「何がやりたいんだろ?」。
恋人にはフラれ、お先真っ暗で就職活動を控えたバレンタイン・デー前日に、最愛の祖母を亡くしました。アレもコレも手を出しては継続しない私が唯一続けていたのは、毎日彼女に手紙を書くこと。そこで受取人を無くした言いようのない悲しみと喪失感を抱えながら、ハタと気づきます。
「そうか、記事を書くことを仕事にしたら、手紙を届け続けられるんだ」と。
就職面接で特技を披露したら「それ、コンパネタ?」と面接官に鼻であしらわれたり、最終面接では社長と話が全く合わず撃沈したりと紆余曲折を経て、運良く第一志望だったマガジンハウスという出版社に就職します。そして期待に胸をふくらませて挑んだ新入社員研修。そこで編集長のお話という時間がありました。
「ねぇ君ら、右肩下がりの出版社になんで入社したの? 他もあったでしょ?」と吹っかけてくるプラダのスーツをお洒落に着こなした編集長や、「社食は利用しちゃダメよ。行列やニューオープンのお店に出向いて、街の動きを知らなくちゃ」とオトナの遊びへと誘ってくれる編集長が居たり。
それぞれ装いも発言も雑誌の代表というイメージ通りで、「プロだなぁ」と見習い社員ながら、うならされたものでした。
そんななか、「もう話も聞き飽きたでしょう」。当時雑誌「relax」の編集長だった岡本仁さんはそう言うと、私たちひとり一人にミネラル・ウォーターを手渡し、「岡本仁について」という個人情報を簡単にまとめたワード文書を配られました。そして「なんでも聞いてください。そしてそれをまとめて記事にして、後日僕に提出してください」と、おっしゃったのです。
くたびれたリクルートスーツを着た学生上がりのどうしようもない質問に対しても、岡本さんはオープンかつ真摯に答えてくださいました。疑問のすべてを面白がって聞いてくれるのです。そこで私が学んだものは、編集長とはその雑誌の主張を現す人であり、またいろんな声を聞く力が伴わないと務まらないんだということです。
あれからもう20年。
14年間お世話になったマガジンハウスを退社し、その後アメリカで5年弱暮らしました。最初の2年間は学生に戻って、いろいろと失敗と冒険を重ねて最後の2年はホームレス生活をしました。マガジンハウスから文字通りのハウスレスです。その間にはアメリカ先住民の人たちと暮らしたり、禅センターで雲水生活などもしました。
greenz.jpとはアメリカで出合い、私が学生だったときも、ホームレスへと転じたときも変わらずプロとして接してくださり、書く場所を提供し続けてくれました。
新入社員研修を受けた当時と比べて、少しはまともな文章が書けるようになっていたらいいなと思いますが、読み返してみるとジャンクだったと反省するものもありますし、真実を晒す勇気を持てたかなと、自分を少しだけ褒めたくなるものもあります。さまざまです。
ところでgreenz.jpは、書き手にとって稀有な場所です。例えば「娯楽用大麻の合法化について」とか「アメリカ禅センターでの修行日記」とか。他ではちょっと躊躇ってしまうだろうなといった内容でも、ライターの意図が媒体方針に沿っていたら記事にしてくれます。ちなみに大麻合法化に関しては、他媒体では書いて掲載後に消されてしまったこともあります。
それは、編集長の鈴木菜央さんも副編集長のスズキコウタさんもスタッフのみなさんも
greenz.jpはアクセス数を稼ぐことを第一目的にしていないから。こういうムーブメントや考え方があるんだって、読んだ人が知ることが出来て他の媒体がそれに続いてくれるような記事を届けていきたい。だから、やりましょう。
と、肝が据わっているところがあるから。
そしてそれは読み手である、みなさんの世界観でもある。そう理解できたのは、greenz.jpとの初仕事として米カリフォルニア州で毎年開かれる持続可能な社会を目指すための会議「Bioneers」について書いたときでした。
私はgreenz.jpで初めて執筆するにあたり、
「きっとインターネットで長文は読まれないだろう」。
そう思って、写真をメインにした来場者のサスティナブル・ファッションのスナップ記事を作ることにしました。友だちをカメラマンに巻き込んで二人で会場を走り回ったわりに、これがあまり読まれなかった。
びっくりするぐらいおしゃれな人を見つけられなかったというのもあるでしょうが、この一件で「greenz.jp読者のみなさんは長文だろうが、しっかりと記事を読まれるのだ」と頭を打って反省。まるで雷にも打たれたようになって、感動しました。
だから私はいつも、読者の皆さんにもgreenz.jpにも取材を受けてくださった人にも、徹底的に「読んでよかった」「載せてよかった」「取材協力してよかった」と得した気分になってもらえるような記事を届けたいなという姿勢でいます。
「greenz.jp」らしさといえば、先日鎌倉で行われた禅とマインドフルネスの国際会議Zen2.0について書きたいと参加したインターネット会議でもそれを感じました。
会議の中で私は「山を降りて帰国したのはいいものの、かつてのバリバリ働いてブランド服で武装していたanan編集者時代と、ほとんど無収入の山籠り生活の狭間で呆然と立ち尽くしています。言うならば、両極の価値観に揺られて船酔い状態です。そこで、幸せな生計の立て方について切実に知りたいので、Zen2.0登壇者のこの方たちの対談記事を書きたい」とスタッフのみなさんに話したんです。
それに対して編集長の菜央さんは「それより僕は、今の土居さんのお金や働き方との関係性…。それについて悩みながら歩む内省の旅の一環としてのZen2.0を読みたいなぁ。だから対談をまとめるというよりも、全部土居さん目線で書いて欲しいんです。写真もiPhoneで!」と、言い切ったのです。
プレス腕章つけて新聞社に混じって、iPhoneで撮影するの?!
そんな編集者、ますます胡散臭い。
しかもですよ。冷静に考えて読者のみなさんにとって、あなた一体誰なのって話ですよ? 無名である私の内省の旅を書いたところで読みたいという人って、居るのかなぁ。
しかし客観的にみると、その目線が何にも無い今の自分が、最もリアリティと臨場感がある形でみなさんに提供出来るものなんですよね。
ずばりそこを見抜いて「やってみなはれ。ジャンプしても受け止めまっせー(※)」とは、言うなれば編集長が両手広げて安全確保で待ち構えているというスタンスです。だから隠れ体育会系の私は崖からジャンプしてみるのです。コントロールを失って、エイヤーーッと。
(※)菜央さんは大阪弁を話さないからイメージ
それが媒体者と協働しながら記事を作り上げていく醍醐味だと思います。とはいえ、いつだって書くことであらわになる自分の不完全さを、公的な場で思い知らされるのは怖いです。でもそこは伝えたいことがあるなら、プロとしてなるべく読み手や媒体を配慮しながらも、文字にして手放すしかないのかなと思います。
最後に編集者としていまだ未熟ではありますが、私が書くうえで助けになった7つのことをお伝えしたいと思います。
この7つです。
おやっと思われるかもしれない、瞑想することに関して。
陰ながら感謝・尊敬する前述の編集の大先輩、岡本仁さん。彼が退職された際に、お葉書を送ってくださったことがありました。
そこには「ときどき、深呼吸」と一言書かれていました。
私はまだまだ書きながら、ついつい賢そうにみられたいとか、いい人に思われたいなという気持ちが出てしまうことがあります。もしくは、読んだ人になんとか満足してもらいたい! といったお仕着せがましいサービス精神なども。
そういうものが顔を覗かせたら、この言葉を思い出してひとつ呼吸。吐く息と一緒にそれらを出来るだけ手放すようにしています。私がどう見られるかとか、要らないサービス精神は、記事が面白くなるかどうかに関係が無い話ですから。
安定とは遠い現状ではありますが、人生のなかでこのような素敵な編集の先輩たちに出会えたので、きっと私はこの仕事がやめられないんだろうなと思います。
いろいろゴタゴタと偉そうなことを言いましたが、つまるところ私の「書く」のベースは祖母への手紙。みなさんにラブレターを届ける気持ちで綴っています。
ご一緒しませんか。
(編集: スズキコウタ)