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被災した学校を再建して、自然とともに生きる学校をつくる。宮城大学・風見正三教授による東松島市の「森の学校」プロジェクト

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特集「a Piece of Social Innovation」は、日本中の”ソーシャルイノベーションのカケラたち”をご紹介するNPO法人ミラツクとの共同企画です。

みなさんは、どんな小学校に通っていましたか?

コンクリート製の校舎の前に、校庭や体育館があり、教室にはみんな同じ机と椅子がまっすぐに並んでいる…。日本全国、どこでも学びの場は同じような風景があるかと思います。

そんな常識を覆す新しい学校が今、宮城県東松島市でつくられようとしています。その名も「森の学校」プロジェクト。3.11で津波の被害に遭った学校を、森の中に再建する計画です。

「森の学校」をつくることで、子どもたちの心の再生と、子どもたちに希望を持ってもらえることを目指します。

そう話すのは、このプロジェクトを進める宮城大学の風見正三教授。
いったい、どんな学校になるのでしょうか。
 
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お話を伺った風見正三教授

自然とともに生きる学校

建設予定地は、里山が残る野蒜(のびる)地区。森の一部に学校があるようなイメージで、校舎も地元の木材を利用した木造の建物になるそう。

エネルギー面でも、南向きの校舎にソーラーパネルを設置し、太陽光などの再生可能エネルギーを活用していく予定です。
 
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基本計画段階のイメージ。(出典:東松島市教育委員会)

光合成や土の成り立ちを体感しながら学んだり、枝や葉っぱで楽器をつくって演奏したり。教科書で学習するだけでなく、森のなかで自然の営みを体感しながら学習できる環境をつくりたいです。教室内の机と椅子も自分でつくれたら愛着を持てますよね。

自然の中には、同じものって一つもないんですよね。曲がっている木もあれば、まっすぐの木もある。勉強以外にも、そういった多様性の大切さについても、自然からは多くのことを学べるだろうと期待しています。

地元の農家さんに栽培や収穫について学んだり、漁業体験をしたり、自分たちで森を整備したりと、さまざまな教育プログラムも提案されています。これらの地域プログラムは、通常授業とは別に、「コミュニティスクール」で行うようです。

現在、「森の学校」を運営するために、東松島市の教育委員会では「コミュニティスクール」という取り組みを進めています。

これは、学校の運営を学校の中だけでなく、地域の人々とともに学校運営協議会を設立して行い、子どもたちを地域との協働によって育てていくものです。そうした地域と学校の垣根がない学校をつくろうと考えています。

自然と触れ、四季の移り変わりを体感し、地域の人たちと交わりながら成長していく。「自分たちが行きたい学校をつくっています」と風見さんが言うように、「そんな学校があったらなぁ」と思わずにはいられない魅力が詰まっています。
 
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出典:東松島市教育委員会

ここに開設されるのは、津波で大きな被害を受けた野蒜小学校と宮戸小学校が統合する予定の鳴瀬第二小学校(仮称)。現在、校舎被害を受けた小学校に通う子どもたちはプレハブの仮設校舎で学んでいます。

東北の子どもたちのために何かできないか。そんな思いから、「森の学校」は始まりました。

森の力を信じて

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子どもたちを森に招いて

事の始まりは、英ウェールズ出身の作家、C.W.ニコルさんとの出会いでした。ニコルさんは28年間、長野県にある「アファンの森」で森の再生に取り組んできた方で、心や体に傷を負った子どもたちを森に招く「心の森プロジェクト」も行ってきました。

震災直後に開かれたアースデイの緊急記者会見で出会った風見さんとニコルさんは、「東北の子どもたちのために何かしよう」と話し、「アファンの森」に被災地の子どもたちを招待することを企画。

2011年8月から5回開催され、延べ100名以上の子どもたちやその家族が参加しました。

子どもたちは震災で深い心の傷を追っていましたが、森の中では元気で遊びまわっていました。自然に触れることで、笑顔を取り戻していったんですね。

何度か開催するうちに、森の力で癒やされていく子どもたちを見て、東北の森も再生させよう、という構想がわきあがりました。ちょうど東松島市では津波で流された学校の移設計画が立ち上がっていたので、森の恵みを受け取る学校として再建したいと考えました。

東松島市の教育委員会は、こうして宮城大学風見研究室、ニコルさんが理事長を務めるアファンの森財団との協働によって、「森の学校」プロジェクトをスタートしました。

「復興の森」と名づけられた校舎の裏山では、地元の人たちと森づくりが進められ、シンボルとなるツリーハウスも制作されました。ここでは、「森の学校」が開校する前に小・中学校を卒業する子どもたちも遊ぶことができます。
 
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4階建てのツリーハウス「ドラゴンツリー」

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ワークショップの様子。(写真提供 アファン財団)

校舎を建てただけでは、「森の学校」は完成しません。地元の人たちにヒアリングしたり、子どもたちとワークショップをしたりしながら、一緒につくっていきます。

公立学校なので難しさもありますが、一つ手本ができれば全国に伝播することが期待できます。教育が変われば、社会も変わる。つくられてからが本当のチャレンジです。

2017年度の開校に向けて意気込む風見さん。この「森の学校」の構想は、自身が育ったまちが原風景になっているようです。

「持続可能な発展」を実現するために


TEDxTohokuに登壇したときのトーク

茨城県にある風見さんのご実家は農業を営み、自然とともにある暮らしや、地域の人たちと助け合うことは当たり前だったそう。

大学では建築や都市計画について学び、卒業後は日本ダム協会の研究員を経て、建設会社へ。時はバブル。各地で大規模な都市開発が進み、開発に携わる一方で「これでいいのだろうか……」と疑問を抱くようになったと言います。

そんな時に蘇ったのが、大学時代に学んだ「田園都市」というアイデア。「田園都市論」とは、1890年代にイギリスの学者エベネザー・ハワード氏が提唱した理論で、都市の経済的利点と、農村の豊かな自然環境を統合した、新しい都市形態のことです。

自然と共生する暮らしはもともと胸の中にあったけれど、会社では実現できないという葛藤がありました。そこで最初の「田園都市」として開発されたイギリスのレッチワースを実際に見てみようと、ロンドン大学大学院へ留学し、都市地域計画を学ぶことにしました。

留学中は地球サミットのロンドン部会に参加し、「持続可能な発展」の概念と出会い、グローバルな問題を地域で解決することについて議論を重ねたそう。

そして卒業後は建設会社に戻り、社内で「持続可能な発展」を実践するため、環境に配慮した計画手法である「エコロジカルプランニング」を活用した環境配慮のまちづくりプロジェクトを多数提案してきました。

環境を大切にするのは当たり前ですが、環境だけではなく、経済と社会の3つが共生しなければなりません。これらが融合した田園都市をつくるには、コミュニティが主体となって、地域の資源を活用した仕事が必要です。

そう考えた風見さんは、東京工業大学大学院でコミュニティを主体とした持続可能なまちづくりについて研究し、2008年からは宮城大学の事業構想学部の教授として、全国の都市再生やソーシャルビジネスなどのプロジェクトに携わっています。

学校の再建は未来の象徴

震災後は南三陸町の復興計画の策定や、大崎市の中心市街地復興まちづくりなど、宮城県の地域再生にも取り組んでいる風見さん。

「震災後、さまざまな復興支援が行われてきましたが、学校の再建は未来の象徴」と強調するように、「森の学校」はこれからの世代を担う子どもたちの未来を支えることで、復興への希望を強く感じられる場所になるはずです。

私は、志の連鎖が地域を救うと信じています。同じ志を持った人たちをつなぐことで、より問題を解決できると思うのです。だからこそ、自分の使命を見つけ、自分の持ち場で何ができるか考えてみてください。

それは例えば企業の中にいても、外に出てもできることがあるはずです。私の場合は「森の学校」をつくることが天命だと思って取り組んでいます。

「自分の使命を見つけよう」という風見さんからのメッセージ。あなたは、今いる場所で何ができると思いますか?