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「尊厳を持って生き抜いた人間たちの存在を伝えたい」ハリウッド俳優ジョージ・タケイ、民主主義への希望を語る

「尊厳を持って生き抜いた人間たちの存在を伝えたい」ハリウッド俳優ジョージ・タケイ、民主主義への希望を語る

「差別」とは、何でしょうか。

私たちの多くは、それが良くないことだと認識しているはず。しかしそれが自分のなかにあることも否定しきれず、その根深さを実感しているのではないでしょうか。歴史を振り返れば、多くの戦争や対立が、歪んだ差別意識と無縁ではないことを物語っています。

さらに現代にも、まだ残っていることを認識しなくてはいけません。日本でも公職の立場にある人が堂々と排外主義を主張し、ノルウェーではアジア人を差別するジェスチャーが無邪気に投稿され、アメリカにおいては無実の国民にまで被害が広がり、最高権力者の差別発言にはもはや驚かなくなっています。

人類は、差別意識を手放すことはできないのでしょうか。仮想敵をつくり、他者を排除しようとする力が強まるとき、私たちは何を信じて、個人の尊厳を守りながら生きることができるのか。

そんな葛藤のなか、一冊の絵本を手にしました。筆者は、あるアメリカ人のハリウッド俳優。幼少期に体験した人種差別について、広く知らせ、問う一冊です。日本語版の発売に伴い来日した筆者、ジョージ・タケイさんにうかがいました。

ジョージ・タケイ グリーンズ

ジョージ・タケイ(George Takei)
1937年、アメリカ・ロサンゼルス生まれ。公民権活動家、ニューヨークタイムズ・ベストセラー作家、そして60年以上のキャリアを持つハリウッド俳優として、出演映画は40本以上、TV番組出演は数百を超える。1960年代、SFドラマ『宇宙大作戦(スタートレック)』のヒカル・スールー役に抜擢。 現在もハリウッドを拠点にする傍ら、日系アメリカ人や自らも当事者であるLGBTQ+コミュニティなど、マイノリティの人権を守る活動に尽力。全米日系人博物館名誉理事長、日米友好委員会理事などを歴任。2004年に旭日小綬章を受章。著書多数、日本語訳書に『星に向かって』『〈敵〉と呼ばれても』、2025年刊行の児童書『ぼくらの自由がうばわれる時』がある。

ジョージさんは、アメリカで生まれ育った母と、幼少期からアメリカで育った父の元に、日系三世のアメリカ人として生まれました。しかし第二次世界大戦中だった5歳のとき、家族全員が強制的に収容所へ連行されました。その後の4年にわたる収容所生活こそ、ジョージさんが体験した人種差別。一家を差別したのは、母国であるはずのアメリカ政府でした。

ジョージさん 私たち家族は全員がアメリカ人です。父は日本生まれでしたが、幼少期に祖父と共に移民し、サンフランシスコで教育を受けています。それなのにアメリカ政府は突如、私たちを敵性外国人に分類しました。理由は、私たちの外見が日本人だから、それだけです。

ジョージタケイ グリーンズ

御歳88歳。移動にこそ車椅子を利用するものの、3時間にわたる講演とサイン会は休憩なし。印象的な低音の響く声や、随所で魅せるユーモアのセンスも健在でした

外見だけで受けた差別
不条理な事実を知って

少し、背景を整理しましょう。時は第二次世界大戦中の1941年12月。日本軍は、ハワイの真珠湾においてアメリカ軍に奇襲をかけ、4隻の戦艦を含む19隻の艦艇が撃沈または損傷。約2,400名のアメリカ兵が死亡し、米軍の戦闘能力を一時的に無力化させました。アメリカは日本に対して宣戦布告を行い、太平洋戦争へと突入したのです。

このことにより、何もわるいことをしてない上に、アメリカ国民である日系アメリカ人に対しても差別や誤解、悪い噂などが広がっていきます。あろうことか政府もその傾向に流れてしまうのです。フランクリン・ルーズベルト大統領は、日系アメリカ人を敵性外国人に認定する大統領令に署名しました。夜間の外出を禁じ、銀行口座を凍結して財産を没収。そして、ジョージさんが83年経っても「脳に焼き付いている」と言う日がやってきます。

ジョージさん 1942年2月19日の朝のことです。弟と一緒に家の外を見ていたら、ライフル銃を抱えたアメリカ兵がふたり、うちに向かって歩いてくるのが見えました。そして玄関のドアを、ものすごく乱暴に叩いたんです。5歳になったばかりの私は、家中が揺さぶられているように感じて泣き出しました。人生で最も恐怖を感じた日です。

父は、鼻先にライフルを突きつけられながらも冷静に、「荷物をまとめるので待ってほしい」と交渉していました。兵士に急かされるなか、私と弟にはそれぞれの肌着が入ったバッグを持たせ、自分は両手に大きなスーツケース、母も片手に大きなバッグを持ち、もう片方にはまだ赤ちゃんだった妹を抱いていました。自宅を退去させられる時、母の頬に落ちた涙を私は忘れることはできません。

ジョージタケイ グリーンズ

来日に伴い、日本外国特派員協会や書店など各地で行われたジョージさんの記念講演会は、いずれも満員が続く大盛況。写真は、JICA横浜 海外移住資料館にて

政府によって突然、日々の暮らしを剥奪され、全米に10箇所あった簡素で不十分な収容所での暮らしを強いられた日系アメリカ人は、12万人に及びます。ジョージさんはこれまでの長いキャリアにおいて、自叙伝『星に向かって』や数々のインタビュー、原案者でもあるミュージカル『アリージェンス』などを通して、収容所での経験を語ってきました。それは決して、自国を責め続けているわけではなく、民主主義を伝えるためだと言います。

ジョージさん これは80年前にアメリカで実際に起きた事実です。しかしこの歴史は、今でも多くのアメリカ人が知りません。メディア関係者や、あるいは収容所があった土地に住む人でさえ、この事実を知らないことも少なくないんです。

2020年には、収容所での生活を伝える漫画『<敵>と呼ばれても』を刊行しましたが、もっと幼い子どもたちが大人と一緒に読めるように、この『ぼくらの自由がうばわれる時』をつくりました。幼少期の収容所生活と、戦時中の日系アメリカ人のこと、そして終戦後のことをまとめた絵本です。

残念ながら今でも世界中で、この時と同じようなことが起きています。戦争や政治的判断のために、誰かを追放しようとしたり、コミュニティが根こそぎ壊されるようなことが世界中で続いている。だからこそ歴史を語り、当時の経験を伝え続けることはとても重要だと考えています。私たちがどのように不正義に立ち向かったのか。尊厳を持って生き抜いた人間たちの物語を伝えていきたいです。

ジョージタケイ グリーンズ

JICA横浜には、ジョージさんの書籍や出演作品のアクションフィギュアなども寄贈された

自由と正義の国で
本当の民主主義を問う

収容所にいた日系アメリカ人たちは、1945年の終戦をもって解放されました。しかし、彼らの苦悩が解決するのは、まだまだずっと先のことです。

解放時に支給されたのは、ひとり25ドルというわずかなお金と、国内を移動できる電車の片道切符のみ。住む場所にも、仕事探しにも、日系アメリカ人というだけで苦汁を飲む生活が続きました。

ジョージさん ティーンネイジャーになる頃から、収容所での生活を振り返るようになりました。なぜ、僕たちはあそこに住んでいたのか。「全ての人に自由と正義を」と言っているアメリカが、僕たちを鉄条網で囲んでいたことは矛盾しているじゃないか、と考えるようになったんです。私はその疑問を父に尋ね、食卓を囲みながら連日、父から民主主義に関するレクチャーを受けました。

父は、日本語も英語も流暢であったために、収容所ではみんなをまとめ、政府側との橋渡しをするなど、誰よりも苦労していたと思います。それでもアメリカ人として、アメリカの民主主義を信じていました。あの頃、父に教わったことは今でも私の信条の基盤になっています。

民主主義とは、上から与えられるものではなく、市民ひとりひとりがプロセスに関わることで支えている仕組みであり、その意味でPeople’s Democracy、市民による民主主義である、ということです。

ジョージタケイ グリーンズ

2022年にも講演を行い、常設展示の動画にも出演しているジョージさんに、JICA横浜の館長からは「特別なゲストにお送りしています」と、赤い胸章が贈られた

強制収容所をつくってしまった
アメリカ政府の3つの原因

ジョージさんは1960年代から俳優としてテレビの世界で活躍するようになりました。並行して公民権運動への参加や、民主主義について学ぶうちに、周りのアメリカ人たちが、日系アメリカ人収容所について知らないという事実に気がつきます。

1970年代頃からは、同じく収容所を経験した日系アメリカ人たちから、アメリカ政府に対する謝罪と補償を求める運動が立ち上がりました。草の根だった活動は少しずつ力をつけて広がり、個人補償要求の決議が採択され、本格的に議会へのロビイングが始まります。そして日系議員たちの後押しにより、議会内に設置された調査委員会が、強制収容所に関する情報を集め始めました。

1981年、委員会は全米11都市で公聴会を開き、のべ700名の収容所体験者が証言台に立ちました。ジョージさんもそのひとりでした。

ジョージさん 証言のなかで私は、アメリカの民主主義を支持するアメリカ人として、私たちの民主主義がきちんと機能しなかったのではないか、という懸念を述べました。また、アメリカには過ちを認める勇気と、侵害を償う誠実さを有していることを信じている、とも伝えました。

ジョージタケイ グリーンズ

来日中ジョージさんが使っていたマグ。この写真は1973年、ロサンゼルス市議会議員に立候補した時のポスター写真。選挙は次点だったものの、俳優業だけに収まらない彼の高い政治意識を世間に知らしめた

残念ながらジョージさんの父親は1979年に逝去されますが、父親から教わった「市民による民主主義」をまっすぐ体現する証言を行ったジョージさん。調査委員会はその後、収容所設置に至った政府側の要因を3つ掲げた報告書を作成し、1984年、ついに大統領宛てに提出されました。

ジョージさん 報告書には当時のアメリカ政府が、人種的偏見と、戦時下による集団的パニック、政治的リーダーシップの欠如という3つの要因によって、軍事上では必要のなかった強制収容所政策が実行されてしまったと書かれています。

この報告書を受けて1988年、レーガン大統領が正式に謝罪し、ひとり2万ドルの補償金が支払われることになりました。ただ、対象となったのはこの時に生存している人のみ。父は残念ながらすでに他界していたので、政府の謝罪を聞くことは叶いませんでした。母は「父はこの日が来るとわかっていたはずだ」と言っていましたが、両親の世代が背負った苦労を思うと、いくらであっても十分な補償だとは言えないでしょう。

マイノリティのステレオタイプを打破
権利と自由と責任をこの手に

謝罪と補償を得たことは素晴らしいことですが、当時すでに終戦から43年も経っていることをどう捉えたらいいのか。複雑な思いが込み上げてきました。また、昨今のニュースを見ていると、人種的マイノリティをリスクだと断定したアメリカ政府の過ちがまた繰り返されていると感じます。

それでも民主主義を信じていなければならない私たちは、今、どのように権力と向き合うべきなのでしょうか。

ジョージさん 過去の経験や、現在のアメリカ政府が行っていることに対して思うことは、民主主義は素晴らしい仕組みであると同時に、もろいものでもある、ということです。私たちが経験したように、誤ってしまいかねない。しかし民主主義には、その傷を自ら癒す力もあると言えます。必要なのは、積極的に関わる善良な市民の力であり、本来、政府もそうした市民の存在に支えられているものです。

幼少期の私が震え上がった恐怖と同じような思いを、今もなお味わっている人々がいることに対して、私たちは声を上げる必要があります。マイノリティだけの問題ではなく、民主主義は普遍的な価値観でなければいけない。そのきっかけとして、この絵本を読んだお子さんたちが素朴な疑問を口にし、彼らのなかに好奇心のタネが芽吹くことを願っています。

ジョージタケイ グリーンズ

ジョージさんと一緒に来日した夫のブラッド・タケイさん(写真左)。長年パートナーであるおふたりは、カリフォルニア州で同性婚が合法化された2008年に結婚した

対立や排除を生み出す差別意識は、平等を実現する民主主義に参画することで乗り越えられる可能性があるのだと理解しました。そして私たちにはその力と責任がある。だからこそ今、民主主義を諦めてはいけないのだと思います。

(撮影:ベン・マツナガ)
(取材協力:キニマンス塚本ニキ)
(編集:村崎恭子)

– INFORMATION –

書籍『ぼくらの自由がうばわれる時 第二次世界大戦の日系アメリカ人の物語』

文:ジョージ・タケイ
絵:ミッシェル・リー
訳:北丸雄二
発行年:2025年11月
出版社:サウザンブックス社

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