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「違い」よりも「同じ」に目を向けると見えてくる悩みとは。ハーフの、ハーフによる、すべての人のための映画『ハーフ』

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現在、日本で急速に増えているという国際結婚や「ハーフ」たち。

その「ハーフ」たちの生活と証言を記録した映画『ハーフ』は、時に外国人と見られ、時に日本人とみられる「ハーフ」たちを通して、逆に私たち自身の日本人観や社会との関係性を考える機会を与えてくれます。

日本に暮らすあらゆる人がこの映画をどう見るのか非常に興味がわく、そんな映画です。(12/3(水)開催のリトルトーキョー・シアターでも上映します!)

この映画は2人のハーフの女性監督が、4人のハーフと国際結婚した1家族の日々をフィルムに収めた作品です。

その中のひとり、デイビッドさんはガーナ人の母親と日本人の父親の間に生まれました。彼は両親が離婚し母がガーナに帰国すると、二人の兄弟とともに養護施設で暮らすようになります。
 
映画『ハーフ』 デイビッド
デイビッドさん

そんななかある人の言葉をきっかけにガーナに行ったデイビッドさんは、そこで「自分は日本人だ」と感じるようになります。同時に「ガーナのために何かしたい!」とガーナの人たちのための活動を始めるのです。

一方ソフィアさんは、オーストラリアで生まれ育ったハーフで、自分のルーツを知るために日本で暮らすことに決めます。オーストラリアでハーフとして育ち、日本語もほとんど喋れない彼女は日本の文化をどう受け止めるのでしょうか。
 
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ソフィアさん

日本で育ったベネズエラ国籍のエドワードは、アメリカの大学を卒業した後、日本に戻り、そこでハーフの人たちやその家族が交流する場「ミックスルーツ関西」を始めます。その「ミックスルーツ関西」の仲間のふさえさんは、韓国と日本のハーフ。子供のころは韓国人であることを隠されていたといいます。
 
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エドワードさん

大井家は日本人とメキシコ人の夫婦と2人の子どもの4人家族、日本の学校に通う息子へのいじめに悩み、インターナショナルスクールへの転校を考えます。
 
映画『ハーフ』 大井家
大井家

彼らの話を聞いてまず感じるのは、彼らが感じる「疎外感」の大きさです。

日本社会において、見た目が少し違ったり、日本語が不得意だというだけで、その社会の一員とは認めてもらえないという疎外感。それは時にいじめにつながり、差別されているという感覚につながり、日本を嫌いになる原因にもなってしまいます。

私は東京で暮らしていると、「多様なバックグラウンドを持つ人が増えている」と強く感じます。そう感じるのは、見た目がいわゆる欧米人の人たちを見たときや、アジア人でも中国語や韓国語で話している人を見たときです。

それはつまり、私もまたそのように外見や言葉によって日本人と外国人を区別し、外国人を「他者」として認識しているということ。日本で生まれ育ち大人になると、そのような思考回路をいつの間にか持つようになってしまうのかもしれません。

その事自体は悪いことではないと思うのですが、それが「差別」につながってしまわないようにするにはどうしたらいいのか。自分自身は差別していないつもりでも、彼らが証言しているように現実に差別は存在し、子どもの間ではいじめが起こっている状況をどうすればいいのか。
 
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この映画はそのような課題を私たちに突きつけます。それは何とかしなければならない問題に違いありません。

その問題の一つの鍵は「集団」にあるように思えます。個人のレベルではハーフであろうと在日外国人であろうと、その文化的な差異を乗り越えて人と人という形で普通に平等に付き合えるはずなのに。例えば学校という集団になると「異物」を疎外してしまうという構造は何なのでしょうか。

学校でそのようなことが原因を意識しないままに起きてしまうのなら、社会というより大きな集団で同じように「疎外」が生じ、それが「差別」へと発展してしまうのことは想像に難くありません。
 

監督の西倉めぐみさんと高木ララさん

そう考えると、個人のレベルでは「差異」でしかなかったものが集団になると「区別」になってしまう、その仕組みを何とかしないと、そもそも問題の在処がわからないということになってしまいます。

映画の中で、ふさえさんが「キムチやビビンパはみんな普通に食べているもんだと思っていた」と話をするシーンがあります。このシーンを見て思ったのは、誰しもそういう経験はあるということです。

たとえば、子供の頃おやつに何を食べていたか、そのことを話しあうだけで実は「普通ではなかった」と気づくことがあったりします。

それは、私たちのそれぞれが当たり前に思っていることが、必ずしも多数にとっての当たり前ではないということを示唆しています。それは「差異」です。

そのような差異はどのような人の間にも存在しますが、それが一対多の関係になったり、目に見えて明らかなものであったりしたとき、それが「区別」や「差別」を生むのかもしれません。この映画は「ハーフ」についてそのことに気づかせてくれます。

ここでは、一番大きな問題に見える「差別」がなぜ生じるのかということを単純化して語ってきましたが、これでは全くこの映画を捉えられていないようにも(自分で書きながら)思います。

問題を理解するために単純化することで、こぼれ落ちてしまうものがあまりに多い、そのようにも感じるのです。それだけ、彼らが抱える問題は複雑で、人それぞれで、一元的に語ることは困難なのです。

しかし、それは私たちも同じなのではないでしょうか、人それぞれは違って当たり前で、「日本人」とレッテルを貼っても一元的に語ることは困難です。そう考えると「日本人」も「ハーフ」も同じだといえる、とは言いません。

でも、そのようにして「違う」部分よりも「同じ」部分に目を向けていくことで、彼らがどのような問題を抱え、何に悩んでいるのか、想像しやすくなる、そんな気がしたのです。

そんなことを、僕は感じました。

これまで問題であることすら気づかれていなかったことも多いと思われる「ハーフ」をめぐる問題、あなたも映画を観て考えてみてはいかがでしょうか。
 

– INFORMATION –

 
『ハーフ』
http://hafufilm.com/
2013年/日本/87分
監督・プロデューサー・撮影:西倉めぐみ、高木ララ

– INFORMATION –

 
「リトルトーキョー・シアター」
【日時】
2014年12月3日(水)19:30~22:00(19:00開場)

【内容】
・ミニ太陽光発電システムのバッテリー+普通のプロジェクターを使用して、映画『ハーフ』(87分)の上映
・参加者によるシネマダイアローグ

【定員】
先着15名

【参加費】
参加費500円+1ドリンク500円=1,000円
※ 2杯目からはキャッシュオンで注文いただけます。

【参加方法】
こちらのページから