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なぜ田舎でなく都市で? ソーヤー海率いる通称「TUP」チームはなぜ、パーマカルチャーの活動拠点を”問題の集積地”にしてきたのか【後編】

「いかしあうつながりがあふれる幸せな社会」を目指すNPOグリーンズ。「関わっている存在すべてが幸せになり、幸せであり続ける関係性=いかしあうつながり」を考え実践するようになった背景には、発案者・鈴木菜央を中心に、メンバーがソーヤー海さん率いる「東京アーバンパーマカルチャー(通称: TUP)」から受けた影響がありました。

TUP活動開始から10周年(2020年当時)を記念して、海さんはもちろん、彼とともにTUPの活動を展開し、国内外でパーマカルチャーを実践してきたメンバーが集結し座談会を開催。前編では、各自がどのように海さんやパーマカルチャーと出会い、実践者となっていったかお伺いしました。

後編では、TUPはなぜ「アーバン=都市」をキーワードにし活動しているのか。パーマカルチャーや持続可能な暮らしを、どのように都市部でも取り入れていけるのか。TUPメンバーたちが出会った事例、実践していることを聞いていきます。

(※)冨田栄里さんはスケジュールが合わず、別途個別に取材・収録となりました。

どうせやるんだったら一番大きな問題を解決したい

菜央 みんなの活動もそうだけど、TUPは中心がなくて、それぞれがアクティビストとして動いていて、メディアや、アートのようなクリエイティビティとか、東京やそれぞれの場所にある資源をうまく使いながら新しい社会をつくろうとしていて、それがゆるやかにつながっているよね。

僕はTUPが開催しているツアーに参加するまで、田舎に行かないと持続可能な暮らしは実現できないと思っていた。でも、都会でも全然できることがわかった。30世帯くらいが住む集合住宅で、みんな喜んでコンポストトイレを使って、できた土ですごく豊かな畑をみんなでやっていたり……そんな例がたくさんあった。

複数のカフェやファストフードにも歩いて行けるほどの市街地に位置する集合住宅「カイラスエコビレッジ」はエコロジーを実践した人が集まる集合住宅。(写真提供:鈴木菜央)

30ほどの家族が住むが、だいたいの家でコンポストトイレを実践している。(写真提供:鈴木菜央)

 パーマカルチャー関連で日本で最初に出版されたBill Mollison(※)の本『パーマカルチャー』には「農的暮らしの永久デザイン」っていうサブタイトルがついていて、オーストラリアの広大な土地の写真が載っているんだけど、それって日本の文脈、特に都会にいるほとんどの人にはあまり響かなくて、すごくもったいないと思った。

そうではなく、より多くの人に響かせるためにどうしたらいいか。日本のアーバン・パーマカルチャーはギフトエコロジーやNVCを前面に出しているけど、それって僕が定義をつくっている感じがあって、日本に合うようにパーマカルチャーを進化させたと僕は思っている。
(※)ビル・モリソン。パーマカルチャーの提唱者のひとりでオーストラリアの学者

菜央 TUPはどうして「アーバン=都市」をキーワードにしているの?

 原発事故や気候変動、戦争のような大きな社会問題は、「Bullock’s Permaculture Homestead」やジャングルにいても何も変えられないって気づいたんだ。なぜなら、都会にいる権力のある人たちが、お金をやりくりしたり自分の地位を維持したり、競争文化を植え付けたりしていて、そういうものを変えない限り惨事は続くから。

パーマカルチャーが時代に応えるムーブメントのひとつに成り得るんだったら――個人が田舎に土地を持って楽しく暮らすこと以上に貢献できることがあるなら、それはやっぱりアーバンパーマカルチャーなんじゃないか。

都会にパーマカルチャーの世界観や、人や経済や地球との関係性を広めていかないと、僕にはあまり意味がない感じがしたんだ。それに、どうせやるんだったら一番大きなProblemをデザインし直して解決したいからね。

都会にも面白いカルチャーがあるし、いまは田舎も都会化されているから、仕事もカルチャーもすべて都会に集まってくる世界的な動きがある。じゃあ、その都会をどうするか、というのが全人類の課題になっていて。だったら、みんなを田舎に送り出すんじゃなくて都会を変えるほうがより身近だし、都会の可能性を探れるんじゃないかって。

菜央 シアトルのコミュニティ菜園がいろいろな人が集まるハブとして機能していたり、学校の駐車場を緑の空間に変えて移民としてやってきた生徒たちが母国の料理をつくってみんなで食べたり、というアーバンパーマカルチャーの例もあるよね。

低所得者向け住宅に隣接したダニー・ウー・コミュニティガーデン。シアトル中心部を見渡せる1.5エーカー(1800坪)に畑、にわとり小屋、果樹などがある。各国からの移民とその家族がシェアしている。(写真提供:鈴木菜央)

 そう、それからポートランドにあるホームレスのためのエコビレッジ「Dignity Village」は、ホームレスという根深い社会問題とエコの動きをつないで、ホームレスの住む場所がアメリカで一番低炭素なエコビレッジになっている。

ディグニティビレッジはポートランドダウンタウンまでバスで30分ほどの場所にある、元ホームレスたちによる自治が行われている「尊厳ある村」。多様な非営利組織、大学などと連携しながら、自給自足、タイニーハウス建設、コミュニティ維持などを外部の人が学べる仕組みができあがっている。(写真提供:鈴木菜央)

 社会で問題とされている人たちが逆にみんなのモデルになっている、みたいなぶっ飛んだことになっていて(笑) こういうところがアーバンパーマカルチャーのクリエイティブな発想だと思う。

多様で変化が速い都会のつながりには資源がたくさんある

エリ アーバンパーマカルチャーの一番の魅力って、人や人とのつながりがものすごく大きなリソースになる可能性を秘めていることだと思う。

私が仲間たちと配給している映画『Edible City: Grow the Revolution(都市を耕す エディブル・シティ)』の監督に数年前にインタビューしたんですけど、監督自身は以前バークレーに住んでいたけどいまは周囲が農場ばかりの田舎のほうに引っ越していて、「なぜ都市が重要なの?」と聞いたら、「人の数が多いから、それだけ経済的なインパクトや生態系へのインパクトが大きい」と。だからパーマカルチャー的な視点をアーバンに持ち込んだら、そこから生まれる影響力は膨大だよね。

 都会のすごく素敵な部分は、つながりが多様で変化が速いこと。それに資源も多くて面白い人もいっぱいいるし、メディアや政治にもアクセスできる。実際にみんなとも出会えたし。

でもその反面、田舎ではあまり扱わなくてもいい難しい問題――経済的格差とか、消費量の多さゆえのゴミの問題とか、多様な人が集まるゆえの問題があって、含まれているレイヤーがとても多い。けれども、だからこそ面白い発想や問題提起、解決案が生まれている。

ヒデ 日本でも地域を豊かにするためならば街なかを公共空間のように使うこともできるようになれば、ポートランドみたいな交差点ペインティングができるかもしれないよね。それからJRのあらゆるみどりの窓口にコンポストを置くとか、駅の屋上がガーデンになっているとか、越境していく広がりを妄想するのも楽しい。

 そうやって、関わろうと思っている人たち以外が関わってしまう流れができるのも、都会の特徴なんだよね。大きな農場だと呼ばないと人は来ないけど、交差点なんて全然興味ない人も通らざるを得ないし、都会の空間を変えることで、似たような価値観を持たない人へインパクトを与えることができる。

表参道のCOMMUNEの屋上ガーデンも、たまたま自由大学の講義を受けに来た会社勤めの女性がやって来たりしているよね。

レミ COMMUNEのガーデンは、都会のビルの真ん中にスイカがなっているようなところで。ガーデンには廃材を使っているんだけど、ファシリテーターの石田紀佳さんが言っていたのは、「都会にはリソースがいっぱいあって、みんなで10万円ずつ出してつくるのは簡単だけど、なるべくもらう/拾うことで、どこまでできるか挑戦している」と。

ガーデンや植物から人生を学べるし、紀佳さんにも魅力があるからモデルみたいな子たちばっかり来ていて、すごく美しい場だった。

ショーコ パーマカルチャーはあくまで手法だから、人の数だけ形がある。都会にいる人はデザインや発想やスキルや人とのつながりとかが田舎にいる人とは全然違って、都会的センスにあふれている。だからアーバンパーマカルチャーにはいろいろな人が共感しやすい。

百姓みたいなことをひとりでやるんじゃなくて、自分にできないことを人と合わせると、自分でできることよりもっと面白いことができる気がする。その人のニーズや持っているものとの化学反応が無限にあるのが、アーバンパーマカルチャーだと思う。

ヒデ パーマカルチャーには農的なイメージが強くて、農と言えば畑だと思われがちだけど、根本には自然の循環システムや多様性がある。アーバンパーマカルチャーは都会にそれをインプットする方法論だと思う。

完成されてあとは食べるだけの食品がたくさん並ぶコンビニ。それを食べるばかりの人間の生き方なんてAIみたいだけど、でもそこに循環するつながりや多様性を連関させる方法論がアーバンパーマカルチャーなんじゃないかな。

菜央 確かに今、AIがどんどん進化してて、何を知るべきかはGoogleが、誰と友達になるべきかはFacebookが、どんな本を読むべきかはAmazonが……みたいな世界がこのまま進んだら、効率で言えば、人間は必ず負けるわけで。だけどアーバンパーマカルチャーの実践者は、生命の躍動みたいな、ものすごい動きをつくりだしていて。

たとえば公道にみんなでつくった公共コンポストボックスを置くムーブメントがポートランドで流行ったんだよね。生ごみを焼却所で燃やさないから無駄な税金も化石燃料も削減できるし、ホームセンターで土を買わなくてもそこから土をもらって自分の庭に畑をつくることもできる。

経済的に困難になってもみんなで食べられる野菜を普段から育てていこう、っていう。それが広がって、結果としてポートランド市で住民の声を受けて、生ごみを燃えるゴミとは分けて回収してたい肥センターで土に変えて農家やガーデニング希望の市民に配布するという施策にもつながっていった。

その公道に置いてあるコンポストボックスの周りで「よかったらご近所で一緒にニワトリを飼いませんか?」みたいな会話も生まれて、豊かなつながりに価値を見つける社会になっている。

「食べられるランドスケープ(景観)」を目指しているビーコンフードフォレストに設置されたコミュニティコンポスト。(写真提供:鈴木菜央)

日本の伝統文化には叡智がたくさんある

ヒデ パーマカルチャーは生活や身近なところにあって、それによって意識が変わる装置みたいなもの。TUPはそのボトムアップ型の運動体で、バランスが壊れた文明や都会を、自然の原理を取り入れることによって、楽しみながら豊かにしていく社会変革運動だと思う。僕らが活動することで企業や産業が少しずつ変わっていって、最終的には行政が採用したりしたらいいなと思う。

菜央 少数の人がデザインを決めて、ほとんどの人がその消費者、というのがいまの社会の姿だと思うけど、うつ病とか自殺とか貧困とか格差とか環境破壊とか、その弊害が出まくっている。

そうではないデザイン、つまり一人ひとりが消費者であることを辞めて生産者になることで、生き方自体が変わっていくし、周辺にも影響を与えてコミュニティのデザインも変わっていくし、人生のつくり手にも社会のつくり手にもなれる。

 日本の都市は整備され尽くされているから、安心・安全・自動で生きていける。でもそこにエッジをつくって、「もっとクリエイティブに生きよう」「僕らは違う世界をつくれる命を持っているんだ」ってお誘いする役割もアーバンパーマカルチャーにはあると思う。

ショーコ 私が働いていた東京の会社では太陽を浴びることが少なかったから、東京で働いている多くの人は、自然や環境、サステナビリティということに実感がわかなくても当然だと思う。「やらなくてはいけない」と思っていても、自分自身とはまったくつながっていない。それは悪いことではなく、知らないだけ。

ヒデ パーマカルチャーの考え方は、もともとは日本が持っていた自然農法や里山から生まれていて、だから本当は日本人がすごく得意なこと。そこに伝統やクラフトのような力が重なっていくと、日本らしい/日本ならではのパーマカルチャーができていくと思う。

実際に去年(2019年)、グッドデザイン賞の地域社会デザインの審査に関わったときに日本の地域のいろいろな活動を見たんだけど、すごくいい場所がたくさん生まれているんだよね。

伝統的な漆の工房にコミュニティスペースやカフェをつくって交流できるようになっていて農園もそばにあるとか、老人が住める場所に保育園がくっついていてそばに畑やカフェがあって味噌屋さんが入っているとか。

自然と循環する生活や人とのつながりをつくる試みがどんどん増えていて、そこに流れているのは僕らがパーマカルチャーと呼んでいるものであり、日本にもともとあったものだと思う。

エリ 日本は伝統的な知がすごくて、宝が埋まっている感じ。自分で味噌をつくって暮らしのなかで食べるとか、梅干をつくるときの副産物がすごく使えるとか、暮らしのなかに持続可能なエッセンスがすごく詰まっていて、自分で実際にそれをやりながら少しずつ紐解いている感じです。

もともとパーマカルチャーって日本の暮らしのなかでずっとやってきたことを海外の人が体系化したものだからね。

菜央 どうやって資源を生かして、みんなが幸せになれるか、潜在的にみんなが気づき始めているのかもしれないね。

ヒデ 世の中の人の3.5%が変わると全世界のティッピングポイントになるらしいから、そこを目指したいよね。いまどれくらいなのかわからないけど、パーマカルチャー的な考え方に共感する人は確実に増えていて。そういうカルチャーをつくって価値観をつくり替えていく。それがあと10年以内にできちゃうんじゃないか。そう思うとワクワクしてくるよね。

(写真提供:鈴木菜央)

(対談ここまで)

(編集: 岡澤浩太郎)
(編集協力: 廣畑七絵、スズキコウタ)