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私の故郷は本当に「何もない」まちなのか? 東京に出て約10年間フリーライターをしていた私が、愛知県瀬戸市にUターンした理由

生まれ育ったまちに帰って、空気を吸うと、ほっとする。
まちに、何があるというわけでもなく。
いつか地元へ帰ろうかな? と思いつつ、でも、帰ったって何にもないし。仕事がないし。そう思って、あきらめる人は多いのではないでしょうか。

私は愛知県瀬戸市というまちの出身です。高校生の頃に旅ライターになりたいと決意し、卒業後、3年間ほどアルバイトでお金を貯めては海外を放浪して、出版社が集まる東京へ飛び出しました。運良く、大好きだった旅雑誌の編集を担当していた、神保町の小さな出版社で働かせてもらえることができて、独立。文章を書くことを生業としてきました。

東京へ飛び出してから、10年以上。
今年の5月、33歳で昔は「何もない」と思っていた地元へと帰りました。それは私が知らない間に若い“ツクリテ”が集まっていて、ものづくりをする人にとって、生きやすそうな空気を感じたからです。帰ろう、と決断するまでのリアルなお話をお伝えしたいと思います。

「せともの」のまち、愛知県瀬戸市

名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅前に広がる瀬戸川沿いの風景。

愛知県瀬戸市は、県北部の山間部にある人口約13万人です。“せともの”の由来となったやきものの産地で、名古屋市の中心部から名鉄瀬戸線で約30分ほどで到着します。名鉄瀬戸線の終点・尾張瀬戸駅を降りると、瀬戸川沿いに陶器店が並び、橋の欄干には絵付けした陶板が飾られ、地面や壁に陶片が埋め込まれていたり、あちこちにやきものがあふれています。

深川神社参道。奥には、瀬戸らしさが凝縮された店舗が並ぶ「宮前地下街」。

けれど、現在34歳の私が幼い頃から高校生まで持っていた瀬戸市のイメージは「何もないまち」でした。新興住宅地として開発された団地で生まれ育ったこともあり、幼い頃にやきものの産地だということは、ほとんど感じることはありませんでした。

唯一感じたのは、年に1度開催される「せともの祭」のとき。まちの中心部を流れる瀬戸川にずらっとやきものが並び、人で混み合っていました。とはいえ、小学生の頃は、せとものに見向きもせず、友だちと一緒に屋台のバナナチョコをめがけて、走り出していました。

私が生まれたときからずっと、今時のおしゃれなものや流行りものは、このまちにはやってこない。あちこちで「瀬戸は景気が悪い」「商売が難しい」と耳にするし、今では陶芸関係の方からは「斜陽産業どころか瀕死状態」と聞く。そんなこんなで、同級生の多くがこのまちから出ていきました。

上浦未来(かみうら・みく)
物書きなど。1984年瀬戸市生まれ。市内の団地で育ち、中学生のとき、瀬戸市から抜け出そうと、名古屋市立の名東高等学校英語科に入学。高校生のときに旅ライターになると決め、卒業後は海外を放浪。東京の神保町にある株式会社「デコ」で働き、独立。住居は、2015年に東京の下町・文京区根津から神奈川県大磯町へ。2018年に大磯町から瀬戸市へUターン。同年7月に愛知県瀬戸市の町歩きwebエッセイ『ほやほや』開設。

それなのになぜ、瀬戸市へ戻ってきたのか?
本気で検討し始めたのは、2018年のはじめにパン職人の弟から「瀬戸でパン屋を開くから、手伝ってもらえると助かる」という話があったことがきっかけです。

当時、私は神奈川県の大磯町という、山と海に囲まれた小さなまちに住んでいました。取材で訪れたことがきっかけで、駅を降りた瞬間、好きだと思いました。毎月第3日曜日には、老舗のお店も若い作家さんも集まる「大磯市」という市があって、ワクワク。住めば住むほど好きになり、とても良い人たちに囲まれ、暮らしていました。

けれど、そんな中、大好きだった母親が病に倒れ、大磯と瀬戸を往復する日々が始まり、約2年の闘病の末、亡くなりました。
母親がもうどこにもいないんだと思うと、呆然。何もしないと、勝手に涙がじわっと出る。
仕事も興味を失いがちで、以前、働いていた神保町にある出版社の社長に「30歳すぎたら、自分が何を書きたいか、悩むもんなんだ」そんなことをいわれていたのですが、まさにそうなりました。

一体わたしは何が書きたいんだ? 

書くべきことがあるから、書く仕事をしているはずなのに。
働かざるもの食うべからず。けれど、頑張って働く気もおきない。誰かに頼りたい時に限って、彼氏にも、なんだか謎めいた理由で振られる。これは、何かとてつもなく強烈な変化がないといけない。そう思っていた頃に、弟から連絡がありました。

ライターという仕事以外でも、新しい何かをしたい、という思いもあって、本気で瀬戸市へ帰ることを検討し始めたのです。

24歳、新卒オーナーがゲストハウスをつくる

南慎太郎君。1994年瀬戸市生まれ。北海道大学農学部で生態学を学び、卒業後は地元へと戻り、ゲストハウス「ますきち」をオープン。

帰るとしたら、瀬戸市に何かおもしろい動きがあったらいいな。
そう思って、瀬戸、ゲストハウス、でインターネット検索してみると、「瀬戸でゲストハウスをつくる」という、現在「ゲストハウス ますきち」のFacebookのサイトがなんと見つかり、連絡しました。すると、すぐに返信があり、瀬戸市で会うことになったのです。

聞けば、まだ24歳で、大学卒業後にいきなりゲストハウスを開業したといいます。なぜ地元でゲストハウスをつくろうと思ったのか? 南君の言葉を、ここで少し紹介します。

我が道をいく南君。『天才バカボン』の愛読者で「これでいいのだ」の精神で生きる。

南君 進路を決める時、大学院に進んで、興味があったお酒の研究をしようかと考えたり、酒造会社で働くことにも興味はありました。けれど、純粋に一番やりたいことは何かを基準に選びました。ほかの道へ進むのは、あとでもできる。どんな働き方をしても、そのなかで暮らしを楽しめばいい。

大学卒業後、すぐに自分で起業じゃないですが、何かをしていると、世間からはすごく問題意識を持って、目の前のことに取り組んでいる青年みたいに映るんだろうなと思うんですけど、自分としては違うんです。

南君は、江國香織さんが書かれた『間宮兄弟』のあとがきに書かれているこんな文章を気に入っているといいます。

「愉快に快適に暮らすのは有意義なことです。たとえ世間から多少「へん」に思われても」

南君 愉快に快適に暮らすことは大切なことだと思っています。何かに焦っていたとしても、その状況を楽しんでいるぐらいの余裕を持っていたい。そのためには、心に余裕を持っている人と、一緒に暮らしをつくることが大事だと思っています。

それは、会社員として働くことで余裕を持っている人かもしれないし、あるいは、ツクリテさんだったりして、生活のリズムも金銭感覚も世間から外れているかもしれない。そういう人が集まってくるような場所にしたいですね。

宴会やワークショップ写真のスタジオとしても利用できる、イベントスペース。改装中はここでずっと寝泊まりしている。

「ますきち」でお客さんに楽しんでもらいたいことは、瀬戸市の日常。
そのために、自分のことを知ってもらい、相手のことも知るため、1年間かけてまちを歩き回ったといいます。

南君 瀬戸は何度やきものが衰退しても、時代に合わせて、どんどん新しいことに挑戦し、不死鳥のごとく蘇ってきました。そのせいか、まちの商店のおじちゃんやおばちゃんはチャレンジ精神にあふれていて、新商品の開発に余念がないんです。

僕が通い詰めているオハヨー精肉店さんは、行くと、3回に1度は新商品だから食べてみて、といわれます。たぶん、僕のことを息子みたいに思ってくれていて、いつも自宅用につくっている特製の“カレー玉”やシソジュースなど、いつもおまけをくれたりもするんですよ。

「オハヨー精肉店」店主。お肉に関係ない、タマゴサンドやお豆腐ドーナツなど、さまざまな商品に挑戦している。

どれも魅力的な話だな、と思っていると、突如、南君は

瀬戸市の日常を紹介するメディアを立ち上げたいんです。一緒に立ち上げませんか!?

と切り込んできました。実は私は私で地元へ戻ったら、ローカルメディアを立ち上げたいと思っていたので大盛り上がり。インターネットで情報を発信し、宿で案内して、実際に楽しんでもらうことができたら、発信する意味もある。

瀬戸市はやきものの産地なので、窯元の職人さんや陶芸家さんが山ほど活躍されているし、インターネットに紹介されていないような、ディープなお店も多い。うわー、いろいろ書きたい! 書くことがある! そんな風に書きたい意欲がモリモリとわいてくるのは、久しぶりのことでした。

しかも、応援してくれる人付き。
このとき、私は瀬戸市に帰ることを、ほとんど決めていました。

意気投合したふたり。その様子。

やきものの産地、瀬戸市は“ツクリテ”が集まるまちへ

瀬戸市都市計画課の前嶋依理子(まえじま・えりこ)さん。1975年北海道生まれ。北海道大学工学部卒業後、2001年に瀬戸市役所へ建築技師採用で入庁。

もうひとつ、瀬戸市のことで見逃せない大きな動きが、2016年に始まった「瀬戸市空家等対策計画〜せとで住もまい プロジェクト〜」でした。担当の前嶋依理子さんは、南君が「ますきち」の物件を借りられることになった縁をつないだ方でもあります。

まちの人の意見を吸い上げる名人で、瀬戸市空家等対策計画の担当になってからは、空き家を活用していく上で、どんなまちにしていくべきか、年齢も職業もばらばらのまちの人とおやつを食べながら、ざっくばらんに意見を話してもらったといいます。その結果、辿り着いたのが、“ツクリテのまち”だということ。

前嶋さん みなさんから瀬戸はものづくりのまちだ、というお声がたくさんあり、プライドみたいなものが感じ取られたんです。“ツクリテ”という言葉も出てきて、これをキーワードに、誰もが俺は、私は、なんとかのツクリテだ! といえるようなまちになったら、クリエイティブでおもしろいな、と思ったんです。なんでもいいんですよ、子づくりでも(笑)

アーティストが集う「タネリスタジオ」

「タネリスタジオ」。普段は扉が閉じられ、小さなのぞき穴があって、なかで作家さんが作品を制作しているかもしれないし、していないかもしれない。

いつも気さくで、いざという時に頼もしい前嶋さんが「自分のなかで重要なポイント」と位置付けていた物件が、尾張瀬戸駅から徒歩7分ほどにある「せと末広町商店街」のすぐ横、3階建ての元電気屋の長屋ビルでした。

ひっそりと期待を込められていた物件は、現代アーティストの植松ゆりかさんの目にとまりました。植松さんが昔からバリバリと活動している画家の設楽 陸さんに相談すると、話は一気に前へ。現在、芸術家が集う複合施設「タネリスタジオ」となって、瀬戸市へ訪れる人の層は大きく変わりました。若い女の子やカップルなどがやってくるようになったのです。

「タネリスタジオ」運営代表の設楽陸さん。1985年瀬戸市生まれ。名古屋造形芸術大学美術学科卒業後、画家の道へ。

そんな「タネリスタジオ」を訪れ、お話を聞いてみました。代表の設楽陸さんは、もともと廃墟みたいな状態だったこの物件に対し、すごく可能性を感じたといいます。

陸さん ものづくりの作家や美術家はスペースが必要。そこで作業ができて、何かを生み出したくなるような環境があって、安ければなおいい。ここ、1棟5万円なんです。みんなで借りれば、ものすごく安くできるじゃん、と思って、自分たちでリノベーションしているうちに、カフェやギャラリー、写真スタジオやりたいという人が集まってきて、複合的な施設になっていきました。

陸さんは、中学生から高校生までを瀬戸市で過ごし、当時はやはり私と同じく、つまらないまちだと思っていたといいます。

陸さん 中高校生といえば、ファッション、流行りもの、チェーン店とか、ステレオタイプなものが好きな年代ですからね。美術の大学に進学したら、そういったものから隔離されていた。陸の孤島みたいな場所で、学生はその島で暮らす島民。東南アジアのような空気が流れていて、何度も足を運び、生活の一部になって、初めてそこの人々や文化や良さがわかる。瀬戸、とくに尾張瀬戸駅周辺は、その空気感に似ていると思ったんです。

「タネリスタジオ」内部の様子。スクワット(不法占拠)で始まったパリの共同アトリエ「59リヴォリ」を目標とした。

陸さん 作家って、社会的に地位もかなり低いし、いろいろ精神的に抱えているものもある。ひとりで葛藤するのもいいけど、へこんでたら誰かと一緒に飲みにいくとか、作業を手伝うとか、そういうやりとりができる場所にしたいですね。歴史をひもとけば、印象派はサロン(官展)に落選した画家たちがグループ展を開き、活動していたし、集まって制作することは何もおかしいことではないと思います。

植松ゆりか。1989年静岡県生まれ。「タネリスタジオ」副代表。名古屋造形大学を卒業後、現代美術作家になる。

植松さん おもしろいことをやってみよう、といえる場所になったら、いいな。やりたいね、あははで終わっちゃったら意味がないですけれど、手助けをしあって、ちゃんとやろう、と話が進むと、存在している意味がありますよね。ごはんに行ったり、旅行に誘うときも、行こうじゃなくて、予約したからぐらいの勢いでぜんぜんよくて、そういう人がいっぱいいると、絶対楽しいと思う!

そんなふたりの空気感に惹かれてか、最初は3人しかいなかったメンバーも、今では20人近くが利用する大所帯に。最近では、個別だけではなく、「タネリスタジオ」という集団に対する注目度も高まって、仕事依頼も増えているそうです。

市外から若者を引き寄せる「Art Space & Cafe Barrack」

ともに31歳・美術家のふたりが開く「Art Space & Cafe Barrack」。木曜から日曜のみ営業。

「タネリスタジオ」のなかで、唯一お客さんとして、日常的に訪れられる場所が「Art Space & Cafe Barrack」です。運営しているのは、アートスペースを担当する美術家の古畑大気さんと、カフェを担当する同じく美術家の近藤佳那子さん。独特の立ち位置で関わり、制作現場は別に持っているおふたりにも、お話を聞いてみました。

古畑さんは、学生時代から個人の作家として活動していく以外にどうやって美術と、そして、仕事として関わっていくのかを問題意識として持っていたといいます。

手前がカフェ、奥にギャラリーがある。

古畑さん 当初は、陸さんからアトリエとして使用しないか? と話があったんですが、どうせなら発表のスペースにしたかった。愛知県は芸術系の大学が複数あり、各大学で毎年まぁまぁな数の卒業生を排出していて、卒業後、制作活動は続けていても発表の場がない人たちもたくさんいます。

そんなことを考えてはいても、自分自身もどうにかする術もなく、卒業後はとりあえずバイトやらで日々を食いつなぎ、その後とりあえず就職し、休みにたまに制作、発表という感じでした。卒業から2年くらい経ち、タネリの話があって、僕が学生の時から考えていた発表の場をつくるということが、ひとつの形になるかなと思ったんです。

「Art Space & Cafe Barrack」カフェ担当であり、美術家の近藤佳那子さん(左)と、取材時に展示をされていた作家の池奈千江さん(右)

近藤さんは、愛知県立芸術大学を卒業後、高校や予備校で学校の先生として働いたのち、受験ではない美術との関わり方を求め、お店を開きました。

近藤さん 美術と私と、誰か。もうちょっと大きくいうと、社会。うまくいいい関係が築けないかなと思い、お店を始めました。週の半分を休みにして、タネリとは別に築100年以上の工房を改装して、そこで制作しています。

瀬戸には、リノベーションしやすい物件が多いので、大学卒業後に、アトリエを借りている子が多いんです。家具をつくっている子もいれば、彫刻、うつわ、絵画、版画、いろいろなジャンルの作家たちがいて、すごくおもしろい話をしてくれる。作家が作家を呼んで、垣根を超えてコミュニティが拡がり、私の願い通りじゃないけれど、それよりもいっぱい出会いがあって、やってよかった。

東京へ飛び出したライターが故郷へ帰るとき

生きていくためには、何かしらのことを生業として、生きていかなければいけません。けれど、ひとりでできることは限りがある。私は原稿の完成度を求めるあまり、お金のことをうっかり疎かにしてしまったり、ウェブやSNSでの発信も全然得意じゃない。自分に限界を感じ、得意なことをいかしあえる仲間がほしかった。

今、「ますきち」のなかに、私が今年7月に開設した、瀬戸市の町歩きwebエッセイ『ほやほや』の編集室をつくってもらっています。南君と大工さんと私で編集室があったらおもしろいね! と盛り上がって、いつの間にかできることになり、コミュニティスペースの一角に誕生しました。

『ほやほや』編集室。

ここは、現状『ほやほや』の編集室ですが、今後は紙媒体でもまちの魅力の発信したり、まちの看板となる陶芸関係の企業の宣伝や求人広告もしたいと思っています。南君が宿以外にも、まちの若い人が必要とする不動産業などさまざまな事業を展開していく予定なので、その情報発信のサポートも計画しています。

事業として成り立っていくのかは、正直なところ、未知の世界です。ただ、気持ちとしては鹿子裕文さん(『へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々』著者)の言葉を借りれば、こんな感じです。

「根拠なんか別にない。ただ、やれると思う気持ちがあるだけだ。
新しいことはいつだって、無謀で無計画で、前例がなくて保証がないところからしか生まれてこないのだ」

左から内藤雄太さん、前嶋さん、南君、植松さん、陸さん、現代美術作家の鈴木優作さん、瀬戸市役所の青山恭子(ちかこ)さん、瀬戸市新世紀工芸館研修生の田仲哲也君。

このまち、とくに私が知り合った尾張瀬戸駅周辺の“ツクリテ”たちは、一人ひとりはとても独立しています。みんなで一緒に決まった何かをやろう、ということにまったく向いていません。誰もまとめようとしないし、まとまらない。リーダーらしき人が出てくる兆しがないことが、このまちのおもしろさかもしれません。

それでも、来年の夏には3年に1度開催される「あいちトリエンナーレ」で、「タネリスタジオ」と「ますきち」がタッグを組み、なんかおもしろいことしよーよ、と企んでいます。おもしろそうなことに対しては、熱心なのです。

これから瀬戸市というまちがどうなるのかはわかりません。博打のUターンです。けれど、ふしぎなほど若い人が集まってきていることは確かで、ワクワクする明るい未来が妄想できることは、とても幸せなことだと思っています。

あなたのまちは、どうですか?
切っても切り離せない、人それぞれの故郷。
「何もないまち」と思っていたら、実は自分が知らないだけで、すでにおもしろい動きが、始まっているかもしれませんよ。

(撮影:濱津和貴

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