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さまざまな人が出会い、学び合える場所。「三田の家」「芝の家」に学ぶ、地域の交流拠点のつくりかた

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特集「a Piece of Social Innovation」は、日本中の”ソーシャルイノベーションのカケラたち”をご紹介するNPO法人ミラツクとの共同企画です。

「新天地で一人暮らしを始めたけど、知り合いができずつまらない」。新年度を迎えてしばらく経つと、進学や就職で地元を離れた人からそんな言葉を聞くことがあります。会社や学校にしか友人がいないと、そこの人間関係が悪かったとき逃げ場がなくなってしまうし、世界も狭くなりがちですよね。

さまざまな人と出会い刺激を受ける場所、いつでも立ち寄れてくつろげる場所が、自分の暮らすまちにあったら素敵だと思いませんか?

港区にある三田の家芝の家は、まさにそのモデルになるような場です。

「三田の家」は慶應義塾大学の教員、(元)学生、スタッフたちが自主運営する「新たな学びの場」。各曜日を「マスター」が担当し、地域の人も巻き込んで多彩な場づくりを繰り広げています。

また「芝の家」は老若男女さまざまな人が出入りしくつろぐ「地域の縁側」。若者がおばあちゃんから編み物を教わるなど、自然な世代間交流が生まれています。

ふたつの場が出来上がった背景や場を運営する上で大事にしていることを、発起人のひとり熊倉 敬聡(たかあき)先生と、スタッフの渡邊めぐみさんに伺いました。

学生のポテンシャルを引き出す環境をつくりたい

慶應に勤めて10年が経った2000年頃から、「今の大学は学生のポテンシャルを引き出す環境になっていないのではないか」と考えるようになりました。そこで、もっと違う環境をデザインしようと、新しい学びの場をつくることを実験的に始めたんです。

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古民家を改装した「三田の家」の一室で、当時のことを振り返る熊倉先生

「セルフ・エデュケーション」という思想にもとづいて、学生たちが自分たちの学ぶ内容・形式について話し合い、授業を自ら作っていった熊倉先生。イサム・ノグチと谷口吉郎がデザイン・設計し、慶應のキャンパス内にありながらも何十年も閉ざされていた「萬來舎」でのカフェ的場づくり「萬来喫茶イサム」、学生が墨田区京島の長屋に移り住み日々の出来事を生き、記録する「京島編集室」ーー熊倉先生と学生たちは次々と新たな形の授業を試していき、そこからは大学の教室では起こりえないような「学び」がたくさん生まれたといいます。

舞踏家の大野一雄さんが「萬來舎」を訪れたときのことですが、大野さんが部屋に入った瞬間、室内にあった木瓜の花と感応して震える手で踊り始めたんです。当時96歳で車椅子に乗っていらしたので、手だけの舞いでしたけど、感動的でした。最後に観客の一人ひとりと握手をしてくださったんですが、それも舞いになっていて、皆涙しました。

自分たちが企画した場に著名な芸術家が訪れ、何かを感じ取ってくれる。それは確かに通常の授業では味わえない経験ですし、何年経っても色褪せず記憶に残りそうです。

これらの経験から、「やっぱりもっと色々な形の学びがあっていい」と確信しました。ただ、新しいことをするには交渉や調整に時間がかかります。学内でやろうとすると、なおさら。だから、「自分たちでしたいことが自由にできる場所を学外につくろう」と考えました。

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大学近くの商店街は「学生街」として栄えることがよくありますが、慶應のある三田商店街では学生離れが進み、商店主たちは本来最大の顧客となるはずの学生が寄り付かないことに頭を悩ませていました。そこで、熊倉先生たちはここに学生と地域の人が交流できるラウンジのような場所をつくろうと企画。商店街にプランを持っていきました。

でも、あまりにもカルチャーギャップが大きくて、最初は何を言っているか理解してもらえなかったんですよ。「研究対象として1〜2年何かして引き上げちゃうんじゃないの?」という不信感もあったと思います。だから、まずは商店主たちと一緒に、まちづくりに関する勉強会を始めました。

そうして2年位ずっと地域の方と話したり飲んだりしていくうちに、僕が近くに引っ越してきたこともあって、「本気だな」と信頼してもらえたようです。当時の商店街振興組合の理事長さんが空き家を紹介してくださり、貸してもらえることになりました。

長年使われていなかった家なので掃除やリノベーションが必要でしたが、左官屋さんを招いて「珪藻土を塗るワークショップ」や大工さんを招いて「家具作りワークショップ」など、その工程も研究の一環にしてしまい、自分たちの手で場をつくっていきました。

そうして、2006年にオープンしたのが「三田の家」です。

「教室」と「居酒屋」の中間のような場所

「三田の家」のコンセプトは「異分野の人たちがカジュアルに出会い、学びあい、交歓する場」。教員や学生、地域住民や商店主、留学生などさまざまな人が訪れ、一緒に食卓を囲みながらさまざまな話を交わす、「教室」と「居酒屋」の中間のような場となっています。

誰が来ても受入れることが三田の家の大原則。孤立している人がいたら話しかけたり、知り合い同士をつなげたりして、自然ともてなします。人見知りをする学生もいますが、ここにいると徐々にそうした気配りができるようになり、コミュニケーションの楽しさを学んでいます。

熊倉先生が企画するシリーズ「今、移住について考える」熊倉先生が企画するシリーズ「今、移住について考える」

教員や(元)学生が「マスター」となり、日替わりで場作りを担当することも「三田の家」の特色のひとつ。熊倉先生が授業を行う日もあれば、大学内にある「日本語・日本文化教育センター」の教員が異文化交流のイベントをひらく日もあります。

大学の教室では、学生のあいだに「当事者になりたくない、責任をとりたくない」という空気が流れています。でも、ここにいると距離が近いから、関わらざるを得ないんですよね。否応無しに議論が盛り上がる。学生も外から来る人も、要領が良くてスマートな人というより、いい意味で個性的な人が集まってくるから、面白い場になっています。

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運営費用の半分を大学からの助成金、半分を会費と寄付で賄っています。年度によって変わりますが毎年1人〜2人の有給スタッフがつき、経常的に回る仕組みが整っています。

「三田の家」が始まって2年が経った頃のこと、「昭和の地域力再発見事業」を進めていた港区芝地区総合支所から、「三田の家の姉妹店のようなものをつくりたい」と相談がありました。まちに住み働く人たちが交流し、お互いに支えあえるような場というイメージです。2008年秋に武山政直先生と坂倉杏介先生が中心となって動き、新たな家を立ち上げました。それが「芝の家」です。

誰もがくつろげる場であるために、まずスタッフがくつろぐ

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「芝の家」は、港区芝地区総合支所と慶應義塾大学の恊働事業。月・火・木は主に大人からお年寄りがゆっくりできるコミュニティ喫茶、水・金・土は子どもたちが多くあつまり、駄菓子や昔遊びを楽しめるオープンスペースになります。スタッフ(有償または無償)約20人が、日々2人くらいの「お当番」として交替で場をつくっています。

慶應義塾大学4年生(当時)の渡邊めぐみさんもスタッフのひとり。坂倉先生の授業がきっかけで「芝の家」を訪れたといいます。

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とても居心地の良い場だなと思いました。印象に残っているのは、帰り際に「いってらっしゃい」「またおいでね」と見送ってもらえたこと。一人暮らしをしているので、そんな風に声をかけられるのが久しぶりだったから、嬉しかったんですよね。何度か訪れるうちに、もっと関わりたいと思ってスタッフになりました。

「芝の家」は、本当にゆったりとした良い雰囲気が流れていて、初めて来た方でもソファで眠ってしまうことがあるのだとか。この居心地よさの根源はどこにあるのでしょう。

「芝の家」は、誰もがいたいようにいられる場所であってほしいと思っています。そのためには、ただ「さあどうぞ」というのではなくて、まずスタッフが自分らしく、いたいようにいること。何かしたければするし、何もしたくなければしない。そうすれば、来た人も安心して居られるようになりますよね。

また、無理をしないことも大事です。スタッフが元気でいなきゃ、と気張っていると、来る人も元気があるときしか来られなくなってしまうんですよね。人は、自分より前にいた人の振るまいやあり方に影響されるものなので。だから、スタッフであっても、眠いときはソファで寝てしまう、いわば、自分の弱い部分をみせることもあります。そうすると、来てくれた人も「ここでは寝てしまってもいいんだ」と思えるから。

「芝の家」の持つ運営ポリシーや価値観は、通常の公共施設とは一線を画する独特なもの。でも、言われてみれば納得できる考え方です。ここでは「ルール」や「ノウハウ」はあまりつくらず、「文化」を醸成し、その時々の状況に合わせて柔軟に対応しています。

とはいえ、不特定多数の人が出入りする場に、トラブルが起こらないわけがないと思うのですが…。

もちろん起きますよ。それが自然なことではないでしょうか。最初はヒヤヒヤしましたが、先輩スタッフの方から「人が集まれば何か問題は起こるし、机に頭をぶつけたり、お裁縫の針が落ちていたりすることもあるよ。だって家だから」と言われて。「そうか、ここは本当に家なんだな」と思いました。

人間関係において、X+Y=Zなんてすっきりした答えが出ることなんてありません。でも、みんなで話し合えば気持ちが落ち着いたりしますよね。1日の最後にスタッフ同士で振り返りミーティングをするのですが、そこには「こんなことがあって嬉しかった、嫌だった」とシェアできる空気があります。

ネガティブなことって表に出さない方がいいとされがちですが、言うことで楽になったりします。ここでスタッフをやっているうちに、色々なことに腹を立てなくなりました。苛々している人がいても、人間には波があるし、たまたま機嫌が悪かったのかな、まあそういうこともあるよね、って。

一般的に、社会では「ポジティブなこと」「明るいこと」が良しとされがちですが、人はネガティブな側面も必ず持っているし、気分が落ち込むこともあります。片方だけでなく、その両方の面をそのまま受入れるところが、芝の家の心地良さの理由かもしれません。

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また、「一人ひとりの持ち味を引き出す風土」があるのも「芝の家」の魅力。誰かが得意なことをしていると人が集まりだし、小さなワークショップが開かれる、ということもあります。

おばあちゃんたちの世代って、お茶もお華もお琴もできるのに、家にこもって「私には何もできない」って思っている人が多いんですよね。ここでは書道ができる人がいたら「じゃあ教えてもらって書遊びしましょう」ってなるんです。教わる方は世界が広がって嬉しいし、おばあちゃんたちにとっても自信につながるみたいです。

自分の得意なことを人が喜び求めてくれるということは、自分の役割や居場所ができるということ。「芝の家」は、たくさんの人にとって、かけがえのない居場所となっています。

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魅力ある人が集まれば、魅力的な場ができる

さまざまな人に出会える、地域の交流の拠点。こうした場をつくるときのポイントを熊倉先生に伺いました。

場づくりって、結局は人なんです。いくら内装を綺麗にデザインしても、中核を担う人がいなければダメ。たとえみすぼらしい施設でも、魅力的な人がいれば自然と人は集まってきます。それと、一人だけだとカリスマ的になってしまうから、何人かいたほうがいいですね。アトラクターとなるような人が数人集まれば、面白い場になっていくのではないでしょうか。

港区では、「三田の家」「芝の家」の事例を受けて、新橋に新たな「家」を建設中。また、坂倉先生が「芝の家」近くにシェアオフィスを開く計画も動いているそうです。今後もこの地域はますます面白くなっていくことでしょう。

もし、地域の交流拠点のような場所をつくりたいと思っている方がいたら、一度「三田の家」「芝の家」を訪れてみてはいかがでしょうか。きっと、たくさんのヒントが見つかると思います。