下北沢駅からBONUS TRACKに行くと、入ってすぐのところに「恋する豚研究所」というコロッケカフェがあります。
コロッケ屋にしてはおかしな名前ですが、もともと「恋する豚研究所」は千葉県香取市にある食肉加工場とショップ、レストランが集まった場所。そして「恋する豚」は契約農場である在田農場が生産するブランド豚の名称でもあります。その「恋する豚研究所」が新業態として出店したのがこのコロッケカフェなのです。
恋する豚研究所の母体は「社会福祉法人 福祉楽団」。香取市の拠点は就労継続支援A型の施設として多くの障害者が働く場所でもあります。しかし、代表の飯田大輔さんは福祉を売りにはせずに障害者のみなさんの仕事をつくることにこだわりました(https://greenz.jp/2015/07/14/koisurubuta/)。
その恋する豚研究所がなぜ下北沢にコロッケカフェを出店したのか、そこで何をしようとしているのか。飲食部門の責任者である佐藤智行さんに、グリーンズのビジネスアドバイザー・小野裕之と、小野とともにBONUS TRACKを運営する散歩社の内沼晋太郎さんが話を聞きました。
福祉の会社が飲食で成功した理由とは
小野 お店のことを聞く前に、佐藤さん個人的なキャリアもお聞きしてもいいですか?
佐藤さん 大学時代にアルバイトしていた寿司屋にそのまま就職して、そこを辞めて入ったのが恋する豚研究所(以下、恋豚)です。職を探していたのがちょうど恋豚で飲食部門が立ち上がるタイミングで、香取の食堂の責任者を募集していました。それで応募して入ったのが2013年の2月です。
内沼さん 福祉の会社が飲食を始める立ち上げの責任者というのは大変そうな仕事ですけど、躊躇はなかったんですか?
佐藤さん 基本的に「なんとかなるんじゃないか」という考え方なんですよね。それに「恋する豚研究所」という名前を聞いて、実際に肉を食べて、食堂が入る建物を見て、「100%売れるだろうな」と思ったので、大丈夫だろうと判断しました。
内沼さん 実際入ってみてどうでしたか?
佐藤さん 飲食担当の社員が僕ひとりだけだったので、大変は大変でしたね。ただ、メニューはしゃぶしゃぶと塩コショー焼きに決まっていてそれほど手の混んだものではなかったので食堂に関してはそれほどでもなくて。それよりも、物販コーナーで売るものがなにもなかったので、いろいろなところにアポを取って「売らせてもらえますか?」って訪ね歩いたんです。それは大変でした。
それから2013年4月にオープンしたあとに月替りの定食を出すことが決まって、そのメニューを考えてオペレーションを決めるのには苦労しましたね。今なら恋豚で出す料理のコンセプトは「シンプル」だとか「マイナスのレシピ」だとわかっていますが、寿司屋の時代は「いかに豪華にするか」ということばかり考えていたんです。切り替えが難しくて、慌ただしく過ぎていきました。
小野 「飲食は演出だ」というところから、引き算に頭を切り替えるのは難しいですよね。
佐藤さん そうですね。頭ではわかっていても、レシピ開発や販促物のデザインになかなか統一感が出ないということもありました。
小野 食堂はスタートから順調だったんですか?
佐藤さん 最初はなかなか認知されなくて、お客さんが1日8人だけというような日も結構ありましたね。
それが変わったのが1年半後で、テレビの取材が入ったんです。週末の昼の番組だったんですが、その日の夕方から人の動きがおかしくなって、その翌日から見たこともないような大勢の人が来ました。そこから売上のベースが変わりましたね。
内沼さん テレビで認知されるのはよくある話ですが、そのままずっとお客さんが来続けるというのはなかなか聞きませんよね。
佐藤さん 私もそう思っていました。だから従業員にも「1ヶ月の我慢だ」って言っていたんです。でも、そもそも「研究所」という名前のイメージで近所の人にも飲食店だと思われていなかった。それもあったのか、テレビで認知が広まって以降、リピーターの方が増えて忙しさが続きましたね。
その番組が今年の7月に再放送されて、そこからまたすごかったんですよ。コロナ禍にもかかわらず過去最高の売上を記録しました。
小野 香取の食堂のオープンから今回の出店までは7年ですか。期間がありますが、佐藤さんが続けてきた理由は何でしょうか?
佐藤さん そうですね。恋豚に入って約5年はほぼ同じことの繰り返しでしたけど、何をやるかは自由に決めさせてもらえて売上も堅調だったのでやりがいはありました。
2018年からはスイートポテト屋ができたり、スチームハンバーグ屋をはじめたりして、でも責任者は私しかいないのでやることがさらに増えていったので……。
小野 没頭せざるを得ない。
佐藤さん そうですね。トータルで見て面白いのでいいんですけど。今度はここがオープンして、また新しい業態なので注力せざるを得ないですね。
ワンメニューにこだわる意味
内沼さん 香取の食堂は最初から2つのメニューで、その後も、スイートポテト、ハンバーグの専門店、そしてここはコロッケと1つ、2つのメニューで成り立つ飲食店ばかりですよね。飯田さん(「恋する豚研究所」代表の飯田大輔さん)は「そのほうが得意だ」とおっしゃっていましたが、現場では難しさを感じますか?
佐藤さん うちはターゲット層をはっきり決めてその人に繰り返し食べてもらえるものをコンセプトにしているので、メニューが少ないことへの難しさはそこまでなかったですね。いまだに「メニューが少ない」とか「とんかつを出してくれ」とか言われることはあるんですが、そうやって万人受けを考えてメニューを増やしていくと、面白くないものに落ち着いてしまいますので。
小野 スイートポテトとかコロッケとかしゃぶしゃぶとか、絶妙ですよね。みんなに愛されてるメニューをポンと中心において磨いていくって、できそうでできない。工夫したくなっちゃう。
佐藤さん やっぱり思うのは、純粋に本当に美味しいものをつくって出していれば、お客さんはちゃんと来てくれるということです。中途半端にメニューを増やすと逆に特筆すべきものがなくなってします。だから、コロッケでもなんでも、客観的にみて品質が落ちることがないようにスタッフに徹底しています。
内沼さん そういえば一時期、品質を理由に、じゃがいものコロッケの販売をやめていましたよね。さつまいもとメンチしかなかった。オープン直後にその判断ができるっていうのは、相当味が良くないと駄目だというベースが強くあるんだろうなと感じました。
佐藤さん オープンしたのが6月で、ちょうど新芋に変わる時期だったんですよね。その切り替わりでホクホクさが出なくてやめていました。
内沼さん 自社生産というのが一つの強みだと思いますが、お店と生産現場の間にやり取りはあるんですか?
佐藤さん 営業を間に挟みますが、やり取りはあります。過去に一度あったのは、調理しているときの臭いが前より臭い気がしたんですね。農場に伝えると餌を変えたばかりだということで、餌をもとに戻したということはありましたね。品質を保つために、少しでも異変を感じたら農場に伝えるようにはしています。
内沼さん それは圧倒的な強みですよね。
障害者も健常者も
内沼さん メニューをシンプルにすることでオペレーションもシンプルになり、障害者を雇用しやすくなるという側面もあるのでしょうか?
佐藤さん それはありますね。ただ、香取でも飲食で働いている障害者は10人くらいで、一番多いのは工場ですね。希望する人にはすべての仕事を体験してもらって適正を見て、配置を決めます。業務が細分化されているので、何かできる仕事があるんです。
小野 それで結果的に生産加工が強化されて、みんなが働きやすくなる。メニューもオペレーションもシンプルにすることで好循環が生まれているようにみえます。障害者雇用に難しさを感じることはありますか?
佐藤さん 障害者と一緒に働くことに苦労する人はいますね。障害者自身は普通に働いているんですが、私たち側が偏見を持っていて、障害者だからこれは難しいだろうという先入観から、一度もチャレンジしてもらわないとか。
でも実際にやってもらうと私たちより全然できるようなことも人によってはあるので、パートなどで入ってくる人にはそれを伝えるところから始めます。
内沼さん どのように伝えるんですか?
佐藤さん 例えば、今この店でも障害者をひとり雇っていて、洗浄をメインにやってもらっているんですが、慣れるまではそれほど速くはできません。それを見た従業員が、自分たちでやってしまって障害者を他の仕事に追いやってしまったりするんです。
そうすると10の仕事をできるはずが3くらいしかやってもらわないことになり、全体の仕事量が落ちてしまいます。それで、みんな忙しいのに障害者だけ手持ち無沙汰でいるようなことが起きる。
だから、僕が入ったときに障害者の彼に「あれやって」「これやって」って言ってやってもらいます。それを見せることで、できるってことをみんなに理解してもらう。その段階を踏めば「ここやってもらえば助かる」というところに配置するという発想になります。
小野 佐藤さん自身はそのハードルをどう越えたんですか?
佐藤さん 自分は最初からそこまで違和感がなくて。それはなぜか考えたら、寿司屋のときに高校生とか初めて働くような人をたくさんバイトで雇っていたんですよ。そのときとそれほど変わらないような感じがして。
小野 初めてバイトに入った子は仕事を覚えるのが早いけど障害者は遅い、みたいなことはないんですか?
佐藤さん 確かに難しい子はいますね。香取で特別支援学校から新卒で入った男の子が、月の3分の2くらいは具合が悪くなって帰ってしまっていたんですね。その子はドアマンをやっていて、ひとりになると色々考えてしまったり、お客さんに話しかけられるとストレスになったりしていたんです。
それがあるとき店が忙しすぎて中の仕事を手伝ってもらったら、そのほうが向いていたみたいで、楽しくてどんどん仕事を覚えていって。今は一般のパートより仕事できるくらいになりましたね。その子がいないと売上が変わるんじゃないか、くらいに。
小野 どのくらいの期間かかりましたか?
佐藤さん 2年くらいですね。
小野 2年ですか。私たちの世界では、雇っている側が我慢しきれずに、もっと早く成果が出る場所に移動させるみたいなことが起こりがちですよね。障害者に対しては、「働き手として成立するところまで待ってあげないと」という使命もありますか?
佐藤さん 社会福祉法人としてはそうですね。でも、事業の継続性がなければいくら社会的意義があることをやっても意味がないので、そこは大変ですね。香取の食堂は就労継続支援A型という施設で、補助はありますが最低時給を払っています。千葉は925円(2020年における金額)と決まっていて。
小野 会社としてやってもらいたい仕事と本人がやりたい仕事の調整はどうしていますか? 基本的に希望を聞き入れてあげるんですか?
佐藤さん 就労支援員はなるべく希望を聞き入れる傾向にありますが、私は逆です。聞き入れすぎると、仕事を好き嫌いで選ぶようになって、行きたくないときは体調を理由に休む傾向があります。それは長期的に見ると彼らにとっていいこととは思えないので。
小野 それは私たちの世界でも同じですよね。今日明日やりたい仕事だけをやっていると、そのときは楽しくても1年後もそれが面白いかというとそうではない。もっと「どこの職場でも通用する」とか深まっていく要素がないとつまらなくなっていってしまいますよね。
佐藤さん うちは一般就労を目標としているので、数は多くないですけど、巣立っていく人もいるんです。でもストレスで辞めちゃって戻りたい、みたいなこともあります。そこは難しいですね。
生きづらさを抱えている人が働ける場を増やす
小野 豚肉は自社生産ですが、他の材料や物販しているものなどは地域のものにこだわったりしているんですか?
佐藤さん 飲食で使う食材については季節柄入手が難しいもの以外は地域で調達しています。物販に置いている加工品などもできるだけ千葉のものにしつつ、千葉以外のものは就労支援施設のものを選んでいます。
この店では、就労支援施設の商品を中心にしていますが、味とデザインがいいのが前提で、就労支援を売りにはしていません。福祉が理由ではなく中身で買ってくれる人が増えればその施設で仕事が生まれて障害者がまたひとり雇えるようになったりするかもしれませんから。
小野 積極的に福祉の背景があることは言ってないんですね。
佐藤さん 聞かれれば言いますが、そもそもの趣旨として純粋にモノだけで美味しいと思ってもらって、また来たり買ったりしてくれることが目的なので。それでどんどん仕事が生まれて、知らないうちに福祉に貢献できるという循環が理想ですね。
採用面接のときには、障害者と一緒に働くことは説明しますが、それが嫌だという人は今までひとりもいません。
小野 生活者に対してはそれが言い訳になったり売りになったりというのは卒業したいですよね。ただ、事業者はチャレンジしたいけど二の足を踏んでいる人は多いと思うので、いまの話は知っていたほうがいいと思いました。職場に障害者が入ってきたときどうすればいいのか、そのモデルが目の前にあるわけですから。
飯田さんにも、BONUS TRACKでもひとり受け入れてみたらどうですかと言われました。
佐藤さん 就労支援センターに紹介してもらえますよ。恋豚の看板を掲げている以上、生きづらさを抱えている人が働ける場を少しでも増やすことを目指しているので、ここでももうひとりくらいは雇いたいと思っています。
小野 来年くらいやりますか。清掃とか。
内沼さん チャレンジしてみたいですね。
下北でやるべきこと
小野 こちらのお店の今後の展開は?
佐藤さん 夜は全然人が来ないので、予約を取ってしゃぶしゃぶを出すのもいいかなと思っています。
小野 予約があることで認知が拡がる可能性はありますね。
佐藤 香取と下北沢では全然文化が違うので、それに対応するためにどうしたらいいか考えているところです。飲食がもっと多いかと思ったら持ち帰りがものすごく多いですし、ビールの売れ行きもぜんぜん違いますし。それを考えて、土日は屋台出してソーセージ売ろうか、とか。
内沼さん BONUS TRACKは昼から飲む人多いですよね。
佐藤さん 週末はメンチがものすごく出るとかいろいろわかってきたので、それに対応する方法を考えたいですね。
そうやってなにか課題が持ち上がって、この地域ではどんな物を売っていけばいいのかとか考えていく過程が楽しいんだと思います。期限があるとは思いますけど。
小野 こういう人がいるから現場が回っているんだなって実感しました。佐藤さんにとって飯田さんはどんな存在ですか?
佐藤さん トップダウン的なところはありますが、アドバイスなど含め指摘することは核心をついていることが多いので、欠かせない存在だと思います。ときには聞いているフリだけのときもありますが。
内沼さん 聞いているフリというのは、現場で「今はできない」とか「やらないほうがいい」といった判断をするということですか?
佐藤さん 飯田が言ってくることって最終的な理想形なんですよ、例えば「この規模なら何人でまわせるはず」みたいな。理想としてはわかるんだけど、今は無理だろって人を入れたりはします。もちろんその分売上を上げる責任は生まれますが、根拠を説明すれば納得してくれます。
小野 そういう人って必要ですよね、理想を言い続けてたまにくると現場がピリッと来る人。
佐藤さん そうかも知れないですね。
いま、障害者雇用が社会課題とされていますが、それを課題にしているは私たち健常者だという話が印象的でした。障害者と健常者を分けるのではなく、抱えている生きづらさのグラデーションと考えて、そのような人たちが活躍できる仕事のあり方は何かを考える。それによってすべての人が働きやすい環境ができる。佐藤さんが実践してきたのはそのようなことなのではないでしょうか。
そしてその目的は障害者問題を解決することではなく、「いいもの」をより多くの人に手にしてもらうこと。実際にコロッケも美味しかったし、その目線の置き方に現場で様々なことを経験してきたからこその説得力を感じもしました。
障害者に限らず多様な人たちとともに働ける環境をつくっていくこと、それは私たちみんなにとって重要なことなのではないでしょうか。
(撮影: 星野耕史)