お話を伺った牛谷正人さん
わずか10年ほど前まで、障がいをもった方たちが、自分たちで入りたい福祉施設を選べなかったことをご存知でしょうか?
平成15年に「支援費制度」という法律が施行されるまで、障がい者やそのご家族は、行政から「ここの施設に行ってください」と言われるままを受け入れるしかなく、行政側もそういう対応しかできないのが当たり前でした。障がいのある方たちを取り巻く環境は、今よりももっと生きづらいものだったのです。
その状況を変えるため、新しい仕組みをつくろうと考えた行政や民間のメンバーが協力して、平成13年、滋賀県湖南市に社会福祉法人「オープンスペースれがーと」を設立。福祉業界に大革命を起こした「自立支援法」の設計にも関わりながら、できる限り障がいをもった方々が施設に入らずに、地域で、家族から排除されずに過ごすことができるよう、事業を行ってきました。
「れがーと」はホームページもなく福祉関係者以外には広く知られてはいませんが、平成8年から活動を始め、福祉業界では有名な“滋賀モデル”を牽引。現在の日本の福祉の形をつくりあげてきた事業体のひとつなのです。今回は、副理事長の牛谷正人さんに「れがーと」の取り組みを、これまでの軌跡と合わせてお話しいただきました。
誰もが暮らしやすい街づくりを目指して
建築家竹原義二さんによって設計された建物。デザイン事務所か何かのようです
現在の「れがーと」では、さまざまなタイプの施設を設け、複合的にサービスを提供しています。まずはそれらを、簡単にご紹介していきます。
1.サービスセンターれがーと(居宅介護事業および宿泊受け入れ)
障がい者やご家族の要望に合わせてスタッフを派遣するサービスを提供しています。本人と楽しみながら留守番をしたり、外出や一緒に料理をしたりしながら、ご家族の時間をサポート。夜間の預かり「ナイトケア」(宿泊サービス)も実施しています。
2.バンバン・Neoバンバン(就労支援事業)
取材中に出会った利用者さん。普段は手漉き和紙を制作されているそうです。
地元の特別支援学校の卒業生を中心に、パン工房・焼き菓子工房・和紙工房・レストラン事業・製箱作業(受託事業)・市内の事業所のメンテナンスなど、“働く場”を提供。施設外で就労に向けた準備訓練も行っています。
3.地域活動センターバンバン(障がい者地域活動支援センター事業)
重度の障がいのある人を中心に、楽しみながら生活のリズムを整える活動の場を提供。平日はおやつ作りやストレッチ、買い物や図書館にも行きます。土曜日は美学生・音大生、ボランティアの方々と交流しながらの、アートや音楽プログラムを取り入れています。
特にアートプログラムは平成13年から取り組み、平成22年にはこちらに通う4名が、フランス・パリ市あるアルサンピエール美術館で行われた「アール・ブリュット ジャポネ」展に出展。以降も国内外のアール・ブリュット展に多くの作家が選ばれているそうです。
4.れがーとケアホーム(障がい者共同生活援助・介護事業)
家庭の事情で家族と生活できない人や家族から自立したい人などが、障がいの種類に関わらず入居できる施設。湖南市内4カ所に設置しています。
5.デイサービスらく(高齢者通所介護事業)
サポートを必要とする高齢者への通所サービスも。一人ひとりが尊重される支援・居場所づくりを大切にしているそうです。太陽の光がたくさん入る、やわらかい空間が用意されています。
6.つどいのひろば すくすく
平成22年から湖南市の委託を受けて開設したつどいの広場。3歳までの子育て期のお母さんと子どもの相談・居場所づくりを行っています。こちらの建物も、建築家の竹原義二さんの設計によるもの。居心地が良くて、いるだけで楽しくなってきます。
7.ダイニングがむしゃら(交流スペース)
こちらも竹原義二さんの設計による、一般に開放されたダイニングレストラン。障がいのある人はもちろん、小さな子ども連れなど、毎日地域の人たちでにぎわっています。店内にはアール・ブリュット作品を展示。障がい者の方がウェイトレスとして働いています。昼は手づくりカレーのバイキング、夜は黒豚しゃぶしゃぶを食べられます。
スープ・サラダ・デザート・飲み物がセットで、カレーは食べ放題。それがなんと950円。カレーの種類もいろいろで、近所にこんなお店がほしい!
8.甲賀地域ネット相談サポートセンター・高齢者支援センターひえ(相談支援事業)
日々の暮らしの総合相談窓口サービス。障がい・介護・進学・就職など、さまざまな相談に対応し、子育て、障がいや加齢による「暮らしづらさ」を個人ではなく地域の課題にしていくために、甲賀地域障がい者自立支援協議会や湖南市高齢者包括支援センター、子育て支援課と連携して取り組んでいます。
ご覧いただいた通り、現在の「れがーと」が行っているのは障がい者支援に留まらず、高齢者や子育て中の母親支援、一般の人も来られるダイニングなど、どんどんと事業の幅が拡大。結果、多様な人でにぎわう場所になっています。
牛谷さんは「地域の要望に応えていったら結果的にこうなった(笑)」と冗談まじりに話しますが、地域密着型を貫く姿勢と「一定のニーズの人たちのための特別な場所にしない」という、多様性を重んじる感性がこのにぎわいに通じているようです。
ヘルパーの仕事をする中で関わった人たちから「養護学校を出ても通える通所施設がない」とか「高齢者も同じようにやってくれ」という声を聞いたり、ハンデのある子どもを連れている親御さんがレストランで肩身の狭い思いをしなくて済むように、そういう人たちが来られるお店をつくったり。
とにかく地域にとって必要なものを届けていこうとはしています。それから、福祉施設って逃げ出しちゃう人もいるから、フェンスで囲ったりするんですが、そうすると、どうしても地域の人には“特別な場所”になっちゃうと思うんです。でも、そうしたくなかった。
一定の福祉ニーズのある人たちだけのための場所ではなく、周辺の人たちにとっても居心地のいい、“開かれた場所”にしたいという思いがありました。竹原さんに建物をデザインしてもらったのも、そんな理由からです。
今につながる、数々の原体験
学生時代、教員を目指していた牛谷さんは関東の大学で障がい児教育を学びながら、東京の入所施設の週末ボランティアサークルに参加。ここで現理事長の北岡さんに出会い、福祉の最前線である滋賀県をたびたび訪れるようになります。
その後、大学院を経て、学校教育や施設という枠での福祉への関わり方に違和感を覚え、大学のサークルを通じて関わりのあった子どもの本の専門店「クレヨンハウス」の新規事業所にオープニングスタッフとして入社。ここで、社長であり作家の落合恵子さんと出会います。
クレヨンハウスにいたのは3年くらいですが、落合さんは女性というハンデについて発信をする人だったのもあって、「あなたは障がい者のハンディキャップはわかっているかもしれないけれど、子どもをもつ女性のハンデや女性という“性そのもの”がハンデなることはわかっている?」といった問いかけをたくさんいただきました。
今思えばそこから、ハンディキャップというものを考えるためにはフィールドを広くもった方がいい、ということを教えてもらったように思います。
そして、フィールドを広げたいと考えていた牛谷さんが次に選んだのが、県の施設の指導員という仕事でした。
当時県職員に福祉職という枠があり、「滋賀県立信楽学園」という施設の指導員の募集が出ていたんです。学生のころから「福祉をやるなら滋賀で、それも信楽で」という思いがあったので「これだ!」と思って採用試験を受けました。
県の職員になりたかったわけではなくて、県立の施設だから、結果的に県の職員になったってことなんですけど、実際にその施設に勤めたのはわずかで、すぐに県の福祉事務所に異動になってしまって(笑)。今では笑い話ですが、当時はもう、いやでしょうがなかったですよ。
しかし、望んでいなかったはずの福祉事務所での体験が、牛谷さんにとっての転機になります。窓口に来る障がい者の親御さんに対して、行政が不条理な対応をせざるを得ないこと、結局親は施設に寄りかかるしかないという現実を身をもって体感し、「そうならずに済む仕組みをつくれないか」と、当時、信楽の福祉施設で働いていた北岡さんに相談。これが「れがーと」の設立につながっていきます。
涙ながらに訴えてくる親御さんを前にして、お茶を濁すようなことしかできないんですよ。どんなにつらい思いをしたという話をされても、つなげてあげられるサービスがないことほど、窓口に立つ行政マンにとって辛いことはない。無力感でいっぱいで「こんなことをいつまでもやっていられない」って心底思いました。
障がい児の兄弟姉妹の家庭訪問のときに30分だけ本人を連れ出してほしい、運動会に夫婦で応援してあげたい、自転車に乗りたいと言っているから教えてほしい、そんなささやかな望みに応えたい。そんなサービスがあれば、障がいのある人でも、家族から排除されずに済むだろうと。
障がいあるなしに関わらずですが、子どもをもつ親であれば誰しもが「この子さえいなければ」って思ってしまう瞬間がある。でも、そこを補える仕組みさえあれば、そんな風に思わずに済むようになるはずだって。きれいごとかもしれませんが、そう信じていましたね。
日本の福祉を変える仕組みをつくろう
そして平成元年、当時厚生省の障がい福祉課長をしていた浅野史郎さんが、全国の福祉実践家を集めて会合を開きます。
そのメンバーの中に北岡がいて、関東で障がい者のご家族に休息を保障する“レスパイト事業”をやっている人たちもいて、北岡はその人たちとのつながりの中で、関西でもレスパイトを起こしていこうと活動していたんですね。そのとき僕は県の職員で、タイミングが見事に合って、連携して動くようになっていきました。
平成8年、「れがーと」が滋賀県初の“24時間対応型在宅福祉サービスモデル事業”の委託を受け、障がいのある人の公的なサービスモデルとして全国から注目を集めます。同時にこの年、牛谷さんは「れがーと」の所長に就任。
当時の県の福祉事務所の課長が、なかなか戦略的な方で、この動きを制度として成立させていくには“誰が所長になるか”がとても重要だと思われていて。厚生省が障がいの分野で、在宅サービスに関わる施策をどんどんと打ち出していた中、その流れを取り込む制度設計を進めていたので、地域事情がわかっていて家族の事情も把握している僕に所長についたらどうかと提案してくれたんです。
当初から、仕組みづくりは行政と民間がきっちり組んでやるべきだという思いもあったし、誰もができるものとして普及していくためにも、僕がパイプ役になれればと思い、二つ返事で引き受けました。
その後、れがーとは順調に実績を積み上げ、県や町の協力を得ながら資金を集めて、平成13年に地域福祉の総合推進を目的とした社会福祉法人「オープンスペースれがーと」を設立。平成18年には福祉業界にとって革命的な「自立支援法」が施行されることになります。
当時の「れがーと」
「自立支援法」は、僕らを含め、行政と全国の地域福祉の実践家20名くらいが何度も集まって合宿をしてできた法律なんです。そんな法律はすごく珍しいと思います。普通であれば、大学の先生とか有識者の意見を集約して進めていくのが通例ですからね。
でも、仕組みをつくるってこういうことだって思いましたね。行政とか民間とかではなく、決裁権をもった人たちが同じタイミングで、思いをもって行動している。だからできたんですね。
この「自立支援法」ができて、障がいのある方たちは、本人が望めば地域で暮らしていけるサービスを選択できるようになりました。その法律が施行されて約6年が過ぎた今年4月、課題点を修正した「障がい者総合支援法」が施行されました。
「自立支援法」ができたことで、50年そのままだった障がい者の世界は確実に変わりました。自己負担とか法律自体は批判も多いですが、評価すべきところはたくさんある。
でも、これで本当に障がい者の人たちの暮らしづらさが解消されたのかというと、やっぱりそんなことはなくて、だからこそ、法律もその度に見えてくる課題を解決して更新していく。それが、障がいをもっていることがハンデにならないような社会につながっていくと思っています。
障害をもっていることがハンディキャップにならない社会。それが叶ったときには、きっとたくさんの家族が幸せになれるはず。福祉は特定のニーズのをもった人たちだけのためのものでない。その視点をもつことが、福祉の可能性を広げてくれるのかもしれません。
昼は5種類のカレーが食べ放題!
夜は鹿児島直送の黒豚しゃぶしゃぶ。
OPEN:火曜日~土曜日
11:30〜15:00(14:00までに入店)
18:00〜21:00(※夜は完全予約制です:0748-75-7188)
料金:カレーのバイキング950円(小学生750円・幼児350円)
黒豚しゃぶしゃぶコース(デザート含む)2700円
住所:滋賀県湖南市西峰町1-1