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大人の決めたことに子どもは従順でなきゃいけない? トラウマや抑圧の再生産を乗り越えた子育てとは。ソーヤー海が考える(中編)

ハロー! ソーヤー海だよ。
前回に続いて今日もパトリアルキーの話をしようと思う。

親や会社の上司の意見に従うのはなぜ? 「やりたくないのに」っていう自分の本音を押し殺してしまうのはなぜ? そこには「パトリアルキー」という仕組みがあるからだって、前回話した。

そしてこのパトリアルキーを支えている要素には

1. 従うこと=従順さは美徳であり、
2. 従わない人には暴力を使ったり、恥ずかしいという価値観を使ったりして「正す」のが、当たり前

がある、っていう話だったよね。

で、さらに「子育てや教育こそが、パトリアルキーを『再生産』している」ということも言ったんだけど、それってどういうことか。今日はここから始めようと思う。

前回の歯磨きの話だけど、おそらく僕もかつて、自分の親や先生に「歯を磨け」って強制されていたんだよね。あの頃僕は多分歯を磨きたくなかった。自分がやりたいことと関係ないことを「しなさい」って言われるのが嫌だった。でも、年上の大人の強制で歯磨きするしかなかった、つまり選択肢がなかった。

このとき僕が抱えた痛みと抑圧は、「トラウマ」って言い換えられる。僕らは「歯磨きは、やらなければならないことである」っていまも思ってるよね? これって実は、トラウマが自己評価や「~すべき」というかたちになって、いまも続いている、ということなんだ。これを「抑圧の内在化」って言ったりもする。そう、僕らは幼少期に受けたトラウマを大人になっても抱えていて、ずっと苦しめられている、というわけ。

そしてさらに、今度は自分の子どもに対して、自分が受けたトラウマをぶつけてしまうんだ。つまり、もし子どもが歯を磨きたがらないと、「歯磨きは、しなくてはならないこと」というトラウマが、「お前、俺の言うことを聞かないのか!」って、自分でもびっくりするくらいの「怒り」になって現れたり……。自分のなかにある幼少期の痛みが「抑圧者」となって暴走してしまっているのかもしれない。

こうして親から受けた抑圧が、自分が親になったときに、子どもに対する抑圧として現れてしまい、同じことを子どもにしてしまうんだ。そして子どもがそれを体験し、僕の痛みが子どもに根付いてしまって、彼女が親とか力のあるポジションについたとき、今度は彼女が抑圧者を演じることになってしまう。これが、子育ての場面で起きてしまう、抑圧とトラウマの「再生産」。

でもそれは「トラウマを繰り返したあなたが悪い」という話より、再生産され続けている「構造」自体に問題と変化の可能性があるんだ。

「だって、歯磨きしないとダメだよね?」「そういうものでしょう?」っていう考え自体が「常識」になっているということは、すでに構造に取り込まれているということ(これを「内在化」っていう言い方をする)。だから、「子どものころ、歯を磨かなくて親から叩かれてイヤだったでしょう?」って聞いても、深い傷を抱えていてももう思い出せなかったり、「自分が悪かったから」と大人の暴力を正当化してしまったり。

トラウマや痛みを抱えた子どもが大人になり、力のあるポジションについて、自分が抱えているトラウマや痛みを、立場の弱い人たちに押し付ける。その抑圧と暴力には従うことが美徳とされ、上下や強弱の関係が、さらに強化されていく……。こうしてパトリアルキーは子育てや教育の場面から、社会全体に蔓延しているんだ。

(トラウマについては、トラウマの専門家で医者のガボール・マテの講演がおすすめ!)。

少ない上のポジションを奪い合え、という呪い。

だけど、そもそも何が「正しい/悪い」って、その場の権力者が決めたものだよね。子育てに関しては権力者である大人が正しくて、大人が思うように決定をコントロールすることもできるし、子どもが間違ったら罰することもできる。子どもや多くの女性やあらゆるマイノリティーのように議論もできなくて弱い立場にいる人は、日常でつねに「間違っている」「教えてあげる必要がある」と思わされてしまう。

だから「男は強く」「女はしたがう」みたいな教育が生まれるわけだけど……この辺の話を始めると長くなっちゃうので、別の機会にするね(笑)

で、子どもは子どもで、大人が勝手に決めた「正しい/悪い」なんて知るわけがないし、それも大人の気分次第で変わるし、人によって言っていることも違う。訳がわからないけど、その場にいる権力者のことを必死に理解しながら、自分の身の安全を確保しなくちゃいけない。さらに、痛みや恐れがあっても平気なふりをしていなきゃいけない。そうしないと大変な目に遭うからね!

僕らの社会も「そういうもんでしょう」「間違ったら罰するのは普通だよね」って当たり前のものとして見逃しているよね。社会の問題を起こしているのはだいたい大人なのに、大人たちが「自分が正しい」と思って、その世界観を子どもに躾けてしまう。子どもが従順になればなるほど、子どもが本当はどう思っているのか、大人は余計に気づかなくなる。だから男女の平等の話はあっても、子どもと大人の平等なんて話はほとんど出てこない。

NVCの観点で言うと、子どもには大きく見ると2種類の重要なニーズ(必要としている要素)がある。

ひとつは「身の安全」。例えば、居場所や属すること、信頼、見てもらうこと。子どもは物理的な力がないから、親に愛されるとか身のまわりの人に求められるとかは、自分の生存と直結したとても無防備なニーズなんだ。

もうひとつは、「自由」。自分にとっての真実や、自己表現、ありのままでいること。

イラスト: 寺社下茜

健全な子育ての環境では両方がだいたい満たされるけど、パトリアルキーの世界観にもとづく子育てでは、どちらかを選ばないといけない状況が多い。つまり、自分の本音を手放して親に従うことで親の暴力から身を守るか、親の強要に抵抗してでも遊びたいという自分の自由を守るか。

付け加えると、よく子どもに対して「良い子だね」と声をかけることがあるけど、大人が喜ぶ行動を子どもがやったときに、大人がさりげなく評価しているんだよね。これは「いいことをすると愛情がもらえる」「悪いことをするともらえない」ということにもなる。すると子どもにとっては、大人に「従う」か、「抵抗する」かの二択になりやすい。

「従う」と、自分はほかのことをしたくても、本当の気持ちを抑え込まないといけなくなって、自分のなかで分離が起きてしまう。自分が本当に望んでいることを押し殺して、権力者に従って生きてしまい、それが続くと、まわりを気にして本来の自分自身を見つけられなくなってしまう。そして時には抑えきれず爆発=「ブチ切れ」て、取り返しのつかない惨事につながることもある。

「抵抗する」と、だいたいの場合は親から愛情をもらえなくなったり、「怒るよ! おやつ抜きね!」って脅迫されたりして、孤立・孤独や怖い思いを体験することになる。

本来、人間のベースには安心や信頼があって、恐れや恥はつねに感じるものではないのに、パトリアルキーではそれが当たり前になっている。つまり愛って希少で、子どもが本来持っている、流れてくるような愛や自由な自己表現が、どんどん小さくなってしまうんだ。

さらに、抑圧的な子育てや学校教育を通して世界への信頼がどんどん薄れて深いトラウマになり、怖れと恥でみんなをコントロールしあう結果、本来感じている居場所が不安定になってしまい、身の安全が確保されず、つねに身が危険にさらされてしまい、「戦うか逃げるかフリーズするか」の強いストレスをずっと抱えることになる。そして社会に対して従順になり、自分の本音をどんどん抑え込む。そして、人を恐れるようにもなる。

こういうことが歯磨きだけじゃなくて子育てのほかの場面でも、学校でも、一般社会でも毎日続くから、自分が本当に大事にしているものとのつながりを失う=自分自身と「分離」してしまう。だから大人になっても「自分探し」をしているわけだけど……、そもそもいつ見失ったの? おかしな話だよね(笑)

僕らは育児の場面で、知らず知らずのうちにパトリアルキーを再生産してしまっている。そこには僕ら自身が子どもの頃に受けたトラウマが潜んでいる。当たり前のようについやってしまうことばかりで、みんなも心当たりがあるんじゃないかな? 次回は、そんなパトリアルキーとは違う世界をどうやったら実現できるか、具体的な方法をいくつか紹介するね。

(後編に続く)

(編集:岡澤浩太郎)
(編集協力:スズキコウタ、greenz challengers community)
(協力:高野優海、山崎久美子、安納献)