縄文にハマる人々」の記事を執筆。自らも縄文にハマる

菜央 余裕ね。

石村 生きるためだけだったらいらない飾りをつけるところに、余白みたいなものがある。しかもこれは、中心にいる誰かにつくれって言われてつくったわけじゃない。

土器をつくる人がいて、食べ物を獲ってくる人がいて、分業的に、ほかの人のためにこういうものをつくっていたんです。生命的な意味の「生きる・生かす」と活動・活躍という意味の「活かす」があって、生きるためだけだったらいらないものを皆で共有している部分が「いかしあうつながり」なのかな、と。

廣川 縄文土器の模様には、猪とか蛇とか蛙とか山菜とか、日々食べているもののモチーフが描かれているんですよ。調理して食べるときに、自然界とのつながりを感じていたんでしょうね。自然から命をいただいて、循環している。それを表しているんだろうなと思います。

石村 人と人のつながり、人と自然のつながり、両方ありますね。もうひとつ、すごく印象的だったのが埋葬の仕方。いまのように墓地があるんじゃなくて、村の中心とか、家の前とかに埋葬するんです。

菜央 いすみでは、いまでもそうだな。田んぼの横とか、家の裏口近くにお墓がある。効率を考えて全員のお墓を一緒につくるんじゃなくて、自分たちの暮らしと分けない。生と死がつながっている。

丸原 死んだ人も家族だからそばにいたいじゃん、みたいな。田舎はそんな感じのところ、多いですよね。

廣川 距離というのはとても大事で、近ければいいというわけじゃないけど、遠くなるとあやふやになってしまう。生と死も、先祖とのつながりも、自然との関係も。人間関係も同じで、こうやって少人数で一つひとつ想いを話し合ったりすると、そんなにストレスがないですよね。人口が圧倒的に増えて人口密度が増えているのが一番大きな問題だと思います。近すぎて軋轢が生まれたり、一人ひとりとコミュニケーションが取れなくなったり。

廣川慶明 greenz.jpカメラマン。縄文が好きで、もっとgreenz.jpに縄文の風を吹かせたいと対談に飛び入り参加

丸原 密度はありますね。今日、通勤ラッシュの時間に電車に乗ってきたんですけど、人が同じ場所にギチギチに詰め込まれると、逆に閉じてしまうな、と。都市の過密な暮らし方が、「つながってたまるものか」「ひとりにしてくれ」という考え方を生む。もうちょっと、散らばる方法を考えないと。

池田 自由学園も1学年1クラスで、少人数なんですよね。

丸原 そうですね。多感な年頃の生徒による自治だから、やはり問題は起きてくるわけです。その解決にもまずは生徒たち自身で向き合う。人数が多すぎると話し合いもできないし、結局裁くことしかできなくなるから、ああいうサイズなんですよね。

丸原孝紀 コピーライター。息子が自由学園に通っていることから「いかしあうつながり」特集での取材を提案。縄文にもハマっている

「つながりの中で、“悪い人”にどう対処すればいい?」

石村 つながりっていいことだと思うけど、絶対悪い人が出てくると思うんだよね。そういうときどうすればいいんだろう。信頼関係があれば解決できるのかどうか。

菜央 悪いことをするのは、その人が満たされていなかったり、想いが屈折してしまう状況が過去にあったりしたからで、どんな社会にも必ずそういう人はいる。だから、排除するのではなく、そういう人もいる前提で、どうやってみんなが心地良く生きていけるかを考えたい。

今回、非暴力コミュニケーション(NVC)を日本に持ち込んだひとり、安納献さんにインタビューしたんだけど、NVCでは、全ての人の言動の根底には感情があり、感情の根底には満たされていないニーズがあると捉えるんだよね。たとえば、受け入れられることとか、平等であることとか。そういう普遍的なニーズが人間にはあって、それが満たされていないことが感情を呼び起こし、言葉や行動に現れる、と。

NVCを学ぶと、湧き上がってきた感情を自分で観察する練習をするから、ニーズが満たされるようなリクエストを出せるようになる。

相手が全くNVCを知らなくても、自分が相手のニーズを想像することはできるよね。「あなたが求めているのはこれ? それともこれ?」って。仮にそれが的外れでも、相手のニーズを満たそうと行動することが、関係性を変えていく。「君が求めているこれは僕はできないけど、これならできるよ」とか。そういうことができる人が増えていくと、世の中はいい方向に変わっていくんじゃないかな。

菜央 このエピソードはNVCの記事でも紹介したけど、僕も昔ね、グリーンズを頑張りすぎて家に全然帰れなかったとき、妻との関係が悪くなってしまったことがあった。でも、NVCを学んで、僕のニーズと妻のニーズ、両方を満たすことができたの、メール1本で。そういうことって世の中に多々あると思う。

丸原 いまは相手のことを想像したり考えたりしない癖がついているのかもね。コミュニケーションじゃなくて、反応になっている。

菜央 会社の上司に命令されてどうしても従わなくちゃいけないという環境だと、自分の感じていることを押し殺さざるを得なくて、最後は誰かに対して攻撃的になるか、自分に対して攻撃的になるかのどっちかしかない。日本は自分に暴力が向く割合の高い社会なのかな。先進国の中で自殺者の数も多いし。

廣川 人間関係とか社会的な環境要因とかで、やっぱり誰でもイライラすると思うの。東京の満員電車とか人混みの中にいると、特に。でも僕は1回立ち止まるようにしていて。早足でぶつかってくる人がいても、「この人がもし友達だったら」と考えると、「仕事忙しいのかもな」とか想像する余地ができて苛立たない。自分の中で、勝手に友達にしちゃう。

住まいを奪われたホームレスだからこそつくることができた最先端の村「Dignity Village」

菜央 廣川さんのような心の余裕を持てるといいと思うけど、社会的に見るとやっぱり余裕をなくす方向にドライブがかかっている気がして。

石村 気持ちの問題なのかな。だって別に死なないでしょ、そんなに死ぬ気で働かなくても。本当はみんな余裕があるのに自分でその余裕を食いつぶしている。

菜央 ここにいる人たちはみんな自分で自分の環境を切り開ける人だからなぁ……(笑) 色々あってギリギリで働いている人たちが世の中にはたくさんいて、そこからどう脱していけばいいかと考えると、突飛に聞こえるかもしれないけど、やっぱり自然とつながることなんじゃないかと思う。

生きるために一番必要なものって、水と食べ物と家でしょう。水と食べ物は自然が与えてくれる。だからある程度の食べ物はみんなでつくるとか。家も自分たちで建てたり、安くつくったりするスキルを身につける。そうすれば、追いつめられてしまう人は少なくなるんじゃないかな。

それがアメリカのポートランドにある「Dignity Village」で実際に起きているんだよね。90年代、警察や行政から立ち退きを命ぜられたホームレスたちが、アクティビストの支援を受けてつくった村。ディグニティ、尊厳を持って自分たちで生きられるように、お金を稼ぐ方法や快適に暮らしていく方法をみんなで話し合っているの。

タイニーハウスが30棟くらい建っていて、循環型の農業を行っていて。大学やNPOや近隣の専門家が建築や農業に関する知識を教えたりして、図らずも最先端を行っているんだよね。住む場所を奪われたという状況が、一気に持続可能な暮らしを育てた。ここから学ぶことってすごくあると思う。

多くの人がいま余裕のない暮らしをしていて、一度階段を落ちると這い上がれる仕組みがない。そういう状況から抜け出して、自然の恵みとつながって暮らしていくことだってできるはず。こういう「いかしあうつながり」で社会課題を解決する手法はまだそんなに多くなくて、実験していく領域かなと思ってる。

どんなにお金がなくても、
人間関係が豊かな人は自分を幸せだと思う

正太郎 菜央さんは「人に必要なのは水と食べ物と家」と言ったけど、人間関係も必要だと思いました。「Dignity Village」はお互いが助け合って仲間がいるから満たされる部分もあるんだろうな、と。

(撮影:廣川慶明)

菜央 ああ、それもすごく大事な要素だと思う。社会的弱者で窮地に立たされているという状況によって、周りの人が関わるチャンスが生まれたんだよね。周辺の人もDignity Villageでボランティアすることで人間関係が豊かになって、野菜を育てたり家を建てたりする経験ができて。

大学の研究対象になっているからしょっちゅう研究員が来るんだけど、その受け入れも元ホームレスが行ってるの。元ホームレスの中には高学歴の人も結構いて、これまでいかされてこなかった知性をいかすことができる。

人の幸せを長期的に研究している人のTEDスピーチを見たんだけど、幸福であるかどうかには良好な人間関係が関わっていると言ってたな。お金がなくても、人間関係が豊かな人は幸せと感じていた、と。

「人生を幸せにするのは何? 最も長期にわたる幸福の研究から」

正太郎 昔の刑罰に、島流しってあるじゃないですか。死罪の次に重い罰だったというけど、社会から隔絶させることが処罰っていうのはよく考えられてるなと思いました。それでいうと、いまの時代って、島流しにあったような状態の人も多いんだろうな。すごく辛い状態だと思います。

池田 自分がいていいと思えるコミュニティに属していることが、幸せや自己肯定感につながっているのかもしれません。特集の中で、国分寺のクルミドコーヒーで働く大学生によるコラムを配信したんですが、そこでは採用のときに、「あなたはこのお店をいかして、何を表現したいですか」と問われるんですね。

その問いによって、「自分で何か表現してもいいんだ」という気づきが生まれて、アルバイトの子が企画を考えて、ほかのスタッフがそれを支援するという状況が出てくる。このお店にいていい、必要とされている、そういう感覚を持てる土壌というか、いかしあう文化が育っているんじゃないかなと思います。

意図してないのに、自然にいかしあっちゃった。
そんな事例もあるはず

池田 丁寧な関係性づくりが大事だと思う一方で、意図せず色んな人が共存していたら自然にいかしあっちゃった、という事例も世の中には結構あるんじゃないでしょうか。

たとえば、富山型デイサービス。今回の特集では取材できなかったんですが、もう25年ほどの歴史のある取り組みで、お年寄りも子どもも障害者もみんな一緒に過ごすデイサービスなんです。そうするとお年寄りが子どもと一緒に遊ぶことによって元気になっていくし、障害者もお年寄りの面倒を見ることで役に立っているという感覚を得られる、子どももみんなに相手をしてもらって楽しい。相互にいかしいかされる関係性ができていて、結果としてスタッフの数もほかの保育園や施設よりも圧倒的に少なくて済む。

関係性をゼロからつくろうとすると大変だけど、実は自然にいかしあっている関係性もあって、そういう楽しさや楽なんだってことにもみんなが気づけると、ハードルが下がる気がします。自然界もそういう仕組みになっていますよね。

(撮影:廣川慶明)

菜央 うちの畑も雑草が生えていて、草刈しなくちゃと思っていたんだけど、自然農の話を聞いたらこれでいいんだとわかった。育てたい作物の周りに雑草がわさっと生えていると、虫がたどり着かない。手前にある草でいいやとなる。効率を考えて分けることが、実は非効率的だったりするんだよね。

地域通貨も、その社会的意義なんて考えてない、便利だから入っているという人が一定割合いる。でも、その人がベビーベッドがいらなくなったから地域通貨に出そうってなって、ほしい人に渡れば、お互いにすごくいいわけだよね。それがきっかけで、年齢の近い子どもがいる親同士が仲良くなるかもしれない。お互いの利益を追求しているだけなのに、つながり方によってはいい関係性になれる。そういうのって面白い。

NVCは同僚や家族など隣にいる人との関係性の話で、地域通貨が扱うのは、完全に関係ないわけでもないし、隣にいるわけでもない人たちの関係性づくりなんだよね。

「社会課題を解決しよう」から、「健全な社会をつくろう」へ

正太郎 みなさんの話を聞きながら、なぜタグラインを「ほしい未来は、つくろう」から「いかしあうつながり」に変えたのかを考えていたんですけど、グリーンズは当初、環境問題をポップに楽しく解決しようと始まりましたよね。そこから対象が社会問題に広がって、いま目指しているのは社会をつくろうというところなんじゃないかな。健全な社会をつくれれば、そもそも課題なんて起きないんじゃないか、という。

社会って言っても国家じゃなくて、地域とか学校とか組織とか、そういう単位。人と人がつながることが社会の定義だと何かで読んだんですが、その健全な仕組みや考え方、思想みたいなものを学ぶために今回「いかしあうつながり」を掲げたんじゃないかなって思いました。

菜央 そうそう、何か行動や活動を追加するよりは、ありのままを含めて新しいOS、新しいやり方で暮らしと社会をつくっていこうという考え方。

医学の世界でも、悪いところを調べて切り取ったり取り除いたりする方法にはもう限界がきていて、ホリスティックという、体や生活全体を見てつながりを研究していく方向に向かっているんだけど、それともすごく呼応するものがあると思っていて。たぶんあらゆる分野がそっちの方向にシフトしていくんじゃないかな。

まだはっきりとした答えや定義のないものだから、それってどういうことだろうね? と、グリーンズで調べて共有していきたい。

丸原 「村的な暮らしに戻ろう」みたいな窮屈な感じ、ヒッピーくさい感じじゃなくてね(笑) ゆるやかに多様な人とつながって、テクノロジーもいい感じに使いつつ、話し合ったり文化をつくっていく。戻るんじゃなくて、そういう未来をつくっていきたいですね。

正太郎 課題解決の手法じゃなくて、OS。

池田 グリーンズ自体もそっちのOSに切り替えていきたいですね。余裕を持って、回り道を楽しんで。

菜央 余裕ないわぁ(笑)

石村 個人的には余裕があるので、なんかやりましょうか?(笑)

丸原 そういう風に支えてくれる人がいるところがグリーンズのポテンシャルだね。

(座談会ここまで)

12周年の節目に、「いかしあうつながり」を探る旅へと出発したグリーンズ。この旅路の中で、誰と出会い、何を見つけるのでしょうか。私たちもまだこの世界の広さを把握しきれていませんが、楽しみながら探求していこうと思います。よかったらあなたも、ご一緒しませんか?