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この100年で、私たちが失ったものって何だろう? 自然とともにある暮らしを撮り続ける「民映研」に聞く、日本人の根底にある豊かさ

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どこに住み、どんな暮らしをつくるのか。本当に必要なものは何か。「暮らしのものさし」は、株式会社SuMiKaと共同で、自分らしい住まいや好きな暮らし方を見つけるためのヒントを提供するインタビュー企画。こちらの記事は、社会から降りて自由に生きる、そんな生きかたのリテラシーを探る連載「消費されない生きかた」との共同企画です。

みなさんは、たとえば100年前に私たち日本人がどんな暮らしをしていたか、知っていますか?

1900年頃というのは、明治時代の中頃。日本は、農業中心の国から工業中心の国へと変わろうとしていた時代です。東京の銀座や丸の内には煉瓦街ができ、日本で初めてのエレベーター付きのビルや公衆電話ができたのもこの頃でした。

一方で、都市部においても電気やガス、水道などはまだ家庭に届いておらず、水は井戸から汲み、食事は薪や炭を燃やしてつくり、油をつかった行燈(あんどん)で明かりをつけていました。里山では、斧などの道具で木を切り倒して家をつくっては、川から水を引き込み、火をおこして暖をとって、山や川からとれる食べ物でつつましく暮らしていたのでした。

たった100年の間に、劇的に変わったともいえる、私たち日本人の暮らし。その過程で失われてしまったものの中に、未来をつくるためのヒントがあるような気がしてなりません。

そこで今回は、自然とともに生きる人々の暮らしを撮り続ける「民族文化映像研究所」(以後、民映研)の番頭をつとめる箒有寛(ほうき・ありひろ)さんに、その失われてしまったものについて聞き、現在・未来の私たちの暮らしに役立つヒントを探ることにしました。

『奥会津の木地師』に映されていた、生きることのリアル

この日本列島には、長い時間の中で培われた、自然との深い共生の暮らしがあります。その私たちの根底にある暮らしの在りようを“基層(きそう)文化”と捉え、庶民の暮らしをありのままに映像に残す活動をしているのが、「民映研」です。

今から40年ほど前、所長・姫田忠義(ひめだただよし、故人)、カメラマン・伊藤碩男(いとうみつお)、事務局長・小泉修吉(こいずみしゅうきち、故人)の3人によって立ち上げられました。
 
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民映研に30年ほど関わり、撮影にも立ち会うという箒さん

姫田と伊藤は、宮本常一(みやもとつねいち)という民俗学者に師事していたんです。宮本先生に、今撮っておかないといけないものがたくさんあるから、君たちは映像を撮りなさいと言われたのが、そもそもの始まりと聞いています。

これまでの40年にわたる活動で映像として記録されたのは、16mmフィルム作品が119本、それ以外にもビデオ作品が150本。そして16mmフィルム作品の119本のうち、117本をDVD化して貸し出しをしています。

まずは、代表作のひとつである『奥会津の木地師』(1976年作品)を紹介しましょう。
 

日本には、昭和初期まで定住せず、移動性の暮らしをする人がたくさんいました。山から山へ移動して椀(わん)などをつくって暮らす“木地師(きじし)”もそうでした。

この『奥会津の木地師』は40年前に撮影されたものですが、その内容は、撮影当時からさらに50年ほど前の暮らしと技術を再現したもの。つまり、今から90年ほど前の暮らしぶりが、ありありと映っているのです。

福島県・奥会津の山間地で、木地師であることをやめてしまった末裔たちが、かつてそうしていたように簡素な小屋をつくり、谷から水をひき、住まいが整うと山の神をまつって、椀をつくるためのシンプルな道具をつくり始めます。

そして道具が完成すると、斧1本で倒したブナの木に切り込みを入れて、お椀の原型となる型をつくり、女性たちがそれを小屋へと運び、男性たちは座って足で椀を押さえ、信じられないような鍛錬された技で椀を彫り、さらには手引きロクロで仕上げていきます。

人の力で回される手引きロクロは、奈良時代に大陸から導入されたもの。既に移動性の暮らしをやめて、手引きロクロの作業もしなくなって50年ほど過ぎていたにも関わらず、彼らの身体には、1000年を越す技術の伝統が息づいていたのでした。

映像におさめられているのは、残念ながら今はもう誰も真似できないであろう暮らしの技術と、生々しい当時の表情や息づかい。観る人の心を捉えてやまない、有無を言わせぬ生きることのリアルでした。

主義主張のないドキュメンタリー

これまでに撮影をした作品のうち、自主制作は十数本で、それ以外は地域の暮らしやお祭りなどを記録するために予算がついた委嘱作品です。
 
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何か事象があって、それを伝える映像を“ドキュメンタリー”といいますが、現在のドキュメンタリーは、作品に何かしらの主義主張があるんです。

例えば、3.11の後に反原発を訴えるドキュメンタリー映像が公開される。民映研の作品には、じつは主義主張がまったくありません。だから逆に、観終わると「一体何だったんだ?」と疑問が残る。一緒に観た人と気づいたことをシェアし合わないと完結しないんです。

民映研の活動が始まる40年前は、カラーテレビも多少出回っていたけれど、一般家庭には白黒テレビが置かれていた時代。当時は、観たことがないものを自宅で観ることができるというだけでドキュメンタリーでした。

たとえばアフリカ大陸に行って、歩いている象を撮ってくるだけでドキュメンタリーだったのに、今となっては、象が密猟されているとか、象という事象に、何かもうひとつないとドキュメンタリーとはいえない。これは、ある意味で、ドキュメンタリーが撮る人の主義主張を伝えるための道具になってしまったとも言えるかもしれない、と箒さんは指摘します。

民映研の映像は、あくまで“素材”です。気づきをシェアしたり、自分が気づかなかったことを人からシェアされることで、観終わったあとの言葉にできない疑問が深い問いになって、問いに対する答えが少しずつ見えていきます。

いや、答えなんて簡単に見つからないかもしれない。その人にとっての大切な問いとなって、その問いをたずさえて生きていくことになるのかもしれません。

高度成長を経て、失われてしまったもの

先ほど紹介した『奥会津の木地師』のほかに、もうひとつ作品を紹介しておきましょう。こちらも代表作のひとつである、アイヌの自然観、生命観が凝縮した『イヨマンテ〜熊おくり』(1977年作品)。
 

「イヨマンテ」とは、熊の魂を神の国へ送り返すまつりのこと。アイヌの人々にとって、熊は重要な狩猟対象であるとともに、神そのものであり、親しみと畏敬の対象でもありました。

熊を狩る際、子熊は集落に連れ帰り、最初は人間の子どもと同じように家の中で育て、