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人のつながりが孤立を防ぎ、小さな命を支える力になる。医療的ケア児とその家族が地域とともに歩む京都の小規模保育園「キコレ」

人工呼吸器や胃ろう、吸引といった医療的ケアを日常的に必要とする子どもたち。
彼らは医療的ケア児と呼ばれ、日本全国で約2万人以上が暮らしています。

その生活は常に医療機器や医療物品に支えられており、家族が24時間体制でケアを行うことが必要です。そのため医療的ケア児を育てる家庭には、経済的・心理的な負担がのしかかりますが、社会からの理解や支援制度は十分とはいえず、孤立感が深まるケースも少なくありません。

2021年に施行された「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律(医療的ケア児支援法)」や、児童福祉法の一部改正により、医療的ケア児への支援が法的に義務付けられましたが、現場の課題解決にはまだまだ多くの壁が立ちはだかっています。

そんな厳しい現実を変えようと立ち上がったのが、NPO法人i-care kids (アイケアキッズ)京都の代表理事を務める藤井蕗(ふじい・ふき)さんです。

藤井さんは、自らも医療的ケア児の母親として過去に多くの困難を乗り越えた経験から、同じような状況にいる家族たちを支えたいという思いを胸に、2019年にNPO法人i-care kids 京都を設立しました。「医療的ケア児とその家族が孤立することなく、地域とつながりながら安心して暮らせる社会をつくりたい」と、日々活動を続けています。

今回は、藤井さんの活動やその背景に込められた思いについて、詳しくお話を伺いました。

藤井 蕗(ふじい・ふき)
アートセラピスト・保育士・特別支援教育教員免許取得。京都教育大学発達障害学科卒業後、ドイツやスウェーデンで障がい児・者の支援に携わり、英国ハートフォードシャー大学大学院アートセラピー科修了。帰国後、医療法人で発達障がい児や高齢者、緩和ケアにおけるアートセラピーを実践。医療的ケア児である二男・旅也くんの在宅移行を機に退職し、自身の経験から「NPO法人i-care kids京都」を設立。著書に『a life 18トリソミーの旅也と生きる』がある。

どんな子どもでも安心・安全に過ごせる保育園「キコレ」

京都市左京区の静かな住宅街にたたずむ小さな保育園「キコレ」。
ここは、医療的ケアが必要な子どもたちとその家族に、温もりと安心を届ける場所です。

「キコレ」の玄関先の様子。絶対にほしかったというお庭と駐車場を完備

「キコレ」を運営するのは、藤井さんが代表を務めるNPO法人i-care kids 京都。人工呼吸器や胃ろうなどの医療的ケアが必要な子どもたちを積極的に受け入れる、京都市の認可保育園です。この園では、障害や病気を抱える子どもたちと地域の健常児が一緒に過ごし、多様性を大切にする共生の場を育んでいます。

キコレの玄関に設けられている小さな看板。医療的ケア児を受け入れる保育園を設立するにあたり、京都市に相談に行くと「自分たちも何かしなければいけないと思っていた」と、行政が医療的ケア児の保護者の負担の大きさを課題視しており、とても協力的だったことが力になったと話す

園の名前「キコレ」は三輪車から着想を得ています。前輪は子どもたち、後輪のひとつは家族、もうひとつは支援する人々。さらに「レ」はアイヌ語で「3」を意味し、この三者が一体となって、きこきこ、きこきこゆっくりでも確実に前へ進んでいく姿を象徴しています。

保育理念は、「いのちの時間を分かち合い、ともに歩む」こと。ここで働く保育士や看護師、管理栄養士は、NICUや小児病棟、療育現場などさまざまな現場での経験をいかし、子どもたち一人ひとりの発達やニーズに寄り添った保育を提供しています。

この日は綿を使った工作に取り組んでいた

また、「キコレ」は、家族にとっても大きな支えの場となっています。医療的ケアが必要な子どもを育てる家族は、日々のケアに追われ、周囲から孤立しがちです。しかし、「キコレ」では、専門的な知識を持つスタッフが相談に乗り、ケアを引き受けることで、家族が心と体を休める時間を持てるようサポートしています。

「キコレ」の施設内。医療的ケア児も健常児も同じ空間で過ごします。健常児の保護者の中には「我が子が障害や病気のある子どもたちと一緒に育ってほしい」との想いで入園を希望する人もいるそう。藤井さんは予想もしていなかった嬉しい声だと語る

保育園設立のために融資をうけたが、実際はクラウドファウンディングや有志からの支援金で全てをまかなえたという

現在の在園児は11名。そのうち2名は医療的ケアが必要な子どもたち、3名は重度障害を抱える子どもたち、そして6名は地域の子どもたちです。施設内には、人工呼吸器を使用する子どもたちのために温度を調整できるスペースや、床暖房を備えたエリアなど、快適で安心な環境づくりの工夫があふれています。

ごろんと寝っ転がることもできる、あたたかみのあるフローリング床

どんな子どもにとっても安心で安全な場所であるだけでなく、その家族が孤立せずに暮らせる社会を目指すキコレ。この活動の原点には、藤井さん自身の過去の経験が深く関わっていました。

我が子が教えてくれた“人とのつながり”の力

藤井さんには3人の子どもがいますが、真ん中に生まれた次男は、生まれる前から重い疾患を抱えていることが分かっていました。医師からは「生きて生まれてくるかどうかもわからない」と告げられる中、なんとか誕生してきてくれました。しかし、生後4日で「18トリソミー」という予後が厳しい疾患を抱えていることを告知されたといいます。

藤井さん NICUで1年3カ月を過ごしました。その間に4回の手術を受け、毎日が「明日を迎えられるかどうか」という状態でした。それでも、私はどうしても家に連れて帰りたかったんです。

藤井さんは、家族との時間をつくるために在宅医療の準備を進めました。

藤井さん 上の子と会わせたい、一緒に過ごす時間を持ちたいという思いがあって、夫婦で自宅での人工呼吸器の試用や医療的ケアの手技の習得に取り組みました。その甲斐あって、病院の先生には「こんな重度の子の退院は前例がない」と言われましたが、家に連れて帰ることができたんです。

家に戻った当初、医師からは「もって3ヶ月」と言われていたそうですが、訪問医や看護師、地域の方々など、たくさんの支えを受けながら懸命にケアを続け、2年近く家族とともに過ごしながら、家族旅行にも行き、短い期間ですが保育施設に通うこともできたといいます。

その後、3歳の誕生日を迎える直前に肺炎を患い、いよいよお別れの時が近くなった次男と、最後の瞬間も病院ではなく家族と家で過ごしたいと願った藤井さん。主治医の協力を得て次男を家に連れ帰り、多くの人たちとお別れをしました。

藤井さん 自宅で9日間、たくさんの人を迎え、きちんとお別れができました。その時間は、悲しみの中にも感謝と温かさがありました。

次男の旅也さんと過ごした日々を綴った藤井さんの書籍『a life 18トリソミーの旅也と生きる』/クリエイツかもがわ)

この経験を通じて、藤井さんは医療的ケア児と暮らす家族が直面する現実について、身をもって知ることになりました。次男のケアのため、フルタイムの仕事を辞めざるを得なかったのです。さらに藤井さんは、自分たち家族が受けたたくさんの支えのありがたさを噛み締めると同時に、それがすべての家庭に行き渡っていない現状にも気づきます。

藤井さん 私は本当に恵まれていたと思います。家族の理解もありましたし、訪問医や看護師、地域の方々からも手厚いケアを受けました。でも、みんなが同じように支えてもらえるわけではありません。実際には多くのお母さんが、子どものケアのために社会から孤立しながら日々を過ごしている。

私は、子どもの予後が悪いこともあり、少しでも一緒にいたいと、仕事を辞めることを選びました。私たちのように仕事を辞めなければならないお母さんがたくさんいる現状を目の当たりにして、「このままではいけない」「この現実を変えたい」と思いました。

藤井さんは次男を通じて築いた地域や専門職とのつながりを、多くの家族にも届けたいと考え、2019年にNPO法人i-care kids 京都を立ち上げました。その際、理事には医療的ケア児の親だけでなく、医師や看護師などの専門職も迎え入れたといいます。

藤井さん 運営にあたって、家族の視点と専門職の視点、両方が欠かせないと考えました。理事会には、次男を診てくださっていたお医者さんや訪問看護ステーションの所長さん、保育園の園長さんなどが参加してくれています。さまざまな立場から意見をもらえることで、より現実的で専門性の高い運営ができています。これは私たちの大きな強みです。

みんなで体操をしている様子。どの子も満面の笑顔

「キコレ」は、医療的ケア児とその家族が安心して過ごせる場所であると同時に、地域全体で子どもたちを見守り、誰も孤立しない社会を作るための拠点です。

藤井さん:次男が私たちに教えてくれたのは、人と人とのつながりがどれほど力になるかということ。そのつながりを、もっと広げていきたいと思っています。

地域全体で子どもを見守る保育園を目指したい

藤井さんは、次男との時間で得た気づきとつながりを大切にしながら、「キコレ」を通じて医療的ケア児とその家族、地域、そして社会を結びつける取り組みを実践しています。

その中でも心がけているのが、地域全体で子どもたちを見守る環境づくりです。ここにも、藤井さんの経験が深く関わっていました。

お天気のいい日はみんなで近所へお散歩に。この日は電車を見てみんな大興奮

藤井さん 私の末っ子が保育園に入園する時、京都市では保護者の働き方を点数化して保育園を割り振る制度が導入されていました。フルタイムで働いている親が高い点数を得られる一方で、私は次男のケアのために家にいたので点数が低かったんです。その結果、遠い園に行くことになるかもしれないと言われてしまい、やるせない気持ちになりました。

このとき藤井さんは、子どもが自分の住む地域で育つことの大切さを改めて実感したといいます。

藤井さん 自分の住んでいる地域の園に通い、お散歩に出たときに近所の人たちが「あ、誰々さんところの子や」って声をかけてくれる。そういうつながりがあれば、子どもも親も安心できますし、何かあったときに助けてもらえる環境が生まれる。そうした地域での見守りの力が必要だと、今では強く感じています。

この思いを「キコレ」に反映し、地域との自然なつながりをつくるための取り組みを進めてきました。その一つが、地域住民と園児の保護者が交流できる場として定期的に開催されるマルシェです。

マルシェの様子。在園生、卒園生、保護者、そして地域の人々が集う

藤井さん マルシェを通じて地域の人たちが保育園に親しみを持ってくれるようになりました。例えば「うちに余ったバスタオルがあるけど使う?」と声をかけて持ってきてくださる方がいたり、休日の朝に準備をしていると「今日は何かイベントがあるの?」と気にかけてくださる方がいたり。日常の中で、地域の人たちにいつも見守られている安心感を感じます。

名前も知らないような地域の人たちでも、日々の中でお互いに頼り合える関係性が少しずつ自然に育っているのが「キコレ」の特徴です。

食べることでつながる。キコレが食育に力を入れる理由

こうした「つながり」の力を重視する「キコレ」の姿勢は、「食べること」にも表れています。

藤井さん うちの次男は生まれる前から食道閉鎖という状態で、ご飯が食べられませんでした。胃ろうの手術を受け、入院中はミルクや栄養剤を注入していましたが、家に連れて帰ってからどうしてもやりたかったのが、みんなと同じものを食べさせることだったんです。

藤井さんは、ほとんど情報がない中で試行錯誤を重ね、離乳食を茶こしで濾したものを5ccずつ注入するところから始め、次第に家族と同じ食事を準備できるようになっていきました。

藤井さん 最後の夏には、みんなが持ってきてくれたスイカや桃をミキサーにかけて注入しました。シビアな病気であったとしても、食べることには力があります。その子を元気にするだけでなく、味覚が育つんです。飲み込むことができなくても味見だけはさせていたのですが、次第に好きなものや嫌いなものがでてきて、本人の楽しみの一つになっていました。家族にとっても、それはとても嬉しいことでした。

保育園内で管理栄養士が毎日給食を調理する

この経験から、「キコレ」での食事では、医療的ケア児も健常児も、できるだけ同じものを食べられるようにする工夫がなされています。管理栄養士が中心となり、食材を細かく刻んだりペースト状にしたりすることで、子どもの状態に合わせた食事を提供しています。同時に、見た目や味も揃えることで、みんなが同じテーブルを囲む喜びを共有しています。

藤井さん 食べることは栄養を摂るだけの行為ではありません。人とつながり、楽しみを生む大切な時間。同じものを食べることで子どもたちは安心感や一体感を育み感じ、食べる喜びを自然に学んでいきます。

かりんのシロップ漬け。季節の果実を使って子どもたちとシロップづくりを行うそう。かりんの一部は庭で採れたもの

受け皿を増やすと同時に、社会の理解も深めなければいけない

そして「キコレ」で藤井さんが最も叶えたかったのは、医療的ケア児を育てる保護者たちが孤立せず、安心して子育てに向き合える環境をつくること。

藤井さん 私が一番やりたかったのは、お母さんたちのケアです。医療的ケア児を育てる中で、親が抱える不安や孤独感はとても大きい。だからこそ、保護者の方が安心して相談できる場所をつくりたいと思いました。

保育園では保護者の負担を軽減し、気軽に関われる環境を整えるため、行事の準備や役割分担は求めず、無理なく参加できるかたちを工夫しています。また、勉強会やお話会を定期的に開催し、参加対象を「キコレ」に通う子どもの保護者だけでなく、京都市内に住む医療的ケア児の保護者やNICUに入院中の子どもがいる保護者にも広げているそう。

こうした取り組みを続けるうちに、入園時は緊張していた保護者たちも、子どもの成長を見守るなかで表情が和らぎ、笑顔を取り戻していくといいます。

藤井さん 卒園式で涙と笑顔が入り混じる中、子どもを送り出す親御さんの姿を見るたびに、「キコレ」が親にとっても安心できる拠点になっていると感じます。

その一方で、仕事と育児の両立は依然として大きな課題だと話す藤井さん。「キコレ」のような受け皿ができても、子どもの長期入院や疾患の進行で仕事を辞めざるを得ない保護者も多く、社会全体の理解が求められています。

藤井さん 私たち保育園にできることにも限界があります。お母さんたちが「仕事を続けられなかった」と話す悔しそうな表情を見ると、もっと柔軟な働き方が可能な社会になってほしいと強く思います。私は、医療現場以外でも講演をする機会がありますが、その場でいつもお伝えしているのは「みなさんにもできることはある」ということです。医療的ケア児やその家族を支えるのは特別なことではなく、誰にもできることなんです。

医療的ケア児と家族を守る、新たな挑戦

藤井さんは今、災害時に医療的ケア児とその家族を守るための、新たな課題にも挑戦しています。

保育園で定期的に行っている避難訓練の中で課題を見つけ、スタッフとともに改善を重ねてきた藤井さん。しかし、それだけでは不十分だと感じ、防災士の資格を取得しました。2024年度は京都新聞の助成を受け、医療的ケア児を受け入れる施設や自治体、大学関係者と連携し、月に一度集まって災害時に事業を継続するための計画(BCP)の策定に取り組んでいます。

藤井さん 災害が起きたとき、医療的ケア児が抱える問題はとても深刻です。呼吸器のバッテリーや酸素濃縮器の電源が確保できない場合、命に直結します。そんな状況でこの子たちを本当に守れるのかという不安が常にあり、いつかはやりたいと思っていました。

また、医療的ケア児の家族へ向けても、災害時に役立つ情報の共有や、いざというときに「助けて!」と言えるネットワークの構築のために、シンポジウムを開催しています。

藤井さん 自宅に災害時用の酸素ボンベを備えている家庭は少ないですし、避難先も限られています。災害時、どこに向かえばいいのか、なにをすればいいのか、平常時からご家族のみなさんと情報共有をしておけば、安心感は増すはずです。

医療的ケア児とその家族を地域全体で守るため、藤井さんの挑戦はこれからも続いていきます。

そして、藤井さんが語るように、こうした課題を解決するためには、私たちにもできることがあります。

例えば、地域で困っている親子に気づいたとき、声をかけて一緒に地域の相談窓口を探すこと。職場で医療的ケア児を育てる従業員を支える仕組みを提案すること。ニュースで知る課題に対して、無関心でいるのではなく「自分に何ができるだろう」と立ち止まること。それら一つひとつの小さな行動が、藤井さんが描く「誰もが支え合える社会」を現実に近づける大きな力になるはずです。

私たちに必要なのは、特別なスキルや知識ではありません。目の前の小さなつながりや、誰かの抱える課題に思いを馳せる心。その優しさが少しずつ重なれば、きっと誰もが安心して暮らせる社会へと変わっていくはずです。

(撮影:山下和希)
(編集:村崎恭子)