今回、ライターのオファーをいただくにあたって「同じ年頃の父を持つ息子としての目線をいれてほしい」というメッセージをいただきました。僕の父は64歳。新卒から勤め上げた会社を退職し、今ではちょっとしたアルバイトをしながら、母の家事を手伝ったりしています。
真面目な父なので、仕事にも熱心に取り組んでいました。だからこそ、突然仕事が無くなったら、毎日が辛いのではないかと、息子なりにちょっと心配でした。greenz.jp読者には、そんなお父さんを持つ世代も少なくないのではないでしょうか?
阿部孝さんは、誰もが知っているようなグローバル企業でコンサルティング業務を長年務めていましたが、54歳のころ「プロボノ」に出会い、活動を開始。退職後にはプロボノで関わっていたNPOに転職しました。ご家族の都合で、NPOは退職しましたが、今後もプロボノや社会問題に取り組んでいきたいという強い意欲を持っています。
今では、社会に貢献することを生きがいにするほどの阿部さんですが、それは50歳を過ぎたサラリーマンとしての苦悩があったからこそでした。
時間を持て余したから出会えた「社会貢献」というキーワード
私がいた会社では、定年まで働く人は多くありません。外資系企業なので、早期退職制度もあって。それに50歳くらいを過ぎると、既存の大きなクライアントは任されなくなりました。役員になれば別ですが、私は現場の人間として新規案件を取ってこないと、自分にプロジェクトが回ってこない状況。会社で力を発揮する機会がだんだん無くなっているように感じていました。
厳しい現実。社会の変わり目を感じます。
それまで週に数回、クライアントと外で飲みながら相談をして仕事を進めてきましたから…。変化した環境により、時間を持て余すようになってしまいました。半年ぐらいは、帰りがけにあるスナックに寄って、カラオケで数曲歌って気分を紛らわせたりしていたのですが、こんな生活をずっと続けるわけにもいかない。
何かを始めようと思いました。ただ、副業は禁止されていてできない。そんな時「社会貢献」というキーワードになぜかとても魅力を感じたんです。
手始めに、社内で募集をしていた子ども向けのインターネットの使い方教室にボランティアで参加してみました。インターネットは使い方を間違えば、危険なものです。それを子どもたちに伝えていくことには、やりがいを感じましたが、私じゃなくてもできるという物足りなさもありました。
もうちょっと踏み込んでやってみたいと思っていたときに、プロボノという言葉を知ったんです。サービスグラントのことを調べて、説明会に参加したのは、2010年、54歳のときでした。
どんな活動をするのか、どんな人たちがいるのか、丁寧に説明を受け、阿部さんはすぐに興味を持ったと言います。
翌年、阿部さんは早速プロボノに参加。北海道下川町の環境施策をまとめたWeb制作、太陽光発電の市民ネットワーク団体のWeb制作、千葉県で健常者と障がい者向けの地域総合型スポーツクラブを運営するNPO「スマイルクラブ」のプログラム運営マニュアル作成の全体統括を経験しました。
いやぁ、これがものすごく面白い。「外部のボランティアだけで、どのくらいのことがやれるんだろうか」というワクワクとともに不安もありましたが、「けっこうやれるな」という感触を持ちました。すっかりハマってしまったんですよ。
規模の大きさや、期間の短さ。北海道のプロジェクトは、物理的な距離もありましたからなかなかハードでした。
でも、本業のコンサルタントのノウハウは大いに活かせたと感じています。お客さんともプロジェクトチームともよく話をして、最善の着地点を探す。こういったプロジェクトは「あれがしたい、これもほしい」と、どうしても要求が多くなってしまいますから。一つひとつ話して、必要性や実現可能性を詰めていき、取捨選択をしながら、期間内に納品する技術は、私が長年仕事にしてきたこと、そのものです。
プロボノからさらにもう一歩。NPOに転職
プロボノの活動を通じて、充実した日々を過ごしていましたが、経験を重ねるうちに、ある種の「物足りなさ」を感じるようになったと言います。
職業病ですね。慣れてくると「本当に問題はそこですか?」と問いたくなってしまう。ウェブサイトはつくれます。でも、そもそも必要ですか? それよりも有効な手段がありませんか? ウェブサイトの前に決めなくてはいけないことが決まっていますか? と、根本的な問題が気になるようになりました。しかし、プロボノには、そこまで求められていません。
だからこそ、もっと根本的な問題解決に携われるように、NPOの中で活動をしたいと思うようになりました。長年勤めた会社を60歳で退職し、プロボノとして最後に関わったNPO法人「スマイルクラブ」に就職することにしました。
「スマイルクラブ」は、子どもたちを対象に、スポーツや健康促進を行うNPO。子どもたちの中には、障がいを持つ子もいれば、運動が苦手な子もいます。スポーツを通じて、社会との接点をつくり、コミュニケーションの方法なども学べます。
プロボノとして、環境問題や震災復興に関して、私の立場から見えてくる範囲で真剣に取り組んできましたが、実際に中に入って職員として活動すると、よりリアルに、より生々しく社会問題に対峙することになりました。
約1年間職員として働き、家族の都合でこの春に退職しました。大変でしたが、学びも多くあり、本当に充実した毎日でした。
取材の前に、定年後にNPOで働くという阿部さんの経歴を見て、一番気になったのは、ご家族の反応でした。給料のこと、労働時間のこと、多くのNPOが四苦八苦しながら運営していますから、ご家族は多少の不安をいだいたのではないか、と考えたからです。
現役時代より忙しかったですからね。妻からは少し小言を言われましたよ(笑) そして、体を心配してくれました。「こんなに働いて大丈夫?」って。でも、楽しそうだとも言ってくれていました。スマイルクラブでは、やりたいこと、やるべきことは実行できる環境でした。仕事をやらされている感は低いですから。
正直ね、会社を辞めて65歳くらいまで遊んでいれば、寿命が来るんじゃないかって思っていました。とりあえず世界一周でもしてみようかと考えていたぐらいでした。ところが、退職が近づいてくると、人生100年なんてキーワードが目につくようになって。
「100歳まで生きるリスクがあることに気づいた」と、阿部さん。仕事人間だった人が、定年で突然仕事がなくなってしまったら、どうやって過ごせばいいか困ってしまうでしょう。60歳で退職したとしても、100年生きるとしたらまだ40年間も人生の続きがあります。むしろ、半分をちょっと過ぎたくらいで、まだまだ人生の現役なのです。
それは僕の父を見ていても感じます。少しでも、社会と接点を多く持っていたほうが楽しいのではないかと思い、取材の文字起こしをたまに依頼しています。
私たちの世代は恵まれています。年金も比較的若いうちから出るし、大企業であれば、退職金の制度もこれまで変わらないところも多いでしょう。私の場合は、子どもも大きくなっていた。お金はどうにかなりそう。だけど、退職後の時間の使い方は自分で考えないとどうしようもありません。
だからこそ、スマイルクラブでプロボノをしていたときは、なんとなく、ここで定年後を過ごすことを考えてもいました。
仕事では得られなかった「社会の役に立っている」実感
阿部さんは、プロボノを通じて、人生が大きく変化しました。そして、このあとも変化し続けるようです。
家族のことが落ち着いたら、やってみたいことが2つあります。
ひとつはサービスグラントでのプロボノのアドバイザーです。プロボノに取り組む中で、プロジェクトの進め方に関して、悩む人も多いと思います。アドバイザーとしてプロジェクトに入り落とし所を決める、プロボノメンバーの相談役のような立場であれば、仕事の経験もプロボノでの経験も活かせるので、やりがいを感じられると考えています。
もうひとつは、障がいを持つ人々の雇用支援です。過去の私にとって、障がい者というのは文字でしか無く、具体的にどんな問題があって、どんなふうに困っているのか、知りませんでした。でも、知ってしまった。深く関わってしまった。見て見ぬふりをしよう、誰か面倒を見てくれるだろうと、他人事ではいられなくなりました。
特に、障がいを持つ人がどのように仕事を得ていくのか、企業側はどのように受け入れていけばいいのか、といったような障がい者の就業に対する支援に取り組みたいと思っています。これは、今後の自分自身の課題です。
阿部さんは、今後の人生も意欲的に社会問題に取り組もうとしています。プロボノでの経験を経て、人生が大きく変わった今、どんなことを思うのでしょうか。
DV、不妊、環境、食、貧困…社会には、解決するべき問題が山ほどあります。日常生活でも、そういった問題に敏感になりました。他人ごとだったことと自分に、急に接点ができた。
今思えば、自分たちの生活のためとは言え、会社に奉仕しつづけてきた30年でした。プロジェクトを絶対赤字にしない。そのための落とし所を見つける。求められていることは常にそれです。「会社」と「自分」の関係性の中で仕事を回しているので、そこに「社会」を感じることはありません。
そんな私が、プロボノとして活動するようになってはじめて「自分の力で社会の役に立てる」ということを実感できました。自分に対する自信にも繋がりました。人生ではじめて、自分の「目」がちゃんと開いたんです。
男女ともに平均寿命が80歳を超える日本。60歳で定年退職するとしてもあと20年以上の人生が待っていることになります。その後の人生のやりがいをどう見つけていくのか、超高齢化社会が抱える課題でもあるでしょう。
「やりがい」とはなんでしょうか? 人それぞれの解釈があると思いますが、僕は「自分のためではなく、他者のための行動できるストーリー」なのではないかと思います。
定年してしまったビジネスマンにとって「頼りにされる」「人の役に立つ」というのは、生きていく上でのモチベーションになりうる。仕事の経験を通じて養ったビジネス的なノウハウもあります。今後、プロボノは、定年後のライフスタイルのひとつにもなるかもしれません。