山口情報芸術センター(通称:YCAM)の10周年記念祭の企画の一つ、「メディアによるこれからの生き方/暮らし方の提案」という公募展「LIFE by MEDIA」。
「街の風景を一変させる仕掛け、街の人たちが集いたくなる公園、新しいコミュニケーションを生み出す移動式サービスなど、彫刻や映像、建築、インスタレーション、プロジェクト、ワークショップなど、アートやデザインにおけるジャンルを超えた表現形態を対象」というこのコンペは、ソーシャルデザイナーにとって今まで練り上げてきたアイデアを実現する格好の舞台だと思います。
締め切りは3月15日!「でも、どうやって考えたらいいの?」という方のために、greenz.jpでは審査員から”考えるヒント”を伺っています。審査員を務めるFINAL HOME津村耕佑さんと編集長YOSHとの対談、メディアアーティスト江渡浩一郎さんのインタビューに続いて、今回はYCAM広報担当の田中みゆきさんと一緒に、審査員の建築家・青木淳さんにお話をお伺いしてきました。
56年横浜市生まれ。82年東京大学大学院修士課程修了。83~90年磯崎新アトリエに勤務後,91年に青木淳建築計画事務所を設立。個人住宅をはじめ、公共建築から商業建築まで、多方面で活躍。代表作に、「馬見原橋」、「S」、「潟博物館」、「ルイ・ヴィトン表参道」、「青森県立美術館」等。著書「JUN AOKI COMPLETE WORKS 1: 1991-2004」「同第2巻Aomori Museum of Art」(INAX出版)、「原っぱと遊園地」(王国社)他。04年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。
メディアに対する、建築や空間というものさしのあり方とは?
田中 本日はお忙しい中ありがとうございます。今回の公募展示のテーマは「LIFE by MEDIA」ですが、青木さんのたずさわられている建築という世界とメディアとの関わりなどをお聞かせください。
青木 今回の公募展示のテーマであるメディアとは、狭義のテクノロジーや情報媒体だけの意味ではなく、コミュニケーションの触発やコミュニティの創出といった広い意味を含んでいますよね。
メディアは実体がなくても成立するものであるのに対して、建築は物理的なものであり、ある意味で正反対にあるわけです。そういう意味で言えば、メディアを計るものさしの正反対である定点の側にあるものが、空間だと思います。
田中 なるほど、でも建築物がメディアの役割をしている事はないんでしょうか?
青木 もちろん、建築がメディアの役割を果たしている事例もあります。例えば、教会です。神の教えを伝えるという機能、そこにくる事で神の存在を感じることができる場所ですね。伝えるべき世界があって、それを伝達する機能をもったメディアとしての建築と言えます。
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逆に、伝えるべき内容をもっていなくてもメディアとして機能する建築もあります。例えば、駅です。何か情報を伝達する為にある訳ではなく、利用者が目的地へ行く為に経由する場所。
結果としてそこには人が集まるのだけれど、集まる人々の目的はバラバラです。言い換えれば、アリバイを持って集まる事ができる場所。目的のバラバラな人達が集まる事で、それまで関わりのない人が出会うきっかけとなる場所でもあります。
田中 人が集まる場所といえば、映画館や駅ビルなどもメディアの役割を持っている建築ですね。こうした建築の中にあるメディアの要素とは何でしょうか?
青木 伝えるべき内容がある事、その内容をどう伝えるかのテクニック的な側面、そして伝えるべき内容をエクスチェンジさせる事などがあるのではないでしょうか。
現代の都市はメディアテクノロジーを通して他者と繋がるようになってきました。その結果、昔の駅は駅として機能しづらくなってきていて、根幹として人と人が繋がる場所ではなくなってきていますね。
青木淳さん
蓄積され、更新され続けるという可能性
青木 もう1つ、別の側面から考えてみましょう。同期的、非同期的という見方があるのですが、例えばスタジアムなどは同期的メディアと言えます。そこにくる人々はみんなで同じ時間に同じ場所で同じ物を見るわけです。
それに対して、先ほどの駅などは非同期的メディアです。訪れる人々には時間差があり、他人と他人が交差して、どんどん体験や経験が上書きされて蓄積されていく。ある時間軸をもったものを蓄える事ができる場所です。現代の街の中には、非同期的メディアがもっと必要だと感じますね。
田中 YCAMのある山口の駅前にも、そうした人が集まれる場所はどんどん減ってきてしまっています。車社会である為、大規模な郊外型ショッピングモールに人が集まってしまって、なかなか交流が生まれづらくなっていると思います。
山口駅前通り Some rights reserved by isado
青木 そうですね、非同期的メディアとしての建築が必要とされているのかもしれません。では、非同期的なメディアのコンテンツとは何かというと、それは記憶や記録なんです。
例をあげれば、昔自分たちの住んでいたこの場所はどんな場所であったかという事。何かのきっかけを作る事で、結果としてコミュニケーションが生まれれば、もしかしたらコミュニティが生まれるかもしれない。記憶というのは、ひとつおもしろいテーマかもしれません。
田中 街の中にある記憶や、昔から住んでいる人の暮らし方の記憶などは、コミュニケーションのきっかけになるかもしれませんね。
青木 少し話は変わりますが、建築物は竣工した時ができあがりです。ところが、世の中の多くのものは、常にアップデートしていくものなんですね。ある完成形を持たずに、流動的な状態であるという事です。
田中 メディアはまさしく流動的なものかもしれません。最初に青木さんがある意味で正反対とおっしゃっていた通りですね。
青木 そうですね。では、作品としての建築物は流動的な状態を完成形と言えるのか?という事も考えていかなくてはいけない。誰か個人の作品として完成する建築ではなく、完成しきらずに常にそこに重ね合わせてアップデートされていくものですね。
その時、建築は何をすればいいのか?という事を考えると、骨格に当たる根本的なルールづくり、アーキテクチャー(基本設計)だと思います。できあがった状態に価値のあるものに対して、生活とは更新することそのものです。更新する余地を残すことで、更新していくことが生きがいになっていくのではないでしょうか?
何が起きるのかを想定はできなくとも、
何かが起きるはずだという場所をつくるということ
青木さんの設計された青森県立美術館
青木 震災の影響などもあって実現はできなかったのですが、実はアップデートをテーマにした展覧会を青森県立美術館で行う予定だったんです。
展覧会をする場合、設営にはお金も資源も必要ですが、会期が終わればそれは産業廃棄物になってしまうんですね。それを、会期が終わっても引き継いで、その後の美術館のプラスになるようにできないか?ということを試みようとしたんです。
田中 通常は展示後に元のまっ白の状態に戻すところを、あえて残して美術館そのものをアップデートしていくという事ですよね?
青木 そうです。例えば、ある土の壁のところに穴をあけて、ショートカットできる道をつくってしまったり。しかし、現行の法律ではちょっと難しく、震災の影響もあり実現はできなかったんです。
展覧会は実現できませんでしたが、元々この青森県立美術館は竣工してできあがった時が完成形ではなくて、どんどん手を入れていける事や、その活動そのものが芸術になるように考えました。
例えばレンガ積みで作った外壁を白く塗っているのですが、時間がたつと角のところがわざと欠けるようにしています。隙や参加できる余地を作る事で、壁に絵を描いたりするなど、手を入れやすくしたんです。アップデートする為の隙や余地を残したんです。
田中 実はYCAMも多目的な用途で使えるように自由度が高く設計されています。YCAMもアップデートしやすい建築かもしれません。
YCAM Some rights reserved by dominick.chen
青木 今回のコンペでもそうですが、僕たちは何の意図をもたないで空間は作れないから、どうしたらいいのかを考える必要があります。その時に、空間の固有性は必要なんじゃないかと考えています。
何か手がかり、足がかりになるもの、変えられないものや制約があることは必要ではないか?恣意的な固有性を押しつけるのではない、ある種のルールや工夫する為の余地ですね。
無根拠のルールでも、徹底してやれば、自然と同じような強度をもった何かが生まれるはずです。そこで何が起きるのかを想定はできなくとも、何かが起きるはずだという場所をつくるという事です。
田中 何もかもお任せの自由に使えるだけの場所では、なかなかコミュニティは生まれづらいですもんね。何かのきっかけや仕掛けは必要だと思います。
青木 そうですね。現代の街の中には、そこにいけば目的をもっていなくても何か起きるんじゃないか?という空間が少なくなってきています。
広く言えば、それをどうやってやればいいのか?現代でそれはどのように可能なのか?テクノロジーだけでなく、物理的な空間がある事で成立するものは何か?今回のコンペでも、そうした街の中にあるメディアとしての空間のありかたが課題です。旧来のメディアや空間を超える提案を見たいですね。
いかがでしたでしょうか?建築というと専門家の独壇場のような意識をもってしまいがちですが、毎日暮らす家も、通勤通学の駅も、映画館や美術館も建築ですよね。
メディアとしての建築とはコミュニケーションのきっかけを与える場所とその仕組みづくり、そう考えると、とっても身近な存在がメディアとして機能しているのかもしれません。今回のコンペでは建築分野の方からの提案も期待されているそうなので、みなさんが「LIFE by MEDIA」というテーマに取り組むためのヒントになれば嬉しいです。