私は1970年のアースデイは成功するだろうと思っていましたが、これほどまでに成長するとは思っていませんでした。アースデイは、もともと環境破壊や核兵器の増加、ベトナムなどでの環境汚染などグローバルに起きている社会問題に関心を持つ大学生を中心に、キャンパスで起こったムーブメントだったんです。そこに、大気汚染や廃棄物処理、コミュニティの崩壊などの地域の問題を抱えていたニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコなどの都市も参加しました。
ニューヨークでは市長からサポートが得られ、セントラルパークの芝生を集会場にしたり、6番街からクルマを締め出し、歩行者天国にしたりしたことで、ニューヨークだけで100万人以上が参加しました。これらがマスメディアによって大きく取り上げられたことでまたたく間に全米中に広まっていきました。第一回目のアースデイは人々が環境と調和したカタチで自分らしく生き、街をつくり、産業を興すという基本的な価値観を共有できたイベントだったように思います。そのアースデイが直接的なきっかけになり、アメリカの環境保護庁は設立され、72年にはアースデイでの反対運動の盛り上がりを受けて、ベトナム戦争での枯れ葉剤使用が禁止されたのは大きな成果でしたね。
90年からはアースデイを世界にひろげていく活動も加わり、日本を含む144か国で開催されました。私たちはとにかく70年の一回だけで終わりと思っていたので、その後はまったく考えていなかったんですよ。それが自然発生的に毎年各地で開催されるようになり、今では、175か国で行われています。さまざまな意味で、とても重要で意義深い、おそらくは世界最大の「地球の祝日」になったのです。
私たちはいま、歴史の分岐点に来ていると思います。地球温暖化と伝染病の蔓延に加え、紛争、石油資源をめぐる争い、そして世界的にテロリズムの脅威にさらされています。このような状況だからこそ、情報がどのように伝えられ、広まっていくかということや、人々の間に広がる政治への無関心について一人ひとりがもっともっと考えるべきだと思います。
しかし、私は希望を捨ててはいません。ダーウィンの言葉を借りて言えば、「悲観するものは生き残れない」と思うからです。ボトムアップ(草の根)の社会変革はいつも、若者にリードされて始まります。アメリカでは、市民運動や環境ムーブメントの多くは30歳以下の若者によるものでした。東欧のビロード革命もしかり、中国での天安門広場になだれ込んだのも多くは若者でした。これは世界的な傾向だと、かなり明確に言えると思います。なぜなら、未来の世界に生きることになる若者こそが、自分たちが生きる未来を守っていく強い動機をもっているからです。この世界的ムーブメントは今後、テクノロジーやウェブの発展に伴って国境や文化、考え方の違いを越えて、さらにつながっていくことが可能になるでしょう。そして地球環境問題をはじめとするさまざまな問題に対して立ち向かう大きなうねりとなっていくはずです。
Denis Hayes:デニス・ヘイズ
スタンフォード大学大学院法学部卒業。大学在籍中の1970年、第1回目アースデイの事務局長を務めて以来、175か国が参加するアースデイネットワークの代表理事を務める。
世界銀行や数々の団体から名誉ある賞を受賞し、『Time』誌による「地球のヒーロー」、『LIFE』誌「20世紀で最も重要なアメリカ人100人」などに選出。現在さまざまな財団やNPOの代表理事、多くの研究・調査機関のフェローを務める。Bullitt Foundation代表。http://www.earthday.net/