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映画といえば、見て楽しむもの。
では、目が不自由な方はどのように映画を楽しむのでしょう。
私たちはスクリーンを見ながら、そこで交わされる会話以外からも、たくさんの情報を得ています。例えば、目を見開き大きく息を呑む姿から「心臓が止まりそうなくらいびっくりしたんだ」とか、急に雲行きが怪しく変わる空に「これからよからぬことが起きそう」とか、あれこれ想像をめぐらせます。
そのような情景や表情の変化といった様々な情報を、視覚障害の人たちに短い言葉で伝えるのが「音声解説」です。
今回は「誰でもいつでもどこでも、映画を楽しめる社会をつくりたい」という思いで、映画音声解説者として活動する松田高加子さんに、音声解説から考える住みよい社会について、お話を伺いました。
2001年11月、バリアフリー映画鑑賞推進団体「シティライツ」に参加。 2005年に仕事として音声解説制作の請負いをスタート。音声解説を通して映画を好きになる人を増やしたい!と、「虹とねいろプロジェクト」屋号でNPO法人シブヤ大学にて授業やゼミを開催。視覚の違いを楽しみ、共有する体験型ワークショップや講座も開催している。
音声解説って?
改めて音声解説とは、映画のセリフとセリフの合間に入る場面を説明するナレーションのことです。
例えば、会話のないシーンなど、画面が見えなければ何が起きているかわからないときに、「小さくうなずき、笑顔を返す花子」といった解説を加えることで、目の見えない人も内容をイメージしやすくなります。
とはいえ音声解説をするときには、セリフや重要な効果音と重ならないように、限られてた時間の中で表現するのが難しいところ。
例えば2秒しか尺(時間)がなければ、そこに入れる言葉は15~18音程度。「病室 佐藤が入ってくる(15音)」 という感じで、「いつ」「どこで」「だれが」「なにをしたのか」という必要な情報を的確に伝えるのです。
日本では、1999年『グリーンマイル』のDVDが初の音声解説付きの作品です。映画館で音声解説付きで公開されたのは2001年、シャンテシネ(現TOHOシネマズシャンテ)での韓国映画『ラスト・プレゼント』が最初でした。
私たちは観たい映画を自由に選ぶことができますが、視覚障害の人たちは音声解説付きで上映されている映画館でなければ、映画を十分に楽しむことができないのです。
何かをしてあげる、のではなく、一緒に楽しむ
音声解説の制作について学ぶには、行政主催の講座やボランティアグループの音声ガイド制作に参加する、といった方法があります。ただし、日本の音声解説の歴史は10数年とまだ普及の途上で、仕事として映画の音声解説者をしているのは10名ほど。もっと普及していくために活動をしているのが松田さんです。
シブヤ大学での「映画音声解説ゼミ」より。
松田さんが音声解説と出会ったのは、大学を卒業して就職したものの、何かもやもや感じていた頃でした。「これではいけない」と一念発起し、大好きな映画の字幕翻訳家になろうと学校に通い始めるものの、本当にこの仕事がしたいのかと疑問を抱くように。そこで、自分がやりたいことは何か、と再び考え直します。
「いつか、しよう」と思っても、その「いつか」はやらないと来ないということに気づいたんです。そこで、「今、自分は何を(やりたいと)気にしているのだろう」と書き出してみたら、その中に「視覚障害」とあったんですね。
実は松田さんには、耳の聞こえない幼なじみがいました。しかし小学生になると、聾学校に通い始めた彼女と離ればなれに。障害があっても子どもの頃は気にせず一緒に遊んでいたのに、それがいつしか別々の社会で生きるようになってしまうのはなぜだろう、そんな思いがずっとあったそうです。
そしてもうひとつ、大学時代に出会った全盲の英語の先生の存在もありました。
授業の初めに、「あじさいがきれいに咲いていますね」とわざと言うのです。そして、必ず「視覚障害について疑問があったら何でも聞いて下さい。私は失礼だと思ったり、怒ったりしません。いいチャンスだと思って聞きに来てください」と。
とても気になるのだけど聞きに行けないまま卒業して、なぜあの人は「あじさいがきれいだ」と言えたのか、ずっと「視覚障害」というキーワードが頭に残っていたのですよね。
こうして、気になるいくつかのワードをかけて検索しているうちに、目の不自由な人と一緒に映画鑑賞を楽しむための環境づくりをしているボランティア団体「シティライツ」と出会います。
英語が分からないから日本語字幕をつけるのと、映像が見えていない人に言葉で説明するというのは似たようなことなのではないか、と思ったのです。
でもボランティアは恥ずかしいし、ださいと思っていたから最初は迷いました。でも「やらないと機会はやってこないぞ、行って嫌だったら即やめるでもいいんじゃないか」って。
2014年6月に開催された「第7回City Lights映画祭」のポスター
そう自分に言い聞かせて2001年にシティライツに参加。そこで、初めて視覚障害者とペアになり新宿駅で待ち合わせて映画館に行きました。
そのときペアになったのが、15年前に目が見えなくなった女性でした。「映画が大好きだったのだけど、15年間あきらめていたから今日は本当にうれしい」と。
ただ、そのときはハプニングがあって、結局解説を聞かせることができず謝っていると、彼女は「いいのよ、初めの一歩なのだから。私はとにかくこうやって一緒に観ようと思ってくれる人がいることが今日、すごくうれしい」と言われたのです。
一緒に観て、とても楽しかったし、「これは視覚障害の人に何かしてあげるというのではなく、恥ずかしいことでもない」と積極的に参加するようになりました。
とはいえ、基本的には映画公開後の情報しか手に入らず、映写室から実況中継するような形で音声解説をつけるのはそれなりにスキルが必要です。松田さんが始めた頃も2人しか音声解説者は存在しませんでした。
「もっと気軽に、誰もが映画を楽しめる環境にしていかなくては」と決意したと同時に、音声解説者が字幕翻訳者のように、ひとつの職業として成り立つべきだとも思うように。
その思いが実り、少しずつ音声解説の仕事がくるようになった松田さんですが、仕事について人に話すと周りの反応は、「いいことをしているね」という感じでした。
障害者だけが集まって何かしても、あまり変化を及ぼすことはできません。
もっと「視覚障害者に音声解説って必要だよね」とみんなが思うようになるには、社会に障害者が混ざるということが一番早いのではないでしょうか。
視覚障害者と晴眼者が一緒に楽しめるイベントでは、「活動を通じて、障害への理解を深め、共存する社会を」といったことを謳われることが多いですが、松田さんの場合は明確に「音声解説を普及させるため」にイベントを開催しています。
イベントの様子
視覚障害の人と遊んでいると、たまにうらやましく思うこともあるんです。視覚に邪魔されていないということが。視覚障害者が晴眼者と同じようなことができるように、健常者に近づけてあげようとするのって、余計なお世話かもしれない。
この人があるがままで安心して楽しめる環境をつくる方がいいのではないか、むしろみんなも視覚を閉ざしてみたらいいのではないか、と思ったのです。
この気付きから松田さんは、映画だけでなく料理やストレッチ、吟行(俳句を詠む)などをテーマに、視覚障害者とアイマスクをした晴眼者が一緒に行う「見ないで遊ぶワークショップ」を始めます。
「情けは人のためならず」ということわざが「情けはその人にかけてあげれば自分に必ず返ってくる」という意味だと知ったときに、まさに視覚障害が社会に混ざっていくことは、その人のためだけではなくて、社会全体のためになることだと思いました。
映画をツールとして、一緒に視覚障害の人と観て感想を共有したり、そうして輪が広がっていくのはとても平和的だし、自然に友達になれるでしょ。
これを起点に、混ざるということや、もっとみんなが視覚障害のことを知ってみようとか、友達になりたいなって思えるような社会になったらいいな、と思っています。これって、超野望かな(笑)
松田さんの言葉の背景には、社会を変えたいという強い思いが伝わってきます。「その使命感ってどこから来るのですか」と尋ねてみると、意外な答えが返ってきました。
めんどくさいのがやなのね、私。
音声解説をつくるのは楽しくて仕方ないですが、つくればつくるほど、私がつくっていいのだろうか、というジレンマもあったります。
そういう音声解説を仕事にしていることについても、「心洗われる」とか言われるのはめんどくさくて。音声解説をやっていると言ったら「そうなんだ」とふつうに言われる世の中になりたいの。
あと、駅で視覚障害の人が困っている人を見かけても、急いでそのまま行ってしまったときに罪悪感があるのです。やっぱり手を貸しておけばよかったな、と。
けれども社会がもう少し混ざっていれば、私が急いでいても、他の人が声をかけるかもと思えるし、そんな罪悪感を感じることもめんどくさいの。
イベントには、盲導犬と一緒に参加される方も。
音声解説を通じて見えてきた、今までとこれから
「めんどくさい」という独特な表現を使いながらも、本当にめんどくさいことがいやであればやらないであろう新しいことにも取り組み、日々、歩み続けている松田さん。音声解説を始めて13年になりますが、「社会は相当変わってきた」と感じているようです。
何の根拠もないんだけど、もう何年かしたら、「障害のある友達がいる人がかっこいい」ってなるんじゃないかなって思っているの。例えば、DJの友達だったり、ファッションデザイナーの友達がいる、そういう感じで。
2020年には東京でオリンピックがあるけど、パラリンピックってすごいかっこいいじゃない。障害者ががんばってる、ということだけではないところに行き始めるのかなと思っていて。
チェアスキーも、やろうと思えば健常者でもできるじゃない。そうすれば、俺もあれをやってみたいと思う人が出てくるんじゃないかなと思うのだよね。欠けてるからこその欠けてなさ。
映画が好きな人、スポーツを楽しむ人、楽器を演奏する人、グルメな人…。障害があってもなくても同じ人間。何かをしてあげる、ではなく、好きなことを一緒に楽しむ。そこからうまれる想像力が、社会を変える一歩なのかもしれません。
自分にとっても誰にとっても暮らしやすい社会。
自分の好きなことから考えてみませんか。
(Text: 高梨美奈)