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働きたくない、遊んで暮らしたい。人生をより低迷させる旅コミ誌『野宿野郎』編集長(仮)かとうちあきさんに聞く、誰も排除しない社会のつくりかた

JR根岸線の石川町駅で集合し、首都高狩場線が上を走る人工河川の中村川沿いをしばらく歩く。海岸段丘の発達した横浜は、下町と山の手が狭いエリアにぎゅっと凝縮している。川の右手を行けばドヤ街(日雇い労働者の街)で知られる寿町や歓楽街の伊勢佐木町、左手の坂を登れば、外人墓地や港の見える丘公園などの高級住宅街が広がっている。その狭間に「お店のようなもの2号店」はあった。「のようなもの」とはいったい何だろう。そんな疑問を浮かべながら格子の引き戸を開くと、バズカットにパッチワークのワンピースを着た、かとうちあきさんが出迎えてくれた。

かとうさんは、10年ほど前に『野宿入門』(草思社)や『野宿もん』(徳間書店)などの野宿関連書籍を立て続けに世に出した。そして、野宿愛好者を増やすために『野宿野郎』というミニコミ誌を出版し、野宿イベントやノジュロックなどの野外フェスを主宰している野宿の伝道師のような人だ。

かとうちあきさん

「29歳、独身、女。風呂は、まだない」という一文から始まる『野宿入門』を読む限り、かとうさんは常にギリギリの生活をしているようだった。しかし、そんな状況を嘆くのではなく、「それでもいいじゃないか」と居直るのが彼女の持論なのである。そして、そう考えられるようになったのは「野宿」のおかげであり、好きな野宿をし、無理せず楽しく暮らすことを人生の目標にしている。

野宿は、そのように最低限の生活でいいと思わせてくれるほど、ものや暮らしの質に対する執着を取り払ってくれるものなのか。まずは、野宿をするに至った経緯から聞くことにした。

女子高生ブームに腹が立った

かとう 子どもの頃は、木登りや鬼ごっこのようなからだを動かす遊びが好きだったんですよね。本を読むのも好きで、愛読書は『ドリトル先生』や『冒険者たち』、安野光雅さんの『旅の絵本』。あれをずっと眺めているのが好きでしたね。だから、そういう旅ものの影響は受けているかもしれません。

話を聞くだけでも素直にのびのびと育ったことがうかがえる。だが、中学に入ると「なんか急に鬱々としてしまって」という。いったい何があったのか。

カウンター越しに話を聞く

かとう 中学校に入ると、急にみんな遊ばなくなるじゃないですか。鬼ごっこがしたいのは、私だけみたいな。そういうこともショックでした。

高校生ぐらいになると女子高生ブームがきて、ルーズソックスとラルフローレンのベストを着るのが女子高生ファッションと言われて、それが無性に腹が立つというか。私は女子校だったので、駅にいるだけで、待ち合わせかと思っておじさんが寄ってくるみたいな感じでしたから、びっくりしちゃって。

かとうさんが高校生活を送ったのは1990年代半ば頃。名門女子校の制服がブランド化し、渋谷の街には制服姿にルーズソックスをはいた女子高生が闊歩していた。女子高生に人気のブランドが一躍有名になり、ギャル雑誌が誕生するなど、企業は女子高生向けの商品開発を加速し、その一方で援助交際や使用済みの制服を売るブルセラが社会問題として取り上げられたりもしていた。

かとう 今思えば勝手に価値をつけられて、消費されていた感じがしますよね。若いうちが最高みたいに言われるのって、基本的にはおじさん目線の評価じゃないですか。もう本当に消費的な世界でしかなく、そういうことへの鬱屈が、真逆なことをさせたんだと思います。

仲間と一緒につくった店内には天井にまでガラクタがひしめきあい、見ていて飽きない

つまりかとうさんを野宿の旅にかりたてたものは、ひとつは周囲との違いを感じやすくなる思春期特有のフラストレーションであり、もうひとつは画一化されたイメージを押し付け、消費をあおってくる大人たちへの違和感と言えるのかもしれなかった。

中学生の頃にみた映画『スタンド・バイ・ミー』や『イージー・ライダー』によって野宿に青春のイメージを重ねていたかとうさんは、高校1年生の春休みに友人と二人で横浜から熱海を目指す。

かとう いかんせんお金がないですから、特に何を買うわけでもなく、二人であちこち寄り道をしながらはしゃいで歩いていたら、戸塚で夜を迎え、車がびゅんびゅん走る道路脇の側溝の中に寝袋を敷いて寝ました。敷物がいることも知らなかったので、野宿って寒いんだなと思いました。

徒歩で行く野宿の旅は体力こそ消耗するが、お金を使うこともなく、また誰かに消費されることもない。そのとき「お金がなくてもいいじゃないか」と思ったかどうかは別としても、お金よりも青春が勝ったということは言えるのではないだろうか。

野宿をすると街をみる目が変わる

かとうさんの次なる野宿は、高校3年の夏休みに本州最北の青森県龍飛崎から山口県下関までを徒歩でいく、本州縦断の旅である。53日間もの行程で、相当野宿のスキルが上がったことがうかがえるが、中盤では友人と別れ、ひとりで野宿旅を続けることになった。道連れのある旅からひとり旅を経験し、どんな実感を得たのだろう?

かとう ひとりになると、出会う人との関係性が色濃くなりますね。不安も大きいから、何か起こったときの喜びも大きい。人里離れた道路を何時間も歩いていると、誰とも会わないんですよ。私は自分からコミュニケーションをとる方じゃなかったし、一人でも本を読んでいれば満足しているような人だったけど、こんなに無性に誰かと話したくなることにも驚きました。

老若男女、いろんな人に出会いましたが、みなさん声をかけてくれるので、もっと喋ってコミュニケーションをとらないと、と感じられたことが、10代の自分には良かったですね。

お店には寝袋を常備。そのまま寝ていくお客さんもいるとか

かとうさんは大学に入ると、野宿仲間も増えて、この世の春ならぬ野宿の春を謳歌した。屋根があり鍵がかかるという理由で、トイレで寝ることも快適と思えるようになり、どこでなら野宿ができるのか、街をみる目も変わっていったという。

かとう 周囲からの死角になるような気づかれにくい場所が、何となくわかるようになるんですよ。もちろん、絶対安全かどうかは最後まで言えないんですけど、精度は上がっていきます。場所をみる目が変わるという経験はすごく面白いので、ぜひおすすめしたいこと。都市でも、川沿いに行けば、未だに焚き火ができますし、意外といろんな場所があるということもわかります。

地べたにごろごろすれば平和になる

「基本は働きたくない、遊んで暮らしたい」とかとうさんはいう。確かに野宿旅は、お金と時間に縛られない。コンロと鍋を携帯すれば、好きな場所で食事もできる。ただ、果たしてそれで生きていけるものなのだろうか。

かとう 野宿旅行中から、こういう旅ができるのは学生のときだけだからとすごく言われたんですよ。でも私はそんなわけないと思ったんですね。学生だからとか、何かの役に立つから野宿をやっているわけじゃなく、基本的に楽しいからやっているんだって。

しかし、大学も終わりに近づくと、多くの学生は就職活動を始める。そんな就活のストレスから逃げるように大学4年の春から秋まで、4〜5ヶ月かけてお遍路の接待文化がある四国とシャケバイ(鮭のとれる季節に加工場でアルバイトをする人々)などの季節労働者が多い北海道を旅した。

かとう 野宿旅行の面白さにハマり、しばらく旅をしながら生きていきたかったんですね。旅をしている人たちは、どうやって旅を続けているのか、リサーチもしたかったので。

お遍路旅では、見るからに怪しくてダメそうな人たちに出会いましたけど、そういう人でも周囲からお接待(食べ物の振る舞いや寝床の提供など)を受けて旅を続けていられる。それはいいことだなあと思いましたし、北海道には季節労働の旅人がたくさん集まっていて、こんな生き方もあるんだなって、学ぶことは多かったです。

しかし、結論からいくと、かとうさんは、そのような生き方を選択しなかった。

かとう 転々と移動する旅暮らしにも惹かれたのですが、なんだかんだ働かなくちゃだし。体力勝負で、厳しい世界でもありました。あと自分は、野宿旅行はひと月、ふた月くらいが新鮮で面白くて、長くなると生活になってくる。それも味わい深いんだけど、生活になる前の旅行の方が、楽しめると思ったんですね。

旅から帰ったかとうさんは、大学1年の頃から続けていた週2、3回夜間だけの障がい者の自立支援の仕事を卒業後も続けることにし、卒業してから少しのブランクのあと、野宿の旅を再開し、その魅力を伝えるために、2004年10月から人生をより低迷させる旅コミ誌『野宿野郎』の出版を始めた。

かとう 当時は女性がひとりでプラプラすることに対して世間の目が厳しかったから、野宿のよさを広めていけば、自分も野宿をやりやすくなるだろうと。

さらに、90度回転させると「の」になる6と9をもじり、6月19日と9月19日を「野宿の日」と決めて、ゲリラ的に都内の公園で野宿イベントをするようになった。

井の頭公園、芝公園、代々木公園……。さまざまな場所に寝袋持参で集まり、お酒を飲みながらダラダラと過ごし、翌朝には解散して跡形も残らない。そんな一過性の現象に魅力を感じた。また、深夜の公園には終電を逃した人や散歩中の人、所在なげに歩いている人がいて、そんな人が野宿の輪に加わることにも面白みを感じたという。

greenz peopleも一緒にお話を聞く

かとう 何となくそばにいるから、「帰れないんですか?」と声をかけると、実はつらい状況にあるんだと、胸の内を話してくれるんですよね。暗いしお互いの顔もそれほどよく見えないから逆に話しやすくなるのでしょう。

嫌になったら離れればいい。動きたくなったらブラブラすればいい。野宿の集まりは、室内と違って遮るものがなく、より自由度が高く、心も解放されていく。

かとう 地べたにごろごろしていると、あまり威勢のいいことって言えないんですよ。たとえ怒っている人でも、1回横たわってから同じことが言えるかといえば、そんなことはなくて、「まあ、いいか」ってなっちゃうと思います。

立つ位置が変わるだけで、考え方や感じ方はすごく変わります。地面がよく見えるので、アリも頑張っているんだなとか思いますし、木の繁りっぷりとかも立って見るのと寝ながら見るのでは違います。土を汚いと思わなくなるし、草は柔らかいなって。

だから、野宿をすれば、世の中は平和になると思うんですよね。

ホームレスがいられる街はやさしい

現在は、横浜市南区中村町に「お店のようなもの2号店」を構え、週に一回ほどのペースでお店をあけている。最初にガラクタ屋として始めた1号店は、ものが集まるわりにはさっぱり売れず、物件の取り壊しを契機にこの2号店を飲食店としてスタートさせた。「定期的に人が集まる場所があったほうがいいと思い、何となく始めてみたものの、労働意欲がないので、どうしていいやら」と苦笑する。

ところで、冒頭でも書いたが、横浜でも下町のこの界隈は、寿町に港湾労働者のハローワークがある関係で、その周辺には日雇い労働者が宿泊するドヤ街が形成され、台東区の山谷と大阪釜ヶ崎(現あいりん地区)と並ぶ「三大寄せ場」のひとつでもある。そこに隣接する地区に店を構えるかとうさんから、この町はどのように見えているのだろう。

こんな言葉が妙にマッチする

かとう 過ごしやすいですよ。寿町も高齢化が進んで、福祉に力を入れていて変わってきているようですが。この中村町にもドヤがまだけっこう残っていて、地続きな感じなんです。

関内から続いている大通り公園では、昼間から酒を飲みながら囲碁やかけトランプに興じる人を見かけるという。遊んで暮らしていきたいかとうさんにとっては励まされることも多々あるようだ。町の懐の深さはこんなエピソードからもうかがえる。

かとう 近くのアーケード街の商店街に、夜だけ寝泊りしているホームレスの方がいらしたんですよね。商店街も黙認している感じで。いろんな人が顔見知りになって、挨拶したり話ししたりしていて。そういう雰囲気もいいなって思います。

ただし、近年では、駅前などの公共空間にホームレスがよりつかないように鋭角な突起をちりばめたようなオブジェ、いわゆる「排除アート」が現れ、また座りにくい形にしたベンチなども増えて、物議を醸している。

かとう もう、けしからんの一言ですよね。ホームレスが福祉(生活保護)を受ければいいじゃないかって言う人もいるけど、受けられない事情があったり、公園のほうがよくていたいって場合もありますよね。

外の喫煙スペースにバンクシー風のステンシルアートが

渋谷区によるホームレスの強制退去が行われた宮下公園の再開発に反対するポスター。多くの資本が介入した公園整備事業に多くの人が反対運動に加わった

かとう 商店街に寝泊まりされているホームレスのおじさんがいることを、わたしが勝手に意味づけするのはよくないって思うし、もちろん望まないで外に寝る人は減って欲しいんだけど、でもそのおじさんがいることで、そこは人がいられる場所になるんです。それってすごいことだなと思って。なんでも排除すればいいって、そういう状態にみんなが慣れていくと、けっきょく誰もがみんなうっすら排除されるし、野宿もできなくなっちゃう。

路上で遊ぶ自由のために

野宿は「公共の場でする遊び」だとかとうさんは言う。

かとう 野宿をすることでわかってきたのは、日本では公共の概念がものすごく狭いということです。本来、公園はみんなのものなのに、ホームレスは排除されるし、何人かで野宿をしているだけですぐに警察が呼ばれることもあります。それは誰かが通報しているからなんだけど、警察を呼ぶ前に話をすればいいじゃないかと思います。もしかしたら、一緒に話すうちに楽しくなるかもしれないじゃないですか。ルールだってその場にいる人たちが試行錯誤してつくっていかないといけないのに、警察任せにする話ではないと思うんですよ。だから、楽しく野宿するためにも、あらがわないといけないものがあるんですよね。

お客さんが貼っていったと思われる、2023年7月の改正入管法に抗議するステッカー

かとうさんは、友人たちと2020年から「横浜一揆」と銘打ったデモ活動を行っている。そのときどきで「カジノ反対」や「コロナ自粛反対」などとテーマは異なるが、一貫した主張としては「路上で遊ばせろ」ということ。つまり路上の自由をうったえている。ただし、声高に主義主張を唱えるのではなく、仮装や鳴り物を交えた遊び心にあふれたデモパレードになっている。やっぱり、遊びの要素が必要なのだ。最後にかとうさんにとって、遊びとは何かを聞いてみた。

かとう ちょっとアリがいるなと思ったら時間を気にせず見ていられる感じですかね。あとは公園や家でダラダラ過ごしたり、近所の人とお茶を飲んだり。働くよりも、そういうことに時間を使いたいですね。お茶を飲んでいたりする方が遊びに近いというか。それで物々交換とかして暮らしていくほうがいいなって思うんですよ。

なぜ、「のようなもの」なのか

気がつくと、お店がオープンする17時半なっていた。赤提灯が灯り、ご近所の高齢のお客さんがひとり、またひとりとお店に入ってきた。お客さんが持参した漬物や酒、菓子などが店内にいる人々に分配され、営利目的の居酒屋というよりは、誰かの家に遊びにきたような感じだった。

少し遅い時間になると、かとうさんと野宿活動をともにする仲間たちもやって来た。誰でも入りやすいオルタナティブなスペースを求めて、新宿から来ている人、かとうさんと20年来のつきあいがあり、このお店で過ごす時間を楽しみたい人。みんなで一杯300円の酒を飲み、会話を楽しんだ。そのうち、お客さんのひとりがカウンターに入り、自分のスマホをオーディオにつないでオールディーズの曲を流し、かとうさんの代わりにお酒を提供し始めた。それがとても自然な様子だったので、その方にここで過ごす時間はどういう時間なのか尋ねると、こんな答えが返ってきた。

お客さん 僕にとって自分を出せるとても素敵な空間?主義主張は僕と正反対の人ばかりですけど、この店に通う人たちやこの場にいる人たちに受け入れていただける瞬間もあって、これ以上の至福はございません。とてもありがたいと思ってます。

ここが「お店のようなもの」と、あえて曖昧に呼ばれているわけがわかるような気がした。そういえば、かとうさんの「野宿野郎編集長」という肩書きにも「(仮)」がつく。あえて自分の立ち位置を明確にしないということは、人と自分を区別しないということでもある。その流動的でゆるゆるとした生き方の先に、誰も排除しない社会があるような気がした。

都市の野宿の楽しみ方

持ち物
・寝袋
・敷物

都市公園
雨が降ったときのことを考えると、あずまやの下などがおすすめ。なお、トイレが近くにある方が安心できる。テントを張ると、都市公園法で「占用行為」とみなされる可能性も。フレキシブルに動けるという点でも寝袋による野宿がおすすめだ。

河川敷
一般に河川敷は国民共有の財産として、特別に禁止されている区域を除けば、自由使用が原則で、火も焚ける。ただ、火事と思われて通報が入ってしまえば、警察や消防がやってくる。消防がきた場合には、火を消さないと帰ってくれない。警察であれば、注意だけで終わることも。

見回りに対する心得
公園管理者や警察が見回りにくることがあるが、来ただけで怖がってはいけない。「終電を逃した」などの方便をいくつか用意し、穏便にお帰りいただくようにとりはかろう。

(撮影:廣川慶明)
(編集:増村江利子)

– INFORMATION –

予告!みんなで野宿しませんか?

毎年6/18〜19と9/18〜19に、「のじゅくの日」野宿をやっているかとうさん。こちらは野宿メイン。
日時未定ですが、ノジュロックも開催予定。こちらは遊びもたっぷり。
これはおもしろそう! ということで、グリーンズメンバーも参加する気満々です。
詳細決まりましたら読者の皆さんもお誘いしますので、一緒に野宿に行きましょう!

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6人目の「変人」はグレートジャーニーで有名な関野吉晴さん。グレートジャーニーはテレビでも放映されていたのでご覧になった方も多いのではないでしょうか。今回は東京都青梅市に、関野さんを訪ねます。

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