greenz.jpの連載「暮らしの変人」をともにつくりませんか→

greenz people ロゴ

伝統の会津木綿を使って、地域の力でものづくり。暮らしになじむ品をお届けする「IIE」

1470567_597713973617795_2038740623_n
撮影: 箕輪政之

普段使いの衣服や小物は、毎日身につけていても飽きない、心地の良いものであって欲しいですよね。使っていくうちに、だんだんと自分だけの一品へとなじんでいく感覚を味わえれば、なお嬉しいものです。

丈夫で肌触りも良い伝統の会津木綿を使って暮らしになじむ一品をお届けする、「IIE(イー)」という新しいブランドが、福島県会津地方の若者たちによって展開されています。IIEのものづくりに関わる会津の人々のもとを訪ねて、お話を伺ってきました。

会津木綿に魅せられて

会津木綿の歴史は400年と言われています。江戸時代の天正年間に会津藩主が綿花栽培を奨励したことが始まりで、江戸、明治、大正時代にかけて地域産業として成長してゆきました。最盛期には30あまりの織元が会津木綿を生産していたそうですが、現在は2社を残すのみとなっています。会津を訪ねた日、IIE代表の谷津拓郎さんの案内で、会津若松市の織元さんを見学させていただきました。

敷地に入ってすぐ目に入ったのは、中庭で天日干しにされたたくさんの木綿糸。それらをぐるりと囲むようにして、染め場、織場、縫製室が居並びます。IIEの商品づくりは、原料となる布を織元さんから直接仕入れることから始まります。

SONY DSC
大きな釜や染め桶が置かれた染め場。藍や化学染料を使って糸が染められます。(以下、記載ないものは筆者撮影)

SONY DSC
染め上がった糸は、明るい中庭で天日干しにします。

SONY DSC
織場に所狭しと並べられた織機の数々。職人さんたちは常に機械の様子を確認し、布を織り上げてゆきます。

「カシャコン、カシャコン
   (ザッザッザッザッ)…」

織場に足を踏み入れると、絶え間なく鳴り響く織機の音。この織機は、70年以上前から今日に至るまでずっと使われ続けているものだそうです。織場で働く職人さんたちは、何十と並ぶ織機の様子を常に確認し、こまめに調整しながら色とりどりの布を織り上げてゆきます。

谷津さんと織元さんとの交流は、2011年の10月から始まりました。以来、こまめに工房を訪ねては、ひとつひとつ手にとって布を仕入れています。

谷津さん 会津木綿の魅力は縞と風合い、そして使い勝手の良さです。会津木綿には100種類以上の色があり、一人ひとりに合う柄が必ず見つかります。そして、70年以上前から変わらない、豊田の自動織機が織り上げる風合いの良さ。最後に毎日使ってゴシゴシ洗っても型くずれしない丈夫さと、オールシーズン心地よく身につけられる通気性と保温性の高さでとても使い勝手の良い気持ちのいい素材です。

長い間愛されて来た素材だけあって、人に馴染むのだなぁと日々感じます。僕が特に気に入っているのは藍染めです。時間が経つにつれて少しずつ色が落ちていって、自分だけのストールとして肌になじんでいく感覚が楽しいんです。

今ではすっかり会津木綿の魅力に夢中になってしまったと語る谷津さん。ですが、IIEの事業を立ち上げる前は、地元の伝統工芸ではあるもののほとんど馴染みがなかったということです。会津木綿に触れるきっかけとなったのは、東日本大震災でした。

避難してきた人びとの新たな仕事を、伝統の会津木綿で

震災が発生したのは、東京の大学院生であった谷津さんが、卒業間際にちょうど地元会津に帰っていた時のことでした。会津地方も大きな揺れに見舞われた被災地域でしたが、ライフラインの損害は比較的小さく、津波と原発事故によってより深刻な被害を受けた双葉郡をはじめとする沿岸部の浜通り地方から、多くの避難者を受け入れることとなりました。

谷津さんも、震災発生直後は炊き出しや避難所サポートなどの緊急支援活動に参加しましたが、その後は一旦、喜多方のまちづくりに取り組む地元NPOに就職しました。そこでの仕事は充実していたけれど、常にどこか後ろめたい気持ちがあったと谷津さんは語ります。

谷津さん 普通の生活を取り戻せない人が身近にたくさんいるなかで、自分だけすんなりと日常に戻っていくことに違和感がありました。緊急支援に参加していた最初の1ヶ月は、背筋がピンと伸びるような緊張感のある時間を生きていたのに、それを忘れてしまうのもなんだか嫌で。

くすぶる気持ちを抑えきれないでいた矢先、被災した人々の緊急雇用を創出するための助成事業の公募を耳にします。そこで「会津木綿を使った生きがい仕事づくり」を発案・申請したことが、IIEの創業へとつながりました。

仮設住宅で回覧板を回したり説明会を開いてつくり手を募集し、NPOの仕事を通して関わりのあった地元のカフェからの受注生産で、会津木綿のクッションカバーをつくるところから事業はスタートしました。

谷津さん 被災した人たちの仕事づくりだからといって、「カワイソウ」で買ってもらう商品にはしたくなくて。その意味で、歴史と伝統ある会津木綿のブランド力を借りたという側面もあります。当時は会津木綿について全然詳しくなかったんですよ。

そう語る谷津さんですが、事業で取り扱っていくうちにどんどんと会津木綿にのめりこみ、ついには、現在IIE一番の売れ筋商品であるストールをデザインするまでに至ります。

谷津さん 商品として売っていくとなると一定の品質を保たなければなりませんが、一方、事業の雇用提供対象である仮設住宅のお母さんたちの全員が、高度な裁縫技術を持っているわけではありません。なるべくどんな人でも習得・制作できるような商品を、ということでストールを発案しました。

1491121_597714136951112_156867198_n
伝統の会津木綿が、くらしになじむストールに(撮影: 箕輪政之)

話し合いから生まれる柔軟な仕事づくりを

織元から仕入れた会津木綿がIIEのストールへと生まれ変わる過程には、どんな人々が関わっているのでしょうか。つくり手の一人である廣嶋めぐみさんのお宅を訪問しながらお話を伺いました。

双葉郡大熊町から避難してきた廣嶋さんがIIEの商品づくりに参加したのは、2012年の年末のこと。事業の立ち上げ時点から興味を持っていたものの、震災後のストレスなどで体調が悪化したため、当時は参加を断念しました。その後も谷津さんが折を見て声をかけてくれ、体調が回復してきたこともあって本格的に仕事を始めたそうです。

SONY DSC
つくり手の一人である廣嶋めぐみさん。双葉郡大熊町から会津に避難して仮設住宅にお住まいです。専門学校でデザインを学んだ経験もあり、布や衣類の扱いはお手のもの。写真はストールのフリンジづくりの様子。

廣嶋さん 子どもが病気を持っていて、何かあった時には学校にかけつけなきゃならないので、勤めの仕事には就けない状況でしたから、こういう内職でできる仕事は助かります。

つくり手さんたちが主に担うのは、布の端をほどいてストールのフリンジをつくる作業です。誰にでも内職でつくれるようにとデザインされたIIEのストールは、廣嶋さんのご家庭のように、移動や健康面で不安を抱える人たちにとってもぴったりな仕事となっているようです。

廣嶋さん 最近はね、フリンジづくりだけじゃなくて、反物を裁断するところから始めたり、事務所にちょっと出かけてアイロンがけを手伝ったりもしているんです。「人手足りないならそれもわたしやるよ!」って。

谷津さん 話し合いで生まれる仕事というか、正社員で会社に勤めるよりも融通がきく働き方に対するニーズも、まだまだあるのだと思います。高度な技術が要らない仕事だけをやる人もいる一方、廣嶋さんのような方にはできることをどんどんお願いしていって。今後はデザイン面でも相談に乗っていただくかもしれませんね。

つくり手一人ひとりの事情に合わせて柔軟に働き方を相談・提案しながらものづくりを進めていくIIEの活動は、震災から2年半以上が経過した今でも重要な役割を担い続けているようです。

地域の力を結集して、会津から「”311”をひっくり返す!」

仮設住宅に在住する避難者の緊急雇用事業として始まったIIEの活動ですが、当初の目的に留まらない広がりを目指しているそうです。

谷津さん 高度な技術を必要としないストールをデザインしたもうひとつの理由に、障害を持つ人たちの仕事にもできればという考えがありました。最近では、地域の就労施設にも相談に乗っていただきながら、障害があるゆえに仕事を持てないでいた方々にも少しずつ生産をお願いできるようになってきています。

それから、IIEの事務局スタッフは全員地元会津出身の若者たちです。僕自身も高校生の頃、地元商店街がどんどん廃れていくのを寂しく思っていましたから、会津の若者が上京してもいつか帰って来たいと思えるような会津の街並みや、働いて食べていけるだけの雇用をつくっていきたいんです。

SONY DSC
IIE代表の谷津拓郎さん(左)とインターンスタッフの佐藤裕司さん(右)

立場や世代、能力が違っても、それぞれができることに応じて仕事や役割をつくり、地域全体でものづくりをしていく…谷津さんの言葉や、IIEの活動にはそんな哲学が込められているように感じます。

また、IIEというブランド名は、数字の311を逆さまにひっくり返すことで生まれたそうです。3月11日。あの日失われた多くのもの、それをひっくり返すぐらいの新しい価値や喜びを生み出していこうという願いが込められています。

谷津さん 震災後の福島や東北に課されたミッションは、人口減少後の新しい社会像、新しい豊かさというものを見出して、実現していくことなんだろうなと思っています。

福島や東北というとちょっと広すぎますが、だけど自分の地元である会津の坂下町や若松なら、イメージできる未来像、目指したい街の姿がある。地域に根ざして、できることをやっていきたいです。

関わる様々な人の思いによって織りなされるIIEの活動。これからどんな商品や物語が生まれてくるのでしょうか。みなさんも、是非IIEのストールを手にとって、会津に思いを馳せてみてください。