留学していた頃、少し治安の悪いエリアに部屋を借りたわたしは、管理人さんから鍵を受け取る時、「もしも誰かに襲われてもHelp!(助けて)と叫んじゃダメだよ」と言われました。「代わりにFire!(火事だ)と大声で叫びなさい、そしたら誰かきっと自分のために出てくるから」と。
他人が襲われることよりも火事の方が問題意識を拡散できる現実に少なからずショックを受けた記憶がありますが、現在、その火事ですら多くの人が助けに出て行きません。それが、気候危機問題の現状です。
気候危機について少しは知っているはずなのに、なぜ多くの人たちは何も問題ないかのように暮らしているのか?
何もしない大人たちにその疑問を問うため、2018年、本来なら行くはずの学校をストライキし、スウェーデンの国会議事堂前でひとり、プラカードを掲げたのが、当時15歳のグレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)さんでした。その年の国政選挙前、まだ世界が彼女を知らなかった頃から追ったドキュメンタリー映画『グレタ ひとりぼっちの挑戦(原題: I Am Greta)』が2021年10月22日、日本でも公開されます。
SKOLSTREJK FÖR KLIMATET(気候のための学校ストライキ)と書かれたプラカードと毎週金曜日の座り込みでグレタさんの名前は瞬く間に世界を駆け巡ります。どんな権力者を前にしても、常に冷静で簡潔で飾らず、しかし痛烈なスピーチがさらに彼女の存在を加速度的に有名にしていきました。
本作では、その展開の速さに戸惑いを覚える彼女の様子や、影でサポートする家族の存在、同じ思いを抱えて行動する同世代との交流など、メディアにはあまり見せない表情や気持ちの吐露が多く含まれていて、これこそ世界が知るべきことだと感じました。
誰か一人をアイコンにして世界が変わるわけではなく、また、誰かをそうした犠牲に晒すことが本当に正義なのかどうか。短く切り取られた映像や言葉だけで、誰かの想念を理解するのは難しいと気づくことができるからです。
気候危機は、グレタさんのような勇敢なひとりの行動に拍手を送って済む問題ではなく、わたしたち個人個人が行動しながらも、最終的にはもっと大きな、世界的で組織的な変革がないと本質的には止められません。グレタさんが最初に問いかけた相手が国会だったことの意味を、私たちはもう一度思い出すことも必要でしょう。
それと、もしもあなたが気候危機への懸念から暗い気持ちになったり希望を失っているならば、この映画をおすすめしたいと思いました。垣間見れる弾けるようなティーンエイジャーとしての笑顔が、映画を見ている私たちも自然と笑顔にさせてくれるはずです。