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「前科持ちも出所者も、すべてを包み込むから餃子やねん」出所者のセカンドチャンスを応援する居酒屋「新宿駆け込み餃子」

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この記事は、「グリーンズ編集学校」の卒業生が作成した卒業作品です。編集学校は、グリーンズ的な記事の書き方を身につけたい、編集者・ライターとして次のステージに進みたいという方向けに、不定期で開催しています。

「今の世の中、一度失敗したら二度とチャンスなんて掴めないんじゃないか…」そんな不安を感じている方も、少なくないかもしれません。

新卒で就職できなかったら。転職に失敗したら。些細なことで、すべてを失ってしまったら…。”再挑戦”する人にとって、日本はやさしい国であると心から言えるでしょうか。

特に、一度刑務所に入ったことのある出所者の再挑戦は、非常に難しいのが現実です。「出所者」と聞くだけで生まれる、「身に危険が及ぶのでは」という恐怖心や、「金銭を盗まれるのでは」という猜疑心。そういった社会の偏見が大きな壁となり、企業側はその雇用に積極的に乗り出せずにいます。

再就職が叶わず、どうしようもなくなって再び犯罪に手を染めてしまう、そんな「再犯者」の割合は年々上昇を続け、平成24年には45%に。出所後無職だったケースでは、実に約60〜80%に上るそうです(「平成25年版犯罪白書のあらまし」より)。

そんな現状に風穴をあけるべく誕生した居酒屋が、新宿・歌舞伎町にある「新宿駆け込み餃子歌舞伎町店」です。いかにも日本一の歓楽街という様相を呈するこの場所から、多くの再チャレンジが生まれつつあります。

今回は、「新宿駆け込み餃子」をプロデュースした「一般社団法人再チャレンジ支援機構」の理事であり、「公益社団法人日本駆け込み寺」の創設者でもある玄秀盛さんに、セカンドチャンスを応援するために大切なことについて、お話を伺いました。
 
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玄秀盛さん
公益社団法人日本駆け込み寺代表。1956 年、大阪市西成区生まれ。中学卒業後から様々な職業を経験し、後に10 社あまりを起業。2000 年の献血の際、白血病を引き起こすウイルス保菌者であることが判明したのを機にそれまでの人生と決別し、2002 年 5 月NPO法人日本ソーシャル・マイノリティ協会を設立。2011 年 7 月には一般社団法人日本駆け込み寺を設立し(2012 年 11 月に公益社団法人格取得)、DV、金銭トラブル、ひきこもり等、悩み苦しむ人々は誰でも受け入れるという姿勢のもと活動を続けている。2014 年 4 月には一般社団法人再チャレンジ支援機構(代表理事 堀田力氏)を設立、刑務所出所者等の支援を行っている。

「新宿駆け込み餃子」ってどんな店?

JR新宿駅東口から徒歩5分。眩しく輝くネオンサイン、人々の熱気と喧騒に包まれる街、新宿・歌舞伎町の真ん中に、「新宿駆け込み餃子歌舞伎町店」はあります。

人気メニューはニンニクやニラを一切使わない肉汁たっぷりの餃子、そして特選馬刺し、おでんなど。名物ドリンクの梅干し入ハイボール『ファイヤーボール』も人気です。
 
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江戸時代の火消し隊をイメージして作られた店内には、いたるところに提灯や纏(まとい)が掲げられており、賑やかで活気ある雰囲気を作り出しています。

昔は火事が起こると、火を止めるというよりも、周りを全部つぶして延焼を止めるのが火消しの役割やったんや。周りの家がつぶれた後、また最初っから再生させる。それが出所者支援とちょっと似てるやろ?

と、玄さん。

「出所者という、どこか暗いイメージを変えたかった」と話す玄さんの言葉通り、店内は餃子から立ち上る湯気とスタッフの威勢の良い掛け声、そしてお客さんの弾けるような笑い声に包まれています。
 
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火事の際に風下の家の屋根で振り回される纏は、火消し仲間の士気を鼓舞する大切な火消し道具

注目すべきは店内の壁にずらりと並べられた名前入りの木札です。駆け込み餃子を通じた再チャレンジに賛同する人が、1万円~5万円の木札を購入すると、名前入りの木札を掲げることができるという仕組みで、中には故・菅原文太さんの名前も!

そこで集められたお金は、再チャレンジに挑戦する当事者の方の研修費や社会復帰のための支援などにあてられ、今までに15人の出所者の方がここを巣立って行きました。
 
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ところ狭しと並ぶ木札の中には、著名人の名前も見られます

「駆け込み寺」設立から「出所者支援居酒屋」開店まで

新宿駆け込み餃子を仕掛ける玄秀盛さんは、大阪・西成区で生まれ。親の離婚などもあり、「4人の母」と「4人の父」のもとを転々として育ちました。

突然殴りかかってくる父親から身を守るためにどうすればいいか。新しい母親にひどい扱いを受けないためにどうするか。今日一日を食いっぱぐれのないようにするためには…幼い頃から、「生きるために常に先のことを考えていた」という玄さん。

中学卒業後は、すし職人やトラック運転手、キャバレーの店長など、28の業種に及ぶ仕事を経験したのち、建設、不動産、金融業など10社あまりを起業。ご自身も「あの頃は、一日中金儲けのことしか考えてへんかったから」というほど、お金一筋の人生を送っていました。

転機が訪れたのは2000年、玄さんが44歳だったとき。ふと献血に行ってみると、白血病を引き起こすウイルス保菌者であることが判明したのです。

そこで初めて「死」の恐怖を前にした玄さんは、次第に、それまでの人生に別れを告げ、同じように死に直面している人、人生に苦しんでいる人のために身を捧げたいと思うようになりました。

その後2002年に、公益社団法人日本駆け込み寺の前身である「新宿救護センター」を開設。「たったひとりのあなたを救う」というスローガンを掲げ、日本一の繁華街・歌舞伎町で、DV被害や金銭トラブル、自殺願望やストーカー被害など、様々な問題を抱えた人たちの「駆け込み寺」となる相談活動を始めました。
 
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夜回りでの相談活動の様子

設立当初は、女性と若年層からの相談に特化していた玄さん。それは「歌舞伎町という町が、女性と若者をいわゆる「食いもの」として泣かせている場所だったから」といいます。被害者の女性が駆け込んでくるたび、加害者の男性のところへ出かけて行き、一緒に問題を解決していく毎日。

そんな日々の中で玄さんは、ひとつのことに気づきます。それは、加害者の男性に「前科持ち」、いわゆる出所者の割合が多いことでした。

そいつらが「刑務所に入ってた、だから仕事にありつかれへん、だからどうしても女を食いもんにせざるをえない」と言うわけや。で、俺が「それやったらあかん」言うて仕事を世話する。

でも世話するいうても、受け入れてくれる先は肉体労働か単純労働しかない。サービス業は無理や。芸能職も無理や。まず都会で働くことが無理や。出所者が働くいうのは、それくらい厳しいんやで。世間は前科者に対して、差別もあれば偏見もあるからな。

なんとか肉体労働で働くことができても、現場の多くは地方。すると、たまに貯めたお金を持って歓楽街に出てきたとき、玄さんいわく「パーンとはじけてしまって、ワルの誘いにのってしまう」のだそう。

なんでやねんていうたときに、「寂しかった、孤独だった、疎外感があった」言うねん。前科者だということは新しい職場では伏せなあかん。でもどっかでばれる。そしたら白い目で見られる。だから人とコミュニケーションとらなくなって孤独になる、と。

それやったらあかんやないかと思っとった。俺は被害者を救うことが使命やのに、加害者を減らさんと被害者が増えるばっかりやんか。なんとかできへんかと思い始めたわけや。

被害者を救うために、加害者をなくさないといけなかった。

その後、男性の相談にも応じるようになると、玄さんは相談者の中の実に3割ほどが出所者であることを知ります。このままでは加害者が加害者であり続け、自分が本当に救うべき被害者が減ることはない。

この状況をなんとか変えなければいけない。そんな思いに駆られ続けた玄さんは、2014年、「一般社団法人再チャレンジ支援機構」を創設し、本格的に出所者支援への道を歩み始めました。

出所者には働く場所が必要やから、居酒屋のプロジェクトをしようとなった。

居酒屋はオーダーを取ったり商品を運んだり、お客さまと直にふれあう仕事。人間関係が分断された刑務所から「普通」の社会に慣れていくための、いいトレーニングの場になると思って、歌舞伎町にある50店舗以上の居酒屋に、協力してくれませんか、と声かけたわけや。

お宅がパートで扱うレベルで結構ですから、まず働かせてください。その間うちがちゃんと生活面の面倒見るし、安全対策も全部やります。ただ、給料はちゃんとあげてください、てな。

しかし、すべての店舗からあった返事は「NG」。「お客とトラブルがあったらどうする」「雇ってお礼まわり来たらどうする」「会社の株主にどうやって言い訳する」…それくらい前科者を雇うことは、企業にとって大きな壁だったのです。

そんな中でも、「生活面はすべて俺が責任を持って世話をする、だからまずは働かせてほしい、働くチャンスをあげてほしい」そんな説得を続けた結果、共感した一社からようやくOKの返事をいただくことができました。そして2015年4月末、「新宿駆け込み餃子 歌舞伎町店」オープンへとつながっていきます。
 
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新宿駆け込み餃子歌舞伎町店、オープン当初の打ち合わせの様子

お店は「自立」を促す場所。

オープンから約一年。現在では従業員約20人のうち3、4人の出所者が、3ヶ月〜6ヶ月の期間、有給のパートスタッフとして働いています。そこでは他のスタッフと協力しながら働くことで、自分への自信を取り戻す場ともなっているようです。

一方、他のスタッフやお客様側も、居酒屋という経済活動を通じて出所者スタッフと接することで、「出所者」という色眼鏡を通してではなく、純粋に「一人の頑張っている人間」として彼らを認識し直していく。そんな両者の変化を狙っています。

店で働くのは3ヶ月から最長6ヶ月。自立を促すんやから、どんどん卒業させて、普通の社会に戻っていかせなあかん。ここは最初の「きっかけ」にすぎないんやから。

どんどん卒業させる。一見厳しいやり方の様にも見えますが、そこには、すべてをサポートするのではなく、自分の力で立ち上がる力をつけてほしいという、獅子の子育てのような力強い愛情が隠されています。

実際にこの8ヶ月ほどで、15人の方が駆け込み餃子でのトレーニングを終えていました。卒業後は、タクシーの運転手になった方や、調理師を目指し始めた方、自信をつけて故郷に戻られた方など、社会復帰に成功している方が多くいます。

しかし、すべての方が無事に再挑戦を果たせたかというと、そうではないと玄さんは言います。

結局また刑務所に戻ったやつもいます。そりゃ当たり前や。10人が10人うまくいくことないねん。10人のうち、うまくいくのは3人4人でも全然ええねん。それくらい難しいことなんやから。

仮に、10人のうち7人がだめやった、社会に飛び込めなかったとするやん。でもこの7人が、「もう一回頑張ろう」て、「もっぺん悔い改めよう」て来たら、俺、何遍でも受け入れるよ。

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「来るもの拒まず、去る者追わずやで」と言い切る玄さんのもとには、卒業後に刑務所に戻ってしまった方から、「今度こそやり直します」という旨の手紙が、たびたび送られてくるそうです。

「今度こそ、もう一度」という、刑務所の中から届く想い。玄さんが何度でも再挑戦を認めているからこそ、その手紙が届き続けるように、人は受け入れられると分かっているからこそ再び立ち上がる気持ちが持てるのかもしれません。

みんな前科者に対して、差別や偏見がある。世の中は、「前科者」で一括りにしてしまうけど、前科者いうても幅が広い。例えば、車乗ってて人が飛び出して来てハネてしまって、その人が死んだとする。もうそれだけで「人を殺した前科者」や。

そうなってしまったら、今の世の中、その後のチャンスはゼロやねん。だからそういう人にもう一度、チャンスをあげてほしいねん。とにかく3日でも働かせてみてくださいよ、と。頑張ってる人間なんやと分かるから。

セカンドチャンスもサードチャンスもある世の中を目指す。

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昨年のオープン以来、お店の評判は高く、客足も絶えることがない新宿駆け込み餃子。お店や玄さんの取り組みがメディアで紹介されるなど、出所者の現実を知る機会が増えていくことで、「出所者を雇うこと」に対して消極的だった社会も、少しずつ変化していくかもしれません。

セカンドチャンスがある世の中を、目指してる。出所者に関わらず、いじめとか、不登校とかも同じ。

今の日本の社会は、いったん線路から外れたら二度とそこへは戻られへん。でも世の中が変われば、世の中にセカンドチャンスもサードチャンスもあれば、「もう一度やれるんや」、「人生捨てたもんやない」て、思えるやん。

そんな世の中、バラ色ちゃう?

ふと最後に、なぜ居酒屋のメインが「餃子」だったのかを尋ねてみると、玄さんは「餃子はすべてを包み込むやろ? だから餃子やねん」と笑って答えてくれました。

失敗しても何度でもやり直せる。やり直していいんだよと全力で言ってくれる。「駆け込み餃子」の取り組みは、そんな社会を私たちのもとにグッと引き寄せようとしてくれています。

次の食卓に餃子が並んだら、ぜひ想像してみてください。誰をも受け入れ包み込んでくれる、そんな社会のかたちを。

(Text:中原デュイ加晴)
 
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中原デュイ加晴
1987年鹿児島県出身。学生時代に雑誌『ビッグイシュー日本版』のことを知り、人生の敗者復活戦に挑む人々の姿に衝撃を受ける。伝えたいことは、だれもが再挑戦できる世の中をつくろうとする、そんな人たちの想い。