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従わせるより、向き合う。平和で持続可能な未来をつくる第一歩「子育て」の実践ヒント(前編)

ハロー! ソーヤー海だよ。
前回は「パトリアルキー」(支配構造)の視点から、子育てについて考えてみた。

簡単に振り返ると、「子ども(弱者)は大人(強者)にしたがう」みたいな代々受け継がれている「抑圧の習慣」からどうやって抜け出して、どうやって子どもも大人も「ニーズ」を大切に生きていくか、という話だった。「子育て」こそが、平和で持続可能な未来を実現するための重要なレバレッジポイントなんだ。

今回から始まるのは、「じゃあ実際にどうしたらいいの?」を紹介する実践編だよ。前後編、全部で12個の項目にわけて紹介するね!

1 コミュニティをつくり、子育てをする

“it takes a village to raise a child
子ども一人を育てるには、村が必要だ”

まずはおさらい。僕がパトリアルキーで変えたいポイントは、「分離」なんだ。

自然と人間の分離、大人と子どもの分離、自分と自分の分離……パトリアルキーの構造では、みんながすごく切り離されてしまって、孤立しやすい。さらに、その分離が年々と強化されてしまっている。そんな抑圧とコントロールを受けて多くの人たちは傷ついていて、平和で落ち着いた社会には、なかなかなれない。
問題は、僕たちは生まれた時から、その「海」のなかを泳いでいる=世界がすでにその仕組みになっちゃっているから、何が問題なのかピンとこない、ということ。

例えば、「世の中、弱肉強食でお金がないと食っていけない」という信仰。だから、ひとりで変えようと思ってもそんなに上手くいかない。重要なポイントは、コミュニティが必要だということ。ひとりとか、核家族じゃなくて、コミュニティとして子どもを育てる。そして、子どもがコミュニティを育ててくれる。

資本主義とグローバリゼーションの影響で、支え合いで成り立っていた昔の村のようなコミュニティは世界中で崩れてしまっている(ヘレナ・ノーバーグ=ホッジの本『ラダック なつかしい未来』[山と渓谷社]参照)。社会の目的が命を育てることから、利益と消費にシフトしてしまい、核家族と共働きが当たり前になっちゃって、支え合う土壌がなくなっているよね。

そうすると、保育園や小学校、それから企業のサービスとかに依存せざるを得ない。家族はどんどん分離してしまい、分離の世界で子どもは育っていく。そして、それが常識になってしまう。個人の力量の問題ではなく、社会の構造的な問題。

だから僕は実験として「パーマカルチャーと平和道場」(以下、DOJO)で子どもとコミュニティを育てようとしている。いろいろな人が出入りする場所ならいろいろなことを学べるし、多様な世界観とも出合える。僕が手いっぱいになったときに誰かに助けてもらったり、話を聞いてもらったり、共感してもらったりもできる。

DOJO界隈には非暴力コミュニケーション、愛着、脳科学に詳しい人がいるのも心強い。そういう仲間たちと一緒に子どもを育てる=「僕の子」じゃなくて「みんなの子」を育てる、という意識でやっているよ。

繰り返しになるけど、これは何世代にもわたる壮大なプロジェクトになるから、似たような願いや価値観、世界観を持っている人たちと、本来存在していたはずのコミュニティをつくって子どもを育てる必要がある。終わりが見えない川上りみたいなプロセスで、一人だと力尽きて流されちゃうから。

みんなが信頼や愛情、自由、自然との関係、コントロールや搾取ではない深い敬意とつながりを取り戻すことで、その世界観がどんどん広がっていく。そして、結果を追い求めず、その試行錯誤するプロセスに意識を向ける。自分は、どう在りたいのか。

2 子どもから学ぶ意識で接する

パトリアルキーの社会では、学校みたいに年齢で分けて、優劣で分けて、コントロールしやすい環境で効率的に「教育」するけど、歴史上、そういう状態は実はあんまり存在しなかったんだよね。基本的にはいろいろな世代の人たちとずっと一緒にいることがほとんどだったんだ。

教育は、日々の生活から切り離された収容所(学校)で専門家が行うものではなく、コミュニティの中で多世代の人たちと暮らすなかで自然と起きるものだった。自然との関わり方、家のつくり方、食料の得かた、対立の解消法、助け合い方、病気や怪我の治療法などなど。

だから僕は、「娘は自分の先生」として接している。幼い頃は恥や罪悪感がなくて、自分の気持ちとものすごくつながっていて、素直に表現できる。大人はパトリアルキー思想を教育されて、自分の気持ちを失って、すごく苦しんでいるけど、余裕をもって子どもと接すれば、本当に癒しと気づきになると思う。

ちょっと脱線するけど……僕の娘が2歳ぐらいの頃、こんなことがあった。

彼女が立ち上がってうろうろしていたんだけど、僕がそれに気づかなくて、ぶつかって倒しちゃったことがあったんだよね。大人の世界だったら「お前が悪い!」「よそ見してるんじゃない!」って言ったり「誰のせいか」って議論になったりするよね。だけど、娘はただ「痛い」って泣いて、立ち上がって僕に抱きついてきてくれたんだ。

「誰が悪い」なんてジャッジが全然ないんだよ。
ただただ「倒れた」「痛い」「安心したい」、それだけ。

「娘こそが僕の先生だ」って実感した気づきの瞬間だった。

僕だって本当はそういう反応をしたいんだ。「お前のせいだ!」じゃなくて、本当はパートナーや親密な関係の人に、大切にされたい。そして、安心したい。だけどパトリアルキーの環境で育っていると素直に言えなくて、どうしても「どっちが悪い」の話になっちゃう。抱きつくどころか離れてしまう。

それが普通だと思ってたけど、でも本当はそうじゃない。「みんなもともとは無防備で素直だったんだ」って、子どもといると気づく。独裁者だって。

たびたびニュースで怒った男性による事件が報道されるけど、彼らはただ愛されたい、安心したいだけなんじゃないかって僕は思う。傷ついたことを素直に表現できなくって、暴言を出したり戦争を起こしたりしてしまっている。僕も高校生の頃は、心の傷と社会に対する怒りから不良や暴力的な男(ハリウッド映画によく出てくる)に憧れたり、米軍に入りたいと思ってた。

禅や非暴力の分野では、「いまここ」と「ジャッジをしない」ことが修行の根源にあるんだけど、幼児まではみんなそれが自然にできているんだよね! それ以来、「子どもから学ぶ」とか、「お互いが学び合っている」というのは、すごく意識している。

僕らはパトリアルキーの世界観が埋め込まれた言葉を覚えたり、罰やご褒美、恥と罪悪感とかでコントロールを受けたりして「教育」されてきちゃったけど、そういう文化に染まっていない小さい子どもと接すると、ものすごく人間像を書き換えられると思うんだ。

戦争、気候危機、原発事故のような、何世代も代償を払い続ける大きな問題を起こしてるのは、子どもではなく、教育された大人たちだからね。この悲劇の再生産を止めるには、子どもたちから学べることがあるんじゃないかな?

3 自分を観察する

もうひとつのすごく重要な実践は、自分を観察すること。僕は、自分がやられてイヤなことを、どうして子どもにしてしまうのか、どんな感情でしてしまうのかを、観察するようにしている。

自分を責めるというよりも、平和活動家として自分がつくりたい世界のビジョンと、自分の日々の言動やクセが一致しているかどうかを観察・分析して、違う方向にシフトする必要があるかどうかを、確認しているんだ。

親や社会から受け継いだ抑圧の習慣を自分のなかで探して、手放せるときは手放して、平和の習慣を強化していく。めっちゃ難しいけど、自分が一番影響力を持てるのは、自分だからね。そして、自分のなかにいる傷ついた子どもに寄り添って、癒すプロセスを始める。その傷からは逃げられないし、最悪、子育てのなかで子どもに同じ苦しみを植え付ける可能性があるから(ダニエル・J.シーゲル『生き抜く力をはぐくむ愛着の子育て』[大和書房]参照)。

4 余裕のある生活を送る

それには、余裕のある暮らしをしていることもすごく大事。やっぱり余裕がないといろいろ上手く行かないし、観察力も想像力も下がるし、人や自然との関わりが雑になる。

親子の対立の多くは、時間や精神的な余裕が足りないから起こるんだと思う。親にプレッシャーがかかっていると、親は子どもにプレッシャーをかける。子どもはプレッシャーに抵抗する。そうすると親はもっとストレスを感じて、すごく対立関係になりやすい。だけど親に余裕があると、そういう問題は起こりにくいし、衝突しても一緒に対処できる。だから、「余裕がない」=「ものすごい暴力」なんだよね。自分に対しても、子どもに対しても(僕がこの間出演したTBSラジオの番組もチェックしてみて!)。

人間って適応能力が高いから、暴力的な状況でも「そういうもんだよね」って受け入れちゃうというか……だけど、それだと変化が起きにくいし、むしろ暴力を再生産してしまう。全部を変えるには経済や社会をつくり直さないといけないから時間はかかるけど、まず気づいて、自分ができる範囲でとか、助け合うことによってとか、余裕をつくることはできると思うんだ。いくら忙しく頑張り続けても、余裕のある状態にはなれないからね。

そういう意味で、僕はちょっとずつ仕事や1日の予定の量を減らしている。出費を減らせば生活費が少なくて済むから仕事量も減らせる。加えていろいろな人と助け合えば、だいぶ余裕が増えていくんだよね。雇用と消費の依存を減らして、余裕を増やしていく(「余裕の資本」と9つの資本は、この回で紹介したよ)。

5 消費者→生産者という意識を育てる

ところでパーマカルチャー的に言うと、環境を破壊したり、お金に追われたりするのが当たり前になっている生活から、縄文時代のように、暮らしているだけで自然が再生されていって、強者も弱者もみんなが安心して自由に生きていける文化を育てていきたい、と思ってる。

だから子どもと一緒にどんどん果樹を植えて、食べ物は「買う」んじゃなくて「育てる」ものなんだって、一緒に実践している。お店で欲しいおやつを買ってもらうんじゃなくて、庭の桑の実とかグミの木とかミカンの木から自分でとる。「お金がないと食べていけない」という消費者ではなく、「数年後には自然の無料コンビニからどんどん実がいただける」という創造者として育てようとしている。

小屋を一緒につくるのもそう。娘が2歳か3歳ぐらいのとき、金づちを渡して小屋をつくるお手伝いみたいなことをしてもらったんだよね。つまり、お父さんが建てた小屋でも、自分もかかわっていることになる。そうすると、「家は買うものではなく、みんなでつくるもの」という意識がすでに彼女のなかに芽生えたはずで。

包丁も2歳ぐらいから持ち始めた。3回くらいケガしたけどたいした切り傷じゃなかったよ。火の扱い方も教えてる。なるべく彼女が自分でできるようにして、一歩引いて優しく見守る。うまく行ったときも、うまくいかないときも、僕の評価を控えて彼女の気持ちに寄り添う。加えて、「やらせる」=強制じゃなくて、彼女が興味を持ったときにフォローするように意識している。

といっても、別に原理主義者じゃないから、お店でおやつを買うこともあるし、普段は野ションかコンポストトイレを使っているけど、水洗トイレの使い方も娘は知っている。いろいろな世界をちゃんと知っていることとか、複数の世界が存在しているのは大事だけど、僕は意識的に、彼女には創造や自然の世界にお誘いしようとしているんだ。

そして、完璧を目指さない! 完璧なんて無理だから。できることをできるだけやる。自分に優しく、子どもに優しく。

……全部紹介しきれなかった! 次回は残りの7項目を紹介していくよ。

▽パート2はこちら
協力し合って、みんなで子どもを育てる。これは立派な平和活動なんだ。 抑圧から抜け出しニーズに向き合う「子育て」の実践ヒント(後編)

(編集: 岡澤浩太郎)
(編集協力: スズキコウタ)
(協力:高橋華奈、山崎久美子)