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ウイルスの脅威じゃなく、日常の危機。コロナ禍の今こそ、社会のシステムを書き換えていこう。そこに希望がある。

ハロー! ソーヤー海だよ。今日は新型コロナウイルス(以下、コロナ)について、僕が何を気にしていて、どう受け止めているかを書こうと思う。

もちろん状況は日々変わっているから、この記事にも結論はない。だけど、どんな気づきや問いがあるかをみんなとシェアして、一緒に考えていけたらと思ってる。

ここまでで僕にとって一番大きかった体験は、時間的な余裕があると自分の本当にやりたいことができるって気づいたこと。

コロナの影響で、僕がやっていた東京の自由大学の講座とか、シューマッハ・カレッジのツアーとかが全部キャンセルになったんだ。そのときに、「めっちゃ時間が空いた!」って、どこかほっとした感じがして(笑)

本当に、「余裕資本」だよね。コロナのせいでやりたいことができなくなるんじゃなくて、「制約や習慣から解放されたいま、新たな世界で、自分はどう生きる?」って考えるチャンスができた。

あと、ひとつのものごとをゆっくり観察できたし、そこから得られる深い理解や洞察もあった。それから、家族と過ごす時間もものすごく増えた。生活を楽しむっていう、僕が目指していた健全な暮らしの世界がいきなり訪れたみたい! その分、より自分や周りの人と向き合う時間も増えて、かなりの修行もしている。でも、それも普段忙しすぎて後回しにしている大事なことなんじゃないかな。

……というのがパーソナルな部分の話だけど、もっと大きな視点でとらえて重要だと感じたのは、実際に何が起きているのかはわからない、ということだと思う。

毎日いろいろな報道が飛び交っているのに加えて、フェイクニュースや噂、そして公開されない情報、陰謀論、プロパガンダ、政治的にかなり偏った発信とかが飛び回っていて、いろいろな人やBOTがいろいろな情報を大量に流しているよね。こんな危機的な状況だと「お前はどっちなんだ!?」って、立場を決めることを迫られる感じがするけど、世の中で本当は何が起きているのか、確信を持つことがさらに難しくなっている。

そんななかで、ギフト経済の活動で有名なチャールズ・アイゼンシュタイン(Charles Eisenstein)が、「確信を持てば持つほど、他人の多様な意見を受け付けなくなる」って言っていたのが印象的だった。

自分が何かを正しいと思ったら、そこからしか情報を受け取らなくなって、どんどん分断されてしまい、そして自分の確信が本当に正しいのかチェックできなくなってしまう。だから大事なのは、自分が信じているものにあんまり執着しないことだと思う。かと言ってなんでもいいわけじゃないし。。。難しいね。

だけどさ、結局コロナって何が問題なんだろう?
ウイルス自体が問題なのか、ウイルスをつくりだして広めた僕たちの営みが問題なのか、コロナに対する市民とか政府の対応が問題なのか……。

もしかしたら、コロナそのものが危機なのではなくて、僕たちのいままでの日常こそが緊急事態であることを、コロナが気づかせてくれているのかもしれない。

現代社会のスピードは加速し続けているけど、ここでもう一度立ち止まって、考えてみよう。

僕たちはどこに向かっているのか?
世界で何が起きているのか? 
僕たちの暮らしや社会は健全なのか?

例えば、オンライン化。いままで通りの生活や仕事ができなくなった緊急事態に対応するために、リモートでいろいろなことをやり始めている。でも、緊急事態に対する応急処置なら仕方ないかもしれないけど、いろいろな問いが置き去りにされていると思う。

ひとつは、「いままでのやり方を続けることが本当に健全なのか?」という問い。例えば、「生態系より資本主義経済を優先する学校や会社に行く」「お金のために忙しく仕事をする」「ローカルを育てずに遠距離でつながる」――そういういままでやってきたことが、自分や地球にとって本当にいいことなのか、という問いがしっかり議論されないままオンライン化が進んでいるけど、この辺はもっとみんなと考えたい。

もうひとつは、オンライン化による人間の体や対人関係への影響。モニターを見続けるのって刺激が強いし、人気アプリの多くは意図的に依存させる仕掛けがされているけど、そうやって中毒性の高いものを「これからの時代はモニターを通して人間や世界と接するのが前提」って、例えば子どもたちに与えるのは、不健康なんじゃないかな。大人だってもう中毒になっている人が激増している。

だけど世の中的には「テック業界様様」で、「これはおかしい」と指摘できる空気がない。指摘したら、「それじゃあ仕事ができないし」とか「うまく使えばいい」って言い返されて、状況を変えられる感じがしない。「テック業界への依存を高めるか、コロナの感染率を高めるか」みたいな感じで議論が思考停止していて、発想の選択肢がすごく狭められている。

しかも、社会の大きな流れとして、大事な部分が変わらないまま、いままでの忙しさや体に害のある経済活動を続けようとしていることのほうが、僕は恐ろしいと思っている。

どうしてだろう? 

おそらく僕たちが変わろうと望んでも変われないのは、僕たちひとりひとりが自分たちを取り巻くシステムの影響を大きく受けているから。それは、ひとりひとりの自由意志を超えた話。だからいままで以上に、自分たちのシステムを理解すること(システム思考)が大事だと思う。

コロナで市民が混乱している間にどさくさに紛れて規制緩和して一部の大企業がますます利益を生み(※)、さらに大きなショックを引き起こす原因を増やしているのも大きな気がかり。僕らは気づかないままに大企業に頼らざるを得なくなり、多国籍企業にどんどん権力が集中していって、僕たちは社会を改善するパワーを失っていく。その結果、政治と経済は僕たちからますます遠くなり、無力感が増す。

(※)「ショック・ドクトリン=惨事便乗型資本主義」という言い方をする

どうして、コロナの影響で雇用や生活に困難な人たちが急増しているのに、億万長者たちの資産は増加しているのか?
どうしてこれだけお金も技術も物資もあるのに、棚から急に食べ物がなくなる事態が起こるのか? 

もっと深く、もっと長期的に、みんなで考える必要がある。これは、コロナ以前の問題。

オンライン化が進んで、ますます知らない間にデータを取られていることも大きな気がかり。ハーヴァード・ビジネス・スクール名誉教授のショシャナ・ズボフ(Shoshana Zuboff)はこれを「監視資本主義」と呼んでいる。(※)

(※)参考になる記事のリンクだよ。

大事なポイントは、膨大な権力と資本が集中した一部の人々が、人間の行動を予測できるほど発展したテクノロジーを利用して/お金で買って、実際に人々の行動を誘導できること。だからお金のある人は、いままで以上に緻密に、例えば誰かの投票行動を操作・誘導できる。そうすると、いまの民主主義はさらに機能しなくなる。消費動向を操るだけではなく、過激な思想を効果的に広めたりもできる。EUではすでに規制を強化しはじめている。

だから僕らが「自分の自由意思でそうしている」と思うのはある意味錯覚で、僕らは一部の人たちの意図を実現するためのアルゴリズムによって操作されている。しかも、政府は規制する術が少なく、ほとんどの人がそんな状況に気づいてさえいない――。

でも僕は、お金と権力を集めるゲーム(資本主義)よりも、より多くの人が豊かで安心できるゲームをやりたい(仲間募集中!)。僕の希望はいすみ市で仲間と育んできた支え合いのコミュニティと、若者が地に足のついた暮らしを実践している「パーマカルチャーと平和道場」。コロナや次のショック(バブル崩壊とか、天災とか)が起きてもレジリアンスがあるから安心できる。

この写真は、ブラウンズフィールドで毎年恒例で開催されている収穫祭での様子。みんなでご飯を持ち寄って、音楽や紙芝居や餅つきをしたり、会話を楽しんで、ゆるゆるとみんなでつくるお祭り。ここ数年は平和活動に取り組むミュージシャンやアーティストで形成されたバンド「イマジン盆踊り部」の影響で、盆踊りが熱い、ひとつのコミュニティ行事になっている。道場でも、盆踊りを何回か開催してきた。

いまの社会、経済、政治システムは、余裕がなくなった瞬間に、いかにレジリエンスがなくなるか、そして差別の構造が悪化するかが、再び露わになった。だからこそ、近所で支え合う関係があって、身近で食料などの生活に必須なものを生産できていれば、安心と安全の土壌が僕たちを守ってくれる。まさに、ローカリゼーション。

人や自然とつながって、生活を成り立たせる循環が生まれている場って、とても機能的で、豊かな、希望の資源だと思うんだよね。こういう場所――大きな社会システムが機能しなくなったときに「ここなら生活が成り立つ」って思える救命ボートみたいな場所を、みんなでつくって増やしていくのが、とても大切なんじゃないかな。そして、政治に関わって大きなシステムにも働きかけることも。

このまま、これまでの社会や世界観を続けるのは、沈没船に乗っているようなもの。終わりゆく時代、僕たちが生まれ育った「常識」が崩れるなか、みんなは自分の命のエネルギーを何に注ぎたい?

(編集: 岡澤浩太郎)
(写真: 東京アーバンパーマカルチャーUnsplash

– NEXT ACTION –

この記事で扱った監視資本主義については、映画『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』がおすすめだよ!