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資本主義を見つめ、世界中をリサーチした近藤ナオさんがつくる「1日1ドル生活」からわかること

ミレニアム以降の東京を舞台にした取り組みとして印象的だった「シブヤ大学」や渋谷「宮下パーク」のプランニング。近藤ナオさんは、人と人がつながるユニークな場づくりや実験的な取り組みを数多く手掛けてきた人だ。プライベートでは、多拠点生活という言葉が登場する前から複数拠点におけるコミュニティ暮らしを実践し、「拡張家族」というコンセプトを掲げて、新築マンションのワンフロア19部屋を39世帯でシェアするような実験的な活動も行ってきた。

はたまたコロナ前夜にオランダに拠点を持つと、多くの人々が外出を自粛するなかで15、6カ国以上を渡り歩き、さらにペルー、ジョージア、タンザニアに家を持ち、そこを転々としながら、4年半で現地の人たちと11の会社をつくってきた。そんな近藤ナオさんの行動から、いったい何が見えてくるだろう。夏草が生茂る8月末。伊豆半島下田市郊外に近藤さんが仲間とともにつくりあげた南伊豆ニュービレッジをgreenz peopleとともに訪れた。

南伊豆ニュービレッジにみる「1日1ドル生活」のつくり方

伊豆半島の真ん中を走る国道414号線が東側へと大きくカーブをきる手前に稲梓(いなずさ)という地域がある。昔から湧水が出るスポットとして知られるこの地域では、裏山を背負う各家が水源を持つ。生きていくために欠かせない水が確保できるこの土地で、明治期から立つ古民家を裏山ごと11人のメンバーとともに購入した近藤さんは、そこを南伊豆ニュービレッジと名付け、2023年1月から人力による改修作業を行っている。

近隣からいつも火を焚いている家と認識されている

私たち取材班は、母屋の前庭に繁茂した草を少しでも刈ってもらえたらというお手伝い付きで、この南伊豆ニュービレッジに1泊し、お話を聞く予定だ。その滞在にあたり、あらかじめいくつかのインフォメーションを聞いていた。

● 1日1ドル(100円※)以下で悲壮感なく生活する。
● 自分たちでつくれないものは持ち込まない。
※日本ではわかりやすく伝えるために1日100円と伝えている。

この2項目だけからも、通常の滞在とは違うことが伝わってくる。とくに後者については、暗に「差し入れ不要」と言っているだけではなく、都市生活者があらゆるものをお金と引き換えに手に入れていることを意識させられた。コンビニだろうとスーパーだろうと、そこには「自分たちでつくれないもの」しかない。結局、少し悩んだ末に、こっそり食べていいと言われた朝食のパンくらいしか持ち込めるものはなかった。

教えてもらった住所は、山奥と思いきや、車の交通量が多い国道沿いで、そこに遠目からでもその人だとはっきりわかる長身細身の近藤ナオさんがいた。肩まで伸ばしたワンレングスの髪の毛の間から、日に焼けた知的なおでこと切れ長の目がのぞいていた。その目は、昨年末に突然網膜剥離となり、右目は遠視に、左目はほぼ見えない状態が9ヶ月続いていて、本人的には歩きづらいことこの上ない状態らしいが、近くのものを見るときだけときおり顔をしかめているほかは、あまりハンディを感じさせないくらいよく動く人だった。

敷地内には母屋と元牛舎を改築した建物があり、母屋には和室二間をぶち抜いたコモンスペース、元牛舎には屋外キッチン、そしてそれぞれの建物に、「少々軟弱な人のための部屋」、つまり快適に整備されたゲストルームが1部屋ずつあった。このほか、裏山の1ヘクタール分、さらに2ヘクタール分の奥山の土地が南伊豆ニュービレッジの全体像だ。

11人いるという出資メンバーは経営者や個人事業主、シェフなどさまざまな顔ぶれで、常に住まうのではなく、多拠点暮らしの1拠点として、ここを利用している。また、出資していなくてもここを使う人もそれなりにいる。近藤さん曰く「ここでの生活ができる人なら、使ってくれて構わない」のだそうだ。

では、南伊豆ニュービレッジの生活の仕組みを見ていこう。

●電気は太陽光発電でまかなっている。100Vと200Vの二系統を用意し、高電圧の200Vは電気自動車に使う。太陽光パネルは地元で余っているものをタダで譲ってもらった。壊れていたパネルは修理して使っている。
●冷蔵庫は使わないが冷凍庫は使う。冷凍庫は大量に入手することのある魚を冷やすための海水氷をつくるため。また余った食材を凍らせて保存している。
●電気の使用はおもに充電用。電気自動車、電動工具、PC、スマホなど。
●夜は12Vの薄暗い明かりで過ごす。
●水道は使わない。水は裏山の水源を2、3ヶ月かけて2箇所掘り当て、ひとつは竹炭を仕込んだ配管で濾過システムをつくり、飲用や調理に、もうひとつはそのまま風呂、トイレの水洗に使っている。
●ガスは使わない。調理は山の木材や廃材を使った焚き火で行う。雨の日は、母屋の土間にあるかまどで調理する。
●食料は買わずに「エネルギー交換」でもらう。つまり、人手が足りていない農家や漁師などの生産者のお手伝いをすることで、時給の代わりに無農薬の米や野菜、魚などの食料を得ている。
●肉は、猟銃や罠の免許をとったメンバーがときどき行う狩猟で、猪や鹿などの新鮮なジビエにありつける。
●蜂蜜とレモンとブルーベリーを常備している。養蜂家のメンバーが、蜜蜂を安全に育てるために、無農薬のレモンやブルーベリーを栽培しているため。
●エアコンはない。夏は開け放たれた窓から裏山の涼しい風が吹き抜ける。
●冬場は薪ストーブと外の焚き火が熱源になる。

このように土地から得られるものをうまく利用し、足りないものは、「エネルギー交換」で手に入れる。電気はほぼオフグリッドで賄うため、大きなシステムに頼らない暮らし方だ。最もお金をかけているものが何かといえば、衛星インターネット通信の回線費用の6,600円/月で、これに補助用に契約している電力会社の基本料金、下水道料金などを足して人数で割り、1日の費用に換算すると、だいたいひとり1ドル(100円)以下になるらしい。

電気自動車はフル充電で約2万Wh。いざというときには電源になる

冷凍庫

水源のある母屋裏手の山

竹炭で濾過された水。濁りはあるが充分飲めた

外に設置された薪ボイラーの風呂

もうひとつの水源から水洗トイレに使う水を汲む

外の炉で薪や廃材を燃やして調理する

広々としたコモンスペース。冬は薪ストーブが焚かれる

「比較的軟弱な人」向けのゲストルーム

現在整備中という元段々畑。ここでテント生活を送る人もいる

1日ひとり1ドル生活の根拠は、世界銀行が定義している国際貧困ラインが約1ドル以下で暮らす人(現在2.15ドル)であることに由来する。近藤さんは、「この暮らし方は、資本主義に対しての僕からの一つの提言」と、言うのだが、どういう意図があるのだろう。

近藤 僕にとって、ここは快適な避難所。災害が起こったときにも水や温かい食事にありつけるし、生活保護をもらっている人が急に給付を打ち切られたとか、資本主義の仕組みが終わってお金の価値がなくなったとか、そういうときがいつ来るかもしれないでの、お金に頼らず暮らしていける場所を持っておけば、大きな安心感につながると思ってやっています。

お金を稼ぐのに疲れた人が一回お金を稼ぐのを辞めて、ここで暮らして再出発できるような場所になってもいいし、1日100円なら、1年間でちょっと余裕を見ても4万円で足ります。半年でも1年でもいいので、お金を稼ぐ呪縛から解き放たれるような場所になれたらいいなと思うんです。

お金を稼ぐ呪縛という言葉を聞いてどきっとした。

いまや地球規模の気候変動や環境破壊、そして貧困や人口増加による食糧問題などが進行し、それに対して、今ある仕組み、あるいは消費の仕方を持続可能なものに変えることが叫ばれているが、多くの国や企業、人々が現状を大きく変えることができずにいる。その理由のひとつに「お金の呪縛」があるように思えたからだ。

しかしながら、なにかそういったお金に対する執着もなく、仲間を集めて「これでしょ」と言わんばかりに、新しいモデルを示す近藤ナオさんがいる。しかも、お話を聞いた限りでは、問題意識から取り組んでいるというよりは、漫画の主人公のように、偶然の出会いやハプニングを解決しながら、たどり着いた問題解決方法がニュービレッジであることがわかった。いったいどうやって、ここに到ったのか、近藤さんの旅路について紹介していこう。

「多拠点多所属暮らし」で得た心理的な安全

近藤 僕は、20歳で建築事務所をつくり、建築デザイナーから都市計画プランナーの仕事に移行していくのですが、当時は六本木ヒルズ万歳の時代で、ちょうど25歳のときに僕のところに上野駅前に六本木ヒルズの小規模版をつくりたいという仕事がきたんですね。でも山手線の中でもアジア的な雰囲気が残る上野駅前にそういうものをつくっても街のイメージが崩れるだけだし、気が進みませんでした。でも、さすがにそれを論破して、もっとユニークなものを提案できる力はまだなかったんです。

そのときに、六本木ヒルズに住んでいる人たちは、暮らす上で必要な食料やエネルギーがどこから来てどうつくられているのかを知らずに暮らしているんじゃないかって思ったんですね。でも、同時に僕も知らなかった。知らないのにまちづくりのプランナーをやるのはよくないなと思い、東京で建物をつくることを辞めたんです。

近藤さんは、友人が山梨の山奥の集落で立ち上げたNPO法人に合流し、そこで食料自給や自然エネルギーの利活用を通して地域課題を解決するための活動を始める。その一方で、渋谷で「建物をつくらないまちづくりをやる」ために、入学金も授業料も不要の「シブヤ大学」を立ち上げて、それをきっかけに山梨と渋谷を行き来する生活を始めるのだ。まだ多拠点生活やデュアルライフという概念もなかった20年程前のことである。

近藤 僕の行動のロジックは、「まずはやってみる」ことで、「人生で一度もやったことないことは全部のっかる」ことをポリシーにしているんです。その考え方ができたのが、ちょうど20代の頃でした。そもそも、人生で1回も経験したことないことを、プラスかマイナスか判断すること自体が無理だと思っていて。たとえ誰かが経験していたとしても、その人と僕は生き方が違うわけだし、やらない理由を考えるのは無駄だなとも思っていて、だからこのときもやってみようと思って始めました。

パートナーと幼い子どもを連れて、週の半分は山梨で、もう半分は渋谷で。いざ実践してみると、なぜか精神的に心地よさを感じたという。

近藤 コミュニティに属しながら家族ごと行ったり来たりしていたので、「多拠点多所属暮らし」と呼んでいますが、なぜ心地よいのかを自分なりに分析すると、逃げ場があることが心理的な安全につながるという結論に達しました。心理的な安全を保証するものは、お金や人間関係の場合もあれば、環境の場合もあって、それがあれば、人はより自分のやりたいことにチャレンジできるということもわかりました。

自分の「特徴」を受け入れてパワーアップしていく

「多拠点多所属暮らし」に心理的な安全を得た近藤さんは、「シブヤ大学」の成功も相まって、新規事業開発のコンサルタントとして多忙を極めるようになる。その業務は近藤さん曰く「新しい事業を始めたい人たちの隣について、その人たちの夢を叶える仕事」。クライアントは、大企業や自治体、病院や保育園、神社や寺、あるいは農家や漁師の場合など多岐にわたった。多いときで50案件くらいを同時に回していたそうだが、その仕事の仕方は、近藤さんが自身のある特徴を理解したからこそ、できたことでもあるという。

近藤 2人目の子どもがダウン症で生まれたんですね。それで、ダウン症について調べてみると、染色体からして違う完璧な特徴だということがわかって嬉しくなりました。そのときに発達障害という考え方があることを知り、試しに検査を受けてみたら、僕には高機能自閉症の疑いがあるという結果が出たんです。

それでいろいろ納得がいきました。僕は、高校生くらいから、親友と言える人が誰もいないのが悩みでした。友達はいっぱいいたし、よく遊んでもいたけど、親友と言えるほどの感情がよくわからなかったんです。恋愛をしても、この人じゃなきゃいけないという感情がすぐに薄まってしまう。もっと深く愛せたら楽しそうなのに、人を並列にみてしまう。それがすごく残念だったから、自分がコミュニケーション障害を持っていることがわかって、すごく気が楽になりました。

その後、自分なりにどんなふうに僕の特徴はいかせるのだろうと考えてみたときに、感情の起伏が激しくないので、参謀的な立ち回りがすごく向いているなと思いました。僕は何か起こったとしても、すぐに冷静になれるし、マルチタスクもどんどんこなせます。だから自分の持っている特徴を理解できたことは、僕にとってとても幸せなことでした。

こうして、近藤さんは発達障害という特徴を受け入れてさらにパワーアップしていくのだ。

資本主義と日本社会の限界を感じてオランダへ

まだ社会にはない試みを形にするときに、不確実性は必ずついて回る問題だ。たとえユニークな企画だとしても、それにGOサインを出す側に、リスクをとる覚悟があるかどうかで、仕上がりが大きく変わってしまうことがある。クリエイティブな仕事をしている人には思い当たる節が多いかもしれない。

近藤 6、7年前から、クライアントとの会議の席で、部長クラスの方から「前例はないのか」とか、「何か起こったら、どうする」などと言われることが多くなってきました。前例があったら新規性に欠けるのに、リスクマネジメントの話ばかりが先行し、イメージした通りにできる仕事がどんどん少なくなってきて、それがめちゃくちゃストレスでした。

一方で、プライベートでは子どもが増え、教育費のことを考えると、自分一人で背負っていくには肉体的にも経済的にも不安があった。かといって、仕事に打ち込もうにも、リスクばかりを気にしてやりたいことができないクライアントワークには辟易していた。そんな心の動きと呼応するように、当時14歳だった娘さんが学校への不満を口にするようになった。そこで浮上した計画が、教育先進国のオランダに拠点を持つことだ。

近藤 なぜオランダかというと、以前保育園をつくったときに、幼児教育について勉強していて、オランダの教育が素晴らしいなと思ったからです。オランダの教育を端的に言うと、一人ひとりのやりたいことに向き合って、それを実現させていこうという教育。娘には自分の目で見て決めてほしいと思い、一緒にオランダに行くことにしました。

娘にオランダ人と同じ教育を受けさせたいと考えた近藤さんは、日本人の友人に声をかけて、3人で首都アムステルダムに中古マンション購入し、多拠点居住者向けのCo-living運営を始めた。オランダで起業することで、労働許可証と居住許可証(レジデンスパーミッド)を取得することができ、娘をオランダ人と同じ教育費無償の待遇で公立学校に通わせることができるからだ。

世界中に家を持ち、現地の人と会社をつくる

オランダに不動産を持つことで得た副産物があった。それは、周囲のオランダ人との距離がグッと親密になり、サポートの仕方が変わったことだ。目には見えない境界線が薄れ、仲間意識が芽生えることを実感できたという。その実感をさらに広げてみたくなった近藤さんは、世界有数のハブ空港があるアムステルダムの地の利をいかし、さらに世界各地に行動範囲を広げていく。

近藤 興味があったのは、これから人口が伸びていくアフリカ、その次に中南米、あとは旧ソ連の国々です。そういう国々の変化がこれからの世界においては重要だし、今の日本で感じている限界みたいなものを打ち壊してくれるスーパーマンみたいな人たちがいて、すごく快適に暮らせる仕組みがあるなら、それを見つけたいとも思っていました。

新型コロナウイルスの流行時期と重なっていたが、近藤さんの勢いを押しとどめる力はコロナにはなく、訪れた国は全部で15、6カ国にのぼった。そして、それらの国々をめぐるときに、近藤さんがとった方法がインターンを利用した旅の仕方だ。

近藤 自分で面白そうな会社を見つけて、1週間くらいインターンをさせてもらうという旅の仕方をしていました。例えば、モロッコなら有機農業の会社、ナミビアでは環境保護体験型のツアー会社、ケニアは人間や家畜の排泄物からガスをつくる会社。相手からしたらめちゃくちゃ迷惑かもしれないけど、その会社の仕組みを1週間で理解して、僕なりに経営のヒントになるようなアイデアを1個でも2個でも出そうという気持ちがありました。

突拍子もないことのように思えるが、暮らすことで現地の人との境界線が薄れたように、働くことで見えてくるものに期待した。

旅の出会いの中から、起業に至ったケースもあるという。旧ソ連の構成国だったジョージアでは、ある男性に200万円出資して酪農ビジネスを始めたが、それは彼の義弟が運転するタクシーにたまたま乗り合わせたことがきっかけだ。

近藤 ジョージアは第一言語がジョージア語で、外国語がロシア語で、英語を話せる人が少ないんですよ。そうしたら、たまたまタクシーの運転手が英語が話せたので、200万円までなら投資して現地の人と会社をつくりたいという話をしたら、彼の義兄が酪農をやりたがっていると話してくれて、翌日会いに行ったんです。お義兄さんは、ジョージア語しか喋れない人だったけど、運転手の彼が通訳をしてくれて、誠実そうな人だと思えたので、その1週間後には会社を登記しました。

「人生で一度もやったことないことは全部のっかる」というポリシーが遺憾なく発揮されたエピソードである。そうやって、近藤さんはオランダ、ジョージア、ペルー、タンザニア、ナイジェリアに11の会社を立ち上げていく。ただ、それは重ねて言うが営利目的ではない。

近藤 別に儲けたくてやってるわけじゃなくて、世界中をリサーチするために思いついた方法が、世界中に家を持つことと現地の人と共同経営で会社をつくることでした。

ではリサーチによって近藤さんが得たものとは、何だったのだろうか。

資本主義におびえない場所をつくる

近藤 ともに働いて、ともに暮らしながら、世界中を隅々まで見た結果、気づいたことは、結局みんな僕と同じようにおしっこやうんこをする普通の人間が暮らしているだけなんだなっていうことです。

僕は資本主義の次に来るものが何かないかと思って、世界中を探し回っていたけど、結局どこの国にも資本主義と同じような仕組みがあり、スーパーマンみたいな人はどこにもいませんでした。唯一、アフリカの電気が通ってない地域には資本主義の仕組みはなくて、近隣住民と原始的に気持ちよく暮らせたけど、それはコピーアンドペーストできるような仕組みではなかったですね。でも、ヒントになるものは多かったです。

近藤 メキシコ東部のジャングルにはビジネスのできるヒッピー集団がいて、そのやり方に感動しました。彼らは土地の地権者からジャングルを100ヘクタール単位でどんどん購入し、何をしているかというと、土地の10%以上は絶対に建物をつくらないというマイルールを設けて、10%の範囲に家やリトリートセンターをつくるんですね。このやり方をすれば、90%の自然は侵食されません。

結局、世界の隅々に資本主義が広がっていくと自然はどんどん搾取されていきます。僕は、人間が生きていく上で、自然は必要なものだと思っていますが、先進国では再生可能エネルギーを進める名目で、山の木を切りまくってソーラーパネルを設置するようなロジックがまかり通るし、南米やアフリカは賄賂の世界だから、お金さえ渡せば、たとえ国立公園だとしても自分の土地として買えてしまうので、本当になすすべがない、と思っていたんです。でもこのやり方があったかと思い、早速アフリカでやってみることにしました。

購入した土地はタンザニアのタンガ州パンガニ市シマ。そこはアフリカ東岸にあり、偏西風の影響で海岸線には砂のビーチが形成されている。近藤さんは、そこが将来リゾートとして開発されないように、インターン旅や起業によって培ったコネクションをいかして土地の地権者を探しあて、20ヘクタールを買うことができた。

近藤 その時点では、あくまでも自然を守るために所有するつもりでした。でも、せっかく土地があることだし、今まで世界中で見てきたことをヒントにしながら、自分なりに「資本主義におびえない場所」をつくってみようと思いました。そのときに、半分言葉遊びのように世界銀行が言う「1日1ドル以下で暮らす」をコンセプトにして出資者や一緒にやりたい人を募ったんですよ。それがニュービレッジの始まりです。

具体的には、水と食料を確保するために、井戸水と雨水を濾過する仕組みをつくり、人間の排泄物をバナナ栽培に利用する。敷地に生えている木を使って家をたて、太陽光発電を利用してエネルギーを得て、潮の満ち引きを利用して魚をとる。今南伊豆で行われている暮らし方の原型が、タンザニアの電気も引かれていない田舎でつくりあげられていった。

近藤 このときに日本から来てくれたのは5人くらいでした。やっぱりアフリカは日本人にとっては遠いんですよね。でも、隣国のケニアの友人は結構来てくれました。そこで、1日1ドルで暮らせる場所がもっとあればいいと思って、5大陸にひとつずつニュービレッジをつくろうと思っちゃったんですよ。さすがに5個はつくれなかったけど、どの国でも資本主義の仕組みがあるわけだから。

近藤さんは、2つ目のニュービレッジを中南米、ペルーのアマゾンに決めて、フランス人とペルー人と一緒に土地を取得した。中南米はエコビレッジ発祥の地でもあり、2人の共同購入者がメインで取り仕切ることになった。そして、3つ目はアジアエリアで探し、温暖な南伊豆の下田市に決まったのだった。

近藤 ここは2022年の10月に11人から出資を募って購入したんですよ。その翌年の1月5日から改修作業を始める予定だったのが、僕が年末に両目の網膜剥離になって入院してしまい、僕不在で始まった稀有なプロジェクトなんです。

多くのエコビレッジはリーダーとそのフォロワーの人たちが支える形でことが進んでいくように見受けられるんだけど、ここは僕が2、3週間不在だったにもかかわらず、どんどん作業が進んでいたからびっくりしました。メンバーそれぞれが仕事のできる人たちで、見ず知らずにもかかわらず共同で作業を行い、地元で人間関係をつくって魚を食べたければ漁に行くといったように、みんなここで暮らすことを面白がっているんですよね。

1日1ドルというコンセプトを掲げているのは僕だけで、メンバーによっては「メンタル的に疲れた人のケアの場所」と説明する人もいるし、「自然の中で農や土に触れる体験の場所」と言っている人もいます。そもそも、ミッションやビジョン、コンセプトを共有しあうことは資本主義っぽいからやらないんです。

ただ、ひとつだけ、みんなで話し合って決めたことがあって、それが半径20kmくらいの範囲で調達できるもので暮らすこと。「自分でつくれないものは持ち込まない」も同じ意味です。そうすると、野草を煮立ててシャンプーをつくる人も出てくる。そういうチャレンジはすごく面白いですよね。だから、ここはメンバーがやりたいことをやるテーマパークだと思っています。

火をおこすのが得意だと話す、編集長の増村さん

みんなで食事の支度をする。これもエネルギー交換か

近藤 それぞれの人が自分ができることを出し合って補い合いながら暮らしを回していくことを僕たちは、「エネルギー交換」と呼んでいます。例えば、タンザニアのニュービレッジでは、6歳の女の子がお母さんと一緒に暮らしていますが、ガスを使わない代わりに薪拾いをするといった、幼い子でもできる仕事があるんですね。

この南伊豆ニュービレッジもそうですが、便利な電化製品がない代わりに、誰でもできる仕事がいっぱいあります。洗濯機ひとつないおかげで、誰かが洗ってくれたら、すごく感謝したくなるし、たとえ知的に発達してない人でもできることがあって、作業を通じて気持ちが通じ合う部分がある。都会ではなかなかできないことだけど、本当は都会での日常生活がそうなっていくといいなと思ってやっています。

夕飯は玄米と鯛の山椒入り炊き込みご飯とナスの味噌汁。粗食が疲れたからだに染み渡る

南伊豆ニュービレッジが形になった今、近藤さんの興味はすでに次に向かっている。

近藤 この4年半、お金をもらう仕事をゼロにして世界各地で暮らし、働いたことで、僕自身いろいろな経験をしてきました。ニュービレッジでの暮らしを通して偶然気づいたこともたくさんあるし、世界各地で見てきた大事な風景を日本にいかすために、どんな仕組みを取り入れたらいいかなんてことを、今は考えたりしています。

あまり詳しくは言えないけど、この僕の発達障害的な特徴をいかして、帝王たちの参謀になってみたりね。漫画みたいなことを言っていると思われるかもしれないけど、人生は暇つぶしだと思っているので、死ぬまでの間の暇つぶしとして、いろんな世界に関わってみるつもりです。

もし、近藤さんの人生を漫画に置き換えるなら、今は何章目にあたるのだろうか。漫画の主人公が偶然の出来事から事件に巻き込まれたりするように、ハプニングをどう受け入れて解決するのか、そんなプロセスを学ばせてもらった気がする。それにしても、1日1食で生きているなど、まだまだ書ききれないことは多かった。ここにまとめたことは、近藤ナオさんを語る上で、ほんの一部にすぎない。

(撮影:廣川慶明)
(編集:廣畑七絵)

– INFORMATION –

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