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親子の主従関係を超えるには。パトリアルキー(支配構造)の無限ループを変容させるために、ソーヤー海が考える(後編)

ハロー! ソーヤー海だよ。
2回続けてパトリアルキーのことを、ぐっと掘り下げてきたけど、みんなも心当たりあるんじゃないかな?

・どうして僕たちは、自分より「強い」人たちの意見に、従ってしまうのか。
・それは、「従うのが美徳」で、「従わなければ”暴力”や”恥”で”正す”のが当たり前」だって
・子どもの頃から=育児の場面で「教育」されてきたからで
・僕らはそんな心の痛み=トラウマを、自分より「弱い」子どもとかを相手に無意識で「再生産」している
・そうして僕らは自分の本音を抑え込んでしまい、自分を見失う

なんて悲劇!

付け加えると、パトリアルキーは「大人と子ども」だけじゃなく、年齢や所得、ジェンダーや人種でいつも分断させて、みんなが信頼して協力しあえない状況を維持している。

「あなたはあなた、私は私」みたいにして、許される/求められる部分と、イヤな/排除すべき部分を分けてしまっている。いつも「誰が悪いか」という悪者探しの意識になってしまうのも同じこと。僕らが普段使っている言葉もここから生まれていて、本当にすみずみまで内在化されて(構造に取り込まれて「常識」になって)しまっている。

それだけじゃない。自然との分離、他者との分離、命との分離……。で、その分離と劣等感に付け込んで、モノやサービスを提供して一時的に居場所や愛を感じさせるのが、資本主義。資本主義って、言ってみればパトリアルキーの表現のひとつだから。

その先にはもう、人類の未来はないんじゃないか?」って、僕のNVC(非暴力コミュニケーション)の先生のカシュタン姉妹は言っている。だけどこの現実としっかり向き合えれば、抑圧のない、平和な社会に方向転換できるかもしれない。

この流れを変えるのは、ものすごく大変なことになる。まず、自分のなかに「それが当たり前」という常識がかなり内在化してしまっているから、まずは自分のなかにある抑圧に気づく必要がある。しかもその過程で、自分が幼少期からずっと受けてきた「痛み」に向き合うしかないという意味では、ものすごく勇気がいることになるんだよね。向き合い始めると、その痛みがまた刺激されて、傷ついて、恥に吸い込まれてしまうから。

自分とも子どもともめちゃくちゃ向き合う必要が出てきて、すでに余裕がない核家族化してしまった僕たちには、「やりたいけどできない」「そんな余裕ない」って罪悪感と無力感を抱えることだってある。

まあそうだよね……。だって親もすごいよ、親は親で自分にいろいろ葛藤を抱えているし、自分だけでも大変なのに、子どもの世話まである。そのうえ、そもそもいまの生活ではそういう流れをつくりにくい状況になっているのに、社会の土台から物事を変えようとするなんて、途方に暮れちゃうよね……。

だから子育てをしている親とか、大人を支えるような社会の仕組みを、小さな地域レベルでつくる必要がある。
子どもは親だけで育てるのではなく、コミュニティで育てる必要がある。
ひとりじゃなくて、まわりの人に支えてもらう。
これこそ全人類の伝統だった。

つまり、自分の限界も思いやりを持って受け止める練習をする。僕たちは無限の余裕があるお父さん&お母さんじゃないからね!

「やりたいけど……」と思っても、まわりに支え合う人がいれば心強いよね。だから大人たちが集まって=コミュニティを育てて、みんなで助け合いながら、そしてみんなで協力しあって、いろいろ実験したりお互いを癒したりしながら意識をゆっくり変えるんだ。

子どもを育てる仕組みとしてのコミュニティの機能を取り戻して、協力しあって暮らす――カシュタン姉妹はそう提案している。これはもう、ほとんど社会革命と同じ。そうやって少しずつ新しい流れをつくることからしか、始められないのかもしれない。

従うことよりもニーズ。そして自分と子どもに共感を。

カシュタン姉妹はこう言っている。

「これを始めても、自分が生きている間に結果が出るかはわからない」
「ただそれは、その人の努力が足りないとか、個人の問題ではない。問題が構造化していて、ものすごい圧力をかけているから、個人でやるのは無謀すぎる。いろいろな人のサポートを得て、つながりを取り戻さない限り、進めない」
って。

そのときにカシュタン姉妹が提案していることが、子どもたちに「従わなくていい」って、しっかり伝え続けること
そして、子どもが本当に何を大切にしたいかという「ニーズ」を子育ての軸に置くこと

さらに言うと、大人の「ニーズ」も同じくらい大事にすることを目指す。誰かが幸せになる代わりに誰かが犠牲になるのではなく、「私たち」が共に幸せになる世界を目指すんだ。

具体的な方法のひとつとして挙げられているのが、自己共感。今日の話を聞いて「やってみよう!」と思っても、思うようにいかないことは誰にでもある。そんなときは「今日も歯磨きをついつい強制してしまった……」って罪悪感を抱えるんじゃなくて、自己共感を通して、自分の限界をやさしく受け止めるんだ。

例えば、「もっとゆっくり対話しながら『もうちょっと一緒に遊ぼうか』って子どもに寄り添いたかったのに、今日一日すごくハードで明日の朝も早くて余裕もないし、子どもの虫歯なんて絶対イヤだし、だから歯磨きを強制しちゃった」みたいに、「いい/悪い」じゃなくて、「そういう願いがあったのに、余裕がなくてできなかった」という、「残念さとともにいる」ような感じ。これが、初編で触れた嘆きの実践。

もうひとつは子どもへの共感。できるだけ子どもと対等に、罰や罪悪感を与えず、「こうすべき」とも言わず、「劣っている」と見下しもせず、「子どもから何を学べるか」という姿勢で、子どものニーズややりたいことに寄り添う練習をする。そして子どもの選択に本人が責任を持てるようにする。

例えば、子どもがどういう体験をしているかを想像したり、本人の言葉で伝えてみたり。そのとき、「こういうことが起きているのかな?」って、好奇心を向けてなるべく質問形で言うのがポイント。そうすると、そうなのか/そうじゃないのかを、子どもが選択できるから。

これは実際に僕も実践するようにしていて、子どもが自分と違う意見を言ったときは、議論に入る前に子どもが言ったことを伝え返すようにしているのね。「いますごく遊びに夢中で、もうちょっと遊びたいんだね?」みたいな感じで寄り添っていくと、「そうなの!」って、つながりを感じられることがある。僕のゴールは、歯を磨かせることではなく、安心と信頼の関係性を育むことだから。その「関係性の質」から、歯磨きの重要性を分かち合いたい。

そして、自分に限界があることを子どもに伝える。「僕は完璧な存在じゃない、いまは自分に余裕がなくって、イライラしている」って。そりゃあ無限のエネルギーと時間があればいいけど、ストレスが溜まっている日もあるからね。子どもにこう伝えることによって、「僕が正しい、君が間違っている」というメッセージではなく、「僕のなかでこんなことが起きているから、怖い顔と大きな声が現れている」というように、僕の内側の状況の理解にもちょっとずつ貢献できる。

僕もたまにストレスを抱えて、怒りに飲み込まれて大声で娘の名前を叫んでしまって、娘がショック状態になって、悲しくなってどこかに逃げる、ということが何回もあった。

自分はいっぱいいっぱいだからそのときは全然フォローできなかったんだけど、ちょっと落ち着いてから娘のところに行って、娘に「いまどんな気持ちなの?」「怖かった?」みたいに声をかけて、いまは自分が娘に寄り添いたいということを伝えたり、僕のなかで何が起きていたのかを伝えたり、「だからいま後悔しているよ」って謝ったり。これはとても重要な関係性の修復のプロセス。

「ために」から「ともに」へ

そしてこのときに、「あなたが悪かったんじゃないからね」って何度も伝えてあげる。そうじゃないと、娘は自分が悪いことをしたからお父さんが怒って、怖い目に遭った、という理解になってしまうから。

そのあとで、どうして歯を磨いてほしいのかとか、お片付けするのが僕にとってどうして大事なのかとか、自分の感情や葛藤をちゃんと伝える。そして常識や恥や善悪を使わず、お互いが何を求めているかというところで対話する。

子どもの「ために」ではなく、子どもと「ともに」協力しあう練習、という感じ。そうすると、必ずしもお互いにすべて伝わらなくても、協力的な対話の土壌ができていくんだよね。子どもも安心して自分の意見を言えるようになる。

……でも正直、僕も結構挑戦してるけど、なかなか難しくて、 失敗ばっかり続いてる。たまにちょっと違う流れができて、娘との関係で協力しあう土壌はできているけど、強制してしまっていることもいっぱいあると思うし……。でも、「強制じゃない世界に行こうとしてるんだよ」「あなたの意見も大切にしているんだよ」というところに行けることもある。

あと、これをやると自分の癒しにもなるんだ。僕のワークショップでは、「大人は傷ついた子どもだ」という表現をよく使うんだけど、純粋で、正しいも間違いもなくて、誰のせいにすることもなかった子どものころの自分は、どうしていまこうなってしまったのか、と理解が深まる。

残念だけどいまの世の中は、ありのままでいられない状態をつくってしまった子育ての構造が、ひとりひとりの人生に大きく影響して、自分の同僚や友達や親やパートナーとの関係にまで及んでいる。

僕はもう、こんなことを再生産したくない。
本当に平和で豊かな未来を子どもたちにつくるために。
子どもたちのために。

そして、僕たちのなかにいる、傷ついた子どもたちのために。みんなと助け合って、一緒にチャレンジしようよ!

(編集:岡澤浩太郎)
(編集協力:スズキコウタ、greenz challengers community)
(協力:高野優海、山崎久美子、安納献)