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みんなが幸せに生きていける社会ってどうやってつくる? 僕らの「サステナビリティ」の現在地を枝廣淳子さん、小田理一郎さんと考えた(前編)


武蔵野大学工学部サステナビリティ学科とNPOグリーンズが共同で、サステナブルな社会をつくるには? という問いを探求する本連載。これまでの連載では、サステナビリティを実践するさまざまな研究者や活動家の方の声を伝えてきました。

時は遡り、2016年。当時、10周年を迎えようとするgreenz.jpの編集長・鈴木菜央が、そもそもの問いや目指している社会を振り返るために、話を聞いたのが、枝廣淳子さん、小田理一郎さんです。

鈴木菜央の言葉で表現すると、おふたりは、“みんなが幸せに生きていける社会(つまり持続可能な社会!)をつくるために必要な考え方、世界の捉え方をみつけ、紹介する水先案内人”。

日本の社会環境ムーブメントをリードしてきたNGOで、Webメディアでもあるジャパン・フォー・サステナビリティ(以下、JFS。2018年8月より活動休止)の発起人であるお二人は、アル・ゴアの『不都合な真実』や「定常経済」という考え方を日本に紹介したり、「システム思考」「学習する組織」などの考え方を学べる場をつくってきたりしました。

サステナビリティのこれまでを振り返り、現在地を確認するために、今回は、2016年2月掲載の対談記事を、再編集してお届けします。

サステナビリティってなんだろう?

菜央 こんにちは。よろしくお願いします!

枝廣さん・小田さん よろしくお願いします!

菜央 今日おふたりにお聞きしたいのは、サステナビリティ、または持続可能性という考え方についてです。

greenz.jpが創刊したのは2006年。「エコすごい未来がやってくる!」というキャッチコピーの通り、できるだけ「持続可能性」という言葉を使わずに、どうやってそのことについて興味を持ってもらい、考えてもらえるか? というのが「隠れテーマ」でした。

21世紀に入って、ますます進行する気候変動はもはや日常になってしまったし、テロも頻発して、難民問題なども大きくなってきて、日本でも貧富の拡大が進んでと、世界が幸せな状態から遠ざかり、戦争すら現実味を増している、そんな印象があります。

そんな中、僕らがいよいよ真剣に考えたいテーマが「持続可能性(サステナビリティ)」なんじゃないかと思っています。

枝廣さん たしかにJFSを立ち上げる前から考えると、この20年で部分的に進んだこともあるけれども、全体的にはじりじり後退してる。特に日本が。

菜央 やはり。

枝廣さん もともとJFSは、「世界は頑張っている日本を知らない」というコンセプトでやってきた。ところが10年以上経っての今の状況は、「世界は日本を必要としてない」になってしまった。環境技術、昔は良かったよねって過去形で語られちゃう。

2002年8月から2018年7月まで活動した非営利団体ジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)。世界と日本を持続可能で幸せな社会に近づけようと、日本の持続可能性や環境問題、幸福や経済・社会のあり方などについて発信してきました。

小田さん もちろん、新しい考え方の活動もたくさん始まっているけど、全般として以前と同じ考え方、同じパラダイムの再生産の力がすごく大きい。そして、幾何級数的に伸びているから、新しいパラダイムが、既存のパラダイムに対抗できるまで広がっていないという印象です。

菜央 うーん、そういう感じがしますね。

枝廣さん かつての環境運動は、地球のサステナビリティの話をしていたと思うんです。でも今はわりと個人化してきています。むしろその先に巨大な地球があるけれど。

もう一つは、かつては、現状が続くことが前提でその上でのサステナビリティを考えていた。けれど、今は足元が危うくなっている。

地球温暖化の問題ひとつとっても、環境負荷を減らすと同時に、レジリエンス(しなやかな対応力)という視点で、備えることもやっていかないといけない。それは10数年前にはなかった要素ですね。

菜央 そんな僕らにとって、「サステナビリティ」ってなんなんでしょうかね?

小田さん どこを源流とするかですが、ものごとがただ一方的に増え続けることはないという認識や循環やバランスを考えなくてはいけないという教えは、ギリシャ、エジプト、中国など洋の東西を問わず古くから数多くありました。

それから、19世紀、近代経済学が生まれたときから、ジョン・スチュワート・ミルなどによって「経済が発展した先は、どこにいくんだろう? 経済学上は成長が永遠に続くわけはなくて、当然その着地点を考えなくてはいけない」という議論があったわけです。

菜央 現在の「サステナビリティ(持続可能性)」が議論されだしたのは、いつごろなのでしょうか?

小田さん 1970年前後からですね。地球の人口が爆発的に増えることの影響の議論をするべきだとか、このまま環境破壊が進んだらどうなるんだろうといった機運とともに始まりました。

ちなみに、サステナビリティというのは、個々の要素で見るのではなく相互作用し合うシステムとして何かと何かがバランスしている状態を言います。バランスが崩れた状態は、長期的に長く続かないということです。

菜央 なるほど。

小田さん たとえば有限な資源を限界を超えて使うと、持続可能じゃなくなる。そのときどきでみると、過去の蓄えを使い、または、未来から借りることで、一時的に限界を超えることもできます。

しかし、その状況を続けると長期的には持続可能じゃなくなる。人口や経済の成長に対して、地球の資源(供給源)や吸収源がどうなるかを考え、「サステナブル」という言葉をはじめて使ったのが、ローマ・クラブへのレポートを元にした、ドネラ・メドウズらの『成長の限界』です。

菜央 僕はリアルタイムでは知らない世代ですが、1972年に出版されて、その後の世界に大きな影響を与えた本ですね。46年も前の本なのに、今僕らが解決しなきゃいけないことが書いてあって、驚きです。

小田さん また、その前にレイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962年出版)が世界に提起したのは、わずかな量に思えても毒物が環境の中に入ると環境のバランスを崩し、そのことが人間の生活のバランスを崩していくこともある、ということ。資源の観点からも、化学物質や有害物質の蓄積の観点からも限界が見えてきた。

菜央 僕もぜんそく持ちですが、今、子どもたちにアトピーやアレルギーが多いのもその現れですね。

小田さん 経済の分野では同じことを、ハーマン・デイリー(元世界銀行チーフエコノミスト)が「定常経済」(フローが成長し続ける経済ではなく、一定の人口と資源ストックが安定する経済)という概念で語り始めた。

そして、1982年に関係各国の利害と環境問題が表面化していた北海の開発問題についての話し合いなどを経て、国連の「環境と開発に関する世界委員会」の中で「持続可能な開発」と言う言葉が打ち出されました。

菜央 「将来の世代のニーズを満たしつつ、現在の世代のニーズも満足させるような開発」をしよう、と。

小田さん その後は1992年にリオサミットが行われて、気候変動と生物多様性について各国が話し合い、国連の枠組み条約をもって各国が取り組んでいくことになりました。
それを機に、企業もそこに参画をし始め、日本でも環境問題が重要だという経営者がたくさん出て、大手企業などの環境活動も盛んになった結果、その10年後の2002年はサステナビリティ元年だと言われるようになった。

菜央 リオサミットと言えば、12歳のセヴァン・カリス=スズキさんが行ったスピーチが有名ですね。

小田さん はい、多くの人の心を動かすスピーチでした。そのスピーチの5年後、1997年に京都で気候変動枠組条約締結国会議が日本の京都で行われて、地球温暖化を防止するために国などが目標を定めて行動する枠組みが始まったわけです。
しかし、残念ながら20年以上たった今でも「サステナビリティ」という考え方は一般には広がっていないんですね。

菜央 なるほど。なぜ、一般には広がらなかったと思いますか?

枝廣さん 最初の頃のサステナビリティって、さっき言ったように、「地球を守ろう」とか「地球が泣いている」とか、欧米的な発想で言うとスチュワードシップ的な、人間が自然や地球の世話をするという、自分は自然環境というシステムの外にいるっていう前提で考えているんです。

菜央 つまり、一体となっていなかったんですね。

枝廣さん そんな中でどんどん経済がグローバル化して、企業の影響力とかが大きくなってきた。そして今、国よりも大きな力を持つ企業がたくさん出てきました。

世界中の国や企業をGDPが大きい順で100位までならべると、53が企業です。国で環境問題が起きたら、法律を作って対処すればいいけれど、国よりも大きな力を持つ、国境も超えた企業がたくさん出てきた時に、どうすればいいのか?
米国を拠点とする多国籍企業25社の収益は、世界の多くの国家の歳入よりも多い
世界の経済組織の上位100のうち、53は株式会社
収益と利益で見ると、世界最大規模の企業であるエクソン・モービル社が及ぼす経済的影響は、ノルウェー1国が及ぼす影響よりも大きい
(アル・ゴア著『The Future』より)

しかし、状況としては国も企業も、自然環境というシステムの中に入っているということを認めざるをえない時代になってきている。

菜央 国も企業も、大きなシステムの中で、みんなが幸せになれる仕組みをデザインしていく必要がありますね。

自分が主語のサステナビリティ

枝廣さん 逆に菜央さんに聞きたいんですが、サステナビリティという考え方を上手にマーケティングというか、社会的なポジションを取れば「かっこいいものだ」とされる可能性もありますが、それでも社会をドライブする力はないのかな、と思ったりします。菜央さんはどう思う?

菜央 サステナビリティとか言われても、市民レベルの感覚で言うと、まあ、さっぱりわからないというか伝わってこないというか、「自分ごと」じゃないですよね。自分が主語のサステナビリティって言うのが、次の、今後の本質的なところなのかなって、そう感じています。

枝廣さん なるほど。

菜央 サステナビリティっていう考え方を中心にして原理の発想をやっていくべきなのか、それともこれを新たに進化させていくべきなのか、自分が主語のサステナビリティってなんだろうなと最近ずっと考えているわけです。

サステナビリティにもいくつかのレイヤーがあると思うんです。心、体、家族、地域、社会、地球。

心、体、家族の話をすると、僕はぜんそく持ちだから、自分の家の暖房が灯油ストーブなのはとても嫌なんです。CO2は出るし、僕の健康にも悪いし、将来世代である子どもたちが使える燃料を僕らの世代で使い果たすのも嫌だし。

これを薪ストーブに置き換えられたら、気持ちがいいし、健康にも良い。経済危機、大災害が起きても、燃料は山にある。支出が減れば、したくない仕事をしなくて良くなる。忙しくなくなって、家族と過ごせる。心の健康を取り戻せる。自分の本当の夢を追求できる。僕が本当の人生を生きることにつながる。

言わば「暮らしのサステナビリティ」を社会とか地球のサステナビリティとどうつなげていくか? を考えたい。

枝廣さん 菜央さんの思う暮らしのあり方は、自分のサステナビリティ? それとも、自分にとって気持ちのいい暮らしを追求していった結果として環境を変えていく、という感じ? そのときに言っているのは、地球のサステナビリティ?

菜央 うーん、全部、かなぁ。

僕だけが一人で幸せになることはできないと思うんです。僕の幸せのためには家族の幸せが必要で、家族の幸せのためには地球の幸せが必要で。そのまた逆で、地球が持続可能になっても、僕が持続可能ではなかったら、少なくとも僕にとっては意味がない。

枝廣さん 持続可能性という言葉は、単体では意味を成さないわけで、「◯◯の持続可能性」の◯◯に何を入れるか? いろんな◯◯がありうるということかもしれない。
菜央さんがやりたいのは、そういうふうに自然に思う人を増やすこと?

菜央 そうですね。

枝廣さん サステナビリティを「自分ごと」化するのはけっこう難しいなっていう実感があるんですね。菜央さんのように自分の生き方で自然に実践できる人もいるけど、なかなかその割合が増えていかない。

菜央 はい。

枝廣さん どうしても今のままだと、サステナビリティはお説教とか注意とか「ねばならない」とかにつながってあんまりワクワクしない。ワクワクしないものはそんなに多くの人に伝播しないので、私があるタイミングから「幸せ」という切り口を使うようになったのは、そういう意識なんです。

菜央 なるほど!

枝廣さん ハピネスとかウェルビーイング(人間的に豊かな状態)というのは、持続可能ってことだからね。最近だと、レジリエンスという言葉も近い。

結局、ハピネスにしてもレジリエンスにしても、たぶんさっき菜央さんが言っている暮らしや心のサステナビリティと重なっているし、宮沢賢治が「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言っているように、地球や世界のサステナビリティと個人のハピネスはつながっている。

けれど、「サステナビリティ」という言葉や概念だけで、社会が持続可能に幸せにはなっていかないんじゃないかなっていう実感はある。

菜央 そうですね。greenz.jpは、「ほしい未来は、つくろう」という言葉を掲げているんですが(※2016年当時、2023年現在は「いかしあうつながり」)、持続可能な社会を、僕なりに解釈した言葉なんです。

それぞれの中にある、本当の願いをかなえられたら、世界は持続可能になるんじゃないか、と。一昨年くらいから、改めてパーマカルチャーの勉強をしていて、僕らの命や社会を支えている自然というシステムがどういうふうになっているのか学んでいます。

枝廣さん そこからはどんな学びがあったんですか?

菜央 greenz.jpは「ほしい未来は、つくろう」と言ってきたわけです。一人ひとりの可能性を発揮することが、持続可能な社会をつくるんじゃないか、という仮説です。でもこれは、まだまだ仮説なんです。

パーマカルチャーの基本は「自然を観察する」ことなんですね。たとえば、リスや木、鳥、虫、菌なんかが、実はある意味自分勝手に生きている。木は木らしく日光を受けたいので枝羽を伸ばす。

でもそれが動物の棲家になる。土中の水分や養分をほしいから吸い上げて葉っぱを落とす。それが微生物の食べ物になり、土が豊かになる。鳥は鳥らしくいる。木の実を食べて、飛んで、フンをする。それで種が運ばれて、芽を出す。

しかも、鳥の胃と腸を通ると、発芽を妨げている外皮が少し溶けて、発芽しやすくなる。それぞれがそれぞれらしく生きているのに、驚くほどの豊かな関係性がそこにはあるわけです。

菜央 それぞれの「それぞれらしく」の中に、他の生き物に依存したり、依存されたりする他者との豊かな関係性が含まれている。そこにとても大事なヒントがあると思いました。

人間に置き換えると、一人ひとりが、自分の魂に聞いて、その願いを実現するような生き方、あり方をしていったとすると、その願いは必然的に他者への豊かな関係性をつくることが含まれるのではないかと。

つまり、それは「社会的」であるし、そのように生きる人が増えれば、良い方向に社会が動いていく大きな原動力になると思うんです。

枝廣さん なるほど。

菜央 そんなわけで「ほしい未来は、つくろう」を目指してきて、そういう意識をもって何かを始める人はすごく増えてきた実感があります。

しかし、次の課題として出てきているのは、では、そのような一人ひとりの思いを、どんなふうに現実の社会としてつくっていくか? というところです。

つまり、一人ひとりがほしい未来をつくる、持続可能な社会には、なにが足りないんだろう? 次に進むべき方向はどこなんだろう? というのが、今、僕が感じている課題です。

小田さん 今の課題は、(地球の資源などの)リソースも、行動の選択肢も、レジリエンスも少なくなっていく一方で、人口は増え、相変わらず成長への欲求が強く、少ないものを奪い合うようなさまざまな衝突が増えている状況だと思います。

そんな社会の中で、やっぱり頼れるのは、人が持っている知恵や情熱、お互いが持っている能力といった、人的資本だと思い、それをいかに上手に育み、活用するかというアプローチをとっています。

菜央 ほんとに、そうですね。

小田さん さきほどの菜央さんの自然の中での関係性の話ですが、それぞれの個体が勝手にやってるけれど、自然の中では淘汰されるものもあるし、淘汰されないものもある。それは種として長期で起こっていくものもあるし、もっと短期的に個体レベルで起きる場合もある。

ある種が増えすぎると食べるもの、つまり栄養が足りなくなるためそれ以上増えず、減るといったフィードバックがあります。だからそれぞれが勝手にやっていることは中長期にはよくもあり、悪くもある。

そこで肝心なのは、全体としてそれが多すぎてないか? ということです。多すぎたらそれを減らすような、フィードバックが機能しているか、あるいは、減りすぎたら回復するようなフィードバックが機能しているかということです。

たとえば、里で自分の好きなものをつくって食べようと思っていたら、山から動物が降りてきてそれを食べちゃう。それを「動物は困ったやつだ」で終わらせず、山でどんなフィードバックが働き、または働いていないのかまで元を辿っていって学んでいく。

たとえば、人の活動のために、山に動物たちの食べ物が減ってきていることが原因でそうした問題が起こっているとしたら、自分の畑の健全性を保つためには、山の健全性が重要だという大きなフィードバックループが見えてきます。

サステナビリティは目的じゃない

小田さん 本来の生態系のように、フィードバックが自発的に、ローカルにあちこちで起こる仕組みの積み重ねが「自然」なんです。

ところが、今の人間社会をみるとモノやカネや人の行き来が広がって、原因と結果が、地理的にも時間的にも大きく離れてしまった。近所や地域で完結しない、ものすごく大きなシステムになって、分業もすすんできた。

その結果、フィードバックがあちこち切れちゃって、「これは自治体の仕事でしょ」とか、「これはお金を払っているんだからサービスを受けて当然」とか、「自分はお金を払っているんだから誰かに何かを言われる筋合いはないよ」とか、フィードバックを分断するような社会をつくってきました。

これらのフィードバックをどうやってつなぐか、つなぎ直すかが大変だけど、重要だなと思います。そして、まず最初に取り戻したいのがフィードバックという視点です。

菜央 なるほど、フィードバックの視点。自然とか社会をシステムとして捉える「システム思考」、おもしろいですね。システムはありとあらゆるところにありますしね。

小田さん そうなんです。すごく面白いですよ。それぞれの木もシステムだし、森もシステムだし、経済はいったいどういうシステムなっているんだろう? と考える。システムとして見ると自分はまだ何も知らない、もっと学びたいってことに気がつくわけですよね。

菜央 すると、僕らがシステム的な視点を得ることによって、何をどうしたらみんなが一番幸せか、ということを考えて、今とは違った行動をとることができるようになるかもしれない。
そういう意味で、自分が関わっているシステムをつくり変える可能性もあるってことでしょうか?

小田さん その通りですね。自分の関わるシステムを変えると結果的にシステムが変わっていく。その時、サステナビリティが目的じゃないんです。

目的っていうのはが幸せであるということ。ただ、サステナビリティがないと長くは続かない。サステナビリティは、誰もが公正に幸せを希求できるためのシステム的な条件なのです。

自分が出し続けたい結果が続かないということに関して、何がそれを左右するのか? あるいは何がそもそもの目的だろうといったことを考えるのに、システム思考がとても助けになるのです。

(※上記太字部分、今回の記事の再公開時に追記編集しました)

菜央 うーん、サステナビリティは目的じゃなく、あくまでゴールにすべきは「幸せ」であると。僕はどこかでサステナビリティをゴールにしてしまっていたように思いました。そのために「システム思考」という道具を活用できるよ、ということですね。
 

(対談ここまで)

 
前編はこれにて終了です。後編は、「持続可能な社会をつくるってどういうこと?」というテーマで、枝廣さんにお話を聞いていきます。

– INFORMATION –

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武蔵野大学工学部サステナビリティ学科「高校生SDGs/サステナビリティコンテスト2023」

(編集:福井尚子)

[Top Photo: ©Kevin M. Gill]