ひとりの女の子に起きた“ちいさな奇跡”が国境を超えて人と人を結ぶ“大きな奇跡”を起こしていく――2012年6月30日、TEDxTokyoで行われた河瀨直美さんのスピーチは多くの人の心を深く打ち、大きな反響を呼び起こしました。
河瀨さんは、1997年に初の劇場映画『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭カメラドール賞(新人監督賞)を史上最年少で受賞、2007年には『殯の森』でカンヌ国際映画祭グランプリ(審査員特別大賞)を受賞。国際的に高く評価を受けている映画監督です。
国際映画祭で上映された自らの作品を通して、世界中の人々と感覚を共にできることを実感したことから、河瀨さんは「映画祭は人と人を結ぶ懸け橋になる」と実感。海外から自らのふるさとである奈良に人々を招き、また奈良から世界への扉を開くために自ら実行委員長となって『なら国際映画祭』を立ち上げました。
『なら国際映画祭』は、ただ映画を“見せる”だけではなく“つくる”という点で、他の国際映画祭とは一線を画しています。映画をつくるのは、新人コンペティションで最優秀賞に選ばれた監督と奈良の子どもたち。映画を“つくる”ことから、奈良と世界の人々をむすび未来へつながっていくのです。
今年2回目となる『なら国際映画祭』の開幕を目前に控えて、河瀨直美監督ご自身の思いをインタビューで聴かせていただきました。少し長くなりますが、河瀨さんの言葉たちが持つ強いエネルギーをそのまま共有させてください。
自分の故郷に“世界への扉”を作りたい
なら国際映画祭2012 9月14日~17日開催
杉本 奈良で国際映画祭をしようと思い立ったときのことを教えていただけますか?
河瀨さん(以下、敬称略) 私の映画は、国際映画祭で受賞したことでメディアに取り上げられ世界への扉が開かれました。これは、映画に限ったことではありませんが、日本人は自国内で国際的な扉を開くことが難しく海外に出なければいけません。でも、やっぱり自分たちの文化を掘り下げている場所で世界中の人と交流できたら一番いいと思っていたんですね。
杉本 3年近い準備期間を経て、2010年に初めての『なら国際映画祭』が行われました。そのときの感触はいかがでしたか?
河瀨 前例のないことでしたからあまりにも大変で、一回目の中心メンバーはほとんど残っていません。でも、私は続けることに意味があると思っているんです。奈良に生まれ育った土壌があるからかもしれません。この街は1300年もの間、都が移ろうが何をしようがコツコツ祈ってきたわけですよね。そういう思いのうえに立って、「今は一回目だけど千年続ければ千年になる」っていう(笑)。
杉本 監督ご自身も、実行委員長としてこの映画祭の中心を担われています。しんどさで言えば、一番やめたくなるお立場ではないでしょうか。
河瀨 一番やめたいです(笑)。でも、やめるわけにはいかないでしょうっていう、ね。やめるのは簡単だから。何でもそうですけど、簡単な方を選んだらもうそれで終わり。実績を残すことも大事ですけど、やり続けるっていうことの方が大事だと思っています。
「奈良で映画を作ってもらう」というこだわり
NARAtive第一弾作品 ペドロ・ゴンザレス・ルビオ監督『祈-Inori」』
杉本 映画祭を続けていくためのしくみはどう考えていますか?
河瀨 ただ、いい映画を持ってきて上映するだけじゃなくて、絶対にコンペにしたほうがいい。オリンピックだって金メダルがあることがすごい大事だと思っていて。勝てば評価されるけれども、やってきたことは絶対に自分のなかでプラスになる。そういうことの延長線上に映画はあると思っています。私、体育会系だから(笑)。
コンペをやるなら8作品は揃えないといけないので、そこだけで予算の半分くらいを使うんですね。私にはこだわりがあって、1、2作品目のまだ新しい監督の作品であること、監督には映画祭の全日程に参加してコンペに選ばれた全作品を見て、奈良を体験してもらうことが条件なんです。
私たちの映画祭は「見せる」だけじゃなく「作る」映画祭だし、みんなが体験する映画祭だから。コンペで最優秀賞(ゴールデンSHIKA賞)に選ばれた監督には、次に奈良で映画を作る『NARAtive』の権利を持ってもらいます。そういう継続性のあるプロジェクトが柱になっているから、そこは譲れない。見せるだけじゃなく、新たなものが生まれるしくみを作り、“種まき”をしているんですね。
杉本 この映画祭は結果を評価する場所であるだけでなく、新たなものが生まれる場でもあるんですね。
河瀨 そうです。もうひとつの柱は、「自分の街を誇りに思う」っていう次世代の子どもたちとのワークショップ『NARAtive Kids』です。これも種まきですね。子どもの頃に「映画作りを通して自分の故郷を再発見すること」ができたら、ちょっと何かが残るだろうなと思います。しかも、学校という枠を飛び出して国際映画祭で発表できるなんて、ものすごくドキドキワクワクするんじゃないかな。
みんなで歩ける! 五重塔から降りる幻想的なレッドカーペット
なら国際映画祭のレッドカーペット(写真提供:なら国際映画祭2012)
杉本 『なら国際映画祭』にはユニークな試みがたくさんありますが、「レッドカーペットをみんなで歩こう」というアイデアには驚きました。
河瀨 そうですよね。カンヌ国際映画祭では、レッドカーペットを歩ける人は決まっています。ただの階段なのに、すごい価値がある。フランス人って、ものの価値を人にアピールするのがうまいなあ!と思ってね。「そこを歩く人をうらやましく思う」「必ずそこを歩きたいと思う」とか、そういうしくみを考えているんですね。
『なら国際映画祭』では、奈良らしいレッドカーペットでありたいなと思っています。一回目は私たちとメインゲストからレッドカーペットを上っていったんですけど、今年は階段を降りるんです。
杉本 どうしてまた降りることにされたのでしょう?
河瀨 上がるのは西洋的な精神かなと思って。日本の場合は降りてくる。興福寺の五重塔の足元から、私たちが神さまと一緒に降りてきて、ならまちという旧市街に映画を奉納するようにして、共に楽しもう!っていうコンセプトなんです。
今年は、イスラエルやサモアから自分の国の精神を表現した映画と共に監督たちがやってきます。その人たちが奈良の街に降りてきた。そこを、サポータークラブ会員になってくれた人たちと一緒に降りて、祭典を楽しみましょうっていうしつらえなんです。
ちゃんと生きること=ちゃんとつながること
TEDxTokyo2012 河瀨直美監督のスピーチ(Youtubeより)
杉本 TEDxTokyoのスピーチで、映画との出会いを「私に映画が舞い降りてきたという奇跡」と表現されました。その後、世界の扉を開くまでに大きくなった奇跡を、河瀨さんは映画祭という場で共有しようとされています。作家として制作の時間とエネルギーを削ってまで、共有することに重きを置いているのはどうしてですか?
河瀨 たぶん、生い立ちがいちばん近い理由かなと思います。生まれたときに両親が不在であるということのなかで、自分という存在をなんとか確認しよう、つながろうとするんですね。無いからこそ、もう一度自分で何とかつながりを作って埋めていこうと。
私という人間は、名前がつけば「河瀨直美」ですけれども、名前もないただの命だとするなら、この世に生まれてここにいること、映画と出会ったこと、こうして会わせてもらっている一人ひとりと何かが生まれていくようなことができることも奇跡的なことです。
つながりから生まれるものっていうのは、すごく心が穏やかになったり、満ち足りたりする。そんなものに囲まれていたらなんて幸せだろうと思うし、お金とかには代えられないですよね。これは、私だけが思っていることじゃないだろうなと思うんです。
杉本 つながりから生まれるものは、お金とかに代えられない。
河瀨 うん。潜在的に、人間はみんなそう思っているはずだと思います。「人」という文字のように、絶対に支え合っていることで存在できていくということを。
映画作りは、もちろん一番にやりたいことです。でも、「なんで映画作りを一番にやるんだろう?」というと、「ちゃんと生きたいから」だと思うんですよね。ちゃんと生きるってどういうことかと言えば、「ちゃんとつながっている」ということじゃないかと思うんです。
“名前のあるあなた”とつながりたい
NARAtive Kids撮影のようす(写真提供:なら国際映画祭2012)
杉本 3.11以降、「つながり」「絆」という言葉があちこちで聞こえるようになりました。でも、河瀨さんの「つながり」という言葉は強度が違うように感じています。
河瀨 刹那的なつながりを目指しているわけじゃないんですね。たとえば、経済がグローバル化して循環すると言っても、それぞれの地域の特徴を壊してしかつながれないものじゃないかと思うんですよ。そこには刹那的というか、あやうい感じがあります。それぞれの地域の特徴を生かして生きていれば、時間の使い方も足元を掘り下げることに使えます。私は常々、震災が起きる前から、表現をすればするほどにそう感じていて。
私自身も現代社会に身を置いているから、私を含めた現代人が何か無駄なことをしているんじゃないか、違う方向へ言っているんじゃないかなっていう危機感や違和感を抱えていたというか。自分自身の表現も、そこから始まっているところがあるんですね。
まだバブル経済の残り香のある時代に、しかも27歳で農村の家族の話を撮ったのも、時代のスピードに乗っていく自分への違和感から、ベクトルを足元へ移動させていく手段でした。仕事を辞めて、お給料もなくして、時間をそのことに使おうとして。その結果として、はからずも『萌の朱雀』がカンヌ国際映画祭で新人賞(カメラドール)を受賞しました。
「これは私だけに与えられたご褒美ではなく、何か役割を得たんだろうな」という意識を持ちはじめたのはそのときでした。その10年後、ふたたびカンヌで『殯の森』がグランプリを受賞して、本当に具体的に務めを果たしていこうと。そのかたちが映画祭なんですよ。
杉本 そういった「つながり」に対する感覚から、「いろんな国のいろんな人たちが、ちゃんとその人の名前を呼び合ってつながりあう国際映画祭にしたい」という思いがあるのかな、と思います。
河瀨 たとえば「被災者」という言葉で表現されていると、漠然としたつながれないものに感じられてしまうけれど、「○○の○○さん」と言えばその人の人生がぶわーっと浮かび上がってきて、そことこそつながれるんだってのが見えてくるじゃないですか?
一方で私は、「目に見えないものを信じられたら強くなれる」とも言っているんですけども。「目に見えないもの」というのは、自分のなかに違和感があるならそこに目を向けるということだと思うんですね。自分の細胞や心が納得することって、もしかしたら今やっていることではないんじゃないだろうか? 社会的にはあまり価値を見いだされていなくても、自分自身が価値を見いだせば自分が強くなれることがあるかもしれません。そして、強くなれた自分が、たったひとことでもいいから誰かに何かを伝えられたら、その関係は結ばれていくと思っています。
杉本 『なら国際映画祭』の開幕、とても楽しみです。ありがとうございました。
『なら国際映画祭』とは?
『なら国際映画祭』は、映画を見るだけでなく「作る」、人と人を「結ぶ」そして奈良の人々が地元を「誇りに思う」ことを大切にする、他に類を見ないユニークな国際映画祭です。
オープニングセレモニーは、世界遺産・興福寺の五重塔の足元にある猿沢池五十二段の階段に敷かれたレッドカーペットを世界中からやってきたゲストや映画監督とともに、映画祭のサポーターたちが一緒に歩く『レッドカーペット×アートナイト』。今年は、和太鼓のパフォーマンスも予定されています。
映画祭のメインは、新進気鋭の若手監督の作品を世界中から招聘し、国際審査委員による“ゴールデンSHIKA賞”を選出する新人コンペティションです。同賞を受賞した監督には、奈良を舞台に映画を製作する『NARAtive』制作権を授与。まさに、映画祭が新しい映画を「作る」のです。
今年は、2010年のゴールデンSHIKA賞を受賞したペドロ・ゴンザレス・ルビオ監督が『祈-Inori』を制作。ロカルノ国際映画祭の新鋭監督部門で最優秀グランプリを受賞しました。
また、『NARAtive Kids&Youth』は、「ふるさとを知ることは、世界とつながっていく」というコンセプトのもと、自分たちの街に隠れた“宝物”を見つけ出してほしいという河瀨さんの思いを映し出したプロジェクト。奈良の子どもたちがiPadで自分たちの街を観察・撮影し、編集・制作した映画を上映。今年は葛城市白鳳中学校の2年生が「わたしの好きな葛城」を題材に映像をつくりました。
このほか、学生監督による作品を上映し最優秀賞を競う『NARA-wave』、かつての名画座・尾花座の跡地にあるホテルサンルート奈良での名作映画の企画上映なども行われます。河瀨さんと一緒にレッドカーペットを歩けるサポーターの会『レッドカーペットクラブ2012』への入会もまだ受付中!奈良という街に映画が生まれる瞬間を体験しに、『なら国際映画祭』へ行ってみませんか?
TEDxTokyoでの河瀨直美監督のスピーチ「The value of movies」
『なら国際映画祭2012』に参加しよう。
2011年9月、台風による大水害で被害を受けた奈良県南部の復興を応援しよう