2013年〜2015年まで、僕が編集長をつとめて展開していた「greenz global」の記事をgreenz.jpで復刻しました。古い記事なので元画像データの復元不可(最善は尽くしたのですが)や校正の稚拙さなど、満足いただけない部分もあるかもしれませんが。。。ぜひ、海外に日本のソーシャルデザインを広めたいと思っている方にご活用いただけると嬉しいです。
最近、greenz.jpで葛原信太郎さんにこれまでのライター・編集者として歩んできたキャリアやエピソードについて、エッセイを書いてもらったのですが、それを読んで僕が「greenz global」で経験したことを思い返していたのです。
詳しくは記事を読んでもらえれば嬉しいですけれど、葛原さんは編集やライティングを生業にするつもりなくジョインした「Earth Garden」で、いきなりフリーペーパーとウェブマガジンの編集長に任命されたエピソードの持ち主。この「いきなり編集長」という嵐に飲み込まれるような形でのキャリアチェンジで、自分を高めてきたというのは、僕に重なるなあと思ってました。
(葛原さんとは好きな音楽や社会課題との向き合い方などシンパシーを感じること、多し。)
僕の場合は、グリーンズにインターンで加わり、その3ヶ月後に英語版「greenz global」の編集長になりました。
とんだ無茶振りです(笑)
当時の僕は、音楽以外の仕事をしたことが無かったので、ビジネスレターの書き方は実家の手伝いで少ししたぐらい。
名刺なんて持ってない。
ネクタイも結べない。
(あ、これは今もか。笑)
ビジネスマナーなんて、知識もスキルも皆無だったので、よくもまあこんな信用のないアウトローに編集長をさせたなぁ、と当時も今も驚くばかりです。案の定、経験もスキルも現在以上に未熟だった僕をリーダーにしたプロジェクトメンバーは、挫折することばかり。でも、そのときに経験した衝突や失敗を体験できたのは、今のgreenz.jpでの副編集長仕事に対する心の準備になりました。
ライターという職に触れて3ヶ月後に編集長就任、その後3年間、しかも英語メディアやってた。20代だからできたことですよね。
僕なりに「greenz global」での経験は、成果として出してきたつもりです。成果は期間中にも。
特に対外的なものだと、「GOOD」や「inhabitat」や「treehugger」に転載されましたし、そこでの翻訳記事でグリーンズの海外での信用度構築ができたので、その後の来日セレブリティや海外出張取材が実現できたとも言えます。そして、ここでスズキコウタ流の記事づくりプロセスを固めることにもつながり、それを今、「作文の学校」で教えていますし。
最終的に発信した記事は、2年半で71本。
決して多くないです。
でも、当時のスキルと経験では、これ以上できなかったかな・・・
思い出深い記事は、「C-TAKEO」と「光が丘シェアハウス」。素人なりに工夫を凝らして記事をつくっていたわけですが、着実に外国人読者にリーチした実感を持てた記事でした。それまでは、グリーンズのファンで英語堪能な読者の応援に支えられていた「greenz global」が、きちんと外国の読者層を獲得するきっかけになったのが、その2本でしたね。
そんなわけで、僕らの試行錯誤〜黎明期につくった記事を復刻しました。このコラムを書いていたら、外国人留学生向けのクラスとして、日本のNPOやマイプロのクイック記事を書く授業「作文の学校〜留学生向けバージョン」という学校プログラムや、日本人向けの英語エッセイライティングの授業として「greenz global」の記事をつくっていく「作文の学校〜ENGLISH VERSION」など、いろいろなアイデアが浮かんできました。
「greenz global」の復活も近い!?