ミャンマーで、純金と紙幣の価値を比較するリサーチ。 © Jan Chipchase
何かプロジェクトをはじめようとするとき、アイデアを考えるのと同じくらい事前のリサーチが大切だとよく言われます。そんなときは本やインターネットだけでなく、自分の手と足を使って動いた方が、より深みのある情報を手にすることができるもの。でも、いったいどうリサーチを始めたらいいの?
そこで今回ご登場いただくのが、世界を代表するデザインリサーチャーのJan Chipchase(ヤン・チップチェイスさん)です。
六本木で開催されたワークショップの様子。中央がヤンさん。
ヤンさんは世界的なデザインコンサルティングファームである「frog」の元エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターであり「Studio D Radiodurans」の創業者。世界中を旅しながら、企業や非営利組織のために膨大な量のミクロなデータをあつめ、「何が人々の行動を促すのか?」というマクロな傾向を探っています。
3月には英治出版から、デザインリサーチの基本をまとめた新刊『サイレント・ニーズ』が発売。そのプロモーションで来日中のヤンさんとYOSH編集長の対談を、六本木で開催されたワークショップの様子とともにお届けします!
TEDトークのスピーチの様子(2008年)
デザインリサーチって、どんな仕事?
YOSH 今回ヤンさんは3月に日本にいらっしゃったわけですが、8年間、僕がグリーンズを展開していて、空気の変化をいちばん感じたのが3年前の東日本大震災なんです。
それ以降、日本では多くの人たちが”ローカル”という言葉に反応するようになり、等身大の”自分ごと”といったミクロの部分をより大事するようになった気がします。そしてそれから3年が経ち、それぞれの活動がだんだんスケールアップしてきているのが今なのかなと。
その中で日々変化するニーズをどう掴んでいくのか。今日はデザインリサーチというキーワードから、そのヒントを伺えたらと思っています。
ヤン こちらこそ、よろしくおねがいします。デザインリサーチと呼ばれる仕事をひとことでいうと、ミクロな情報をたくさん集めて、その情報をズームアウトしてマクロな情報にまとめることなんです。
YOSH 最近はどんなプロジェクトに関わっていますか?
ヤン そうですね、最近までミャンマーでお金についてのリサーチをしてきました。
まず現地で出会った200人以上にインタビューをするんです。「銀行口座にいくらある?」「財布にいくら入ってる?」などかなり踏み込んだ質問ですね。
そしてヤギがお金代わりになっているという話を聞いたら、自分たちで実際にヤギを買ったりもします。そうやって多くのインタビューの断片やローカルな暮らしを体験して得られた知見を統合して、課題を解決するための有益な情報を発見してゆくのです。
YOSH それはどういうものでしょうか?
ヤン 守秘義務の関係でミャンマーの話は表に出せませんが、以前わたしが働いていたノキア社の例をお話しますね。今ではアフリカをはじめ多くの地域で携帯電話が当たり前のように使われていますが、実はもともとノキア社では貧困層のニーズに関心はなかったのです。そこには「そういうことにお金は払わないだろう」という思い込みがありました。
しかし実際にリサーチしてみると、貧困層の方々に携帯電話のニーズがあることがわかっただけでなく、「収入が非常に少ない消費者こそ、世界で最も厳しい目を持つ」ということが理解できました。そこで受け入れられた商品は、さまざまな地域で売れるかもしれない。だからこそ収入の少ない人々に満足してもらう商品をデザインすることは、とても大切なアプローチになると思います。
YOSH 現地の文化に入り込み情報を集めていくのは、文化人類学的なアプローチと言えますが、それなりに難しいものだと思います。ヤンさんは、どのような工夫をしていますか?
ヤン リサーチフェーズで大切なのは、大学生など現地スタッフを雇うことですね。街の風景をみる解像度も高まりますし、人のつながりも広がります。
その後、情報を統合するフェーズがあるわけですが、そこで大切なのは場づくりだと思います。私たちの場合ホテルに宿泊せず、コミュニティの中にある住宅やゲストハウスに滞在して、期間限定の「ポップアップスタジオ(即席スタジオ)」をつくります。そこでチームメンバーが一つ屋根の下で過ごすことで、雰囲気もカジュアルになり連帯感が増すだけでなく、フローの状態を作り出すことで直感力も高まるのです。
「ポップアップスタジオ(即席スタジオ)」と名付けられたリサーチの拠点。壁には、多くの実験記録が。
© Jan Chipchase
ベトナムの「最もシンプルなガソリンスタンド」© Jan Chipchase
インドの通勤客の行動をリサーチ。 © Jan Chipchase
「いま何が必要か」を知るためには?
YOSH 私たちがデザインリサーチを始めるとして、何から手を付けたらいいでしょうか?
ヤン そうですね。難しく考えずに、自分の手と足で小さな情報を掴みにいくことからでしょうか。本やインターネットで調べるよりも、当事者のコミュニティに出かけて話を聞きにいくことで、「彼らが何を必要としているか?」を知ることができると思います。
YOSH そのようなインタビューをするときに、ヤンさんが気をつけていることはありますか?
ヤン 当たり前ですが、インタビュー相手の気を損ねないことです。私たちにとって取材対象者との関係は、プロジェクトチームよりも、そしてクライアントよりも優先すべきものだと考えています。
インタビューする相手をリスペクトして、意味のある内容を聞き出すことで、それが結果的にクライアントにとっても大きな利益になる。特に発展途上国では、先進国から来た私たちとはどうしてもギャップがあるので、対等な関係を築くことにとても注意を払っています。
もしインタビューが難しいと感じたら、現場に行って観察するだけでもいいと思います。さまざまな人の行動を観察しながら、「彼らは、”なぜ”、そういう行動をしているのだろう?」と考える。その癖をつけることが、何より大切なのです。
YOSH ビジネスにおいてもソーシャルデザインにおいても、押し付けではなく「本当に必要とされているもの」を実行していくことが、何より大事だと思っています。そういう意味でヤンさんのお仕事から学べることはまだまだたくさんありそうですね。
今日は短い時間でしたが、ありがとうございました!
アフガニスタンでのグループインタビューの様子 © Jan Chipchase
財布の中身から、相手の本質を探る。
ヤンさんとYOSH編集長の対談を読んで、「実際のリサーチの様子を見てみたい」と思った方もいるのではないでしょうか?そこで後半は、六本木で開催されたワークショップのレポートをお届けします。
今回のワークショップで紹介されたのは、「WALLET MAPPING」と呼ばれる手法。約6人で一グループをつくり、その代表者1名の財布の中身をすべてテーブルに出していくというものです。「えっ?そんなの見せたくない!」という人も多いかもしれませんが、誰もが敏感になる財布の中身に、ヤンさんが興味を示す理由とは何なのでしょうか?
財布の中身には、取材対象者の本質が詰まっています。例えば「なぜレシートを入れっぱなしなのか?」とか「なぜ大事なキャッシュカードをそこに入れているのか?」とか。そこに社会的な地位、普段の考え方や暮らし方などを垣間見ることができるのです。
もちろんプライバシーは大切なので、見せたくないものを無理に見ようとはしません。と同時に、「なぜ見せたくないのか」を質問することも大事で、その受け答えひとつにもストーリーが潜んでいます。
短時間で取材対象者のことを把握でき、話を聞く以上の情報を得ることもできるとあって、「WALLET MAPPING」はヤンさんがよく使う手法の一つだそう。
当日のワークショップで使われたスライド資料 © Jan Chipchase
ワクワクする変化を実感する
ヤンさんの新著『サイレント・ニーズ』は、これまで手がけてきた各地の潜在的ニーズや、人々を突き動かすアイデアを生み出すためのリサーチ方法が満載です。
最後に、編集・プロデュースを担当した、英治出版の下田理さんにもお話を伺いました。
『サイレント・ニーズ』の魅力は、刺激的な問いかけに満ちていることです。その問いに対して深く思考することで、たくさんのヒントに気づかされます。営利・非営利問わず、消費者や社会の問題を解決したいと考えるみなさんにとって、参考にしていただきたい一冊です。
本書の重要なメッセージの一つとして、サービスをデザインする際には「問題解決モード」になりすぎないようにしよう、と著者は言っています。なぜなら「問題解決モード」になると、人々の本当のニーズや、既にコミュニティ内に存在している解決方法を軽視してしまう可能性があるからだそうです。それは、世界中の「消費者」と接してきたヤンさんだから言えることでしょう。
本書で紹介されているスキルは、まさに「近所のカフェでも居酒屋でも」始めることができます。そのワクワクする変化を、読者の方も実感していただければ本当にうれしいです。
わたしたちは、多くの人々の好奇心を駆り立てたいと思うとき、メディアで得た情報を参考にしすぎなのかもしれません。一方で、自らの手と足を使って「いま必要なものは何か?」を探りにいくことは、深い情報を得ることだけでなく、ヒトとヒトのリアルなコミュニケーションの大切さに気づかせてくれるはず。
みなさんもヤンさんのリサーチ方法を参考に、身近なところからフィールドワークへ出かけてみませんか?
(Text:鈴木康太)