『演劇1』と『演劇2』というともに約3時間の2本の映画が現在公開されています。内容がまったく分からなくても、ほとんどの人はもちろん『演劇1』の方から観ようとするでしょうし、もちろんそれでいいわけですが、私がここgreenz.jpで皆さんに紹介したいのは『演劇2』の方なのです。
なぜなら、この『演劇』という映画はその名の通り「演劇」についての映画なのですが、「2」ではその演劇と社会との関係を描いているからで、それは演劇にかぎらない様々なものと社会との関係に通じると思うからなのです。
この映画はニューヨーク在住の想田和弘監督がナレーションや音楽、インタビューを使わずに作りあげる「観察映画」シリーズの第3弾で、劇作家の平田オリザさんと彼が主催する劇団・青年団を追ったドキュメンタリーです。
一応、『演劇1』の方についても説明しておくと、こちらではその青年団の稽古風景や、平田さんが行うワークショップ、平田さんが受けるインタビューなどの様子を写しとった作品。この『演劇1』をひとことで言うなら、「平田オリザの演劇術」についての映画ということができるでしょう。
演劇に興味がある人はもちろん、映画に興味のある人も平田オリザさんの「劇」の作り方から得るものは非常に多いでしょうし、想田監督の映画の作り方からも色々学ぶことができると思います。
それについてたっぷりと語ることもできるのですが、ここでは想田監督の映画作りについて一つだけ大事な点をあげておくにとどめます。それは作品の冒頭に登場するワイヤレスマイクをつけるシーンです。今時はTVのバラエティ番組などでワイヤレスマイクをつけたりとったりするシーンもよく見られるので、別段不思議なシーンとは映らないと思いますが、「観察映画」としてはこれは注目に値する出来事です。
「観察」というからには、観察するカメラは被写体の現実に影響を与えないのが大前提ですが、この作品では最初からマイクをつけることによって平田オリザさんの現実に映画が踏み込んでいっていることが示されます。ただ、映画を観進めるとそのマイクの存在というのはあっという間に忘れ去られてしまいます。想田監督は最初にワイヤレスマイクをつけるシーンを持ってくることで確信犯的にカメラの現実への侵犯を示しながら、しかしそれが現実に大きな変化をもたらすものではないということをも同時に示そうとしているのではないでしょうか。
これはカメラが存在することで人の振る舞いが日常と変化するかどうか、という問題にもつながり、それは1と2の2本の映画を通じた大きなテーマである「演じる」ということにも通じる話なので、ちょっと注目してみると、映画をまた別の角度から見ることができるのではないかと思います。
さて、それはそれとして、さっそく『演劇2』の話に移ります。演劇と社会との関係という話、もっと言えば演劇は社会とどう渡り合っていけばいいかという話です。
例えば、この作品で平田オリザさんが演劇を続けるために必要なものとして出てくるのが助成金です。公的な助成金を得ることなしに青年団を続けることはできないと平田さんは言います。そして助成金が下りるかどうかを決めるのは「実績」であると。しかし、橋本市長の文楽発言が物議をかもしたように、芸術の「実績」を行政がどうやって判断するのか、それは難しい問題です。現状では、行政の判断基準を理解して戦略的に実績を積み重ねていく必要があるということが平田さんの活動から見えてきます。
芸術「を」論じようという場合、そのような視点はなかなか出て来ません。しかし、平田さんが大事にしているのは青年団の事務所に掲げられた言葉のように「まず食うこと それから道徳」なのです。だからまず食うためにやらなければならないことをやる。そして、そのためには社会と渡り合い、社会に演劇の価値を認めてもらわなければならないのです。
そして、そのために平田さんは自身が先頭に立って青年団の顔となり、社会との媒介として奔走します。そしてそれはいつしか演劇界全体と社会とを媒介するところにまで行っているのです。演劇に対しては非常にストイックで完璧主義に見える平田さんですが、演劇の外に顔を向けた時は社交的な面を見せます。その相手は子どもたち、支援者、なぜかメンタルヘルスケアの大会、そして政治家たちと多岐にわたります。
彼は芸術家なわけですが、このようなことは本来わずらわしい、やらなければいいのならやりたくないことでしょう。しかし、それをやらなければ情熱の対象である演劇という物自体が存在できなくなってしまう。そのことの是非を色々言うこともできますが、私はそれよりも純粋にこの平田オリザという人は本当にすごいなと思いました。こういう人がいろいろなところにいたら社会はもっとスマートでスムーズになるんじゃないかと。
どうしたらそのようなことが出来るのか、そのヒントをこの『演劇2』のもう一つの注目点といえる「ロボット演劇」に見ることができます。これは平田さんがそのものずばりロボットを使って舞台を上映するというもの。事前にロボットに動きやセリフをプログラムし、俳優はそれに合わせて演技をします。これについて平田さんは「ロボットは俳優より言うことを聞く」といいます。『演劇1』で平田さんが俳優に1秒未満の細かいタイミングまで指示してコントロールしようとしているのを見ている観客はそのことを素直に受け入れることができます。
それがなぜ社会との関係につながるかというと、このロボット演劇を作り上げるためには研究者や技術者という外部の人達と対話をし協力する必要があるからです。つまりこの演劇を完璧にするためには外部と関わりを持たないわけには行かないのです。これは演劇界という世界にこもっていては決して実現できない芸術であると同時に、その「世界」というジャンルを超えた協働を促す動きです。つまり、ここで平田さんはジャンルという社会を束縛する概念にしばれることなく広い視野で動いているということです。
それは突き詰めれば、演劇をやり続けるためには、自分を社会にあわせて変えるのではなく、社会の方を変えていく、それによって自分の演劇も社会も成長していくというイノベーションの発想へまで至るのではないでしょうか。多忙を極める中、一見関係無さそうな活動や人とも積極的に関わっていこうとする平田さんを見るにつけ、そのようなことを感じたのです。
何らかの形で「社会」との関係のあり方やイノベーションについて考えているなら、この作品から少なからぬヒントが得られるのではないでしょうか。純粋に映画として楽しむなら『演劇1』のほうが面白いと思うので、興味のある方は一気に6時間という映画体験をしてみてください。それはそれでまた何か貴重な経験になるかもしれませんよ。