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限界集落を”集楽”に!美作市地域おこし協力隊が ”全国最強”とよばれる秘策とは?

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2013年度岡山県美作市地域おこし協力隊全メンバー。総勢10名

特集「a Piece of Social Innovation」は、日本中の”ソーシャルイノベーションのカケラたち”をご紹介するNPO法人ミラツクとの共同企画です。

みなさんは「地域おこし協力隊」をご存知ですか?

地域おこし協力隊とは、「人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に誘致し、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とする取組み…」と、総務省のホームページには記されています。

若者が田舎にIターンして、その地域を活性化する…。テレビドラマになったほどその響きは美しく、正しさで満ちあふれています。しかし、本当に日本人は住処を簡単に変えることができるの?若い力で過疎った地域を活性化する?地域おこし協力隊の任期(3年)で定住できる?

都会から田舎へ移り住み、実際に「地域おこし」というプロジェクトを担う人々のストーリーを紐解き、暮らしかたの多様性を学びます。

彼らが“全国最強”と言われる理由
棚田再生のヒーローたちのパブリックイメージと真実

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美しく再生する上山の棚田。この地に集った若者たちの手によるものである

「地域おこし協力隊」と言えば、この「岡山県美作市地域おこし協力隊」のことを思い浮かべる人が圧倒的に多く、知名度の高い協力隊です。美作市地域おこし協力隊、通称「MLAT(むらっと)」は今年度は各地区、上山、梶並に加え新たに巨勢、小房、東粟倉と担当地区が増えて、総勢10人体勢で活動しています。

MLATの知名度を押し上げたのはなんと言っても美作市上山地区の棚田再生です。以前は美しい棚田が8300枚も広がっていた上山も、人口減、少子高齢化、耕作放棄地と化した棚田、間伐もままならない里山 …と絵に描いたような過疎地と化し“限界集落”と呼ばれるところまできました。

そこにNPO法人「英田上山棚田団」が棚田再生活動を始めました。その活動は、やがてMLAT、美作住民で構成されるUK隊(上山きれいにし隊)などの活動に広がり、現在20ヘクタールの棚田を再生させました。そのサクセスストーリーは仲間を仲間を呼び、様々なスキルを持ったコミュニティが生まれ、田舎暮らしのモノヒトコトに価値観を作り出しました。

棚田をセグウェイで走り、タップを踊る?!

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セグウェイが棚田を走り抜ける!アメイジング!

上山地区はいま、2名の隊員+全域担当の1名で「棚田再生」「自伐林業(鬼の搬出プロジェクト)」「古民家再生」を大きな柱として動いています。しかし、それだけひたすらやり続けるだけならばただの農家。MLATは都会での経験などを持ち込み、お米のブランド構築(メリーライスブランディング)、伝統の継承・発展(農業用水路のメンテナス、夏祈祷、盆踊り、秋祭り、獅子舞い)、人材研修、しまいには「いちょう庵」というカフェを自分たち自らの手で作ってしまいました。

棚田は坂道を行ったり来たりするのが、お年寄りにはしんどいだろうとセグウェイを導入する、タップダンサーが上山へ引越してきたからということでみんなでタップを習い、棚田で老若男女タップ踊りだしてしまうなど、「上山集落」を「上山集楽」に変えてしまうパワーが上山の最高にして最大の武器。

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現在、上山を担当する(左から)松原徹郎さん、美作市全域担当の井筒耕平さん、美作市地域おこし協力隊隊長(若頭)梅谷真慈さん。9月現在毎日絶賛稲刈り真っ最中

打ち上げ花火のように派手なことをぶちかまし、メディア露出も多い上山MLATは岡山県内のみならず全国からも注目される存在になりました。そんな上山の現在、そして未来について、美作市地域おこし協力隊の隊長・梅谷真慈さん、井筒耕平さん、そして今年から上山地区の協力隊として派遣された松原徹郎さんに話を伺いました。

自分たちが“最強”と言われる最大の理由はなんだと思いますか?とストレートに隊長の梅谷さんに伺いました。

僕らに突き抜けた“やっちゃった感”があるからだと思います。我々の活動の中で一番“やっちゃった感”が強いのは野焼きです。

毎日ひたすら草刈りしてるんですけど、草刈ったらそれをどこかにやらないと開墾できないじゃないですか。正規は運び出して産廃処理場に持っていくんですけど、そんなことやってられっか!と(笑)。そんなことでまごついていたら棚田再生なんてやってられないし、それならもう、燃やしちゃおうか、と。地元のおじいたちも「燃やしゃええ」って言ってるし(笑)。

で、なにが最強かというと、僕らが野焼きをすることに地域の同意を得られているというところです。なかなかそんな地元はありません。

地域と若者たちの信頼関係が生んだ野焼きは、イベントになるほど荘厳
地域と若者たちの信頼関係が生んだ野焼きは、イベントになるほど荘厳

野焼きは土地の所有者、権利関係など、地元住民からの理解と許可がなければ実行することはできません。また彼らが再生させた棚田はほぼすべてが地元住民の持ち物でMLATが借り受けている。「おじいの棚田を俺たちで復活させてよ」「ええが!」なんて田舎のおじいおばあたちとの信頼関係が築ける。それが最強だと、彼らは胸を張ります。

僕らは色々仕掛けているように見えてると思いますけど、基本農繁期は一日中外で田んぼにいます。毎日目の前の草を刈って、振り向いたら田んぼが開けていた。綺麗だな、じゃあ、ここでなにかしたいね、みんなを呼びたいねって他の事に派生していくんです。でも基本は草刈りです。

上山の美しい原風景を取り戻さんとしてひたむきに汗をかく梅谷さんの姿は、本来、上山に生まれ住む若者の姿です。若者が地域のために働くことがマイノリティになってしまったのはいつからなのでしょうか。地域に若者が残らなければ、少しずつ少しずつ“地域”は死んでゆくのです。

他所の土地の若者がすすんで田舎へやって来て、草を刈るなんて100年前の日本人は誰も想像していなかったでしょう。

上山に住むお年寄りに話しを聞くと、「わしは上山に生まれ育って14代目なんじゃ」と言って、何百年も前の資料や昔の写真を見せてもらいます。それは集落を続けていく尊さを感じます。そして絶やしてはいけないな、と思います。

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農閑期の冬は自伐林業に従事する

家族で移住するという決断

そして今年から新たに上山地区のMLAT隊員になった松原さんは、15年間、西日本一帯の自然環境調査業に従事し、専門は植物分類と植生管理の植物博士というまたまたヒトクセありそうなキャラ。MLATへ入り上山という過疎地区へ移住を決めたその理由も“野焼き”でした。

去年(2012年)の夏に上山を見に行った時、梅さんが竹を焼いていて、それを見て、ここへ来ることを決めました。感動しましたね、色んな意味で。

そして僕は農林業をずっとやりたかったのと、生物多様性という言葉があるのですが、僕はずっとそれを実現したいと考えていました。薮みたいになっている棚田を再生して土地利用していけば、周りの生物もどんどん多様化していくことは目に見えています。それをここで実現していけば、僕の知識もここで役に立つ。

松原さんは奥さんの久美さんと小学生のお子さん3人の5人家族。移住するには考えるべきハードルが少なくない一家の大黒柱。しかも大阪・高槻という都会で安定した生活から一転、環境も収入もがらりと変わります。

そのことに関して、どうだったのか?と伺うと松原さんはからりと笑って、

子どもたちもこういう環境で育てば良い影響があるだろうし。収入や生業についてはコンサルティングなど考えている最中なんですけど、まぁ最悪、嫁さんが薬剤師なので僕はヒモでいいかなと割り切っています(笑)

奥さんの久美さんは「私は大阪の高槻から一回も出たことがないんですけど、ここに来てみたら、わたし、どこでも生きていけるなって思いました」と軽やかに笑います。

家族単位の移住はどうしても多数の事情が折り重なって、移住を複雑なものにします。それでも子どもは高齢化地域には希望の存在。松原さんの3人兄弟も上山の宝として、迎え入れられました。

“最強”とは、ひたむきであること。

地域おこし協力隊のミッションは、地域活性化とともに移住したその地域に定住することを任期3年間で目指します。他地域では、受け入れ体勢が整わないまま月日が流れる、自分がなにをすればいいのかわからないまま任期を終え、結局都会へ帰る。実はそんなケースの方が多いのです。

ですが、上山は地元住民の理解もあり、様々なプロジェクトも進行中。「定住は当たり前。定住してどんなアクションを起こすのか」と、総務省が推奨するミッションの “次のステップ”へ進んでいることがわかります。

井筒:ただ地域おこし協力隊っていうのは、総務省の推進プロジェクトであり管轄地域の行政に所属しています。だから隣のおばあに「うちの畑の草刈ってくれ」と頼まれてたとしても「プロジェクト外の労働はしないように」「個人レベルで引き受けるな」などと行政から言われたりもします。…ま、全然気にしてないんですけどね(笑)。

梅谷:そこが難しいです。地域おこし協力隊なのに、地域の手伝いしちゃいけないって。頼まれたら断れるわけないし。まぁ、結局草刈りますけどね。

またメンバーが大幅に入れ替わり、上山MLATのミッションも変わりつつあります。

井筒:少し前までMLATイコール上山で、一番多い時は上山に6人くらいの隊員がいたけれど、今年は美作全域に隊員を配置するという市の決定で、上山には2人+僕(井筒氏は全地域担当)と圧倒的に人出が減りました。今までのやり方ではやっていけないのが現状。それでも今が変革期。他の地区の協力隊とやりとりをしながら、これからも上山を、美作を、盛り上げていきたい。

梅谷真慈さん

Q.3年後、自分はどうなっていると思いますか?
上山で引き続き暮らしています。

Q.地域おこし協力隊とは、自分にとって何でしょう?
きっかけを与えてくれたもの。

Q.地域おこし協力隊とは、地域にとって何でしょう?
草刈ってくれる兄ちゃん(笑)

梶並のキャッチコピーは「若者が踊って暮らせる農村」
上山が「剛」ならば梶並は「柔」。

そして現在、美作市にはもうひとつ注目される地区があります。美作市梶並地区。美作市の中でも北端“ギリギリ”岡山県。温暖な気候と言われる岡山県でも冬はマイナス7度まで下がり雪で閉ざされ、夏は暑い。高齢化は他の地区と比べ平均10歳以上、80歳以上の高齢者は当たり前という厳しい土地。

上山の成功を見た他の地区から「MLATをおらが村にも!」という声に応え、2012年梶並地区に美作市2カ所目のMLAT活動拠点を置くことに。地域に請われるのはMLATが地域に認知され成功している証ともいえます。

梶並の活動の柱は「山村シェアハウス」。田舎暮らしには憧れるが、縁もゆかりもない田舎で突然家を借りて生活しろ、と言われてもそれはかなり敷居の高い話。その敷居を低くし、田舎への橋渡し役を請け負うのを目的としています。

古民家を借りて、田舎暮らしを“お試し”できる
田舎暮らしを“お試し”できる山村シェアハウス

シェアハウスなのでだいぶ安価で滞在できて、同じく移住した(または目指す)コミュニティに入り、楽しく田舎ぐらしを満喫。また梶並地区担当の美作市地域おこし協力隊が中心に結成した任意団体「山村エンタープライズ」が地元住人との橋渡しを請負います。

それは少子高齢化から過疎が進む集落に若い働き手を呼ぶ…という、地域おこしの一般的なミッションなのですが、とにかく仕掛けがポップでキャッチー。田舎の原風景を追い求める、というよりは田舎暮らしができるのかお試ししてみませんか?という気軽さ、そしてなにより、楽しそうだな、一緒にやってみたいな、自分でもできるかもしれない、そういう自由な空気を漂わせているのが最大の特徴です。

岡山のはじっこの山村の価値観を自分たちで掘り起こしに来たのは、MLATの藤井裕也さんです。

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美作市地域おこし協力隊・梶並地区担当の藤井裕也さん。梶並の地域おこしの最重要ブレーン

僕は、生まれも育ちもずっと岡山市で、大学院を中退して、まずは上山の協力隊に入りました。上山での経験はとても勉強になりましたが1年目が過ぎて、僕は1からやれる自分のフィールドがほしくてを探そうと思いました。上山には西口和雄(元MLAT・現一般社団法人上山集楽代表理事)というプロデューサーがいましたから。

そのタイミングで梶並地区のみなさんが「藤井くんと当時新任の能登さん(現MLAT梶並地区担当)をください」と手をあげてくださって。それが本当にすごい嬉しくて、2年目の2012年から梶並地区担当になりました。

地域にあるものをチャンスに活かす

梶並に来て、まず藤井さんがやったことはネタの発掘作業。過疎地区に転がる問題点に寄り添うものに価値観を見出し、ピンチをチャンスに変えていきます。

梶並は空き家が150件以上あるんですよ。その空き家対策としての「山村シェアハウス」があります。梶並は僕ら以外に地元の人が「梶並活性化委員会」という組織を形成しているので、他所から来た人中心で動くのではなく、そこと組んでやっているというのが大きな特徴です。

さらに美作市が用意した定住促進住宅が梶並にあったり、もう入り口は用意されている状態なので、僕らはそこに住み続けられるために仕事を斡旋したり、地元の人と繋げたり、空き家に住む人の受け皿作りをしています。梶並全体としても、空き家に力を入れているというイメージですね。

山村シリーズをめっちゃ作っていて、「山村シェアハウス」「山村ハローワーク」「山村プレイグラウンド」「山村クラフトワーク」「山村オーガニックファーム」「山村クリエイティブエージェンシー」…あとなにがあったっけ?(笑)とにかくそれが僕らの活動の内容です。

山村ワーキングホリデー
山村ワーキングホリデー

山村クラフトワーク。冬は雪で閉ざされる梶並は家の中で出来る木工芸が発展している
山村クラフトワーク。冬は雪で閉ざされる梶並は家の中で出来る木工芸が発展している

また、梶並の素晴らしさを地元だけではなく、都会にも輸出する動きも活発です。

梶並は、かつて木工・わら細工・織物などの手仕事を冬の農閑期の収入源としていました。それも時代の移り変わりとともに廃れ、継ぐ者の居ない手仕事は消える運命にありました。それを見つけた山村に新たに移り住まう若者たちが冬の手仕事を復興しようとしています。それが「民芸新時代」です。

「民芸新時代」は、それら山村の手仕事を生き生きとしたプロダクトとして再定義し、地元職人だけでなく集落に集う若者たちみんなで生産し、新しい形のプロダクトブランドを構築する―――これは、地域おこしとして若者が携わらなければ起こらなかった化学反応ではないでしょうか。

9月4日〜6日の3日間、東京ビックサイトで行われた、ギフトショーのactive creators ブースの様子。オシャレ!
本日より9月4日〜6日の3日間、東京ビックサイトで行われる、ギフトショーのactive creators ブースの様子。オシャレ!

梶並の最大の強みは「コミュニティ」だと藤井さんは言います。まず行政と地域おこし協力隊の関係が良好なこと。行政からの委託業務は「山村エンタープライズ」に活動資金を与え、活動自体を公共化して活動が末端まで広がるなどメリットは多い。微妙な距離感を保ちつつ、お互いうまくやれていると言います。

そして、藤井さん、協力隊の相方・能登大次さんをはじめ、山村シェアハウスに集う仲間たち。デザイナーが多く、「なければ作ろう」の精神があること。タレントが揃って、動きやすくなったと言います。

また新たな試みとして、梶並MLATは美作市唯一の公立高校である林野高校で授業を受け持つことになったのです。

外から、人材を呼ぶだけじゃなくて地域の担い手を育てたい、という気持ちから高校生に自分たちのことを授業という形で知ってもらう機会をいただきました。

学校へ行って大学などは都会に出て卒業し、会社勤めをして、いつか地元に帰ってくる。その地元を離れている期間の年齢層がいかにこの梶並で働いてくれるか。たぶん若者たちは梶並で働けるなんて思っていないとおもうんですよ。そんなことは全然なくて、むしろ仕事が多すぎて、人材の安定供給を目指しているのが「山村ハローワーク」なんです。

実際僕は、岡山生まれの岡山育ちで大学院生の時に美作市地域おこし協力隊になって田舎に入りました。社会へ一歩も出てない自分が地域おこし協力隊を経て社会に出る、って非常に稀なケースですよね。僕の存在自体が新しい試みなわけでこれからそんな道を辿って行くのか見てほしいです。

「“最強”とは、過疎地区を盛り上げる多種多様な方法を持ち合わせていること」と藤井さんが言うように、取材して感じたのは、彼らの「アイデアを具体的な形にするまでのスピード感」の早さ。素人はだしでも見切り発車で「ええが!」(岡山弁でいいね!)とブレイクスルーさせる力。この力は、新しいものを生み出すだけではなく、ヒトを呼ぶパワーにもなっているのです。ヒトは集うことで生きています。それを実感させてくれた美作の地域おこし隊、彼らがなぜ全国最強と呼ばれているのか分かった気がします。

藤井裕也さん

Q.任期3年間の後、自分はどうなっていると思いますか?
僕は梶並にいるつもりです。人がめっちゃいいんですよ。迎えてくれる人たちがあたたかいから僕もがんばれる。事業も梶並の協力隊として働いた2年間でだいぶ方向性が見えてきたので、「山村エンタープライズ」で活動を続けていきたい。

Q.地域おこし協力隊とは、自分にとって何でしょう?
とにかく自分が楽しむ期間。地域との相性を確認し、定住をするための3年間。

Q.地域おこし協力隊とは、地域にとって何でしょう?
地域おこし協力隊として着任したその日に「お前永住するのか」って聞いてくる人もいるんですよ。それだけ期待をしてくれているんだろうし。だから自分はそうできるように努力するし、応援してくださいってがんばってる自分を見せるだけです。