昨今、日本のうつや躁うつ病の総患者数は100万人を越えているとされています(厚生労働省調べ)。
彼・彼女たちに大きく共通するであろう苦悩のひとつとして、「生きる希望を持てない」ということがあるのではないでしょうか。深刻な症状もなく、毎日社会生活を滞りなく過ごしている人でも「あなたには『生きる希望』がありますか?」との質問に、迷いなく答えられる人はどれくらいいるでしょう?
そんな中、たくさんの困難に見舞われながらも「生きる希望」を持ち続けたことで、たくさんの人へ生きる希望を与える役割を担うことになった方がいらっしゃいます。
それが、岸田ひろ実さんです。これまでに、ダウン症である長男の誕生、夫の突然死、そしてついにはご自身が急病により下半身不随で一生車椅子での生活になるという、想像を絶する苦難を乗り越えてきました。
現在は、長女である奈美さんが大学時代に起業メンバーとして参画した、株式会社ミライロでユニバーサルマナー講師として活動する傍ら、これまでの経験を講演でお話しすることで、たくさんの人に「生きる希望」を伝えています。
そんな岸田さんには「できることは、希望を絶やさない努力だけだった」頃があったのだそう。現在は年間180本を越える講演をこなし、笑顔いっぱいで前向きにしか感じられないようにも思える岸田さんに、これまでに起きた出来事とその変化、そして心の中の思いをお聞きしました。
本日公開の前編と、明日公開の後編に分けて、ご本人の言葉でお届けします。
株式会社ミライロ 講師
日本ユニバーサルマナー協会 理事
1968年大阪市生まれ。知的障害のある長男の出産、夫の突然死を経験した後、2008年に自身も大動脈解離で倒れる。成功率20%以下の手術を乗り越え一命を取り留めるが、後遺症により下半身麻痺となる。
約2年に及ぶリハビリ生活を乗り越えて2011年、娘が創業メンバーを務める株式会社ミライロに入社。自分の視点や経験をヒントに変え、社会に伝えることを願い、講師として活動を開始。 高齢者や障害者への向き合い方「ユニバーサルマナー」の指導を中心に、障害のある子どもの子育てについて等、年間180回以上の講演を実施。2015年はハワイにてADA法を学ぶ旅行ツアーの企画・アテンド、2016年はミャンマーにて知的障害のある子どもの両親への講演など海外での活動も実施。
2014年開催の世界的に有名なスピーチイベント「TEDx」に登壇後、日本経済新聞「結び人」・朝日新聞「ひと」・NEWS ZERO「櫻井翔のイチメン!」など数々のメディアで取り上げられる。WEBでの特集記事はSNSでシェア5万件を越える。
2017年に初の著書「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」を上梓し、またテレビ朝日「報道ステーション」にコメンテーターとして出演も果たす。
前向きな諦め
講演を聞いてくださる方や本を読んでくださった方から「岸田さんはよっぽど強い方で、精神力がないとこんなことはできないんじゃないか、これは岸田さんだからできたんじゃないか」って言われるですけど、私は決して、全然強くはないんです。
私の娘も同じことをよく言われるそうです。「この環境のなかで、ここまでよくがんばってこられましたね」って。でも私たち家族は、「がんばった」とか「立ち向かって乗り越えた」という記憶があまりないんですよ。
というのも、もう、がんばったところで私は歩けるようにはならないので、究極「流されよう」ってなったんです。
こんなにつらいことがあっても、何もなかった頃と同じように朝が来て、夜が来る。時間が経っても、自分に起こったことは何も変えられない。なので、あがいても仕方がないんです。
これを私たちの「前向きな諦め」ってよく言うんですけど(笑)
もうくよくよ悩んでも仕方がない。悩んで歩けるようになるんだったら、夫が戻ってくるんだったら、いくらでも悩みますけど、もう仕方がないんだったら、流されてもいい。現実逃避といいますか(笑) なので悪く言えば、現実とあまり向き合わずに逃げてたと思います。
人生には悲しみが多かれ少なかれありますし、落ち込むこと、悲しむこと、いろんな経験の種類がある。それはもう仕方がない。悲しいことを喜ぶこともできないし、変えられないことは変えられません。
だから、私たちができることは「希望を絶やさない努力」だけ。私がしたことは、ほんとにちっちゃいことです。
おばちゃんとの対話ではじまった「希望探し」
私、心臓の病気以外にも「褥瘡(じょくそう:※)」っていう、お肉が腐ってくる症状を起こして、実はそれでも寝たきり生活が4ヶ月ぐらいあったんです。
(※)褥瘡:いわゆる「床ずれ」のこと。同じ体勢で長期間寝たきり・座りきりの状態になった場合、接触部分の皮膚や皮下組織が圧迫されて血行が悪化し、周辺組織が壊死した状態になる。
その間、右と左しか向けない生活をしていて、「心が病むよ、おかしくなるよ」っていうのは先生からも宣言されてたんですけど。本当に心が病んでしまって(苦笑)
で、「もう、どうしよう、どう希望をつくろう」って思ったときに、私が入院してきた3週間ぐらいあとに、20年以上リウマチを患ってらっしゃる60歳ぐらいのおばちゃんが入院してこられて。
そのおばちゃん、ほとんど手が固まって動かないのに、めちゃくちゃ明るいんです。いつも一緒に「つらいやろ、岸田さん辛いやろ、わかるで~」って。
ご自分も若いときからずっとリウマチで入退院を繰り返してるのに「あんたは生まれつきじゃなくて、今まで歩けてて歩けなくなったから、絶対辛いはずや。でも、ええことあるで。絶対あるんやで」って、いつも言ってくださって。それで「今日は何を考える? 楽しいこと考えよう、明日は何する?」って声をかけてもらい、そこからおばちゃんとの対話が始まりました。
私は「明日とにかくみかんゼリーが食べたい」、「娘が来たらみかんゼリーとカップ麺を買ってきてもらう」とか、そんなしょうもないことを、おばちゃんと決めたりしてました(笑)
おばちゃんは「退院したらどこいく?」とか、私にいっぱい楽しい質問を投げかけてくださって、気がつけば、いつ退院できるかもわからないし、退院しても歩けるわけじゃないのに、ちょっとうれしく、わくわくしてきたんです。
そこで気づかされたのが、ちっちゃくても「希望」を持てば、こんなに元気になれるということ。そこから、本当にちょっとずつちょっとずつ、夢をノートに書き始めたんです。
それはもう努力です。
無理矢理でも、やりたいことを書く。
「ハワイ行く」とか「沖縄に行く」とか、叶わないと思うようなことでも。
希望を持つという「努力」
私がリハビリとして一番最初に始めたことっていうのは「2分間ベッドに座ること」でした。
というのは、もう数ヶ月も寝たきりで、麻痺をしてるので血圧のコントロールが自分でできない状態になっていて、少し座ってるだけで気絶してしまうかもしれなかった。そして褥瘡の手術をしているので、そこにちょっとずつ負荷をかけていかないと、また悪化してしまうっていう状態だったんです。
そして訓練を始めてから、最初に2分座り、意識もちゃんと保ったまま耐えることができたとき、それがひとつのものすごい達成感になって、「明日の目標を立ててみよう」って思うようになったんです。次の日は5分、その次の日は10分。こうして、座れる時間がちょっとずつ増えていったんですね。
ベッドに10分座ることができてきたら、次は車椅子に。車椅子に乗る、その時間を増やせる、何か行動に起こすって、そのときの私にはすごいことだったんです。
じゃあ今度は、車椅子で病院の廊下に出てみよう、その次は玄関まで行ってみよう。それがちょっとずつ伸びていって、売店でみかんゼリーを買うことが実現しました。
その次は入院していた病院に併設されているカフェでお茶を飲むっていう目標。これもできたときはすっごくうれしくって。
このように、私がしてきたのは、本当にちっちゃなことです。
身近なちょっとした希望や目標を立ててそれができた達成感をしっかり味わうと、人間ってどんどん欲が出てくるんですよ。その達成感をいっぱい味わうことで希望っておそらく持てるはずなんです。だから「希望を持つ努力」はする価値は、絶対にあると思うんです。
私はちっちゃなちっちゃな階段をひとつずつ登ってきて、その延長が今です。
人前で話すとか、沖縄に行くとかハワイに行くとか、すべて叶った。これらは全部、夢ノートに書いていたことです。
息子が教えてくれた
毎日の積み重ねで、達成感をどれだけ持てるかが大切です。その達成感が自信になりますから。
私の長男はダウン症という障害を持って生まれましたが、育てているうちに気づいたのは、障害があってもなくても一緒だっていうことなんです。
障害のない長女を育てているときと同じような感覚で、ものを教える、できないことは何度も教える。ただ時間がかかるのと、教え方のアプローチや種類がちょっと違うだけ。
息子は、ちっちゃな目標をつくって、それをやらせて褒めることで彼の自信になり、じゃあ次もがんばろう、っていうのを繰り返して、ちっちゃな達成感をたくさん味わいました。
その結果、できないと思ったことがたくさんできるようになったんですね。でもこれって、息子を育てるなかで気づいて、それを長女にも活かして、結局自分にも活かしてることなんですよ。なので、息子が教えてくれたことなのかもしれないですね。
「希望を持つ」。
言葉で表すとシンプルですが、「どんな状況でそれを思うか」によって、重みが異なるのだと、岸田さんの体験は教えてくれます。
体が動かない。
動くようになっても歩けない。
自分では何もできない。
そんな状況のなかで、できる努力は希望を持つことだけであるというのは、私たちにはそう簡単には理解しづらいことです。
しかし、どんなに小さな希望でも、そこからしか人生は始まらないのだということも、岸田さんは示してくれました。
数々の夢を叶えることにつながるノートの書き込み。成功哲学でも魔法でもなんでもなく、その「努力」は「岸田さんだから」ではなく、積み重ねた人には必ずそれだけの未来を約束してくれるのかもしれないと、勇気づけられるエピソードでもありました。
岸田さんの言葉は、後編へと続きます。
ただの車椅子生活者から、希望を届ける役割を担う人に。 岸田ひろ実さんが死と向き合ってから得た使命とこれからの夢