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「メディアによって生活空間・都市空間を変容させる」メディアアーティスト/研究者 江渡浩一郎さんインタビュー

「モジュローブ」ワークショップ 2008 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

「モジュローブ」ワークショップ 2008 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

今年の4月、山口県にある山口情報芸術センター[YCAM(ワイカム)]というアートセンターで、「メディアによるこれからの生き方/暮らし方の提案」をテーマにしたコンペティション「LIFE by MEDIA」が開催されます。

審査員には坂本龍一さん(音楽家)、青木淳さん(建築家)、江渡浩一郎さん(メディアアーティスト)、津村耕佑さん(FINAL HOMEディレクター)、山崎亮さん(コミュニティデザイナー)、そしてgreenz.jp編集長のYOSHさんが参加します。

前回のFINAL HOMEディレクター 津村耕佑さんインタビューに続き、今回は、集合知やソーシャルメディアの研究者として知られ、メディアアーティストでもある江渡浩一郎さんにインタビューさせていただきました。

江渡さんの手掛けてきたプロジェクトを見ていると、インターネットにはじまり、コミュニケーションの場に発展しているプロジェクトがとても多いことに気づきます。江渡さんはメディアやコミュニケ—ションについて、どんな風に考えてらっしゃるのでしょうか?YCAMの田中みゆきさんと一緒にお聞きしてきました。

江渡浩一郎さん

eto

メディアアーティスト/産業技術総合研究所主任研究員。1997年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。2010年、東京大学大学院情報理工学系研究科博士課程修了。博士(情報理工学)。産総研で「利用者参画によるサービスの構築・運用」をテーマに研究を続ける傍ら、「ニコニコ学会β」の発起人・委員長も務める。主な著書に『パターン、Wiki、XP』(技術評論社)、『ニコニコ学会βを研究してみた』(河出書房)。http://eto.com/

江渡さんの考えるメディアとは?

宮越 こんにちは、今日はよろしくお願いします。

江渡さんが立ち上げられた「ニコニコ学会β」は、自分が研究していると思っている方ならプロ・アマ問わず参加できるということで、毎年盛り上がっていますね。また、ホームページでアプリケーションを配布している「Modulobe(モジュローブ)」というメディアアート作品でも、一般ユーザーの方が作品を投稿し、参加できるようになっています。

そのように、江渡さんが一般の方が参加しやすい環境をつくられていることがとても興味深いと思います。

Koichiro Eto Modulobe(2007)from YCAM on Vimeo.
「モジュローブ」モジュールと呼ばれる部品をレゴのように組み合わせて、仮想生物を作れる物理シミュレーション・システム。オフィシャルサイトにこれまで制作されたモデルが公開されており、一般ユーザーもモデルをダウンロードして新たな生物をつくり、作品を投稿することができる。

江渡 よろしくお願いします。何でも聞いてください(笑)。

田中 どうぞよろしくお願いします。さっそくですが、今年YCAMでは、「メディアによるこれからの生き方/暮らし方の提案」をテーマに、初めてコンペティションを開催します。江渡さんは“メディア”というものをどう考えてらっしゃいますか?

江渡 そうですね、どこから説明したらいいのかな。もともと僕は「ウェブ上での創作活動を促すプラットフォームの研究」をテーマに博士論文を書いたのですが、その背景にはウェブに限らず、メディアによって生活空間・都市空間を変容させる、という大きな課題がありました。

僕はさまざまなメディアアートから影響を受けてきたのですが、空間を変容させるような色々なアイデアが取り入れられたアート作品があります。たとえばメディアアーティスト、ナム・ジュン・パイクの衛星中継システムを利用した「Video Commune」というテレビ番組(1970)や、キット・ギャロウェイとシェリー・ラビノヴィッツが行った、ニューヨークとロサンゼルスをテレビ電話のようなシステムで接続した「Hole-In-Space」(1980)というプロジェクト。これらの事例は、実際に生活空間を通信する空間へと変容させました。

「Hole in space.」©Elizabeth Goodman

「Hole in space.」©Elizabeth Goodman

その後にインターネットが出て来て、掲示板というしくみが出てきたり、ブログが出てきたり、ツイッターが出てきたりして現在にいたっています。近年はメディアの発展が目ざましく、メディアが空間を変えるということが何度も繰り返されてきました。特にツイッターとスマートフォンの登場は大きく、その2つの相乗効果で大きく変わってきました。

宮越 ツイッターとスマートフォンですか。

江渡 はい。たとえば僕も、秋葉原のリナックスカフェという所に行って、「リナカフェなう。」とつぶやいたら近くにいた知人がやってきたことがあります。そうなると目に見えて生活空間が変わってきますよね。そのような事例を多く見てきてウェブを生活空間、都市空間を変容させるようなメディアにしたいという風に思うようになり、そのための技術を構築してきました。

だから僕自身は「メディアによるこれからの生き方/暮らし方」というテーマは素直に受け取りました。

都市空間を読み解く

田中 江渡さんはウェブなどでコミュニケーションを広げる可能性を探っていらっしゃいますが、コミュニティに関する作品で影響を受けられた作品はありますか?

江渡 コミュニティということに関していえば、家に真っ二つに切れ目を入れた作品で有名になったゴードン・マッタ=クラーク(1943-1978)という人がいます。彼はアート作品をつくるかたわら、ニューヨークに「フード」というレストランを経営していました。そこはアーティストたちが集い、自由に料理することができるというスペースでした。

作品には生活空間に対する鋭いまなざしを発揮する一方で、レストランという人が集うスペースをつくりあげている。その二面性がおもしろいし、そういったある種のコミュニティ志向には共感を覚えます。

宮越 おもしろいですね。最近の作家さんではいかがですか?

江渡 演劇ユニット「Port B」主催者の高山明さんに親近感を持ちました。2009年にフェスティバル/トーキョーという演劇フェスティバルで高山さんの「個室都市 東京」という作品があって、池袋まで観に行ったんです。すると池袋西口公園という人通りのの多い場所に、個室DVDを真似たコンテナハウスがあって、中に入るとズラーッと人の顔写真が貼られたDVDが並んでいるんです。その中から気になるDVDを選んで観てみると、その公園の周辺にいる人にインタビューした映像なんですね。

F/T09秋『個室都市 東京』高山明(Port B) ©Masahiro Hasunuma

F/T09秋『個室都市 東京』高山明(Port B) ©Masahiro Hasunuma

その質問がよく練られていて、最初は「今欲しいものは何ですか」などの軽い質問を入口に、「お友達の名前を教えてください」とか「祖国のために闘えますか」など、だんだんと深い質問になっていく。そして最後は「あなたは一体誰ですか」という質問で終わるんです。それはまるで、町を歩いている人をツイッターでフォローして、その人のタイムラインを読んでいるような感覚でした。また、その後には町を歩くツアーも用意されていて、都市の中における空間という問題について徹底して掘り下げられていることに感動しました。

その翌年にもフェスティバル/トーキョーで、高山さんの「完全避難マニュアル」という作品の発表がありました。

F/T10秋『完全避難マニュアル』高山明(Port B)

F/T10秋『完全避難マニュアル』高山明(Port B)

それは山手線の29の駅に一カ所づつ避難所が設置されていて、地図にしたがってその場所を訪れると何かがある、何かが体験できる、というものでした。

例えば代々木の図書館カフェに行ってたくさん本がある空間を体験したり、田端のまれびとハウスというシェアハウスを訪れて住んでいる人の話を聞いたり、上野の教会でホームレスの人と一緒に礼拝を聞いたりといった、さまざまな体験をするんです。逆に何もない場所というのもあって、新宿の駅を降りて誰もいない山を登るだけという体験もありました。町というのは家や職場という機能的な場所でできているわけですが、そうではなく、ただフラフラする場所というのもあるんですね。

都市の中にはまだまだそういった目的のわからない空地があって、僕自身も、町を歩いている時などにそういった場所を発見するのが好きなんです。そういった意味で高山さんの都市の読み解き方に親近感を覚えました。

「皆でつくる」都市は実現可能?

田中 江渡さんが研究されている「パターン・ランゲージ」という思想は、建築から派生した考え方ですね。その辺りについても少し教えていただけますか?

江渡 もともとは「Wiki」というシステムに興味があり、その起源を調べていくうちにクリストファー・アレグザンダーという建築家の「パターン・ランゲージ」という思想にルーツがあることがわかりました。

「Wiki」というのは、ウェブブラウザからウェブページの発行や編集などが行えるシステムのことで、平たくいえば、一つのウェブサイトを皆でつくる、皆で共同編集するシステムです。アレグザンダーの言う「パターン・ランゲージ」とは、簡単にいうと建築を構成する基本的なパターンの集まりのことで、そのランゲージに従えば良い建築を生成することができるというものです。この思想に影響を受けたウォード・カニンガムという人が「Wiki」を発明しました。

「Wiki」も、ソフトウェア開発用語の「デザイン・パターン」や「XP」も、皆この「パターン・ランゲージ」の思想を起源としています。

田中 建築家の山本理顕さんが被災地の仮設住宅を設計された時に、あえて住宅の玄関が向かい合う配置にしたら住民同士の交流が密接になったという話がありました。そういったことにも共通するところがあると思います。

江渡さんは2007年に「10+1」という建築誌のインタビューを受けられていて「Wiki的都市は構想可能か?」というテーマでお話しされていましたけれど、そのような都市が実現するとしたらどんな都市になると思われますか?

江渡 「皆でつくる」都市の具体例をあげると、スラムというものがあります。環境問題を扱っている「ホール・アース・カタログ」を書いたことで有名なスチュアート・ブランドが最近「地球の論点」という本を出版したのですが、それを読むと、都市化やスラムのことについてかなり具体的に書かれています。ブランドはそこで、スラムが経済圏になりうるということやスラムの利点を肯定的に書いていました。

でも、僕は実際に出張でブラジルに行き、ファヴェーラというスラムを目の当たりにしたのですが、「スラムを肯定するか?」と聞かれたら、とてもそうとは言い難いですね。まず僕が感じたのは、恐怖です。実際のスラムは文明からかけ離れた印象で、とてもそこで暮らしたくなるとは言い難い町でした。ですから「皆でつくる」ということが、スラムのような街づくりにしかつながらないのだとしたら、一体どうすれば肯定できるような街づくりになるのか、というのは悩んでいるというのが正直なところです。

ブラジルのファヴェーラ『favela rocinha 03』©metamorFoseAmBULAnte

ブラジルのファヴェーラ『favela rocinha 03』©metamorFoseAmBULAnte

インターネットがかつてのコミュニティを再生する

田中 SNSなどの発展によって、ネット上のコミュニティでプロセスが共有されるようになりました。それによりコミュニティのあり方はどう変わると思われますか?

江渡 かつて人は、目に見える範囲の共同体を営んでいたのではないかと思います。例えば昔の日本には長屋というものがあり、シェアハウスのような共同生活は当たり前のものでした。そういったコミュニティでは、自ずとプロセスが共有されていたはずです。そう考えると今のご質問の答えは、順番を逆に考えるといいのではないかと思います。

つまり、それそれの家庭が一軒家が欲しい、プライバシーが欲しい、という欲望に向かい、都市化の進展によって人々の生活が切り離され、それまで共有していたプロセスが見えなくなっていったということだと思うんです。昨今のインターネットをはじめとするメディアの隆盛は、かつて切り離された生活やプロセスを、もう一度メディアでつなげようとしている。そう考えるのが自然なのかもしれません。

1962年にマーシャル・マクルーハンというメディア/文明批評家が「グローバル・ヴィレッジ」というコンセプトを発表しました。それはラジオやテレビなどの電子メディアの出現によって、それまでコミュニケーションの障壁になっていた時空間の壁がなくなり、地球全体が一つの村のように機能するはずだ、というものです。今の時代に切り離されてしまい、人々が改めてつなげようとしている生活空間は、マクルーハンが「グローバルヴィレッジ」と呼んでいたものに近いのではないかと思います。

田中 コミュニティにおけるプロセスの共有方法については、どのように考えていらっしゃいますか?

江渡 たとえばキリスト教などといった極めて長期的に渡って続いているコミュニティはなぜ維持できているのかということを調べていくと、「同じ本を読み」「同じ行動をする」という共通点がある、という研究について最近聞きました。これは宗教に限らず言えるのだそうで、たとえばグローバルで長期に渡って続いている企業でも、同じ性質があると論じていました。宗教でいえば教典ですよね。

マクルーハンはもともと文芸批評家だったのですが、主にカソリック的な理念や宗教文学を研究していました。マクルーハンのコミュニティに関する考え方も、そうした宗教的な一体感や統一感が大元にあるのではないかと思います。

宮越 「同じ本を読み」「同じ行動をする」ということを最近の社会の動向にあてはめてみると、どんなことが考えられますか?

江渡 そうですね、たとえばツイッターはそうなのではないでしょうか。

宮越 なるほどですね。おもしろいことをつぶやいている人が長くフォローされつづけていくということはありますね。フォロワーの集まりがひとつのコミュニティを形成しているという感じでしょうか。

変化していく、メディアのかたち

宮越 最後に、江渡さんは「メディアによるこれからの生き方/暮らし方」は今後どうなっていくと思われますか?

江渡 歴史をたどると、マクルーハンのビジョンに影響を受けたアラン・ケイというコンピュータ科学者がいて、彼が1972年に「動的な本」という意味で、「ダイナブック」というコンピュータの構想を論文化し、パーソナルコンピュータの概念へと繋がりました。

この時に構想した「ダイナブック」とは、持ち運びができる小型のコンピュータで、文字のほかに映像や音声も扱うことができる楽器的なもの、動的な本のようなものでした。スティーブ・ジョブズはケイの所属していたXerox PARCという研究所を見学していて、その時に得たアイデアが後の「マッキントッシュ」に繋がっています。

Alan Kay「A Personal Computer for Children of All Ages / DynaBook」1972

Alan Kay「A Personal Computer for Children of All Ages / DynaBook」1972 ©jeanbaptisteparis


現在はこのダイナブックというビジョンから、まだ一歩も外に出ていないと思います。それで未来はどこにあるのかと考えると、このままダイナブックの延長線上を進化すると考えるのは無理があって、むしろ60年代の「グローバル・ヴィレッジ」の概念に戻る方向に向かうのではないかと考えています。といってもすぐに変わるというわけではなく、そうですね、今後20~30年くらいのスパンで変わっていくんじゃないでしょうか。

当然のことながら、どんなメディアにも終わりがあります。今はウェブがメディアの主役になりつつあるところで、当面そのままと思われているかもしれませんが、そんなことはないはずで、いつかはピークを迎え、終わりを迎えるはずです。つまり、何らかの別のメディアに主役を受け渡すはずです。その時に、ウェブを超えるメディアとして登場するのは何なのか、そこに注目しています。

それが具体的に何かと言うのは非常に困難なのですが、現在主流であるマッキントッシュやiPhone、iPadといったデバイスが、全てダイナブック、つまり「動く本」の範疇に収まることを考えると、それを超えるには「動く本」の元となった「グローバル・ヴィレッジ」という概念に戻るのではと予想しています。それはつまり何かしらの「声」を扱うものになるのではないかと考えています。

インタビューを終えて

空間を変容させるようなアイデアからメディアの未来への話、とても興味深くお聞きしました。コンピュータの世界を研究している江渡さんが、都市の成り立ちやスラムにまで興味をもっていらしたことは意外でしたが、そんなバランス感覚が研究の幅を広げていくのかもしれません。

コミュニティをオープンにすることで得られる豊かさ —— そんな何かがたしかに今、家族や地域のつながりから切り離された場所に生きる人たちに求められています。ウェブ上の世界を現実の場に生かすアイデアを考えてみるのも、有意義なことだと思いました。

また、未来に登場するかもしれない「声」を扱う“何か”のお話も、大変興味深いと思いました。“メディア”というと真っ先に目で見るものをイメージしてしまいますが、目に見えないメディアにも、色々な可能性がありそうですね。これからYCAMで開催されるコンペティションにも、どんなアイデアが集まってくるか楽しみです。(宮越)

ycam