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マガジンハウス社員からホームレス編集者へ。居候生活と禅修行で始まったひとりベーシックインカム制度。4年間のわたしの“家賃ゼロ”という生存計画について(前編)

これは、稼いだ給料を使い切る会社員生活、お金を受け取らずに奉仕するアメリカの山ごもり禅修行、そしてアメリカ・日本での居候をベースにした暮らしを経たわたしが、お金と人生、豊かな社会についてゼロから考えた4年間の記録です。それは、予期せず始まったひとりベーシックインカム制度、“家賃ゼロ”という生存計画でもあります。

無理がたたって顔面マヒで緊急入院したときもありましたが、幸いにして現在も冒険は継続中。とはいえ、そんなわたしのライフスタイルに眉をひそめる人がいないわけではありません。わたし自身も自分の家を持って好みの家具をそろえたいとか、猫が飼いたいとか、「パラサイトでいいのか?」という疑問がゼロではありません。意見が分かれて当然だと思います。

今回は、前編・後編に渡って“家賃ゼロ生活”を送るわたしの等身大の気づきや学び、課題について正直につづりたいと思います。特定のやり方にこだわらず人生をDIYすれば、お金だけを資本としない豊かさにアクセスできるんだと、読んで少しラクになってもらえたら嬉しいです。

豊かな社会とは?

わたしが思う、お金との良好な関係や幸せな人生とはどんなものか。そこで引用したいのが、経済学者の宇沢弘文さんが定義される「ゆたかな社会」です。

ゆたかな社会とは、すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力とを充分に生かし、それぞれのもっている夢とアスピレーション(aspiration: 熱望、抱負)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会である。このような社会は、つぎの基本的諸条件をみたしていなければいけない。

(1)美しい、ゆたかな自然環境が安定的、持続的に維持されている。
(2)快適で、清潔な生活を営むことができるような住居と生活的、文化的環境が用意されている。
(3)すべての子どもたちが、それぞれのもっている多様な資質と能力をできるだけ伸ばし、発展させ、調和のとれた社会的人間として成長しうる学校教育制度が用意されている。
(4)疫病、障害にさいして、そのときどきにおける最高水準の医療サービスを受けることができる。
(5)さまざまな希少資源が、以上の目的を達成するためにもっとも効率的、かつ衡平に配分されるような経済的、社会的精度が整備されている。

宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書)より

夢中なことを社会的価値のある仕事に変えるために

「なにもせず稼ぐ」というのは魅力的に見えます。

しかし、心理学では人間には「人や自分自身から価値ある人間として認められたい」という承認欲求や「ありのままの自分で創造的な活動をしたい」という自己実現欲求。さらには自分という枠を超えて、「社会をより良いものにしたい」という自己超越欲求があるとされています。個人のみならず企業もまた、利益だけでなく環境への配慮や社会的な問題に向き合う姿勢を打ち出さなければ持続可能性が脅かされる時代にもなってきました。

心理学者エイブラハム・マズローの欲求の五段階説では、承認欲求や自己実現欲求の前に、満たされるべき生理的欲求(食事・睡眠・排泄など)や安全欲求(安全な暮らし)などがあるとされる。

つまり、好きだったり望んでやったりしたことで「ありがとう」「助かった」と感謝され、それが社会貢献になり、十分に快適で安心な生活が送れること。それが最大限の欲求が満たされた、豊かな社会なのでしょう。

たとえばわたしは、情熱をもって原稿を書いたり、深い対話がかなったりするとその欲求が満たされます。と同時に、禅センターでの生活で気づいたことがありました。慣れない料理や苦手な重労働も「おいしかった」と喜ばれたり、「いい仕事ができた」とみんなで達成感をもてたりした日は、気持ちよく食べて寝て、心と体に生命力がめぐるんです。

そして、その土台になるのは快適で安全な暮らし。そのうえで個人の潜在能力を社会的価値に転換できるのではないでしょうか。

というのも、わたしにはアメリカで強盗に有り金を奪われたり、十分に食べられなかったりした経験があります。サバイバル状態では生きることに必死で、自己実現したいとか社会貢献したいという高次の欲求をもつことは、正直難しかったのです。

ベースの欲求が満たされづらい社会構造

しかし世界を見渡すと、満足に食べられない人がたくさんいます。9人にひとりは栄養不足で、30億人は健康的な食事に手が届かないそうです(日経新聞7/28付朝刊)。

そしてわたしたちの頭を悩ますのは、固定費の大部分を占める住宅コスト。

日本の住専問題やアメリカのサブプライム・ローン(通常の住宅ローンの審査には通らないような銀行の信用度の低い人向けのローン)問題などを振り返ると、お金が無いと快適な家にアクセスできないのかなと悲観もしてしまいますよね。

7戸に1戸は空き家。住む家が足りないわけではない

ところが家に関していえば、日本の約7戸に1戸が空き家なんだそうです。実は足りないどころか余っていて、総務省が5年ごとに実施する「住宅・土地統計調査」によると、2018年度の空き家は、848万9000戸(日経新聞7/24付朝刊)。

これは日本だけの話ではありません。たとえば、わたしの知人にアメリカでハウスシッターを生業にする夫婦がいます。彼らは、何軒も家をもつ富豪の家を渡り歩き、家守りで収入を得ています。自宅は無いので、親戚に最小限の荷物を活用してもらいながら保管してもらっているとか。

つまり家を所有せずに活用させてもらえれば、家賃ゼロで住める可能性があるんです。

机持参で、公園を勉強部屋として活用するカリフォルニア女性。

ひとりベーシックインカム制度、家賃ゼロの居候生活

そこで、わたしが無い知恵を捻って始めたのが、居候生活による「家賃ゼロ」という生存計画。

具体的には、家主が喜ぶお金以外の何か(留守番、話し相手、水やり、家事、ペットの世話など)を自発的に贈って、余分なスペースを使わせてもらう。すると、自分にも人にも環境にも負荷が少ないかたちで、自由な人生が送れるのではないか。それはギフトエコノミー(贈与経済)のひとつの形であり、家賃分のお金が支給されたと仮定できる「ひとりベーシックインカム制度」ともいえます。

そして、初めての居候生活から現在に至るまで(途中8か月間の賃貸期間を抜いて)約4年間、アメリカと日本で家賃ゼロの冒険をしています。ありがたいことに、これまでに無料で住まわせていただいた家やコミュニティの数は30軒ほど。

鍵をお預かりするたびに、家主を拝みたくなる。

計画といっても、終われば安全な自宅に戻れるわけではありません。死にかけてハラハラしたり、人の優しさに癒されたりと、人生丸ごとが実験場。心や体の変化をリアルに観察中です。

たくさん稼いで全部つかう女性誌の編集者時代

そんな話をすると、「えー、よくやるわぁー」と言われたりもします。我ながらそう思います。

「超リベラルで反骨精神が旺盛な人なんですね」と言われることもありますが、とんでもありません。ただ、なんでもやってみないと理解できない、スマートさに欠ける人間というだけなんです。

たとえば、新卒で14年間勤めた出版社「マガジンハウス」の社員時代では、消費生活をめいっぱい楽しみました。住んでいたのは恵比寿・中目黒界隈の賃貸マンション。理由はおしゃれな雑誌によく載っていた場所で、乗り継ぎなしですぐ会社に行けるからです。

諸先輩方には、給料は人が集まるサービスや物を体験して誌面に活かすための学費と指南され、その教えに忠実に、稼いだお金は豪快に使っていました。

「誰?」と言いたくなる、当時のわたし

広告部にいたときは、米大手宝飾ブランドの基幹店オープンに際し、店舗サービスを受けて他社との競合プレゼン企画を練ろうと、ボーナスでジュエリーを買ってみたり。女性誌の編集者時代は、雑誌のイメージに合うようにと、シーズンごとにクローゼットの洋服やバッグを総入れ替えもしていました。そして話題のレストランには、関係会社やスタッフの皆さんと足を伸ばしてご馳走したりされたりも。

散財だったかもしれませんが、すべていい思い出です。何事も経験しないと腑に落とせないわたしにとって、誌面をつくるうえでも、いろんな方と協働するうえでも役立ったと思っています。

そんなふうに消費生活を謳歌していたのですが、東日本大震災をきっかけに、このままでいいのだろうかと行き詰まりを感じるようになりました。やがて離婚し会社を37歳で退職。人生を見失って幸福心理学を学ぼうとのアメリカ留学中に、カリフォルニアの環境会議について書くというgreenz.jpでの初仕事をいただいたときは、とても嬉しくて。とはいえ、そんな資格が自分にあるのかとためらいもしました(そして、その気持ちを正直に書きました)。

当時のわたしにとって、何かサービスを受けたり提供したりするには、お金に仲介してもらうというのが常識でした。家賃もその一環で、お金を払わずにアクセスできる可能性があるなんて、思いつきもしなかったんです。

ギフトエコノミーとの出合い

そこに新しい視点を吹き込んでくれたのが、渡米して出合った「ギフトエコノミー(贈与経済)」です。

威勢よく会社を辞めたまではいいものの、我に返れば当時のわたしにはアメリカの大学で心理学を勉強するなんて雲の上の世界の話。サンフランシスコの語学学校で絵本を読むところから英語を学び直していました。仕事はしておらず、貯金を切り崩す日々。ネットバブルで賑わう街で、生活苦にあえいでいました。

ハウスメイトと貧困者向けのフードスタンプに並んだこともあります。白昼堂々、強盗に所持金とケータイを強奪された日も。ハウスメイトに貸したお金が返ってこないこともありました。

太平洋を眺め、会社を辞めたことを後悔し続けた。

トホホな状況で自らが下したあらゆる決断を後悔し始めたとき、ソーヤー海さんと鈴木(冨田)栄里さんが企画・運営した「ギフトエコロジーツアー」に参加したのです。

このツアーは、人生観を大きく変えるものでした。たとえば、サンフランシスコの中心で、食べ物を無料で配り続けているツリーさんの畑作業を手伝ったとき。

誰も志願しなかったコンポスト作業に「やってみたい」と手を挙げ、備中鍬を両手にひとり堆肥や生ゴミと向き合いました。すると、うかつにも思いっきり嗅いでしまったゴミの山の匂い。しかし、まったく臭くない! それどころか、anan(アンアン)編集者時代に体験取材した、高級アロマエステのハーブっぽい良い香りが広がったんです。

ツリーさんと。©︎Hiromi Bower Ui

そこで「ゴミからはゴミしか生まれない」という自分の思い込みの公式がガラガラッと崩れていきました。「ゴミが肥料となり、命をつなぐのかー!」と。かぐわしいコンポストに、アメリカ社会のゴミの有り様ともいえる我が身を投影します。気づけば備中鍬片手にツリーさんと涙していました。

わたしはこれまで「捨てるもの」「価値があるもの」と、限られた経験則や自分の枠で決めつけすぎていたのではないか。

この出来事をきっかけに「こうなはず」「こうあるべき」と思ったら、それを疑い、ときには普段と違う選択をしてみるようになりました。恐れが先行して毎回できるわけではありませんが、苦手とかやりたくないと感じたりした瞬間、なるべく「なんで?」と好奇心をもって自分の枠を壊してみることにしたんです。

バークレーで予期せぬ居候生活がスタート

わたしの初めての居候体験は、そうした意識の変化が起きてから、1年以上経った頃のことでした。

コンポスト開眼直後に奇跡が重なり、念願のバークレー大学で幸福心理学を学ぶことになりました。1年ほどふたつ隣の街に下宿して通学。とても良い家主さんで、家族のように受け入れてくださいました。睡眠時間以外は勉強し続け、あっという間に毎日が過ぎていきました。

そしてある日の大学からの帰宅途中、午後8時ごろのバスで男性にPCが入ったリュックを奪われそうになったんです。帰る時間を早められればいいのですが、英語は不十分で、心理学の予備知識もゼロなわたしは自習にどうしても時間がかってしまう。そこで学校近くの下宿先を探しますが、途方もなく家賃が高いのです。学費を払うだけで必死だったため、引越しはあきらめていました。

すると友人が、信じられないような話をとりつけてくれたのです。バークレー市の一軒家でひとり暮らしするアルツハイマー型認知症の日本人女性がいる。彼女の家で朝食のお世話をし、夜は徘徊から見守る代わりに、無料で住まわせていただけるというものでした。

とてもありがたい話でした。とはいえ不安もありました。

結論が出ないまま、彼女の家に挨拶に伺いました。庭に佇むのは、黒いニットに真っ白なショートヘアがさまになる70代後半の女性。報道記者を辞めて単身サンフランシスコに渡り、ドレスメーカーとして活躍されたそうです。「よろしくね」と粋な感じで微笑む姿を「素敵だな」と思いました。

彼女のサポーターも、クールでいい感じの方ばかりでした。そこで「大丈夫、なんとかなるさ」と、流れるままに人生初の居候生活をスタートさせたんです。

朝は「おはよう」ではなく、「あなたは誰?」で始まる

認知症の彼女には昔の記憶はぼんやりあって、ときどき古い日本の歌を歌ってくれました。けれども発症後の新しい記憶はなかなか定着しないようでした。

朝は「あなたは誰?」という質問で始まります。「わたしはアヤというバークレーに通う学生で、8月からこちらでお世話になっています」と、ほぼ毎日同じ自己紹介を繰り返しました。

その後、一緒に血圧を測って、朝食を食べます。

料理の腕も上達していった。

なにかすると、彼女はいつも「ありがとう」と言ってくれました。そういえばアメリカに来てから人に頼るばかりで、お礼を言われることなんてほとんどありませんでした。「わたしも役に立てた」という実感は、安全に暮らせる場所とともに、彼女が贈ってくれた最高のギフトでした。

血のつながらない拡張家族という存在

一緒に食事し暮らすうちに、血のつながりがなくても家族になれることを、彼女は教えてくれました。

元気でいてほしいと自然に思うようになって、アルツハイマーや認知症について調べるようになりました。糖度が低い献立が良いと聞けば、朝食を和食に変えてみたりもしました。箸置きをセットし、一緒に「いただきます」と手を合わせると、なんともいえず温かい気持ちになりました。

穏やかな日ばかりだったわけではありません。張り切りすぎて、運動不足気味の彼女にストレッチしようとして「出ていって! 私は一人で暮らしたいの!」と大激怒されてしまったこともあります。彼女の徘徊で、インターンの面接を見送ったり、小テストに遅れてしまったりしたこともありました。

でも彼女の記憶が続かないことで、支えてもらったこともたくさんあります。人に言えない弱音を聞いてもらうようになって、よく励ましてもらいました。締めはいつも「大丈夫よ、アヤちゃん。あなたけっこう、いい線いってるわよ」。涙がにじみました。

次第に世話する人とされる人、助ける人と助けられる人という境界があいまいになっていきました。

彼女のとっておきのブランデーで一緒に晩酌したり、深い心の交流があったりしても、明日には忘れてしまう。それが気楽であり、せつなくもありました。

いつでも彼女との時間は、今ここにしかない。過去を引きずらず未来に期待もせず、今に心を込めて一緒に過ごすこと。彼女からは、そんな真のマインドフルネスについて教わったように思います。

居候は流れに逆らわず、立つ鳥跡を濁さずで去るが吉

8か月が経って、法定相続人の方に「出ていってください」と通達されたときは、悲しいような肩の荷が降りたような、うまく説明できない気持ちになりました。

荷造りも早くなりました(寝癖はご愛嬌)。

その後、州外の禅センターで暮らし始めてからも、バークレー市に行けば必ず彼女を訪問しました。会えるのが嬉しい半面、わたしのことがわからない様子に胸が痛みもしました。でも顔つきや肩のリラックス感を見ると、好きな相手に接するときのものだと感じました。頭でわからなくても、心の記憶は体に残るのかなと温かい気持ちになりました。

わたしが日本に帰国して1年が過ぎた頃、彼女がカリフォルニア北部の施設に入ったと聞きました。家は売りに出されたそうです。彼女は新型コロナウイルスが収束したらいちばんに訪ねたい恩人のひとり。そんな血のつながらない拡張家族ができたのも、居候で得た大きなギフトです。彼女との暮らしで得た学びは、その後アメリカと日本の、どの家や施設に居候しても原点としているところです。

後編では、アメリカの禅センターでのお金を交わさない豊かな暮らし。顔面マヒで緊急入院して気づいたわたしのお金のブロックをお話します

– INFORMATION –


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