手紙や日記は、個人の生活の記録の最たるものでしょう。たとえそこに記述されていなかったとしても、それが綴られた同じときに社会は動き続けており、いつかそれは長い歴史の一部となります。
トーマス・ハイゼ(Thomas Heise)監督による映画『ハイゼ家 百年(Heimat ist ein Raum aus Zeit)』は、監督自身を含むハイゼ家の三世代、百年にわたる歴史を、手紙や日記によって振り返る壮大なドキュメンタリー作品です。
第一次世界大戦からの百年、舞台はドイツとくれば、歴史にうとい人でも激動ぶりは何となく想像できるのではないでしょうか。この映画では、歴史を紐解いてもなかなか目に見えない、けれども確かに存在した時間を目の当たりにできます。
歴史がすくい上げない個。権力に消されてしまう個。
映画は、手紙や日記をハイゼ監督が穏やかに朗読するナレーションと共に進みます。第一次世界大戦中の手紙から幕を開け、時代はドイツの敗戦を経て、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党による暗い社会へと突き進みます。
第二次世界大戦が開戦し、ユダヤ人をはじめとするたくさんの人たちがナチスによって殺害されました。再びの敗戦の後、秘密警察(シュタージ)によって監視される社会が広がり、東西ドイツの分断、ベルリンの壁の崩壊そしてドイツ統一と、まさに激動の百年が描かれます。
その百年を、古い写真と、日記や手紙を朗読する声、ときおり挿入される現代のドイツの映像だけで描き、218分もの作品に仕立て上げました。
映画によくある派手な映像は皆無で、止まることなく滔々と流れ続ける歳月そのもののようです。観客は、アカの他人の、それもよく知らない人たちの、生活や人生をただひたすら見つめ続けることになります。だからこそ、教科書や書籍で読んだ戦争や社会的な事件に、掬い取られなかった個人の存在や小さな出来事があったことを、この映画は思い出させるきっかけになるかもしれません。
映画が進むにつれて、ハイゼ監督の祖父・ヴィルヘルムが成長、結婚し、その息子(つまり監督の父)ヴォルフガング、さらに監督とその兄と、脈々とハイゼ家が続いていきます。手紙や日記の端々からは、それぞれの人生の過程や変化が見受けられます。
その中には、ユダヤ人であったハイゼの祖母が、ポーランドに強制的に送られる直前に別れの手紙を書いていることも伝わってきます。歴史として知っている出来事が、個人の生活に深く関わっていることを実感するシーンです。
大量のユダヤ人が収容所に送られ、無惨に殺されていったことはよく知られた歴史的事実。このように歴史では、「ユダヤ人は」や「ドイツ人は」といった大きな主語で語り、起きた事実や事象をひとくくりにまとめて語るのが一般的です。そのように長い歳月の流れを俯瞰して整理し、まとめることこそが歴史と言えるかもしれません。
逆にこの映画では、一人ひとりの個人が生活をし、泣き、笑い、日常生活を過ごしていたことがくっきりと浮かび上がってきます。歴史から見れば小さな小さな、砂粒のような存在だとしても、一人の人が確かに存在し生きていたことが、リアルに感じられるでしょう。
歴史において一人ひとりの個が消えてしまうのと同様に、社会に起こる事件や出来事も歴史がその全てをすくい上げることはありません。歴史における戦争は、大きな空襲や戦いが点状にありますが、歴史に残るような大空襲以外にも空襲はあり、日常的に起きているものでした。それもまた、日記や手紙のような個人の記録から感じられるものでもあります。
このように一人ひとりの人間の存在が見えなくされることと似たような働きは、権力によって引き起こされることがあります。映画の中で、収容所へと移送されるユダヤ人の名簿のリストが延々と映し出されるシーンがあります。
おびただしい名前が記されたリストは、ユダヤ人という属性でひとくくりにされた集合です。けれども、その名前ひとつひとつに、一人の人の生活や人生、命が存在しました。
ドイツ語がわからなければ、そこにある名前ひとつひとつを深く気に留めずに見ることができるでしょう。けれども、もしリストにあるのが、「鈴木●●」「佐藤■■」「田中▼▼」といった馴染みある名前であればどうでしょうか。リストの中に飲み込まれてしまった誰かの存在を少しは想像できるかもしれません。歴史や権力といった大きな力の前に在る個の存在は、想像力や個人の生活の記録といった脆く儚いものに示されうるのです。
未来の歴史であるいま、この映画を観ること
時代背景を思うとなかなか気軽にスクリーンを見つめてはいられないかもしれませんが、恋人への気持ちを赤裸々に綴った手紙には、その生々しさにドキッとするような迫力さえも感じました。
それは、人の心のうちをのぞき見しているような感覚。
日記や、自分以外の人に宛てられた手紙を見るのは、本来ならタブーとされる行為です。歴史を伝える資料としてだからこそ、監督は身内の残した個人的な手紙や日記を作品にしたのでしょう。そう理解していても、息遣いが伝わるような内容にはつくりものではない強烈な人間臭さを感じました。
そもそも百年、三世代にもわたる記録がこれだけ詳細に残されていることは、そう簡単にはあり得ないことです。それらを映画としてまとめたハイゼ監督の発想や力量を得て、この稀有なドキュメンタリー映画は誕生しました。
コロナ禍の2021年のいま、この映画を観たことは特別な意味を持った気がしています。将来的に間違いなく歴史的な出来事として記録される状況を私たちは生きています。
映画に登場する手紙や日記を書いた人たちと同様に、私たちも歴史の大きな流れの中で生きているのです。
いつか歴史の教科書には、「2020年、新型コロナウイルスのパンデミック。世界中で何億人が感染、何万人が死亡」と記述されることでしょう。そのように数字として表現された感染者や死者の中、一人ひとりに唯一無二の人生があったことを私たちは知っているはずです。
コロナ禍のいまは、この映画を観て、過去に生きた人の顔や思いを想像してみるいいタイミングかもしれません。
映画を通して、歴史の表舞台には現れないささやかな個人の存在を感じられたら、その気持ちを想像してみてはどうでしょうか。
もし自分だったらどうするだろうと考えてみてはどうでしょうか。
激動の時代のドイツを生きたハイゼ家の人たちを、コロナ禍に生きているあなたがどう見るか、いまだからこそ特別な鑑賞体験ができそうです。
– INFORMATION –
2019年/ドイツ、オーストリア映画/ドイツ語/218分/日本語字幕:吉川美奈子/協力:ゲーテ・インスティトゥート
配給:サニーフィルム
2021年4月24日(土)より公開予定
http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/4208/