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「食は権利、うんこは責任、野糞は命の返しかた」糞土師・伊沢正名さんが50年続ける信念の野糞

伊沢正名さん、73歳。医師や美容師、調理師と、世の中には、「師」とつく専門職がたくさんあるが、「糞土師」を名乗る人物は、日本中を探してもこの人しかいない。もともときのこ専門の写真家として長年活動されてきた伊沢さんは、後年『ウンコロジー入門』や『葉っぱのぐそをはじめよう』『くう・ねる・のぐそ』といった書籍を世に送り出し、野糞を推奨してきた人物である。

人間、食べれば必ずうんこを出す。排便は人間の、いや、あらゆる生き物の基本的な生理活動である。しかし、それは個室で行われる秘密行為であり、なかなか普段の会話にのぼることはない。

今や日本の汚水衛生処理率(水洗化人口)は86.6%(令和3年度現在)。私たちの住む家や学校、会社、あらゆる施設のトイレは水洗式になり、さらに消音・消臭機能を持つトイレが増えて、匂いすら嗅がなくてもよい清潔志向の強い現代にあって、うんこはできるだけ早く、臭いもろとも目の前から消し去りたいものになりつつある。であるからこそ、トイレも使わない「野糞」という選択肢は、--よほど困ったときではない限り--選ぶことはない。

しかし、伊沢さんは今の地球を救うには、野糞しか方法はないと言い切る。その声に耳を傾けてみよう。

伊沢正名(いざわ・まさな)
糞土師。1950年茨城県生まれ。1970年 自然保護運動を始める。1974年 真の自然保護と自分のウンコへの責任から、信念をもって野糞を始める。1975年 菌類・隠花植物専門の写真家を目指す。2006年 写真家を辞め、糞土師を名乗る。2015年 舌がんになり、深く死に向き合うことで、糞土思想がさらに深化する。2021年 糞土思想を広め、正しい野糞を学ぶ場として、糞土塾を始める。」

地球上の全ての生き物にとって、「うんこ」はごちそう

筑波山を南に望む茨城県桜川市。稲田石の産地であるこの地域に、糞土師、伊沢正名さんの糞土塾がある。「糞土庵」の看板が掲げられた立派な門をくぐり、築200年以上という母屋を訪ねると、ジーパンにTシャツ姿の伊沢さんが迎えてくれた。贅肉のない痩せたからだ。厚手のメガネの向こう側にある目はぎょろりとして眼力があった。

「今日はね、現代人の生活を否定するような厳しいことを言うと思うけど、覚悟してください」と、その言葉は、にこやかな表情とは裏腹に厳しめだ。膝を正して耳を傾けると、こんな独白からはじまったのだった。

伊沢 私はね、野糞をし始めて今年で50年目。半世紀です。回数でいえば、1万6千何百回野糞をしてきました。私がなぜ野糞を始めたかというと、人間が自然と共生して命を循環させるために一番必要なことが「うんこを自然に還すこと」だと思ったからです。

伊沢正名さん

伊沢 人間(または私たち)は生きるために動物でも植物でも命ある生き物を食べています。人間にとって食べることは当然必要なことですが、食べれば必ずうんこが出ますよね。人間はうんこを臭くて汚いものだと思っているけど、それを誰が作り出しているのかといえば、自分でしょ。人間は生きるために、多くの生き物の命を奪って、美味しいごちそうにして、最後はうんこに変えている。それが、人間が生きるということです。でもそこに目を向けている人がこれまで、どれだけいたのかと、私は問いたい。

それはまるで演説を聞いているかのようだった。おそらく伊沢さんは、糞土塾の門を叩く人すべてにこの話を聞かせているのだろう。

伊沢 今、気候変動で地球の環境がひどくなってきていますけど、その原因は、人間が夢や希望を掲げて理想とするいい生活を追い求めてきたからですよね。

人間だって別に悪いことをしようと思って環境破壊をしたわけじゃないんだけど、人口が増えすぎちゃった。たとえば日本の人口は江戸時代の3千万人くらいがせいぜいいいところで、今や4倍の1億2千万人でしょ。人口が多いと食料や生活資源が必要になるから、どんどん自然から奪うわけですよ。

これで世界人口が100億人になったら、地球はあらゆる生き物を道連れにして滅亡します。今でさえどんどん暑くなってきているわけで、子どもたちが大きくなる頃にはもっとひどくなりますよ。だから早く手を打ってなんとか環境をよくしていかなくちゃいけないの。

ひとことでいえば、この気候変動をいい方向に向けるのが「野糞」なんです。うんこはちゃんと自然に返せば、他の生き物の食べ物になり、自然は元気になるんです。

かつて、日本人は人糞を肥溜めで発酵させて畑の肥料にしてきたが、そういう話ではないことがわかる。伊沢さんの野糞は、人間以外の生き物に捧げられているし、人間が人間のためだけに行動することを真っ先に批判している。

伊沢 今はなんでもSDGsで、自然と共生しないといけないと言われますよね。でも、私に言わせるとSDGsは綺麗ごとです。本物の共生とはなんだと言ったら、お互いに生かし合うこと。つまり、お互いに食べ物を与え合うことが共生じゃないですか。人間は他の生き物の命を奪って生きている。だったら人間も他の生き物に食べ物を与えなくちゃいけないの。その最良の方法が何かといったら、結局、野糞なんですよ。

なぜなら、野糞をしてうんこを自然の中に置けば、いろんな虫や獣がそれを食べ、さらに菌類が食べて分解して土の養分に変えて、その養分で植物が育つんですよ。つまり人間のうんこが多くの生き物の食べ物になり、ひいては命になるんです。

greenz peopleとともに伊沢さんを囲んで

とはいえ、前述したように、都市化が進んだ現代では下水道や浄化設備の普及とともに、排泄物は私たちの目の前から一瞬で姿が消えるものになっている。それは、都市が形成されていく過程で感染症の流行や汚水の垂れ流しによる河川や海などの生態系に悪影響を与えてしまったことへの解決策として税金を投入してつくられてきたものだ。

東京都の例でいえば、処理施設に集められた汚水は、微生物による有機物の分解を経て、水分は塩素で消毒されて海に排出され、汚泥は主に焼却灰をセメントの原料にして建築資材にしたり、埋め立てに使われている。ただし、そのリサイクルは人間のためには役立てられても、ほかの生き物に還元するものではない。また、たとえ下水処理に微生物が使われていたとしても、人知れず働いている使役微生物と私たちとの関係は、共生と言えるレベルにあるのかどうかは疑問だ。

伊沢 だから私が言いたいのは、人間だけでものごとを考えるんじゃなくて、地球上の全ての生き物を対象に考えたら、うんこ=ごちそうだということ。糞土思想をひと言でいうと、「食は権利、うんこは責任、野糞は命の返しかた」と言って、食べることは他の命を奪うことだけれど、それは生きる権利。うんこには命を奪った責任と、美味しいご馳走を汚物に変えた責任が詰まっている。その責任を果たすのが、命を自然に還す野糞なのだという、人間が自然と共生して、永遠に命を循環させるための考え方なんです。

人間嫌いと深淵なるきのこの世界

伊沢 私は研究者じゃないし、はっきり言って学歴は中卒です。でもそれが良かったと思っています。余計な知識を入れずに済みましたからね。自然を観察する中でそんな考えに至りました。

糞土師になるまでの半生を綴った著書『くう・ねる・のぐそ』には、茨城県の農村部に育った伊沢少年が、水戸市内の進学校に通うようになってから、大人の世界や受験勉強一色に染まっていく教育に反発し、高校を中退し、自然保護活動にのめり込んでいく過程が書かれている。ときは高度経済成長期。多感な思春期に、もっとも大切にしていた自然が開発により失われていくことを目の当たりにした経験が、伊沢さんの文明批判の原点にあることは明らかだろう。

しかし、だからといって、すぐに野糞をしようという発想にはならないと思う。伊沢さんを野糞の世界に導いた出来事があるのだ。ひとつは、のちに写真家としての伊沢さんのフィールドになるきのこの世界、もうひとつは近隣で起こったし尿処理場建設に対する反対運動だ。

伊沢 山を歩いていたとき、たまたま写真に撮ったきのこの名前が知りたくて、図鑑を買ってきたんですよ。そうしたら、後ろの解説に、菌類が枯れ木や落ち葉や動物の死骸を分解して、それが土の栄養になり、森ができていると書いてあるのを読んで、菌類ってすごいことをやっているんだと、驚きました。

その一方で、し尿処理場なんて臭くて汚いから嫌だと反対している人々がいる。自分で汚いうんこをしておいて、その処理に反対するなんてとんでもないと思いました。でも、自分はどうなんだと考えたんですよ。トイレにすればし尿処理場に運ばれて、その周辺の人に迷惑を掛けている。自然保護運動をしている自分が自分のうんこに責任を持っていないじゃないかって。だったら野糞をすればいいと閃いたんですよ。それは菌類の働きを知ったからです。

プープランドにはえていたきのこ

伊沢さんが信念の野糞をし始めたのは、1974年の1月1日。23歳のときである。それからしばらくして、当時は珍しかったきのこ写真家としての仕事もはじまり、写真と野糞の両輪の活動が始まっていくのだ。

伊沢 写真家としては、きのこやコケや変形菌がこんなにすごいことをやっているんだと知らせるため。アートではなく、証拠写真を撮るような感覚でした。その合間に野糞もするわけだけど、その頃は自分もまだ常識人だったから、恥ずかしくて野糞をやっていることを公表できませんでした。あくまで自分のうんこに責任を持つためにこっそりやっていたことだから。

それまでトイレで排便していた習慣をすべて野糞にするのは難しく、近くの林や出先で、徐々に野糞の回数を増やしていく日々だったという。お尻を拭くティッシュが葉っぱになり、野糞に適した林を見つけたら、便意がなくても出せるように排泄のコントロールまでできるようになったという野糞への道のり。野糞率を高めていくのに役立ったことは、手帳につけていた野糞の記録だった。

伊沢 最初は恥ずかしかったんだけど、記録が伸びてくるとだんだん自信がついてきた。もちろん手帳に書くのは撮影の記録がメインですけど、写真を撮らない日があっても、野糞の記録だけは欠かさずつけていました。しない日は×をつけて。そうすると、野糞がやり甲斐になって自分の中で野糞に対する確信が湧いてくるんです。

そして、野糞率が年間97%になった1986年初頭、カミングアウトの機会がやってくるのだ。

伊沢 数学者で京都大学の森毅さんが編者を務めた『キノコの不思議』という本に私も参加することになって、対談に呼ばれたんです。森さんはきのこ好きとしても知られている人で、最初はきのこの写真の話をしたんだけど、実はこんな変な趣味があるんですって、そこで初めて公表できたんです。森さんはすごく面白がってくれました。

現在の手帳を見せてもらう。カッコに入ったPLなどの記述が野糞の場所とその年の何度目かという記録だ。手帳は伊沢さんにとって、いちばんの宝物

糞土思想の標語「食は権利、うんこは責任、野糞は命の返しかた」が手拭いに

勢いにのった伊沢さんは、いよいよ野糞の素晴らしさをプレゼンテーションするために、初めてのうんこの本の出版に踏み切る。そして、その際に実施した野糞跡掘り返し調査が糞土師への道を開いたという。

伊沢 きっかけは、『くう・ねる・のぐそ』の担当編集者に「3ヶ月もすれば分解して土に還ると言うけれど、それを写真に撮って証明しろ」と言われたことでした。そのときまで私は、野糞は微生物に分解されると思っていただけで、掘り返したことはなかった。とにかくうんこだし、掘って調べるなんて、怖いじゃないですか。勝手なこと言うなと思いました。でも撮らなきゃいけなくなったので、どう撮るかをいろいろ考えた末に、数多く野糞をして、経過日数を変えて掘っていく方法を思いつきました。

そこで、100以上野糞をして、経過日数の違いでうんこがどのように分解しているかを調査しました。以前は微生物が分解して姿も臭いも徐々に土みたいになって消えていくと思っていたら、全然違う。臭いはいろいろだし、状態も変わる。寄ってくる生き物も昆虫から獣からさまざまで、キノコも生えるし植物だって根をのばしてくる。単に土に還るんじゃなくて、うんこを中心にひとつの宇宙ができあがっていたんですよ。

目で見て、匂いを嗅いで、最終的には味見までしました。最後には、うんこから芽生えが出たら「これ俺の子どもだよ」っていう感覚が芽生えてきて、命を返しているんだと実感しました。その経験で完全に糞土師になれたんです。

こうして、「野糞は命の返し方」という糞土思想が完成したのである。

闘う相手は、良識と人権と法律

糞土庵から車で2~3分ほど走ると、砂利が敷かれた林道に入り、右手に溜池と小さな畑のある場所にきた。路肩に車をとめた伊沢さんは、おいしげる草木のわずかな隙間から林の中に入っていく。慌てて追いかけると、外からみたのとは違って、桧や広葉樹が適度な樹間で立ち並ぶ雑木林が広がっていた。

もともと段々畑だったという階段状の斜面には、広葉樹の落ち葉が降り積もり、葉陰から漏れる光を求めて、ふかふかした土の間からひこばえや低木がひょろひょろと枝を伸ばしていた。これが伊沢さんが50年間野糞をし続けたプープランドだった。

手づくりのブランコで遊ばせてもらう。座面は竹や端材など自然に還る素材でできている

こちらは手づくりのシーソー。満面の笑みを浮かべるのはgreenz peopleとして参加された京都大学変人講座の酒井敏さんだ。酒井さんは2024年公開の「対談ふんだん」に登場予定

伊沢 ここは何年か前に購入したんです。以前は他人の林で、そこに入り込んで野糞をしていたんですよ。そうすると、講演会なんかでよく聞かれるのは「地主の許可を得ているのか」という質問です。いちいち許可なんかとっているわけないですよ。林に一々所有者名なんか書いていないしね。

そもそも私は、土地の所有権自体がとんでもないと思っているんです。大地はすべての生き物が生きる基盤でしょ? そこに後から人間が来て、ここは俺の土地だって、線を引いたというだけじゃないですか。自分の土地であれば何をやったって構わないというのもおかしな話です。例えば森を切り開いて太陽光パネルを並べて、わずかな電気をつくって利益を得ることは合法なんですよね。そこを追い出された生き物からしたら、とんでもない悪人だよね。

同様に多いのが、野糞は犯罪行為なのでは? という質問らしい。野糞は公園や街路など人の集まるところでする場合には軽犯罪法違反になる。ただ、それもまた伊沢さんに言わせれば、人間社会の中だけでしか通用しない、自然を無視した法律なのである。

伊沢 だから私が闘う相手は、良識と人権と法律。多くの人が人権や法律を守ることが正しいと思っているけど、それは人間社会の中だけの問題で、むしろ自然や人以外の生き物にとってはとんでもない暴力になっている事もしばしばです。自然環境を改善しようと思ったら、人間中心主義はもうやめろ! と声を上げて変えていくことも大事なことです。

土に還る自由を求めて

今では誰でも心おきなく野糞をできる楽園、プープランドである。ここは糞土塾を訪れる人々が野糞を体験する場にもなっている。土の上をよくみると、枝が二本地面に突き刺さっている箇所がいくつもあった。伊沢さんに聞くと、これが野糞をした跡だという。同じ場所に野糞をし続けると、土壌が富栄養化し過ぎてしまい、自然のバランスが崩れるので、一度野糞をした場所に目印をつけて、一年間空けるのが自然にやさしい野糞のコツらしい。深呼吸をしてみても鼻腔をくすぐるのは、少し甘ったるいような土の匂いだけだった。

伊沢 全然臭くないでしょう? ここの土はしょっちゅうごちそうをもらっているから元気で、分解が早いんです。同じ土でも高山帯のような場所は分解力が弱いので、そこで野糞をしたら批判されても仕方がないです。水源地でうんこをしたら水を汚染するので、そういう場所ではやりません。野糞は場所選びが重要なんです。

クロスポールが野糞の目印

伊沢さんが持ち歩いている葉っぱセット。ギンドロやキウイの葉の裏面はすばらしい拭き心地

葉っぱのやわらかさに驚く

現在、伊沢さんは、このプープランドで探検家の関野吉晴さんとともに『うんこと死体の復権』(2024年度公開予定)というドキュメンタリー映画を撮影しているという。関野さんが主宰する地球永住計画という講座にゲストとして呼ばれたことをきっかけに始まった企画だ。

伊沢 先日、面白い実験をしたんだけど、ある人に添加物だらけの食品を食べてもらって、ここでうんこをしてもらったんですよ。当然分解に時間がかかると思ったら、普通のうんこと同じで半月で分解が終わった。ところが関野さんにうんこをしてもらった中の一つが、2ヶ月経っても全然分解していない。関野さんも愕然として「俺のうんこはこんなにダメなのか」と落胆していました。でもよくよく考えたら、直前に体調が悪くて抗生物質を飲んでいたそうなんです。

ところどころにひこばえが目立つのは森が健康的に更新している証

伊沢 もうひとつね、別のときに編集者に野糞をしてもらい2ヶ月後にみたら、やはりうんこはドロドロ。そうしたら、前の日にコンビニ弁当を食べたと。コンビニ弁当って食中毒を防ぐために、できあがったら殺菌剤をまくんですよね。だから、添加物よりも怖いのは、微生物の働きを止める殺菌剤と抗生物質だということがわかりました。

なるほど、うんこは嘘をつかないというわけだ。ちなみに、映画のタイトルにある「うんこの復権」は理解できたが、「死体の復権」にはどのような意味が込められているのだろうか。

伊沢 今一番考えているのは、「死」のことです。結局、科学や医療の進歩によって、寿命が伸びて、人口も増えて、自然から奪う力も増して、急速に自然が破壊されてきたわけですよね。地球環境をここまで悪化させた最大の原因は、極端な人口増加だと思います。だから今考えているのは、延命治療などせずに、納得して死を受け入れる「しあわせな死」です。

私は数年前に舌がんを患って、舌の調子が悪いんですよ。おまけに近頃歯がボロボロになって、そろそろ食べられなくなるように思うけど、治療したいと思わないんです。もう生き延びることを求めるんじゃなく、自然のままに生きて死にたいじゃないですか。でもその前に「うんこになって考える」という本を書いてから死にたいと思っているの。

伊沢 うんこっていうのは栄養をとられた後のカスで、人間から見たら最低レベルのものですよ。でもそこから見えてくる世界はすごいんですよね。人間って自分以外のものを上から目線で見てるんです。だから見えないものがいっぱいある。特にうんこや自然の摂理に関してはね。それを書き残しておきたいんです。

伊沢さんにとっての理想の死は? と聞くと、「野垂れ死に」という答えが返ってきた。

伊沢 火葬だと自然の中で循環しないんですよ。今でも日本国内にも土葬ができる墓地がほんの少しはあるんだけど、結構深く埋めるので、分解しにくいんです。だから、私の理想は野垂れ死になの。でも犯罪だと間違われそうだから、プープランドの一角を墓地に認定してもらって、もっと分解されやすい20〜30cmくらいに浅く埋めてもらい、墓石なんか立てるんじゃなくて土饅頭にすれば、それが理想。生きる権利があるなら、自然に還る権利があってもいいじゃないかって思う。

最後に、正しい葉っぱ野糞のやり方を教えてもらった。野糞を極めてきた伊沢さんが「絶対批判が出ない野糞」として確立したやり方だ。お尻をふく葉っぱの種類や使い方などは、著書『葉っぱのぐそをはじめよう』に詳しい。合言葉は、「場所選び、穴掘り、葉で拭き、水仕上げ。埋めて、目印、年に一回」。唱和し、しかるべき機会に備えてみてはいかがだろう。安全な場所でするこの自然と共生するための野糞は、心底清々しくて気持ちのよいものらしい。その実感があるからこそ、伊沢さんは野糞を続けてこられたのだ。

伊沢式野糞のやり方

用意するもの

・蚊除けのハッカ油(薬局などで入手可能)
・お尻を拭くための葉っぱ(裏が起毛したやわらかいものが良い)
・洗浄用の水

1.適切な場所を選ぶ

分解力の弱い高山帯とか、水を汚染する可能性のある水源地、道路上など迷惑が掛かる場所を避けて、なるべく分解力の高そうな林を選びます。

2.穴を掘る

野糞をするときは、まず穴を掘るんですけど、林の中の土はやわらかいから、スコップなど使わなくても靴のつま先でも掘れます。深さは5〜10cmくらい。夏場の野糞でいちばん困るのは蚊なので、ハッカ油を手のひらに数滴取り、水で伸ばしてお尻など露出した部分に塗ると、蚊除けになります。

3.葉っぱで拭く

穴の中にうんこをしたら、分解しにくい紙は避けて葉っぱで拭きます。

4.水で洗う

拭き終わったら水洗いすると、一層爽やかです。どうやるかというと、まず水で指をぬらして、直接肛門をその指でぬぐいます。乾いたままやると指紋の中にこびりつくので、水で先に膜をつくっておくんですね。1回ぬぐうごとに指を水で洗い、10回くらいやると摩擦でキュッキュッと音がしてくるのでそれが終了の合図です。細い口から水が出る容器を使えば、上手にやれば使う水は20〜30ccで済みます。

5.埋めて目印をたてる

掘り上げた土と落ち葉でうんこと拭いた葉っぱを埋めたら、その辺にある枯れ枝をバッテンにさして立てます。これは分解後の養分を植物が吸収して、土が元の状態に戻るまで次の野糞をしないように、枯れ枝が朽ちるまで1年以上間を空けるための目印です。正しい野糞というのは土壌の富栄養化も防いで、環境に悪影響を及ぼさないように配慮したものなのです。

(撮影:廣川慶明)
(編集:廣畑七絵)

– INFORMATION –

伊沢さん制作・監修の絵本『北海道・鵡川 いのちの旅』が完成!

絵本『いのちの旅』を頒布します。

この絵本では命の始まりから、様々な生き物を繋ぐ食物連鎖の食~ウンコ~死~土に還り、そこから新たな命が誕生して無限に命が巡る、糞土思想の「命の循環」を表現しました。

命という難しいテーマを易しく、とはいえその根本まで深く描いた、画期的な絵本が出来上がったと自負しています。多くの方に是非とも読んでいただきたいと願っています。

取り敢えずは非売品で部数も限られているため、一人1冊ですが、学校図書館などにも置きたいという場合には何冊かの注文にも応じます。できれば今後増刷して、より多くの方々に届けたいと考えています。そのためのカンパを、送料に上乗せして頂ければ助かります。

この絵本、じつは糞土師の最期の願い、「破産して野垂れ死に」に向けた、命をかけた活動の一つです。
(伊沢さんFacebookより)


この絵本に興味を持った方は、伊沢さんのFacebookをご覧ください。連絡先や入金方法が掲載されています。

伊沢さんのFacebook

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