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100年後にも、山と川、人々の暮らしがあるように。徳島・神山町の、あたりまえであたらしい「大埜地集合住宅」の話。

持続可能なまちづくりや暮らし方への関心の高まりとともに、「住まい」に対する意識にも変化が起きています。

仕事から帰って寝るだけの家ではなく、誰かと空間を共有して自分自身の活動の拠点にもなる「住まい」に。greenz.jpでも、武蔵境アンモナイツや湘南西部の二宮団地など、地域コミュニティとつながる住まいの実践者たちを取り上げてきました。

家は、私たちの命を守り、暮らしを営む“巣”であると同時に、まちの風景をつくり、環境をつくっていきます。「どんな家をつくるか」ということは、「どんなまちをつくりたいか」という問いにも連なっています。

先日、入居募集を始めた徳島県神山町の「大埜地(おのじ)集合住宅」は、まさに「どんなまちをつくりたいか」という問いから始まった住まい。100年後に、より豊かな神山の暮らしがあることを願い、100年後にも住み続けられる家をつくろうとしています。

赤尾さん 家屋は町産材100%を目指してつくり、神山の大工さんに発注をして、植栽も神山の植物でつくる。ただ住むだけの場所でなく、地域と交流する「鮎喰川(あくいがわ)コモン」でのコミュニティづくりも考えられていて。ハード面もソフト面も、神山の状況を考えて練られたアイデアでつくられているんです。

いったいどんな住宅がつくられているのでしょう? 「大埜地集合住宅」プロジェクトを担っている、神山町役場の馬場達郎さん北山敬典さん、神山つなぐ公社の高田友美さん赤尾苑香さんの4人からお話を伺いました。

※トップ写真および記載のあるものは生津勝隆氏撮影。特に記載のない写真・画像は神山つなぐ公社提供。

(photo by Masataka Namazu)

「大埜地集合住宅」プロジェクト
神山町が開発主体となり、神山つなぐ公社が企画等で恊働。左から、設計や建築に関わるハード面を担当する神山町役場総務課の北山敬典さんとつなぐ公社赤尾苑香さん。入居者募集やコミュニティづくりなどソフト面を取りまとめるつなぐ公社の高田友美さんと神山町役場の馬場達郎さん。

多様な人が住まう「大埜地住宅」+
町の誰もが立ち寄れる「鮎喰川コモン」

「大埜地集合住宅」は、全20戸の木造住宅「大埜地住宅」と、広場や文化施設のある「鮎喰川コモン」から構成。

「大埜地住宅」には、子育て世代のための住戸が18戸(うち2戸はバリアフリー仕様)、単身者の共同生活用ユニット2戸があり、年齢も暮らし方も異なる人たちが交ざりあってコミュニティが形成されるように考えられています。

ランドスケープ・デザインは田瀬理夫氏(プランタゴ)、建築設計は山田貴宏氏(ビオフォルム環境デザイン室)を中心とする7名のチームが担当。2017年10月15日より第一期入居募集受付(2018年夏頃入居予定)

「鮎喰川コモン」は町の誰もが立ち寄れる、町内に開かれた空間。川につづく広場のような草地と川沿いの遊歩道に面した2階建ての文化施設があります。

1階の「まちのリビング」にはキッチンなどの設備もあり、ワークショップや習いごとの教室などを開くこともできます。2階の「まちの読書室」は小さな図書館と自習室のような空間。学校帰りの子どもたちが友達と一緒に宿題をしたり、大人たちが仕事場にしたりすることもできます。

「孫を連れてきたおばあちゃん同士が語り合っていたり、町外の高校に通学している高校生たちが、まちの同級生と共に過ごしたりする場所にもなるといいな」と高田さん

馬場さん ここで、どんなつながりや関係性が生まれるか、それが一番大事やなと思っています。「大埜地集合住宅」は、神山町にとってひさびさの大きな公共事業。入居者と地元の人が交ざりあう場所として、地域に馴染ませていくうえで「鮎喰川コモン」の役割ってすごく重要なんです。

「鮎喰川コモン」は、家でも、学校でも、職場でもない、その中間にあるみんなの3rdプレイス。神山に移り住んだ人たちと、地元の人たちが新しい関係をつくる場にしていくことも、馬場さんや高田さんが「大埜地集合住宅」でチャレンジしようとしているテーマのひとつなのです。

みんなの居場所「鮎喰川コモン」が
人の循環をつくるポンプ役にもなる

神山は、徳島市内から車で約1時間のところにある鮎喰川(あくいがわ)流域のまち。

「IT企業のサテライト・オフィス」「アーティスト・イン・レジデンス」「NPO法人グリーンバレー」「移住する人が多い」などのキーワードで知る人……もっとバッサリと言ってしまうと、「イケてる中山間地域のまち」として見ている人が多いのではないかと思います。

たしかに、神山町は2011年には、移住者の増加によって町史上初の社会人口増を経験し「神山町の奇跡」と言われました。しかし、人口減に歯止めがかかったわけではなく、1955年のピーク時に約2万1000人だった人口は、今はもう約5300人(国勢調査より)。これ以上、町から人を減らさないことは、他の地域と同じく差し迫った課題なのです。

どうすれば、地元の人たちが「神山で暮らし続けたい」と望み、また移住先を探す人たちが未来を描けるような状況になるでしょうか? その軸のひとつが「大埜地集合住宅」が目指す「子どもたちが育ち合える場づくり」です。

人口減により、かつて7校あった小学校も、今は2校にまで減っています。神山町の町域は細長く、東京になぞらえると「新宿から立川くらい」。生徒の多くは、登下校をスクールバスに頼っています。集落は細長い町域に点在するため、近所に同年代の友だちがいない子どもも多く、放課後はどうしてもテレビやゲームで過ごしがちです。

高田さん 神山には学童保育はあるけれど、図書館や児童館はありません。子どもたちに多様な居場所がないのは本当に残念で。でも、子どもが「行きたい」と言えば、すすんで車を出して送ってくれる大人たちも多いです。

「鮎喰川コモン」は、子どもを送りがてら集まってきた親世代の人たちの交流の場所にもなるといいなと思います。子どもたちも、まちには面白い大人たちがいると気づけば、他にもいるかもしれないと探し始めるかもしれない。

馬場さん 僕らが子どもの頃は、町内の働き口といえば役場か農協しかなくて、その次はプロ野球選手……と飛躍してしまうほど、将来の選択肢を知らなかったんです。

「大埜地集合住宅」でまちの大人たちに出会うことを通して、子どもたちにいろんな選択肢があることを知ってもらいたい。まちの将来に可能性を感じながら育っていける状況をつくりたいです。

(photo by Masataka Namazu)

神山バレーサテライトオフィス・コンプレックスや、神山アーティスト・イン・レジデンスに滞在している作家のアトリエを訪ねれば、そこには「面白い大人」たちがいます。そんな「面白い大人」を「鮎喰川コモン」に連れてきて、子どもたちと出会いはじめれば、まちの未来にも新しい扉が開くかもしれません。

神山の木で、神山のつくり手で建てる。
まちと一緒に循環していく住まい。

ソフト面(コミュニティづくり)と同様に、「大埜地集合住宅」のハード面においても、神山の状況を踏まえたさまざまな工夫や仕掛けが考えられています。

まずは、建物をつくる木材について。

大埜地集合住宅で使われるために用意された神山町産材

神山町はまちの面積の86%が山林で、そのうち71%は人の手で植林された人工林。スギは92%、ヒノキは57%がすでに伐採時期を迎えています。

自然林と違い、人工林は間伐などの手入れが必要です。山に手が入らないと地面に雨水が届きにくくなりますし、硬くなった山の地面は雨水を貯めることができず地下水が減ります。山が水を保つ力を失うと、川に流れる水が減り、魚の姿も消えてしまうのです。

鮎喰川は神山の人たちの心のふるさと。昔はもっと水も魚も多く「中学に行く橋のうえから川を見下ろすと魚がきらきらしていた」と北山さん

神山の山と川を守るには、伐採時期を迎えた木を活用し、定期的に山の手入れをする仕組みが必要でした。

今回神山町では「大埜地集合住宅」プロジェクトをきっかけに、まちにある森林組合などと協力しあって、神山町産の認証制度を立ち上げ。「大埜地集合住宅」を神山の木100%を目指してつくることにしました。しかも、木材は伐採から200年間強度を高めていく耐用年数の長い建材で、手を加えながら100年以上は住み続けられる家。しかも、自然エネルギーを活用して、冬は暖かく夏は涼しい快適な家です。

夏は涼しく、冬は暖かく。山あいのまちにつきものの湿気対策もしっかり考えられています

北山さん 昔は薪でお風呂を焚いていたんですよね。石油ボイラーを使うようになって、家から煙突がなくなり煙も出なくなり、生活様式の変化とともに町の風景も変わったと思います。

薪を使わなくなったせいで荒廃した山の現状を考えると、改めて木で熱を得ることを考えるようになりました。「大埜地住宅」では木質バイオマスボイラーを導入しました。年間を通じて木を伐る理由が生まれることで、山の荒廃に歯止めをかけることに一役買えると思います。

「大埜地集合住宅」プロジェクトでは、地域内の経済循環のことも考えられています。神山の大工さんにお願いできるかたちを考えた結果、分棟型の木造建築を設計。工期を3〜4期に分けて、3〜4年間かけて開発することになりました。町の仕事を地元の大工さんに発注することは、神山の大工の技を受け継ぐことにもつながります。

また、これから3年間、まちの人たちは大埜地で家をつくる大工さんたちの仕事を見つづけることになります。大人たちは「家を建てる」ことを改めて考えるかもしれないし、子どもたちは「大工さんかっこいい!」と目をキラキラさせるかもしれない。家が建ち上がるプロセスを共有することからも、新しいつながりが生まれるかもしれません。

100年後、川に鮎が戻ってきたまちに
人の暮らしがあればいい

「大埜地集合住宅」は、神山中学校の寄宿舎「青雲寮」の跡地につくられています。まちの人たちの思い出の場所を受け継ごうと、「青雲寮」の看板やシンボルだったフェニックスの木が今も残されています。また、取り壊し時の解体ガラは、敷地の排水を促すなど9種類の用途に活用されています。

赤尾さん ガラって、敷地から出すと産業廃棄物(ゴミ)になってしまうけれど、敷地内で再生処理をすれば再利用することができます。このガラもいわばまちの資源なんですよね。

「大埜地集合住宅」の植栽も、神山の種や実生から育てることになりました。徳島県立城西高校神山分校 造園土木科の生徒たちと山で集めてきたどんぐりなどを、校内の温室で苗木として育てているそう。プロジェクトの至るところに、まちの人たちを巻き込んでいく仕掛けが考えられているのです。

神山の山に入り植物を採集するランドスケープデザイナーの田瀬理夫さんと城西高校神山分校の生徒たち

城西高校神山分校の温室で育つどんぐりの苗たち

馬場さん 「大埜地住宅」は、神山で生まれ育った人が戻ってきたいときに、実家以外の選択肢にもなりたいと思っています。第1期の募集で想定しているのは、子育て・働き盛り世代の人たち。「高校生以下の子どもと同居している夫婦」または「年上の人が50歳未満の夫婦(ひとり親世帯も含む)」という条件を設定していますが、いわゆる低所得者向け住宅ではないため所得制限などはありません。

しかし、神山の人には「持ち家志向」は根強く、また「大埜地集合住宅」に関する情報が断片的に伝わっていることから「条件の厳しい町営の賃貸」という誤解も一部にあるそうです。こうした誤解を解き、「大埜地集合住宅」をもっとよく知ってもらうために、赤尾さんは「手紙を書く気持ちで」町内全戸にあてた手書きの「集合住宅だより」を創刊。

工事のこと、家づくりのこと、誰がどんな役割でプロジェクトに関わっているのかなど、月1回全12通を“贈る”予定です。

「集合住宅だより」創刊号では、住まいをつくる仕事をする人たち、町役場とつなぐ公社の担当者を紹介。解体コンクリートガラを「宝の山じょ!」と解説する四コママンガも秀逸!


(photo by Masataka Namazu)

赤尾さん 今回のプロジェクトは、「神山は人口が減っても諦めていませんよ」と、未来にむかってまだまだ本当にがんばろうとしている姿勢を町を挙げて示そうとしている気がするんですよね。地元の人がちょっと知って応援してくれるだけでも、神山は諦めていないことになると思います。

さまざまな仕組みがうまくいけば、町の人や、町の外にいる神山の人たちの誇りにもなるはず。「まだまだ神山いけるなあ!」と元気づいてくれるといいなと思います。

「大埜地集合住宅」の建物は、手を加えながら100年以上住めるようにと考えられています。これからつくられていく「大埜地集合住宅」が100年目を迎えたとき、神山のまちは、人の暮らしはどんな風になっていくと思いますか?

赤尾さん 正直に言うと、100年後にまちがどうなっているのかはわからないけれど、この場所で暮らしていく人はいるんじゃないかという気はします。たとえ他の土地に移ってしまって神山には住んでいなかったとしても、神山に暮らした記憶は残っていくんだろうなと思います。100年経ってもずっと。

馬場さん 遠くから見たときの風景が、今と大きく変わっていなくてもいいかなと思っています。近くで見ると、人工林が雑木に戻っていて、川の水が増えて鮎が増えて、いろんな顔ぶれが暮らしている。そして、「大埜地住宅」も100年が経つなかで、ここで育った子どもが大人になり、子どもを産んだときに「ここで子育てしたいな」と思ってくれたり。良い思い出を重ねながら、将来につながっていくといいなと思います。

(photo by Masataka Namazu)

100年後の神山町、あるいは神山の山や川と人々の暮らしは、どんな風になっているのでしょうか。それはもちろん誰にもわからないのですが、少なくとも私は4人の話を聞くうちに100年後のイメージが湧いてきました。そして、今このときに誰かが真剣に「100年後の神山」のことを考えているかぎり、時を超えてつながることは可能になるのではないか、とも。

なぜ、そう思えるのかというと「大埜地集合住宅」の取り組みは、いわば「あたりまえ」を体現しているからです。町の木材を伐り、町の大工さんが建てることも、町の資源を活用して町の循環を良くしようとすることも、いわば「あたりまえ」のことだと思うのです。そして「あたりまえ」だからこそ持続可能性があり、建物だけでなく、そのしくみごと100年先の未来を描けるのではないでしょうか。

自分の身を横たえ、身心を養う居住空間である「住まい」のなかにそういう感覚を持てることは、とても大切だし幸せなことだと思います。もし、この記事を読んで「大埜地集合住宅」のことが気になり始めた人は、ぜひ一度入居者募集ページを見てください。もしかすると、思いもよらなかったけれどずっと思い描いていた家のあり方が見つかるかもしれません。

– INFORMATION –

大埜地の集合住宅・入居者募集のご案内2017
徳島県・神山町の「大埜地集合住宅」の第一期入居者募集は、10月16日(月)より受付期間がはじまっています。入居開始予定は2018年夏頃。「どんな家だろう?」と興味が湧いたらぜひ下記のページをご覧ください。
http://www.town.kamiyama.lg.jp/co-housing/

5×緑の学校 2017(最終回)「まちを将来世代につなぐ集合住宅設計(徳島 神山町)の千夜一夜」話し手 西村佳哲さん
また、10月21日には東京にて、神山つなぐ公社理事を務める西村佳哲さんによるトークイベントもあります。自らも深く関わってきた大埜地集合住宅について、西村さんが語り下ろします!
https://twitter.com/lwnish/status/912131190869463040

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こちらの記事は「greenz people(グリーンズ会員)」のみなさんからいただいた寄付をもとに制作しています。2013年に始まった「greenz people」という仕組み。現在では全国の「ほしい未来のつくり手」が集まるコミュニティに育っています!グリーンズもみなさんの活動をサポートしますよ。気になる方はこちらをご覧ください > https://people.greenz.jp/