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都会がしんどい? 地域愛なんて重い? それなら、試しに小田原に来てみたらいい。“もっと楽しく生きようゼ!”を伝えるハンモック専門店「すさび」

大きなハンモックに、ごろん、と気持ち良さそうに寝転がる、ハンモック専門店「すさび(遊び)」店主の石原大輔さん。旅が大好きで、自らハンモックの本場コロンビアを訪れ、コロンビア政府協力の元、現地で生産したオリジナルハンモックなどの輸入・販売をして、小田原で暮らしています。

思い立ったら即決断、やると言ったらやる。そんな性格の石原さんは、たまたま小田原で物件を見て気に入り、翌日には移住を決め、横浜から嵐のようにやって来ました。インターネットで「旧三福」(詳しくは連載1本目の記事へ)を見つけ、個人事業主としてコワーキングの利用を開始してから、会社化して実店舗をオープンするまで2年弱と、とんとん拍子に進め、今に至ります。

「もっとみんな小田原に身軽に来て、出て行ったらいいんですよ」「地方移住って、響きが重くないですか?」取材中、そんな風に語っていた石原さん。ずっと小田原で暮らすつもりでやって来たのではなく、“なんとなく良さそう”という軽い気持ちでやって来たそうです。そんな石原さんにこそ、聞きたい。なぜ、このまちを選んだのですか?

石原大輔(いしはら・だいすけ)
1980年、京都府生まれ。すさび株式会社代表。会社のモットーは「日常に、ワクワクを」。一児の父。楽器屋店員、音響照明、政治家秘書、旅人、編集者を経て、2011年に東京でハンモックのインターネット通販サイト“自分の思うままにあそぶ”という意味の「すさび(遊び)」を始める。2014年4月に小田原へ。2014年12月に「旧三福」のコワーキングを利用し始め、2015年10月に実店舗をオープン。仲間2人とともに、日々“おもしろいこと”を展開している。

好奇心の赴くまま様々な仕事を体験

築60年のアパートをリノベーションした「旧三福」の2階、昭和が香る廊下の突き当たりに、ハンモック専門店「すさび」はあります。レトロなガラス扉を引くと、ハンモックがぶら下がり、ゆる~っとした空気が流れているので、思わず心もゆるみます。

アパートの1室を利用した店内。乗り心地を試すことができるハンモックがぶら下がる。会議の時は、写真のように楽しげにハンモックに揺られながら

店主は、子どものようにニカッと笑う表情が魅力的な石原大輔さん。プロフィールを読み、かなり気になった方も多いと思うのですが、このお店のオープンに辿りつくまでには、京都、大阪、東京、横浜などで業種の異なるさまざまな仕事を体験してきました。

昔は、音楽を結構本気でやっていて、ドラムを叩いていました。それで、楽器屋で働いてみたり、音響、照明の仕事をしてみたり。なんとなく政治にも興味もあったので、秘書をしてみましたが、毎日多くの人に会わなければならず、まったく合いませんでした(笑)

その後、出版の編集プロダクションで仕事をするも、社内の人間関係があまり良くなく、“ノーフューチャー”だなと感じ、「どうにかしないと」と雑誌を読んでいた石原さん。その時、目に留まった記事が「副業として個人で輸入して、インターネット通販で稼ごう!」という特集でした。

おもしろそうだなと思ってやってみたんです。1、2回やったら、これいけるなぁと思って、次の月に辞めました。

早っ。しかし、これぞ石原さんの行動力なのです。興味を持った世界には勢いよく飛び込み、興味がなくなったら次へ。そして、その通販への挑戦が、石原さんの小田原への道を切り開いていくことになります。

1軒家で家賃6万円に惹かれ、何の縁もない小田原へ

編集プロダクションを退社してからは、4ヶ月ほどは外注扱いで仕事をもらいつつ、アウトドア系のアイテムを中心に、興味がないものでも、売れそうなものは売り、通販を続けていました。けれど、興味がないものだと、どうしても知識が薄くなってしまい、お客さんに思うように説明もできない。何より自分がやっていて、楽しくない。そこで、ハンモックだけを扱うことにしました。

なんでハンモックに絞ったのかな? 後づけの理由になってしまうかもしれないですが、東京に住んでいて、電車に乗るのがものすごく嫌だったんです。通勤の時間なんて、みんな無表情で人を押しのけて進むし。その反動で、無意識にハンモックがいいな、と思ったのかもしれないですね。

オリジナルブランドの「Susabi」では、カラフルなものだけでなく、日本人好みの生成りなど、落ち着いた色合いのハンモックも用意している

こうして2011年にインターネット通販サイト「すさび」はオープンしました。その頃、現在のパートナー花梨さんに出会い、東京から横浜へ引越し、一緒に暮らし始めるのですが、1年ほどで、彼女から衝撃の内容を告げられます。

仕事を辞めて、農業をやりたいと言い出したんです。私はもう家賃は払えないと宣言されて(笑) 当時、東横線沿いで駅から徒歩2分くらいの場所に家を借りていたので、それなりに家賃が高かった。そんなに都会に住みたい訳でもなかったし、わざわざここに住む必要ないよね、という話になったんです。

とはいえ、引越し先については何も決めていなかったという石原さん。北海道が好きなので、北海道に行ってみようか。通販はどこでもできる仕事ではあるけれど、ときには東京へ行く用事もあるし、いきなり北海道はハードルが高すぎる。それなら、関東近郊に絞って相模原市の藤野地区、あるいは、神奈川県の海沿いはどうだろうか。最初は神奈川県の港町・大磯に住もうと考えたものの、探していた平屋の物件が見つからず、足を伸ばしてみたまちが小田原だったのです。

不動産屋に行ったら、家賃6万円の一軒家を紹介されて、安くない?と。彼女も喜んで、翌日には小田原へ引っ越すことを決めました。

何の縁もゆかりもなく、本当に無の状態で来たので、住んでみたら、何も思い入れがなかった分、意外といいところだったんだなぁと感じました。あっはっは!

コワーキング利用開始から1年10ヶ月で店舗をオープン

カメラマンの要望でハンモックに寝転ばされ、「斬新なインタビューだなぁ~」と言いながら話を続ける石原さん

2014年の4月、小田原へとやって来たものの、屋久島、北海道、東南アジアと旅三昧の日々。 けれど、半年ほどでふと我にかえり「マジメに働こう」と、インターネットで検索し、見つけた「旧三福」のコワーキングを借り、12月から本気で働き始めます。

僕は家で仕事ができないタイプなので、東京でもシェアオフィスを借りていたんですが、とにかく人がすごく多くて、あまり会話もなかった。でもここは人数が少ない分、みんなが知り合いで楽しめる雰囲気があって、良いですよね。オーナーの山居さんも、ノリが軽いし(笑)、僕には合っていたのかな。

2階のテナントへ引っ越すまで利用していた、1階のコワーキングスペース。エンジニア、デザイナー、作家などが利用している

コワーキングを利用しているうちに、徐々に知り合いも増え、お店のオープンに向けて一気に動き出したのは、翌年3月のこと。「旧三福」の2階に、築50年以上のアパートをリノベーションした「旧三福不動産」が誕生し、さらに、同じアパート内にテナント利用できる個室もできました。そこで、「ちょっと気合いを入れるか」と、物件を借りることに。さらに、「会社の方がやる気が出そう!」という理由で、個人事業主を卒業し、会社も設立しました。

店舗の内装工事は、「すさび」の新メンバーとして加わった野崎良太さんとほぼふたりで、セルフリノベーション。DIY初心者にも関わらず、壁と天井をハンマーなどでぶち抜いて室内を広く見せたり、壁紙をはがして塗料を塗ったりと、とても大胆に改装しました。

旧三福不動産ができる時、みんなでセルフリノベーションをする姿を見ていたので、なんとかなるかなって。ここにはいろんな人がいて、いろんなことをやっているから、自分もできるかも!と思いやすいですよね。

しかも、1階にリノベに強い「アールリフォーム工房」の事務所があるので、自分たちでは無理だなと思った部分はお願いもできる。環境がすごく整っていたんですよね。あと、あわよくば、みんなに手伝ってもらえるかも、というよこしまな気持ちも(笑) この発想になれたのは、小田原だからかもしれないですね。

身軽に来て、気軽に出ていけばいい。“もっと楽しく生きようゼ!”

奥は期待の大型新人・野崎良太さん。イギリス留学後、オーストラリアまで仕事を求めて漂い、帰国後に入社した。基本9時から18時勤務でうっかり“ずるずる”仕事をしがちな石原さんを置いて颯爽と帰る。二人ともお互いの勤務スタイルをまったく気にしない

話を聞いていると、とんとん拍子でお店オープンまで進めている石原さん。小田原に来た時には、こんな展開を想像していたのでしょうか?

旧三福に来た当初は、この仕事を辞めようかなと思ったこともあったんですよ。実は僕、物を売りたいと思ったこと、今まで1度もないんです。物を売ることが楽しいとも思わない。

“こういうのいいよね”というコンセプトが先にあって、合うものを売ればいいよね、というスタンスなんです。だから、極論を言ったら、ハンモックを絶対売りたいわけじゃない。もちろん、好きですけどね。

ではなぜ、石原さんはハンモック通販を続けるのでしょうか。

コンセプトと合致しているから。ざっくりと言うと“楽しく生きようゼ!”ということなんです。
東京にいる時、しんどそうに会社へ行く人がたくさんいました。そんなにしんどい仕事をしなくても、もっと楽しい仕事はあるだろうに。そういう思いが強いです。

会社のコンセプトは“楽しく生きようゼ!”。思わず、それは小田原なら叶いそうですか?と問いかけると、言おうかどうしようか迷った様子で、ちょっと間をおいて語り始めました。

正直言うと、僕、すごく小田原愛がある訳ではないんです。小田原は好きですよ。でも、地方移住についての記事とかを読んでいて、重いな、と思うんですよ。“まちにものすごく愛があって移住しました”とか、かっこいいんですけど、そこまでいらなくない?と。

100人来て100人が気に入る町なんて、この世に存在しないと思う。それだったら1000人来て、気に入った50人が残ればいい。たくさんの人が身軽に来て、気軽に出て行く。そういう出入りがいっぱいあれば、“あそこに行くとおもしろい人がいる!”と、自然と人が集まって、回っていくと思うんです。

石原さんは「小田原愛がある訳ではない」と言いますが、言葉の端々からは、このまちへの愛情をひしひしと感じます。ただ、ひょっとしたら、いつかどこか別のまちへ行ってしまうかもしれない。ある日、南米で暮らし始める、なんてこともあるかも?

けれど、誰にも「必ず」「永遠に」なんて、約束はできません。現時点で良いと思っているから、住んでいる。ちょっと違うな、と思ったら別のまちへ行けばいい。少なくとも小田原のまちには、そんな気軽さを受け入れてくれる土壌があるのだと感じました。

最後に、石原さんのこれからについてうかがいました。

会社をもっと大きくしたいです。会社を大きくしておもしろい人を雇ったら、もっとおもしろいことができるんじゃないかと思って。おもしろい人が増えると、小田原に来たいと思う人も増えると思うし。

“おもしろい”と感じることが何かは、人によって違うと思うんですけれど、毎日、いやだなと思いながら行く職場より、あれをやってやろう、これもやってやろうと仲間と考えて過ごした方が楽しいじゃないですか。そっちの方が生きてるなぁ!って。だって、人生、楽しんだもん勝ちじゃないですか?

都会を出たい。けれど、どこへ行けば良いかわからない。そう感じている人は多いのではないでしょうか?「とりあえず、週末だけ小田原に来て、気になる人に会う。それだけでもわかること、得ることがあると思いますよ」とも語っていた石原さん。気になるお店やイベントをチェックして、まずは一度、小田原に遊びに行ってみてはいかがでしょうか?

(Photo by Photo Office Wacca: Kouki Otsuka)

上浦未来(かみうら・みく)

上浦未来(かみうら・みく)

フリーライター。1984年愛知県瀬戸市生まれ。神奈川県の大磯町で開かれている「大磯市」の取材をきっかけに、2015年に東京の根津から大磯へ。旅もの、体験ルポ、人物インタビューなど、雑誌からウェブ媒体まで幅広く記事を書いています。