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障がい者福祉施設は、地域を“支援する側”にもなれる。滋賀県大津市「BRAH=art.」は小さな当たり前を増やしながら、まちの人びとの境目をなくしていく

「今日は、どんなことがあった?」「どんな人と会った?」
そう聞かれてとっさに答えられることは、意外と少ないかもしれません。

例えば、毎日すれ違う人や、偶然立ち寄った場所でのやりとり。それらは日常の一コマとしてあまり意識することなく積み重なっていきます。でも、その積み重ねこそが、まちの景色やひとの意識を、ゆっくりたしかに、変えていく。特定非営利活動法人BRAH=art.(ブラフアート)がまちの人と紡いできたこれまでの話を聞いていると、そんな気がします。

滋賀県大津市瀬田地域。かつては琵琶湖を陸路で渡る唯一の手段だった「瀬田の唐橋」がシンボルのこの地域は、京都や大阪のベッドタウンとして今も人口が増加しているエリアです。新たな住宅地と歴史ある街並みが混ざり合うまちの一角に、バリアフリーゲストハウス「Guesuthouse Kinari〜喜成〜(きなり)」があります。

バリアフリーゲストハウス「Guesuthouse Kinari〜喜成〜(きなり)」。取材の日は、Kinariで行う地域の子どもに向けた学習支援について、利用者さんと地域の人で計画を立てていた

運営するのは、福祉事業をベースにまちづくり活動にも参画する「特定非営利活動法人BRAH=art.(以下、BRAH=art.)」。瀬田地域を中心に、日中一時支援事業所や生活介護事業所、地元の食材・アーティスト作品を紹介するカフェなどを運営しながら、地域の朝市の事務局、公共施設「旧大津公会堂」の指定管理事業など、まちに根付いて幅広く活動しています。

理事長の岩原勇気(いわはら・ゆうき)さんは「BRAH=art.という法人名から、アート関係の団体と思われることが多いですが、全然そうではなくて。ぼくらの活動はすべて地域の中にあり、まちのさまざまな人との出会いから事業が生まれている」と話します。幅広い事業の根っこにあるのは「障がいの有無にかかわらず、好きなこと・得意なことを仕事にして、精一杯生きていく」という、法人設立当初に掲げた思い。どんな出会いがかさなり、今につながっているのでしょう。岩原さんにじっくりと伺いました。

岩原勇気(いわはら・ゆうき)
特定非営利活動法人BRAH=art.理事長。1981年兵庫県生まれ。龍谷大学社会学部臨床福祉学科卒業後、社会福祉法人びわこ学園入職。2014年、仲間とともに法人を設立。日中一時支援事業所[Yafa^]、生活介護事業所[office-cosiki]とそれに併設したカフェ[café&gallery spoons]等の施設を開設。法人では、一人のニーズや思いに向き合うことを起点に、地域に新たな場所の開設・運営を続けている。旅好きの利用者と10年前から実現させたいと話していたバリアフリーゲストハウス「Guesuthouse Kinari〜喜成〜(きなり)」が2024年9月に大津市瀬田地域にオープンした。

誰かの「やりたい」から事業を考える

まずは、法人設立から10年間で生まれた、BRAH=art.の幅広い事業をいくつか見ていきましょう。

こちらが事業の全体図。重度障がいのある人たちを支援する全5箇所の事業所運営を中心に展開していますが、すべての事業で「障害福祉事業」の枠に縛られず、地域のハブになることを大切にしています。

設立当初に開設した日中一時支援事業所「yafa~」では、決まっているのは「ハンドドリップコーヒーが飲める」ということだけ。障がいのある人の中でも、他の事業所で適応が難しかった人や「何かをやってみたい」という思いを抱く人が、何にも強制されずにやりたいことを見つけていくことをモットーにしています。私設図書室を設置したりコーヒーの試飲会を開催したりと、地域とのつながりを大切にした、誰でも訪れられる場所です。

日中一時支援事業所「yafa~」

生活介護事業所「office-cosiki」は、障がいのある人の身体的・精神的支援を継続していく場所であると同時に、人と地域をつなぐ存在を目指す場所。利用者のみなさんは、地域の子どもたちの学習支援や雑貨販売のプロジェクトなどに取り組みます。また、地元朝市での出店を通して知り合ったアーティストの作品や地元食材を紹介したいという思いから、カフェ「café &gallery spoons」も併設。地域の人がランチをしに来たり、会議や個展が開催されたりと、地域のいろいろな人が出会い交わる場所となっています。

生活介護事業所「office-cosiki」とカフェ「café &gallery spoons」 。知り合いの自転車屋さんに教えてもらったガソリンスタンド跡地にオープンした。cosiki(轂・こしき)は、車輪と軸をつなぐ存在。この場所が、人と地域をつなぐ拠点でありたいという願いを込めている

もう一つの生活介護事業所「atelier ikkai-sankai」は、芸術大学出身のスタッフの「アトリエをつくって、作品をつくる人を応援したい」という思いからスタートした、障がいのある人の創作活動を支援する場所。絵画や写真など利用者の自己実現をサポートするとともに、地域イベントへの出店や、ペットボトルのキャップなど廃材を活用してつくるワークショップなどを開催しています。

滋賀県立美術館ギャラリースペースで開催したatelier ikkai-sankaiと、ikkai-sankaiの支援員であり、県内で活動するアーティストでもあるAie図案室による企画展の様子。天井に飾られるのは、輪っかをつくる楽しみに目覚めた利用者によって、少しずつ増え続けている輪っか。企画展はワークショップも開催し、できあがった作品をすぐに展示していく「だれでも参加できる展覧会」に

これらを含めた事業所の運営以外にも、地域で月一回開催される朝市「勢多市(せたのいち)」の事務局や、まちづくり団体に携わる活動などもしています。

実は、これらは全て誰かの「やりたい」から生まれた事業。「誰か」は、利用者さんのときもあれば、スタッフや地域の人のときもあります。障がいの有無にかかわらず、地域の中で、一人ひとりのやりたいことを仕事にするやり方は、どのように始まったのでしょう。

制度によって、できること・生まれる壁

岩原さんが大学に進学したのは、ちょうど介護保険法(※)が施行された2000年。福祉の仕事に興味を持ち、高齢者福祉の道を志して進学しましたが、実習での出会いが転機となり、障がい者福祉の道を選びました。

(※)要介護者に対して、適切に保険医療サービス・福祉サービスを提供するために、介護保険制度・介護サービス・介護保険施設に関する規制などを定めた法律。

岩原さん 社会福祉士(※)の資格を取るために実習で行った「社会福祉法人びわこ学園」の知的障害者通所更生施設(現在の生活介護事業所)で、実習担当の方との出会いをきっかけに障がい者福祉の仕事にのめりこんでいきました。とはいえ、元々は高齢者福祉の道に進もうと思っていたので、大学4回生のときには別の高齢者福祉施設に実習に行ったんです。そのときに感じたのは、高齢者福祉は、いずれみんなが通る道なので放っておいても進んでいくし、地域の人が関わる環境が元々あるということ。でも障がい者福祉は、関わった人間が退くと進まない。それで障害者福祉の道に進もうと思い、実習先だったびわこ学園に就職しました。

(※)身体や精神、環境上の理由で日常生活に支障のある人の福祉に関する相談援助を行う国家資格。

当時は障がい者福祉が制度化されていく過渡期。まだ介護ヘルパーや放課後ディなどのサービスも整っておらず、社会には、障がいのある人と福祉事業関係者が一緒になって制度をつくっていく空気がありました。しかし、制度が整うことは、障がいのある人の生活を安定させる一方で、「ともにつくる仲間」だった関係性を「利用者と支援者」に変化させる状況を生んだといいます。

岩原さん 制度が整うことで利用者・支援者(職員)という色が濃くなると、それまでは人間関係の中でできていたことができなくなる。壁ができていきました。さらに、制度が整い法人が大きくなると、制度に沿って施設を安定的に運営することがベースになるので、チャレンジングな事業ができなくなっていく、ということが起きていきました。

たった一人の願いを叶えたい

当時、岩原さんが在籍したのは重複障がいの方をケアする通所施設。重度の知的障がいや身体障がいを併せ有する人が通所していました。そこで担当していた利用者さんの一人、のちにBRAH=art.理事になる西川実央(にしかわ・みお)さんとの会話が、BRAH=art.の設立につながっていきます。

岩原さん 西川には重度の身体障がいがあり、医療的ケアを必要とし、日常生活はバケットシートタイプの車椅子で過ごします。当時彼女は、施設での音楽や創作などの活動と自分がやりたいことの差にモヤモヤした気持ちを抱えていて「自分はここにいるべきではない」と言うようになっていました。それで、何がしたいか尋ねると「雑貨が好きだから、雑貨屋をやりたい」と。

ただ、施設は入浴やリハビリなど、重度の障がいがある人の生活を支えるための場所。公的施設では、彼女がやりたいことを本当の意味で叶えることは難しくて、たとえば施設の模擬店で雑貨販売をすることはできても、地域のテナントでお店をするというようなことは実現できません。だから、「やりたいなら施設の外に出るしかないね」という話をしていたんです。

その後、僕は部署異動になったんですが、どの部署でも、大きな施設ではできないことがあると感じました。それで「個人のやりたいことを、本当の意味で叶えていきたい」と同僚の谷剛(たに・つよし)(現在のBRAH=art.副理事長)に法人設立の相談をしたら「いいよ、やろうよ!」と言ってくれて。

西川さんの思いを聞いてから3年後の2014年。びわこ学園や他法人で障がい福祉に従事していた先輩や仲間、西川さんと5人で「BRAH=art.」を設立しました。

法人名「BRAH=art.」は、BRAHMAN(ブラフマン)とartman(アートマン)を組み合わせた造語。インド哲学でブラフマンは世界の成り立ち・宇宙の根源、アートマンは一人の成り立ちを意味しており、二つをイコールでつなげることで「社会=個人。個人の環境を変えることで、社会をより良い方向に変えていこう」という願いを込めています。

岩原さん 法人理念を話し合い「障がいの有無にかかわらず、好きなこと・得意なことを仕事にして、精一杯生きていく。」と決めました。本当は「障がいの有無にかかわらず」と書きたくないですが、一般的には分かってもらえないので書いています。

僕たちが関わるのは、社会生活の中で最重度の障がいがある方たち。すると、たとえば就労支援事業所に行くのも「事業内容ありき」では行きづらくて、制度上、働かない道を選ぶことになってしまうんです。だから、BRAH=art.では個人がやりたいことを伸ばしていきます。利用者さん、スタッフ、誰もが自分のやりたいことを仕事にして精一杯生きることをサポートする。それだけがビジョンで、具体的に何をするというビジョンはありません。

法人設立総会の様子(最初に開設した事業所・日中一時支援事業所「Yafa~」にて)

やりたいから始まる仕事のつくり方

BRAH=art.が大切にする「自分のやりたいことを仕事にしていく」というやり方。具体的にはどのように事業がスタートしていくのでしょうか。

生活介護事業所「office-cosiki」に通う森山慶一(もりやま・けいいち)さんの場合は「塾がしたい」という思いが出発点になっています。

森山さんは重度の身体障がいがあり、車椅子についている専用コントローラーを激しく動かしてパソコンを操作。自治体から仕事を請負い、ゆるキャラを3D化させるなどの仕事をする

森山さんの学生時代は、重度の障がいのある子どもが大学進学の道を選ぶケースはほとんどなかったそう。「自分が大学に進学できたのは、カリキュラム外の時間に先生が勉強を教えてくれたから」と語る森山さんの根っこには、障がいのある子どもたちの学習機会を増やしたいという思いがありました。

そこで、「office-cosiki」で始めたのが、障がいの有無にかかわらず地域の子どもたちの学習をサポートする「ブレイクスくール」。森山さんが学習計画を立て、週3回、地域のボランティアスタッフと一緒に、子どもたちの教科学習のサポートや工作、実験をします。また、端材を使った木工制作や、大きなシャボン玉をつくる実験、お祭りへの出店を企画するなど、子どもたち自身も考えたり試したりしながら、やりたいことに挑戦します。

森山さんは他にも、登下校の見守りをするスクールガードやこども食堂の手伝いなど、地域の子どもたちのためにさまざまな活動をしています。子どもたちはというと、森山さんにカードゲームを挑んでカードを手で持たない方法で対戦したり、出かけた先で自然に車椅子を押したりと、すっかり打ち解けています。

ブレイクスくールは、ブレイクスルー(壁を破る)+スクール(学校)を合わせた造語。の様子。自分や親がつくった枠を超えて行ってほしいという思いを込めています。場所が手狭になってきたので、今後は「Guesuthouse Kinari〜喜成〜(きなり)」に場所を移す予定

一方、取材で伺ったバリアフリー対応ゲストハウス「Guesuthouse Kinari〜喜成〜」は、生活介護事業所「office-cosiki」の利用者で朝市の事務局も担っている服部成喜(はっとり・しげき)さんとつくった場所。服部さんは、全身を固定しないと勝手に立ち上がってしまうくらい筋肉の緊張が強く、体を車椅子に縛り付けた状態で過ごします。旅が好きで、年に2〜3回、パートナーと北海道〜滋賀県をゲストハウスに泊まりながら旅している服部さんは、全国のゲストハウスに知り合いがいて、通所しはじめた10年前から「瀬田地域に、バリアフリーのゲストハウスがつくれたらいいね」と話していたそうです。

そして2024年9月、ようやく見つけたこの場所をリノベーションし、ゲストハウスがオープンしました。今後はここで、ゲストのいない昼間の時間帯をフリースクールのような場所として開き、夕方は森山さんが主宰する「ブレイクスくール」を開催していく予定です。

朝市の事務局でSNSの更新をしている服部さん。頭につけたポインターでパソコンを操作します
「やりたい」を叶える中で大事にしてきたのは、必ず地域の中で事業を組み立てること。

岩原さん 前職の事業所では、地域の人が施設に来たり、利用者さんが地域のサロンに行ったり、お互いが行き来するのが当たり前でした。上司は「福祉施設は地域課題を解決するためにあるのだから、施設は地域の宝でないと」と話していて、その考え方はBRAH=art.の法人理念の根底にもあります。だから僕たちは必ず地域の中で活動するし、朝市の運営や学習支援など、隙間産業みたいに、少しでも地域のニーズがあることをしています。

支援される側から、支援する側へ

BRAH=art.の事業は、一般的に障がい・福祉・地域という言葉で括られるような「境目」が存在しないように感じます。それは、どうしてだろう。そんな疑問に岩原さんは「後から、はたと気がついたんですが」と、振り返りながら話してくれました。

岩原さん 僕たちは理念に「障がいの有無にかかわらず」と書いたことで、すべての境目がなくなったんです。利用者さん、スタッフ、知り合った人たち。僕たちが働くことで、まわりの人たちのやりたいことが、発展したり継続したり地域のためになっていくことが、すごく嬉しい。

例えば地元の朝市「勢多市」は、最初は商工会が始めましたが、事業者に運営を移管するタイミングで僕たちが事務局を引き受けました。みんな商売しないといけないから、朝市の運営まではできないので。すると結果的に「僕たちが朝市を底支えすることで、みなさんは商売ができる」という状態ができた。福祉施設は「支援される側」であることが一般的です。でも、僕たちは気がつけば「支援する側」になっていた。僕らの存在は、そこにいる人にとって確実に必要な存在になる、ということが起きていたんです。

毎月1回開催される朝市の開催場所は、地元の大きな神社。普段から家族4世代で訪れたり七五三のお参りに行ったりするような、地域の人に愛されている場所

岩原さんはもう一つ、「境目」がなくなったと感じる出来事を教えてくれました。朝市の事務局を始めて約5年が過ぎた頃、商工会の人から直接、服部さんに「報告書作成のために、今日撮った写真をもらえませんか?」と相談があり、やり取りをしたことがあったそうです。それまでは岩原さんを介していたコミュニケーションが、自然と当人同士のやりとりに変わったのです。

岩原さん これって、みんなが当たり前に朝市での服部の役割を知っていて、特別視していないという状況ですよね。配慮はあるけれど特別ではないという状態が、当たり前にある。

福祉事業所で過ごす人は、支援されるべき・守られるべき存在というわけではなく、社会を構成するただ一人の人間。であれば、アイデア次第でなんとでも社会貢献ができると思っています。

朝市「勢多市(せたのいち)」の様子。服部さんの存在は、商工会の人だけでなく参加者の人たちにも浸透している

ちっちゃいことだから「実体験」になる

福祉の現場に限らず、制度が整うことは対象者の生活が安定する反面、ときに壁をつくることもあります。例えば、学校の授業や放課後の過ごし方も、障がいのある子・ない子で別の場所に行くことが一般的になりつつあります。もちろん、それも一つの形ではありますが、お互いの姿を見えなくすることは知らず知らずのうちに、私たちの意識に「特別」という感覚を生んでいるのかもしれません。

スクールガードをしている森山さん

岩原さん 自分たちがまちの中にいることは当たり前だっていうことを、ちっちゃなところで増やしたいです。イベントなどでの交流は特別な記憶として残りますが、日常の小さなポイントだと、ただただ実体験として積み重なる。「スクールガードをやっていたおっちゃん」という印象だけで、いいんです。他のおっちゃんと何がちがうって、身体障がいがあっただけ。境目がなくなっていきます。すると、日々接していた子どもたちは、社会を見る視点が少しずつ変わっていき、進学や就職のときに彼のことを思い出すかもしれない。今あるちっちゃな点の一つひとつは、遠い未来を変えることにつながっているような気がしています。

この10年間で滋賀県内に障害者福祉の小規模施設を運営する法人が増え、BRAH=art.のノウハウをシェアする機会も増えてきました。加えて、岩原さんは地域の変化も感じているといいます。例えば、こども食堂で一緒に活動する地域の男性が、BRAH=art.のメンバーと時間を過ごすうちに、近所の精神障がいのある人の生活支援についてケース会議のような場を自発的に開くという出来事があったそう。それは言い換えると「すぐ近くにいる誰かのことを考える」風土が、当たり前に育っているということ。

いま見えているまちの風景や、地域の中で起きていることは、BRAH=art.設立当初に描いていた景色をとっくに追い越していると、岩原さんは話します。これからしたいことを伺うと、カラッとした笑顔で「ビジョンはないんです」と言って、こう続けてくれました。

岩原さん 僕たちは、なにも真新しいことを始めているわけではないんです。地域にすでにあるもの・こと・場所と人が組み合わさって、事業が生まれています。一人がやりたいことを、どうすれば事業化できるかを考えることを繰り返しているだけ。だからBRAH=art.としての「やりたいこと」は特にないんです。

ただ、計画していることはあって。今度は音楽に特化した事業所をつくりたいと話しています。自閉性発達障がいのある人たちの中には、好きな曲や音が流れると、普段と全くちがう様子になって音楽を楽しむ人がたくさんいます。そんな方たちが一日中、音楽に浸れる場所。僕も含めてスタッフにも音楽をしてきた人がいるからわかるのですが、アートでも音楽でも、自分を表現するのは大変なこと。だから、アート活動をサポートするように、音楽活動を支援して、プロの音楽家も交えて気軽に音楽を楽しめるような場所をつくりたいと話しています。

今まで、出会った人との縁だけでやってきました。これからも多分同じように、出会った人によって事業は生まれていくんだと思います。

office cosikiで夏の終わりにみんなで花火。地域の人の姿がたくさん

「すぐ近くにいる誰かのことを考える」風土が地域にあることは、誰にとっても安心につながるのだろうな。取材の帰り道、そんな思いが心に残っていました。筆者自身、引越して間もない頃の不安感を和らげてくれたのは、近所の人との挨拶や、ちょっとした会話だったように思います。

そうやって育まれる地域のゆるやかなつながりは、近ごろ増えている自然災害など、何かが起きたときこそ力を発揮するのではないでしょうか。災害発生直後には「自助(自らを守る)」「共助(近隣で助け合う)」が必要不可欠。阪神・淡路大震災では、倒壊した建物から脱出あるいは救出された人の約8割が、自助・共助によるものだったという調査もあります。

まちの風土をつくるには時間が必要かもしれません。ただ、私たち一人ひとりが気軽にできることはありそうです。休日に近所を散歩するとき、いつもすれ違う人に挨拶する。困っていそうな人がいたら声をかけてみる。一見些細なことに見えても、一人ひとりのアクションは、ちっちゃいから、ゆっくりだからこそ、いつの間にかお互いを隔てていた壁を見えなくなるほど低くして、すぐ近くにいる人を「当たり前」に気にかける風景をまちに生んでいくように感じます。まずは気軽に、楽しみながら、自分にできることをはじめて、あなたのまちにもそんな風景を生み出してみませんか。

(撮影:梅田幹太)
(編集:村崎恭子)