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型も常識もうちやぶる!斬新なデザインで、京都と有田の伝統技術をつなぐ”読む器”ブランド「sione」

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「sione」の器

伝統文化・芸能の世界においても広がりつつある女性の社会進出と躍進。その動きは、先進国の中でも特に遅れていると言われる日本でさえ、企業のみならず、行政の施設、公共の交通機関などあらゆる方面で顕在化してきています。

そんな世の風潮にあって、女性であるが故に家業を継ぐことが許されない仕事、というのが未だに存在するのをみなさんはご存知でしょうか。


今回ご紹介する「sione」のデザイナー河原尚子さんも、そのことに悩んだひとりでした。

「sione」の器の魅力は、ひとつの小説を読み終えた後に感じる余韻のような、日常を非日常へ切り替えるものがたりがあること。

「茶の湯をはじめとした日本の伝統文化、そのこころの意味を問い直し、ものがたりのある「かたち」として器にこめています」と自身のブランドについて語る河原さんは、シーズン毎に物語を紡ぎ続ける「sione」のシナリオライターとも言えます。
 
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読む器「sione」第三章「森ヲ継グモノ〜きのこと虫のモノガタリ〜」

女性は代を継ぐことができない…京都を離れて佐賀県武雄へ

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sioneのデザイナー河原尚子さん

河原さんの家は、代々続く焼き物の名家。しかしそうであるが故に、望もうと決して許されない暗黙のルールがありました。それは「女性は代を継ぐことができない」ということ。とてもシンプルで残酷な、本来は何の拘束力もないはずのしきたり。

大学卒業を控え、違和感を憶えつつも、「そういうもの」として受け入れざるを得なかった河原さんは、しかしそこで挫折することなく生まれ育った京都を離れ、単身で佐賀県武雄へと卒業後の進路を切りました。

河原さんが師事したのは陶芸とは近くて遠い、仏画の陶板画家。半ば押し掛け・・・状態で師匠のもとに転がり込みました。何の縁あってか、たどりついたその工房では、陶芸の絵付けにおいてはタブーとされている、釉薬を使って何度も絵付けを重ねることの研究の上で、制作がおこなわれていたのです。

河原さんの実家の真葛焼は、さまざまな京焼の技法を用いています。その一つの交趾(こうち)といわれる、友禅染の糊置きのように塗った色が混ざらないように、土手を作って絵付けをしていく技法を用いたりもしましたが、こちらは同じ釉薬を塗り重ねる技法でその回数も2~3回です。

「10回以上も別の釉薬を塗り重ねる」という陶板画の技法はのはその職人技だけでなく、一度で色を出す事を大切にしている京焼の上絵技術を否定しかねないこと。

無意識にタブーとして受け入れてしまっていた河原さんは、陶板画の世界において師匠が何のためらいもなく塗り重ね、何度も焼きを繰り返すことに大きなカルチャーショックを受けたといいます。
 
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陶板画/ mirage moment

特定の業界においてはタブーとされていることが、すぐ隣の別の業界においては何のためらいもなく行われている。そういうことって、実はよくありますよね。難解な数学を物理学が紐解いたりすることがあるように、時には隣の世界をのぞいてみることが革新を促してくれる。そんなことが古くから繰り返されてきたのもまた事実。

河原さんが足を踏み入れた陶板画の世界は、幼少の頃から横目で見続け慣れ親しんだ、陶芸・焼き物の世界の常識を別の様式でもって打ち破り、これもまた存在していい世界なんだよと教えてくれたわけです。この鮮烈な経験が、以降の河原さんの常識に縛られない自由な発想による創作活動の「型」となります。

京都と武雄・有田をつないで生まれた、河原さんにしかできない器

一方で、常に前向きで情熱的な河原さんが来たこともあってか、陶板画の師匠の工房もどんどん活気付き、仕事の幅が広がっていくことになります。師匠がこれからもずっとこの工房で働いて欲しいと願うことは当然のことですが、しかし、河原さんは京都に戻る決意を固めます。

ここで学んだこと、得ることのできた経験をもとに、わたしにしかできないことがある。それを試してみたい!

「京都にただ戻るだけではなく、佐賀と京都のものづくりをつなげながら、これからの世の中のためになる創作に取り組むなら」と、陶板画の師匠から許しを得た河原さんは、京都に戻った後、会社員としてデザインやネットショップの運営を経験しながら、自身のシグニチャーブランドとなる「sione」の立ち上げ準備を進めます。
 
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「sione」の製造に携わる佐賀有田「フジマキ製陶」の工房風景

時には京都から佐賀県の有田まで一言を伝えるためだけに電車にとびのり、何度も何度も職人と試行錯誤を繰り返すことも。最後に勤めた会社を退職して半年ほどが経った頃に、ようやく「sione」が産声をあげることになりました。

型による素焼き、施釉、本焼までの行程を有田でおこない、京都のスタジオで上絵焼成して仕上げる。実家の真葛焼はもちろん、京焼・清水焼とも全く違う形式や様式にとらわれずに、金彩のみで描かれる「sione」の世界。師匠の言葉通り、京都と有田をつないでつくりあげた河原さんにしかできない、新たなブランドの誕生です。

京友禅と器が出会った

型と常識にから解き放たれた河原さんは、「sione」のブランド立ち上げの後、器の絵付けという限られたデザインの枠にとどまることなく、活動の幅を広げていきます。そんなある日の事、また別の型にはまった伝統工芸の世界に出会うことになります。京都ならではとも言える「京友禅」の世界です。

和装が洋装に取って代わられる中、産業として衰退し、仕事が減り続ける一方の京友禅の現状を染めの職人から聞くにあたり、陶芸という同じような境遇で日々悪戦苦闘する河原さんの胸の中に火が灯ります。

この友禅職人さんの置かれている状況に対し、何か力になれることはないか。

メラメラと意欲が沸き立つ中、ふと目の前に何気なく置かれた布切れを目にします。

それは、京友禅の染の行程に際し、筆を走らせる前に色味を確認するために、無数の点が描かれた友禅染の試験布でした。これが、河原さんがデザインすることになる新たなブランド「I am your Yuzen」の誕生の瞬間です。
 
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I am your Yuzen

京友禅の試験布に生み出されるドット模様は、色合わせの過程で自然に生み出される、なだらかなグラデーションと、手描きならではのニュアンスを輪郭部分に滲ませます。

この独特な表情をもつ連続したドット模様を有機的な「景色」として捉え、本来ならば決して外へ出すものではない試験布を、そのままネクタイのデザインに昇華させ、そして、自身の器のモチーフへと落とし込んだのです。

型破りなデザインは多くありますが、それらの多くは、破ったことにしか意味を見いだせないものばかりです。壊すだけでは新たな様式は生まれて来ません。継続性のあるもの、それ自体が持続可能なものでなければ、この先へと受け継がれる様式とはなりません。河原さんはそれを身をもって知っている人なのではないでしょうか。
  
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「sione」にしろ、「I am your Yuzen」にしろ、河原さんの手掛けるデザインやブランドには、必ず型破りな物語があります。そして、破るだけでは一過性に過ぎないそのブランドに対し、新たなストーリーを与えることによって、日常と非日常を行き来しながら、生活の中に居場所を与えていくのです。

伝統を重んじる業界の中であがき続けるからこそ、見いだされた河原さんならではの、新しいデザインとブランドのつくり方。現状突破するためのヒントやアイデアは、ちょっとだけ姿形を変えて、みなさんの日常と背中合わせに落ちているのかもしれません。

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(Text:宮下直樹)

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宮下直樹 Naoki MIYASHITA
1978年 京都生まれ
trans-culture agent 
「かつて」と「いま」をつなぐためのキュレーター
株式会社 博報堂 を経て、東と西をいききしながらも京都に軸足をおきつつ、伝統と文化をいまの世の中につなぎ直すためのプロトタイプとして、職人と文化を時代につなげるためのプロジェクト「Terminal81」や 伝統以前の京都を伝えるをコンセプトに様々なプロジェクトに取り組む「VOICE OF KYOTO」などを主宰。
2013年からは「タイタン・タービン」として京都の老舗のコンサルやディレクションもチームで手掛ける。