2021年2月、海外で暮らしていた私は日本に帰国し、瀬戸内海の島にある夫の実家で仮住まいしながら転職活動をはじめました。仕事が多いのは東京だと考え、東京に住むことを考えていましたが、夫婦ふたりともリモートワーク可能な仕事が見つかったことで私の島暮らし生活がはじまりました。
ひょんなご縁から長らく空き家だった家を譲り受け、DIYで家をなおすことに。自然がすぐそばにある島暮らしは開放的で、週末にはDIYに没頭する生活。
しかし、そんな生活に満足しながらも、どこか物足りないと感じるようになりました。
仕事以外に、生業をつくりたい。
でも、どうやって……?
漠然とした思いが頭の片隅にあり続けたある日、SNSを眺めていると、隣の島で柑橘農家をはじめた同世代がいることを知りました。その名も「comorebi farm」。農家1年目で3つのプロジェクトを立ち上げている彼らのプロフィールには、「編集者×農家」と「マーケター×農家」という異色の肩書きが記載されていました。
東京で働いていたふたりが、瀬戸内海に移住して農家になり、自分たちで仕事を生み出している。楽しそうに活動しているけれど、農家になるってそんなに簡単じゃないはず。彼らの原動力を教えてもらおうと話を聞きに行ったところ、生業づくりに迷う私にとって学びがたくさんありました。今回は、そんな私の学びを紹介します。
家庭菜園をするはずが農家に。暮らしを変えた柑橘畑との出会い
東京駅から新幹線とJRを乗り継ぎ約4時間。尾道駅から路線バスに揺られて約30分で、瀬戸内海に浮かぶ因島(いんのしま)に到着します。尾道市から愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの「しまなみ海道」が架かる島であり、サイクリングを楽しむ観光客が全国から訪れます。
comorebi farmの畑があるのは、因島のちょうど真ん中に位置する中庄(なかのしょう)と、南東に位置する三庄(みつのしょう)というエリア。小嶋正太郎さんと名部絵美さんのふたりが迎えてくれました。
1993年生まれ、東京都出身。大学在学中にウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートにてインターンシップを経験し、顧客体験の設計方法を学ぶ。ライフスタイルメディア「TABI LABO」の編集者として従事した後、環境メディア「ELEMINIST」の副編集長に就任。フリーランス編集者として独立後、2022年1月に「comorebi farm」を立ち上げる。
1990年生まれ、広島県出身。大学卒業後、地元のコミュニティに貢献したいという思いから広島銀行に就職。その後、顧客接点をキーワードに自らの手で事業をつくる力をつけたいと考え、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート、アマンリゾーツ、EXIDEA(WEBマーケティング)、NEW STANDARD(TABI LABO運営会社)に従事。オフラインからオンラインにまたがり、顧客接点・マーケティングの領域に携わる。2021年、改めて自らの手で地元に貢献したいと思い、因島への移住を機に独立。現在農家の傍ら、フリーランスとしてPR・マーケティング分野を専門に活動。
2021年6月に因島に移住したふたり。東京でウェブメディアを運営する会社で出会った当時、正太郎さんは編集者、絵美さんはマーケターとして働いていました。コロナ禍をきっかけになにか新しいことを始めようと、当初はカフェの立ち上げを考えていたそうです。
ー はじめはカフェをやろうと思っていたんですね。そこからなぜ、因島で八朔農家をやることに?
正太郎さん 移住するなら、瀬戸内海エリアがいいなと漠然と思っていました。交通の便もそこそこ良くて、自然豊かなしまなみ海道がちょうどいいなと。そのなかでも因島は、まだ知られていない多くの魅力があるという印象を受けて、自分でおもしろいことができそうな気がしたので選びました。
絵美さん 移住してすぐ、家庭菜園用の庭を見つけようと市の農業委員会に問い合わせて、地元の方に畑をいくつか見せていただきました。そこで最後に、「柑橘畑もあるんじゃけど、見てみるか?」と言われたので、一応見てみようかという軽い気持ちで見に行ったんです。
ー 家庭菜園用の畑を探していたのに、八朔農家さんの畑を紹介されたんですね。柑橘畑を見に行った感想はどうでしたか?
絵美さん しばらく管理されていなかったので、2〜3メートルくらいの雑草に埋もれていて。畑の中に木が何本あるかも分からないし、農業もやったことはないし、これはないな……と思いました。
正太郎さん 僕はありだなと思ったんです。因島発祥の八朔を育てる農家になれるなんて最高じゃんって。
ー 八朔畑を引き継いで、まずはなにから始めたんですか?
正太郎さん 雑草を刈って、八朔そのものをプロダクトとして販売することにしました。数年間管理されていなくても、八朔は木に実るんです。
正太郎さん クライアントのお手伝いはしたことがありましたが、こうして自分たちの商品をつくったことはありませんでした。思い入れも愛着も格段に違いましたね。
正太郎さん 畑を引き継いで草刈りを始めた頃、ELEMINIST副編集長として立ち会ったイベントでRISE&WINの醸造家の方にお会いしました。そこで、「何か一緒におもしろいことができたらいいですね」と話していたんです。冗談だったかもしれませんが、収穫時期を迎えてから上勝町に行き、コラボしたらこんなにおもしろいことができますよ!と直々にプレゼンをしました。
ー RISE&WINのビールには、徳島県産の柑橘を使ったフレーバービールがありますよね。ふたりのような柑橘農家とのコラボは、彼らにとってもはじめてのチャレンジだったんですか?
絵美さん これまでは地元の柑橘農家さんから提供してもらった廃棄対象になる柚香を使ったりして、RISE&WINのラインナップとして発売していたそうです。私たちは企画段階から一緒に入らせてもらい、プロモーションにも携わることができました。ここまで密に関わりながらコラボするのは初めてだったそうです。
コラボビールができるまでの製造過程を追ったドキュメンタリー「HASSAKU MEETS BEER」は、ふたりと他メンバーによるクリエイティブスタジオ「comorebi studio」で制作!
”手に取れるもの”をつくるおもしろさ。編集業を活かした農家のあり方とは?
ー ふたりとも本業を持ちながら兼業で農家をやっているんですよね。いずれは農業だけにしていくんですか?
正太郎さん これまでWEB業界で働いてきて、メディアの編集業やライティング業は一生続けることはできないけど、編集者のスキルを違う分野で活かしたいと思っていたんです。八朔農家になってみたら、これは一生やっていけそうだなと思いました。たぶん、死ぬまで農家をやり続けそうな予感がします。
ー WEB業界と農家は対極にあるように思われますが、これまでの経験はどう活かされましたか?
絵美さん RISE&WINとのコラボビール生産に関しては、ショートドキュメンタリーをつくったり、ELEMINISTで連載をさせていただいたり、イベント企画やプレスリリース作成まで、密にコミュニケーションを取りながら一緒につくりあげました。外注すると数百万円かかることを、全て自分たちでできたのはよかったです。
正太郎さん 編集業で培った経験は、これまでのプロダクト開発に活かされてますね。でも、八朔がないと成り立たないので、僕は八朔の栽培に徹して、ブランドデザインや戦略立案については得意なメンバーに任せています。
すべて自分でやろうとすると、膨大な時間がかかる上に、自分の思い描いている理想像をカタチにできない。その道のプロにお願いをした方が、スピーディーかつクオリティが高いものに仕上がる。これは編集業で学んだことです。
ー 兼業農家とはいえ、農家を生業にするには一大決心をしないといけない気がするんですが、ふたりはいい意味であまり思い切ってないですよね。
正太郎さん 全く思い切ってないです。誰にも文句を言われない、完全自社株の新規事業を立ち上げる感覚ですかね。瀬戸内海はレモンやみかんが有名ですが、柑橘のなかでも八朔が下火になりかけているからこそ燃えますね。
ー 八朔ビールは農家の方にも飲んでもらったんですか?
正太郎さん 「おいしいね」と喜んで飲んでくれました。八朔を使った焼酎や日本酒を飲みたいと言ってくれたので、次は焼酎や日本酒のオリジナル商品をつくりたいです。
ー50歳以上の年齢差がある農家のおじいちゃんたちと仲良しですよね。農家になって1年が経とうとしていますが、目指す農家の姿はありますか?
正太郎さん 島の農家の暮らしってめちゃめちゃおもしろいんですよ。柑橘農家をしながら、春になると剪定ついでに山でたけのこを採ったり、猪を仕留めたり。夏になれば自分の船で釣りにでかけたり、秋はキノコを収穫している。こんな楽しそうに農家をやってるんだ!と衝撃を受けました。
絵美さん 私たちが出会ったおじいちゃん農家の多くは、左官職人だったり、猟師をやっていたり、専業農家じゃないんです。楽しそうに暮らしながらも、無理なく農家を続けている姿にインスパイアされました。農家として栽培にこだわるのは当たり前ですが、それにとどまることなく八朔や安政柑を基点としたプロダクトやサービスを開発し、しっかりと収入につなげたいなと思います。
正太郎さん 「島農家の暮らし」を体験できるような農家民宿をやりたいですね。僕の農家としての理想像は70代から80代のおじいちゃんたちですね。
ー 農家の大先輩たちとの交流が、ふたりの農家スタイルに影響を与えているんですね。農家一本で稼ぐことを目標とせず、農家を手段にチャレンジしようという考え方が画期的だと思います。
正太郎さん 僕らの場合は、農家になりたかったわけでも、八朔をつくりたかったわけでもないんです。ただ、ずっとWeb業界で働いていたので、リアルに食べられたり飲めたり、手に取れるものをつくりたいという強い思いがありました。そこでたまたま八朔に出会ったんです。
ー なるほど。はじめから稼ごうと大きな目標を立てるのではなく、「なにをやりたいか」を明確にして行動すれば、自分にフィットする形で事業が回っていくのかもしれないですね。
ファームツアーに農家民宿。島農家の暮らしや八朔の魅力を伝える方法を構想中
ふたりのもとを訪れる人の多くは、東京に住んでいた頃の友人が中心なのだそうです。東京から因島までは決して近くはない距離ですが、訪れようと思ったきっかけはなんだったのでしょう。
彼らのこだわりの形を生で見てみたかったから。
友人との旅行で観光地以外の場所に行きたかったから。
今の生活とは違う世界線の体験をしてみたかったのと、ふたりに会いに行くため。
SNSを通して八朔農家として奮闘する様子を見て、単純にふたりに会いたいという理由だけでなく、栽培過程を生で見たいというニーズがあるようです。
「コロナ禍で海外旅行に行けない時期が続いたので、国内の観光名所ではない場所を訪れたいと因島に遊びに来てくれるんです」と絵美さんが話していたように、ふたりがいるからこそ行ってみよう!という気持ちになるのかもしれません。
また、実際に畑を訪れて感じた感想も聞いてみました。
大袈裟だけど、いつも食べてる食べ物のルーツを知れたり、これだけ収穫に手間がかかるのかという発見があったり、とっても有意義でした!また体験したいです。
畑を何ヶ所か回ってくれるので、八朔以外の柑橘類の畑が見れて良かったし、歩きながら丁寧に説明してくれて、初心者にとっては嬉しかった。
柑橘類の畑を見ることができたことも貴重な経験でしたが、それ以外にも、海を見渡す景色や心地よい風など島の魅力を体感できた!
との声が。
現在は、要望があれば畑を案内しているというふたり。将来的には、comorebi farmだけでなく先輩農家の畑もめぐるファームツアーを開催したり、島の暮らしを体験できるような農家民宿を立ち上げて、八朔だけでなく島農家の魅力を発信できるコンテンツを考えているのだそうです。
取材を終えて、「ぼくたちが因島で八朔農家をやる意義は、因島に根ざしながら、都会に住む人に八朔の魅力を伝えられることだと思います」と正太郎さん。畑を訪れる人との交流を通して、ふたりの八朔や因島に対する思いが深まっているように感じました。
「これまでやってきたこと」と「今」を結ぶ視点。思い切らずに生業をつくるヒント
東京で企業勤めをしていた数年前、仕事を辞めて田舎で起業するには、準備を重ねて生業をつくらなければいけないと思っていました。
しかし、穏やかな気候であり、港町ゆえ多くの人が行き交う歴史を持つ瀬戸内海エリアでは、移住して個性的な小商いをはじめている人が多くいます。都会と比べると不便なことも多いぶん、競合も多くないので、「まずやってみよう」という機運を肌で感じます。
今回の取材を通して、思い切った決断をしなくても生業はつくれることに気づかされました。でも、納得できる心地よい暮らしをつくるには、comorebi farmのように、違うフィールドで培った知識や経験を活かす視点が大切なのかもしれません。
7年間の営業職経験やライターとしての活動、古民家のセルフリノベーション。私がこれまで取り組んできたことを振り返ってみると、自分は人と話すことや文章を通じて伝えること、自ら手を動かすことが好きで得意なのだと思います。
そう考えてみると、リノベーションしてきた古民家でいろいろな場を企画したり、島の周辺で起きている取り組みや人を紹介する活動を始めてみてもいいのかもしれません。comorebi farmのあり方をヒントに、自分が心地よく続けていける生業をじっくり企んでいこうと思います。
(編集: 松沢美月)
(撮影: comorebi studio)